This is my essay.

神田祭り


神田明神の大祭

 東京の三大祭り、いやそれどころか日本の三大祭りのひとつとされる、神田祭りの季節となった。今年は、5月12日(土)と13日(日)の両日がそれに当たり、それぞれ、3基の鳳輦を引いたおよそ300名から成る時代行列が都内30キロばかりを巡行する神幸祭、各氏子の約70基にも及ぶ神輿の宮入りが行われる。

 神幸祭の方は、さながら平安朝の行列といった風情であり、比較的おとなしいものである。ところが、神輿の宮入りの方は、一転して江戸っ子のエネルギーがほとばしり出る。何しろセイヤッ!セイヤッ!のかけ声をかけながら、それぞれ100人近い人間がかつぐ70基の御輿が次々に境内に繰り入れるわけであるから、それはそれはものすごい迫力で、興奮が興奮を呼び、これらがうずまくエネルギーとなって、参道から神社境内を一気にかけぬける。これを見ていたら、帰ってからも、セイヤッ!セイヤッ!のリズムと御輿が上下するリズムが体の中に残っていて、まだ興奮している。いやはや、すごいものである。

 今年は、たまたま私の友人の方から、その事務所から神田祭りを見ないかと誘われて、その言葉に甘えて出かけた。その方の事務所は、まさに神田明神の参道の脇に建つビルの三階にある。何とそのベランダから、神輿の宮入りを見下ろせるという絶好の位置にある。去年も、テレビ会社が番組のためにビデオを収録していったという。まさに特等席である。

 もう、そのビルにたどり着くのも一苦労である。午後3時過ぎに行ったが、ものすごい人出である。ウァエーイッ!セイヤッ!セイヤッ!セイヤッ!セイヤッ!ウォオーッ!と、まあ耳をつんざく大音響である。御輿の担ぎ手の服装としては紺色の法被が多いが、その氏子の町内によっては、緑で統一していたり、茶色で黄土色の手ぬぐいを頭に巻き付けていたりと、なかなか色彩豊かである。

御輿を先導する女人 各御輿を先導する人がいる。町内の名前を書いた札を下げる人たちがまず二人いて、それからチリン、チリンとなる杖をもった人が2人から4人くらい続く。これは女性や子供が多い。そして、子供御輿がまずきて、それから大人御輿がワッセッ!ワッセッ!と来る。それが動くときは、「さあ、いくぞ、ウァエーーイッ!」となり、セイヤッ!セイヤッ!セイヤッ!となる。ときどき、鐘や太鼓をチンドン、チンドンと打ち鳴らす専用の引き車まで用意している町内もある。

 神田明神の公式サイトによると、この祭りは、天平2年(西暦730年)の創建以来、約1300年の間繰り返されてきており、とりわけ現在のように盛んになったのは、徳川幕府が江戸に開かれた慶長8年(西暦1603年)以降、神田明神を江戸総鎮守に定めてからだという。ただ、あまりにこの祭りが人気を呼んだために、幕府は本祭は2年に1度の開催にするよう命じ、本祭が行われない年には蔭祭を行い、こちらはお神輿の出ない小規模なものとなったとのこと。

 現代でも、神田や秋葉原近辺は、商業の中心地でもあり、この祭りを支える人たちの裾野が広いことも、長年の盛況の要因であろう。ともあれ、今日は、たいへんいいものを見たと思い、家内とともに家路についたのである。この日は、鐘に太鼓の音と御輿の上下のリズム、それにセイヤッ!のかけ声が、いつまで経っても体から消え去らなかった。

 御神輿の大音響

神田明神の公式サイト http://www.kandamyoujin.or.jp/

(平成13年 5月16日著)
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