徒 然 の 記

徒然なるままに、心に浮かぶ よしなし事を・・・・



目 次 (逆 順)

 13 味とデザイン
 12 道を聞かれて
 11 根津のつつじ
 10  図太い神経
  犬と石頭
  悲惨な内職
 7 御神酒徳利
 6 小さい子の話
 ぞんざいな店
 4 計算の季節 
  貧乏父さん  
 2 気に掛かること
  折々の心覚え





13.味とデザイン

  一日の仕事が終わり、家路に着いた。きょうは暑かったなあと思いながら家内の顔を見て、我が家のテーブルにすわる。何気なく、前に目をやったところ、そこには中国製のような陶器のとっくりがある。青磁のような味わいがする。いや、変わったものがあるなあと思いながら、それを手にとったら、軽いのでびっくりした。何だ、これはウーロン茶の缶ではないか。それにしても、遠くから見れば、陶器のように見えるのは気が利いている。これは面白い商品だと思い、何かピンと来るものがあったのである。普通のウーロン茶はやや渋い味わいがして、私はあまりたくさんは飲めないが、この陶器のような缶の味は、やや軽めである。だから、私でもあまり抵抗なく飲める。これは、味良し、デザイン良しである。

 そうしていたところ、それから一週間も経たないうちに、この缶についての新聞記事が載った。朝日新聞によると、ウーロン茶の王者であるサントリーに対して、このキリン・ビバレッジという会社が挑むという構図らしい。最初、鳳凰という製品でチャレンジしたところ、敢えなく敗れ去ったので、捲土重来を狙ってこの商品を出したとのこと。そして「聞茶は5月末までに、計画より1ヶ月早く300万ケース売れた。年間の販売計画量も800万ケースから1500万ケースに上方修正・・・」という、誠に景気の良い話である。聞茶(ききちゃ)と発音するらしい。まあ、味もさることながら、その缶のデザイナーに対して、賞賛の言葉を差し上げたい。プレジデント6月号には「デザイナーが金沢の窯元にまで陶器の原版を焼きに行き、できあがったデザインをスキャナーで読みとってアルミ板に転写するという手法で、陶器の味わいを出した」という。それに、白地の缶を作るのも難題だったが、頼み込んで作ってもらったという。

 ところで、私のテニス仲間の一人に、今申し上げ王者サントリーの人がいて、同じように商品開発を仰せつかったという。ちゃんと、キリンの挑戦を受けて立つという仕組みである。ここまでいくと、現代の果たし合いである。こちらは、お茶葉系(ウーロン茶・緑茶)のように旨味はあるが渋味も出るというものと、穀物系(麦茶)のようにさっぱりしているが旨味も渋味もないものとの融合を考え、旨味はあるが渋味のないものができないかと試行錯誤した。そして、「熟茶」と書いて「じゅくちゃ」と呼ばせるものを世に送り出した。中国奥地の雲南省西双版納にて吟味に吟味を重ねた結果、やっと作り出しに成功したプーアル茶の一つであるそうな。

 「えぇっ、ウーロン茶でないのか、プーアル茶といえば、数年前に私の友人が、『これを飲んで数キロ痩せた!痩せた! だから、お前も飲め』と騒いでいたものだ。仕方がないので、これを飲んでみたら、まあ、かび臭いというか、とっても飲める代物ではなかった。そんな薬みたいなものをねぇ」という気がしたものである。

 しかしともあれ、三煎・二層抽出なる画期的製法を開発したという能書きの書きつけてある紙付きで、その一缶をいただき、試しに味わってみた。そうしたところ、これが意外や意外、プーアル茶にありがちな臭みやら、胃にドーンと来るような重さがなくて、非常に飲み良い代物であった。これは私にはぴったりだなあと思ったのもつかの間、それから一月も経たないうちに、町で見かけなくなってしまった。

 これも後講釈だが、あのペットボトルの色と形が、類似商品とあまり差がなかったからだとと思う。これは、味はともかく、デザインがそれに追いついていかなかった例である。こんな風にして飲食料品業界では、新製品が毎年何百・何千と生まれながら、そのうち生き残るものはわずか数%いや、一説によればもっと少ないという。いやまあ、何と無駄なことか。


 ところで、6月9日の日経新聞に、何でもランキングと称して、主婦が飲みたい茶飲料のランキングがあった。それによると、次のようになっている。
 1位 生 茶   (キリンビバレッジ)
 2位 十六茶   (アサヒ飲料)
 3位 爽健美茶  (日本コカコーラ)
 4位 まろ茶   (日本コカコーラ)
 5位 旨 茶   (アサヒ飲料)
 6位 
聞 茶   (キリンビバレッジ)
 7位 おーいお茶 (伊藤園)
 8位 しみじみ緑茶(サントリー)
 9位 なごみ麦茶 (日本コカコーラ)
 10位 
熟 茶   (サントリー)

 このうち1位の生茶は、発売以来、3090万ケースが売れた大ヒットの定番商品。味が「さっぱり」としつつも、「深い味わい」が消費者に受けた。2位と3位は、ともに93年の発売で、ブレンド茶の草分けである。以上の1位から3位までの製品は、四位以下を大きく引き離している。最近の特徴は、苦みや渋味を押さえたもので、7位と10位は、これを狙っている。他方、6位の聞茶はボトル缶を採用して「デザインがいい」という理由になっている。ところでこの「ボトル缶」の特徴は、一度に飲みきれなくとも栓ができるし、光を通さないアルミでできていることから、最近ではお茶に使用されはじめている。ところで、調査期間の後となってしまって、以上のランキング対象品目からは外れてしまったが、このほかにサントリーの定番トップ商品の「烏龍茶」がある。

 うーむ、勉強になった。
 
                            (2001. 6. 7著、6. 9追加)



12.道を聞かれて

 このゴールデン・ウィーク中に、珍しい出来事があった。私は、たまたま神田小川町からお茶の水に向けて、あの長い坂をトコトコと上がっていった。そして三井海上のビル当たりにさしかかったところ、坂の上から、若い女性が息せき切って駆け下りてくるのが見えた。グレーのスーツ、タイトなスカートで、いわゆるリクルート・ルックである。その子が、どういうわけか、私の目の前で急に止まり、「あの、ちょっと」と何か尋ね始めた。何しろ赤ん坊などは、私の顔を見ると泣き出すこともあるから、小さい子や若い女性が向こうから話しかけてくることなど、誠にもって珍しいことである。

 その若い子は、面長のなかなか可愛らしい人で、言葉遣いもしっかりしている。「この辺に、日大経済学部はありませんか。」というのである。「日大の医学部ならあるけれどが、その他はずいぶん前に移転したのではないでしょうかねぇ。地図とか住所はありますか。」と聞くと、彼女は一枚のはがきを出してきた。それには、「就職面接会場」と書いてある。しかも、そこに印刷された地図のJRの駅をつくづく見ると、「水道橋」とあるではないか。

 そこで「あぁ、ここはお茶の水で、水道橋は隣の駅ですよ。一度この坂を上がっていってからJRの黄色い電車で次の駅に行き、そこから行けばいいですね。」というと、「はい、わかりました。ありがとうございます。」と答えて、さっと振り向いて、坂を上っていった。ポニー・テイルの髪を左右に振り振り、案外早いスピードで、視界から消えていったのである。

 いやはや、まだ5月だというのに、もう就職の面接が始まっている。就職氷河期だから、この子も何社も回らざるを得ないのだろうな。それにしても大変なことだけれども、言葉遣いは合格、しかも容姿端麗なので、ご健闘を祈りたい。

(2001. 4.30)



11.根津のつつじ

 近くの根津神社では、毎年4月中旬から5月初旬にかけて、つつじ祭りというものが行われる。境内の斜面一面に色とりどりのつつじが咲き誇るのを鑑賞するという、ただそれだけの催しである。ところが、これがまた見事なもので、初めて見る人は思わず「ほほぅ」という声をあげてしまう。いつもはただ緑一色の何の変哲もないところに、急に一面が白、赤、ピンク、紫などの原色の花に覆われた数多くのこんもりとした木々が出現するのであるから、私ならずとも、歓声を上げたくなるというものである。しかし、このようにいくら言葉を使って説明しても、この風景を十分に説明しつくせない嫌いがある。

 まあ、百聞は一見に如かずというところで、一度はお出かけいただくとよい。ただし、この季節になると、地下鉄の千代田線根津駅を降りたとたん、ぞろぞろと神社に向かう老若男女の群れに出くわして、前へ急いで進むのも、後ろへ向かうのも、いずれも非常に困難なものとなる。いま「老若」と申し上げたが、実は「老老」といったところで、実年熟年の世代が多い。それというのも、この根津神社のつつじを皮切りに、上野東照宮のぼたんと、亀戸天神の藤の花が見事であり、これらをぐるりと回ってくれば、夫婦そろってごく手軽に下町の花を楽しめるからである。

 この東京の下町の花の歳時記を取り上げてみよう。

 2月 湯島天満宮の梅祭り
 4月 根津神社のつつじ祭り、播磨坂さくら祭り
 5月 上野東照宮のぼたん、亀戸天神の藤祭り
 6月 白山神社のあじさい祭り
 7月 伝通院・源覚寺の朝顔・ほおずき市、
    下谷鬼子母神の朝顔祭り
    浅草寺のほおずき市
10月 谷中菊祭り
11月 湯島天満宮の菊祭り


 このほか、花とは関係がないが、おもしろい行事として、次のお祭りなどは、一見の価値がある。日枝神社、神田明神の祭りとともに江戸三大祭の一つである浅草神社の三社祭では、専門の御神輿かつぎチームが活躍し、本当にびっくりするような下町の力を感じる。また浅草サンバカ−ニバルは、これとは全く別の意味での若いエネルギーに驚かされる。地球の裏側の激しい踊りが、日本の、しかもお江戸以来の歴史のある町にこれほどまでに定着したというのは、誠に不思議な感じがする。もちろん踊り手は若い人だが、どういうわけか、その見物人は実年以上が多い。

 5月 浅草神社の三社祭
 7月 隅田川花火大会
 8月 浅草サンバカ−ニバル
12月 浅草寺の羽子板市


(2001. 4.24)



10. 図太い神経

 きょう、のどかな春の土曜日、ふとテレビの討論番組を見ていると、ある私立大学の学長さんが出ていた。今やロマンス・グレーになったが、なかなかの恰幅である。昔々のことになるけれども、実は私の親しい先輩がこの学長さんの仕打ちに辟易して、ひどく腹を立てていたことを思い出し、思わず含み笑いをしてしまったから、家内が不思議そうな顔をした。

 そこで、およそ20年前に、この人を巡ってどういう経緯があったのかを、説明してあげたのである。その時分、私の先輩は、エネルギー問題の専門家として売り出していて、テレビの座談会に招かれた。当日指定された会場に行ってみると、その座談会に出る人たちが待合室に三々五々に集まってきて、雑談をしていた。その中で、若き日のこの学者も、その出席者の一人となっていた。

 そこで私の先輩は、これらの出席者の前で現下のエネルギー問題をとうとうとまくし立て、ご丁寧にいろいろと事例まで挙げて説明したのである。さて、それから本番の収録となり、出席者はテレビ・カメラの前に集結した。司会に促されて最初に口火を切ったのが、この学者だった。ところが、それを聞いて私の先輩はビックリした。その学者が話す内容は、何とまあ、自分がたった今、その控室で話した内容そのものであったからである。しかも、事例も全く同じであった。

 そうこうしているうちに、先輩がしゃべる番が回ってきたが、何しろ自分の大切な持ちネタがすべて使われてしまった後なので、そのショックから立ち直れず、さりとてそう急には新しいことを思いつけるわけでもなく、非常にあせった。何とか説明を始めたけれども、結局のところメロメロの無茶苦茶になって終わってしまったのである。

 それ以来この先輩は、「あの、エセ学者め。とんでもないヤツだ」と、あちこちでさんざんに罵倒していた。ところが、その学者の方はどんどん出世して、政府の枢要な審議会の会長として君臨するは、日本で有数の私立大学の学長を勤めるはで、その先輩は足下にも及ばなくなってしまった。いまや二回目の学長ポストをお勤めになっている。

 こういう他人の智恵を横取りしてそれをすぐに使って平然としているその神経の太さと、出世の階段を駆け上がる早さから推察されるその政治力の確かさとが、この学長さんの持ち味らしいが、それにしても、まあその生臭いこと、町の政治家も顔負けである。それ以来、この私立大学には、何か胡散臭い気がしてなならないのである。しかし、何というか、これが世渡り上手というものであろうか。 
 (2001. 4 7) 




9 犬と石頭

  皇居の桜田門の付近を車で通るたびに、首を伸ばして警視庁の中庭の茂みを覗くのであるが、お目当ての彫刻が見つからない。何しろ、警視庁の建物なので、外からじっくり探すわけにもいかない。やっぱりあれは、酒飲みの与太話だったかと思うのであるが、それにしても、よく出来ていた話だなあと残念に思うのである。

 あるとき、私の知人が、とっておきの話だといって、酒の席でこんなことを語っていたのである。桜田門にある警視庁の建物は比較的新しいが、これを作った頃は、彫刻家に頼んで彫刻を彫ってもらい、それを玄関前に飾るというのが慣行だった。そこで、警視庁の建物についても、流 政之という現代彫刻家に依頼した。問題は、この大家がいわゆる無頼風の人柄だったことである。彫刻ができあがってみると、どうもそれはお稲荷様のような外見をしている。そして、関係者がびっくり仰天したのは、その彫刻家がこれに「桜田門の犬」という名前を付けよと言ったのである。まあそうかもしれないが、それはあまりにもひどいではないかということで、すったもんだのあげくに、結局その彫刻は、飾られれはしたものの、人目に付かない場所となったという。

 しかも、これには後日談がある。その直後に、今度は特許庁の建物が建てられることになり、やはりその流氏に依頼した。できあがった彫刻は、球体を二つに割って半球にしたような外見であった。そしてこれについても、流氏は「三年町の石頭」という題を付けよといったそうである。しかしこの時の発注者は偉かった。警視庁での騒ぎをあらかじめわきまえていて、「すでに内部でこれに適当な題を募集し、その結果『愛の○○』という題が付いたので、もう替えられません」といって押し切ったそうである。それ以来、官庁が彼に彫刻を依頼したという話は、ついぞ聞いたことがない。

 今日、たまたま赤坂溜池近くの特許庁の前を通りかかったところ、それらしき半球状の彫刻が玄関横に確かにあった。たまたま一緒にいたこの辺に詳しい人に聞くと、昔々このあたり電車が通っていた頃には、この特許庁前は「三年町」と言っていたという。「あっ、それだ!」と思った。これで石頭の意味がわかった。惜しむらくは、もう一つの証拠である「犬」が見あたらないのである。さりとて、警視庁の人に直接聞くのも気が引ける。ひょっとして、最高機密事項かもしれない。いや、これは冗談であるが、ともあれ、いつの日かその真偽を知りたいと思っている。
 (2001. 3.14)



8 悲惨な内職

 3月7日、朝日新聞の朝刊を読んでいたところ、中国の江西省宣春市の小学校で爆発があり、建物が全壊し児童ら40人近くが死亡し、27人が負傷したとの記事があった。短い記事なので、さっぱり要領がつかめないが、児童の内職の爆薬が爆発したというのである。ところが、「小学校」、「児童」、「内職」、「爆発」、「40人近く死亡」という一連のキーワードがどうしても私の頭の中で結びつかなくて、悲惨な事件ではあるが、いったい本当のことだろうかと疑問に思っていた。
 ところが、その日の日経新聞の夕刊で、なぞは一気に解けた。何と、この中国の小学校では、不足している運営経費を補填するため、児童らが学校で爆竹に導火線を付ける「内職」をしていたというのである。ところが、たまたま教室内に置いてあった加工中の爆竹に引火してこの惨事が起こった。この爆発で四つの教室はほぼ吹き飛び、二階建ての校舎は全壊した。
 しかし、いくら何でも児童に内職をさせるというのは、わが国では明治以降はもちろん、江戸時代の寺子屋でもやらなかったのではないだろうか。しかもそれが、危険きわまりない爆竹というのでは、全くもって何をいわんやである。これでは安心して子供を学校に預けられないし、そもそもこういうことを黙認している政府の指導層の人権感覚を疑いたくなるところである。翌日の朝刊で、大人に抱きかかえられて泣いている女の子の写真を見て、胸がつまった。

(2001.03.08)





7.御神酒徳利

 私のマンションにはいろいろな人がいるが、その中にはこの地元に長く根付いている人たちもいる。江戸筆の伝統工芸士というおじさん、絵描きのおじいさん、和菓子の元職人など、いろいろである。こういう人たちに混じって、もう80歳を超すというおばあさんが住んでいて、これがまた有名人なのである。

 旦那さんははるか前にお亡くなりになっているので、一人住まいである。背筋はしゃきっとしていて、江戸っ子らしく気っぷがいい。常に和服を着こなしている。開放的な人柄で、誰とも区別せずに部屋に上げておしゃべりをするのが楽しみである。それに悠々自適という身の上なので、やることなすことが変わっている。年金の中から毎月5千円を社会のために使うということで、野良猫に餌を買ってあげたり、時には上野公園まで出かけ、ホームレスにお金を恵んであげているらしいのである。

 この人の部屋に一日二回は必ず訪ねてくるという友達のおばあさんがいる。こちらも、80歳を超した人で、昔からの無二の親友と言っていた。こちらは近くの小さな一軒家に住んでいて、料理が好きなようで、よく自分の作ったおかずを持ってきて、その気っぷのよいおばあさんと食事をしているのである。気っぷのいい方が背が高い。それに対して、料理の好きな方は背が低いので、その二人が出ていくと、われわれ口さがないマンション住民は「ああ、また御神酒徳利が歩いている」と言うのである。この二人の行動半径はとても広くて、近くの谷中だんだん坂の商店街はへっちゃらで、時には浅草までそろって出かけていくのである。それも「歩いて」である。いやもう、お元気なことで、われわれも常々感心していた。

 ところが、最近このおばあさんはちょっと弱気になってきたのか、「もう、いつでもお迎えがきてもいいわ」などと言っていた。こちらは「そんなこと、言うものじゃない」と話をしていたところ、年初めのある日、家の中で躓いて転んで、足を骨折してしまった。それがケチのつきはじめで、それで入院中に今度は肺炎になってしまったり、何だかんだとあって、可哀想なことに、まだ入院中である。これが「徳利」さんの方であるが、きょう、たまたまマンションの前を歩いていたら、「御神酒」さんに会った。「Mさん、まだ入院中ですか」と聞くと、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、悲しそうに「そうなんの」と言っていた。「それじゃ、また」と言って去っていくその背中は、とても寂しそうだった。
 (2001.02.25)



6.小さい子の話

 もう、うちの子供達は社会人の一歩手前であり、もはや仕上がってしまったので、小さな子供を観察する機会はあまりなくなってしまった。それでも、家内が近くのスーパーに行くと、小さな子供連れのお母さんの会話を耳にして、たまに面白い話をしてくれる。

 今日の昼は、二歳くらいの女の子と、そのお母さんとの会話である。


 女の子  ねえ、これ、家にあったかしら
 お母さん ええ、お父さんが買ってきてくれたのがまだあったと思うわ。

 女の子  そうかなあ・・・
 お母さん ああ、あれ買わなきゃ、さあ行きましょ


 なかなか、駆け引きのある会話である。女の子は、買ってくれとは正面切って言っていない。何度か痛い目にあったらしい。自己防衛本能が働いている。またこのお母さんも子供のあしらいがうまくて、正面からダメとはいわずに、その場にいないお父さんのせいにしている。そして、子供の目先をそらせて、どこかへ消えていってしまった。

 しかし、この女の子は、まだ二歳くらいだったという。それでいて、ちゃんと社交的駆け引きをしているところが、すごいところである。
(2001.02.25)



5.ぞんざいな店

 きょうはお昼に近くの日本料理屋に入った。ここは、下町の食堂とでも言うのがふさわしいところで、店には何の体裁も加えていないし、店主もその息子のウェイターの兄ちゃんもまるで地のままのぞんざいさである。店内はざわざわしているし、普通ならこんな店に来たくなるはずがないのに、月に2〜3回は顔を出してしまう。なぜかというとその答えは簡単で、くやしいが、料理の味がよろしいのである。そのうえ、安くて、しかも早いときている。まるで昔の吉野屋であるが、ああいうファースト・フードではなくて、家庭料理そのままに作っていて、それでいて味だけは格別によいのである。

 きょう、その店で私はカウンターに座り、焼魚定食を頼んだ。出てきたのは、ぶりの照り焼きに、しじみのみそ汁、それに蓮根だのニンジンだのが入った煮物である。なかなか、うまいと思って、昼時の喧噪の中でそれを黙々と食べていると、隣に私と同年代の紳士が座った。彼は、カウンターの向こうの店主に注文しようとして、こう叫んだ。

 お 客 「ミンチカツをください。そっ、それに野菜をたっぷり目にお願いします。」
 店 主 「それじゃ、50円増しだよっ!」
 お 客 「ぇへへへっー」
 
店 主 「んー、もうっ。『ぇへへっ』じゃないよ! ほんとだよっ!」
 お 客 「そっ、そうかぁー。大雪で最近の野菜は高いからねぇ。」


 さて、あなたならどうしますか。このお客のように従順に納得してしまうか、じろりと店主をにらみ返すか、それとも席を蹴って出てくるか。まあ、たかが50円という、誠にもってみみっちい話ではあるが、その人の人生観が垣間見えるというものである。ちなみにこの紳士は、皿一杯に広がったキャベツのみじん切りの上に、小ぶりのミンチカツがぽつんと置かれたものがくると、それを黙々と食べ始めた。その後どうなったかは、よくわからない。
(2001.02.14)



4.計算の季節

 父からのメール「今週の動き」によると、
   確定申告の書類作成し、2月1日に所轄税務署へ
   控えに受付印を押印して貰った。
 とある。受付日の2月15日のはるか前にもう行っている。企業財務の専門家だった几帳面な父らしい。

 それはともかくとして、また確定申告の季節が巡ってきてしまった。とりわけ面倒極まりないのは、医療費の控除である。歯医者に行ってハイ10万円などというのは滅多になく、その多くは細々とした領収書である。中には120円などという目を疑いたくなるものすらある。家内が真面目でしかも几帳面なせいか、領収書と名が付くと何でもかんでもとってある。それでも家族4人分になると、日替わりならぬ年替わりとでも言おうか、その年々によって代わる代わるに何か起こる。そうして領収書の計算を積み重ねると、不思議なことに、控除額の10万円を超えるのである。去年などは、病院へ行ったタクシー代と地下鉄のメトロカードを合計した分だけ超えたと言って笑い転げた。

 しかし、このようなものを計算させられる税務署の若い人は、はなはだもって気の毒である。もっとも、ベストセラーの「金持ち父さん、貧乏父さん」によると、私などは年間5ヶ月は国つまり税金のために働いているのだから、それくらいは我慢してもらいたい。それにしても、残りの7ヶ月って、いったい何だろう。2ヶ月は銀行つまり住宅ローン、3ヶ月は大学生の子供だから、そうすると、私は家内と自分のために一年の内わずか2ヶ月しか働いていないのか。やっぱり貧乏父さんの状態になっているのは、仕方がないことかもしれない。
(2001.02.10)



3.貧乏父さん

 ロバート・キヨサキという日系アメリカ人の書いた「金持ち父さん、貧乏父さん」という本が評判である。私もそのうち書評でも書いてみるかという気がしているが、私自身はこの本のいう貧乏父さんの典型だと思って、思わず苦笑してしまった。知性もあり社会的地位もあるが、残念ながらお金に関する知恵と知識が全くなくて、ラットレースといわれるがごとくに、人生をあたふたと駆けめぐっている。住宅ローンという名の負債を抱えて、その借金を返すのに汲々としている。うーん、全くその通りである。アメリカ人の中では、知性も地位に何もなくてよいから、ともかく50歳を目標に大金を稼いで悠々と引退しようとする人ほど尊敬されるということは知っていたが、これは金持ち父さんのことであったのか。目から鱗の心境である。しかしまあ、そういう手合いは、日本では成金といって、決して尊敬される存在ではないのだけれど、現代資本主義社会では、やはり勝者なのだろう。

 それにしても、貧乏父さんのままでは、私だって面白くない。といっても、いまから急に金持父さんになれるほどお金儲けの知恵があるわけではない。まあ、私として唯一自慢できるものといえば、常々、自分で考えたりあるいは家内と話しをしていることが、それなりに面白くて大切な知的財産であると思いこんでいることである。だからそういうことでもこの欄に書き付けておき、せめてもの鬱憤晴らしとしよう。
(2001.02.05)




2.気に掛かること

 ずっと昔のことで、しかもそれが大したことではないものの、何かどうも腑に落ちなくて、心の片隅に引っかかっていたことがある。それが何十年も経ってからふとした出来事がきっかけで、「ああそういうことだったのか」と初めて気がついて、我が身の不明をいたく恥じたり、後悔したりすることがあったりする。
 つい先頃もそういうことがあった。きっかけは、大学時代の同窓会が夫婦同伴で開かれて、私の家内がある友人の隣にすわったことである。家内が聞き上手だったのか、それとも今や社会的に成功しているその友人がなつかしい昔話として語る気になったのか、まあどちらでもよいが、私はその話をあとから家内から聞いて、たいへんに驚いたのである。

 というのは、その友人は、親の事業がうまくいかなかったので、大学時代にはとてもお金に苦労し、生活のためにアルバイトを何でもやって大変だったと語ったらしい。この友人は、大学時代にはそんな様子を全く見せていなかった。それどころか、いささか大言壮語の癖があるのではないかと思うくらいに、元気に何でも積極的な人で、私はこの人のことを「そんな性格なのだろう、それにしても変わっているな」などと、単純に思っていたのである。ところが、そういう目で改めて昔の彼との交遊を振り返ってみると、彼にはその生活の苦労をしのばせるような、いろいろと納得することがあった。当時の私は、そんな事情とはつゆ知らなかったとはいえ、彼に対してもう少し気を働かせて接してあげればよかったのではないかと、やや忸怩たる気持ちになったものである。
(2001.02.03)




1.折々の心覚え

 吉田兼好 法師のような枯れた心境ではないが、歳をとると確かに何か思いついたことを徒然なるままに記しておきたくなる。それがまとまって長いものになれば、エッセイと称して写真付きで麗々しくアップロードするが、そうでもない短いものは、人生折々の心覚えのためにでも、こちらで記録しておくことにしたい。
(2001.02.01)





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