This is my essay.

花嫁の父



嫁ぐ娘

 家内は、いろいろな古い映画が好きで、よくそれをビデオにとるものだから、私も時折その恩恵にあずかっている。このお正月には、古いアメリカ映画を見た。1950年のヴィンセント・ミネリ監督の白黒映画で、嫁に行くのは若き日のエリザベス・テーラーである。これがまさに抱腹絶倒、本当に面白かったのである。

 場面は、自宅で結婚披露宴を開き、すべて終わって招待客が全員帰ったあと、ぼろぼろに疲れた父親が回想するところから始まる。
(記憶に頼って書いているので、ストーリーの細部はこの映画とは多少違うかもしれないが、その場合はご容赦いただきたい)

 結婚騒ぎが始まったのは、わずか数ヶ月前のことである。弁護士をしている父親がいつものように仕事を終えて家に帰ったら、20歳になる娘の様子がどうもおかしい。そうこうしているうちに、娘は結婚したいと急に言い出した。相手の男は何回か自宅に来たというが、その名前を聞いてもあまり覚えがない。誰だろうとこれまで家にやってきた若い男の顔や性格をいろいろと思い浮かべてみた。体力だけはありそうだがおつむはカラのやつ、勉強はできそうだがどうも線の細いやつ、なよなよとして気持ちの悪いやつなど、どれもこれもたいしたことがない連中ばかりで、これというやつはいなかったはずである。

 娘に、そいつは何の仕事をしていると聞いても、「何か作っているようだけど、そんなこと関係あるの。愛しているならそれでいいじゃないのっ!」という調子で、さっぱり要領を得ない。どうやら26歳という年齢を聞き出したが、わかったのはそれだけである。母親は「娘が結婚するっ! 結婚するのよっ!」と有頂天になっているが、父親は心配で心配でたまらない。夜になって寝ようとするが、どうにもこうにも寝付かれない。つい女房に対して、「どんな男か全くわからない。娘は悪い男にだまされているかもしれないんだぞ!」などと当たり散らしたりしてしまう。

 そのうち、その男がやって来て、まあまあの好男子という印象を持つ。それでも心配になり、その男に財産関係の書類を持ってこさせてチェックしようとする。しかし、いざやってくると、今度は照れくさいのか、自分のことばかりを話題にしているうちに、肝心の聞き出す機会を逃してしまうという体たらくである。そうこうしているうちに、女房とそろって相手の両親の家を訪ねるということになる。当日、その大きな家を見てやや気後れをするが、かまわず入っていくと、自分たちよりやや年かさの老夫婦が待っていて、大歓迎をしてくれる。双方とも、ありったけのお世辞を言い合う。しかし、酒に弱いといういつもの癖が出て、べろべろに酔っぱらって何を言ったかも忘れてしまうみっともなさである。

 結婚が本決まりとなる。花嫁の家が費用を持つという慣習らしくて、この父親もそこは覚悟をしていた。父親は、結婚式と披露宴は質素にやりたいという主義であったが、娘と母親は次々に高価な服や身の回り品を買ってくる。そのうえ、式は教会でやりたいと言い出す。父親は、自分たちの場合は、式もパーティも自宅だったと主張したが、その肝心の女房から「実は自分も教会でしたかった」と切り札を出されてあえなく陥落してしまう。そしてそれからは、娘と母親と業者の言いなりにどんどんとお金が飛ぶように出ていってしまうのである。一方で娘は、次第に自分のコントロール圏内から出ていく。たとえば、娘の出がけに父親が「外は寒いからコートを厚いものに替えて行け」といっても、娘は馬耳東風なのに、婚約者が同じことをいうと、娘は素直にそれに従ってコートを着替えるといった調子である。

 自宅で披露宴を開くために、夫婦そろってパーティ業者のところへ行った。ウェディング・ケーキだけで400ドルもする。しかし業者は、「これでは少しみすぼらしいので、次にこれでどうでしょうか。お予算は張りますけど、一生に一度のことですから」などという。こうして業者が何かを勧めるたびに、どんどんと値段が吊り上がっていく。こちらを金の成る木と思っているらしい。それだけでなく、父親は反対するのに、母親が楽団を呼ぶという。それに85ドルもかかったが、結局、当日はどのお客も音楽など聞いていなかったので、全くの無駄であった。

 自宅をパーティ会場に使うために下見に来た業者は、「この家は狭くて予定の人数が入らないので、ドアを取り払い、一階の家具をすべて屋根裏に移し、ドアを外して庭にテントを張らなければいけません」などという。そしてついに、そうすることになった。大改装しなければならないので、まったく大ごとである。かかる費用の総額を計算すると、とんでもない額になった。父親は思いあまって娘の部屋に行き、それを見せて「1500ドルをやるから、どうか二人で駆け落ちしてくれ」と頼み込む始末であるが、女房が顔を出すと、みっともないと気が付いてそれを取り消すという調子で、いやはや完全に常軌を逸してきた。

 誰を招待するかでも揉めた。父親はすべて簡素にと思って人数をもっと削ろうとしたが、娘や母親の知り合いなどの関係もあって、Aさんを呼ぶならBさんも呼びたいなどと、ああだこうだと言い合って、誰も削ることができないのである。結局、全員を呼ぶこととした。一人当たりの費用は3ドル80セントである。準備をしていると、無神経な友人は、どこそこの人は、結婚に5000ドルにかけたが、半年もたたないうちに離婚したなどと聞こえよがしに言う。どうにか招待状を発送したところ、次々に来る出席の返事とともに、お祝いのプレゼントも続々と届いた。まるでお店を開けるぐらいである。中には本当につまらない物を送ってくる親戚もいて、送り返したいとさえ思うほどである。

 そうこうしているうちに、ある日、娘が帰ってきて、「もう結婚式などしない! あんな人とは思わなかった!」と叫んで自室に籠もってしまった。父親は当惑し、ほかに女でもいたのかとギクリとしたのである。おそるおそる、理由は何だと聞くと、「彼には『ロマンチックなところに新婚旅行に行きたい』と言って置いたのに、『ノバスコティアの田舎で釣り小屋に泊まろう、ロマンティックだよ』と言われたの。もう本当に最低!」だと。安心するやら、馬鹿らしくなるやら。もう痴話喧嘩に巻き込まれてしまっている自分にうんざりする。

 父親は衣装箱から昔着たことがあるモーニングを出してきた。樟脳だらけである。それを着ようとしたが、自分が太ってしまって、なかなかそのボタンをはめられない。息を止めてお腹を引っ込ませてどうやらそれを着て、女房に見せた。「小さくなっているから、買い替えたら」といわれるが、「いや、これはまだ二回しか着ていないんだ」と言って強引に押し通そうとする。そのとき、自宅の下見にまたパーティ業者がやってきた。父親は開きにくくなったドアを体全体で開けてみせようとしたところ、ベリッと音がして、その小さくなったモーンニングは、背中のところで真っ二つになってしまった。結局、新しいモーニングを誂えに行ったのである。

 結婚式近くになり、教会でリハーサルをやることになった。ところが運悪く大雨の日で、予定の半分も集まらない。牧師本人も来ない。少ない人数をやりくりして何とか行進をさせようとするが、うまくいかない。自分は何と花婿の役をして奮闘するが、結局大混乱に陥ってしまった。それから、結婚の前夜になり、娘は父親に対して「私、とても不安になったの」とポツリと漏らす。父親は、それを慰めるのである。

 ようやく当日が来た。朝から自宅には、業者が花などを持ち込むやら職人が改造をするやらで、あちこち大騒ぎとなる。業者と職人が喧嘩までしている。その中で親類の女性が駅に着いたという電話が入るが、誰もがどたばたと忙しく、迎えに行く暇などない。それでもやっと準備ができ、あわただしく教会に向かう。父親は娘の手をとり、結婚行進曲に合わせ、祭壇に向かってしずしずと歩いた。牧師の声に続いて二人の誓いがあり、父親も一言を発しなければならない場面がある。他のことに気を取られていて、あやうくそれを逃しそうになるが、何とかそれをこなし、無事に式は終わった。

 それから、自宅で大披露宴を開く。どこもかしこも大人数で、歩くこともできないくらいである。父親は、台所で飲み物係を引き受ける。自分がマティーニが好きなものだからそれを大量に用意するが、お客がやってきてもそれをなかなか注文してくれない。それどころか、あらかじめ用意していないものばかりが注文される。コーラを注文する客もいたが、それの栓を抜くと服にしぶきが飛び散る始末である。父親がへとへとになりながらそれをこなしていると、「花嫁が二階から客にブーケを投げるそうだ」と誰かが言うのを聞いた。父親はこれを見逃すまいと飛び出し、人の群をかきわけてやっとたどり着いたものの、もう終わっていて、女房からはどこにいたのと言われてしまう。そして、新婚の二人が車で出発するというので、これもたくさんの人の壁をかきわけてたどり着くが、もう言ってしまった後である。

 やっとパーティが終わり、最後の客が帰った。家の中はたくさんの客が汚し放題で、そのまま放置された。その中で、女房と片づけようかと話していたところ、電話が鳴った。受話器をとると娘からである。「いま、駅にいて、これから出かけるの。お父さん、愛している」という。これで、父親は疲れもふっとんでしまい、ゴミの中を女房と二人で、ゆるやかにダンスを踊りはじめる。

 これは、50年前の映画であるが、この花嫁の父親の心理や結婚産業の貪欲さなどは、いまでも全く同じといってもよい。娘を持つ父親が、いずれは経験することである。それにしても、最近このような人情の機微を突くような良い映画がない。スピルバーグの人喰い鮫や恐竜の映画などは確かに大勢の観客を集めるが、しかしそれは「こわいもの見たさ」にすぎない。一度見たら、それはすぐ忘れ去られるものである。

 私の家では、家内がせっせとこういう名画をビデオにとって、よくそれを子供たちに見せていた。だから子供たちは、昔の映画や俳優さんを良く知っているし、映画で取り上げられた人情の機微にも、同年輩の人よりは通じているのではないかと思っている。公教育の荒廃が叫ばれている今日、こういう教育も大いに有効ではないだろうか。

(平成13年 1月 5日著)
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