NHKラジオに「シニアのためのものしり英語塾」という番組がある。5月号のテキストを覗いてみて、これは面白いと思ったのは、「サンホセへの道」という歌詞が載っていたからである。まあともかく、百聞は一見に如かず。それを下に挙げてみよう。標準語では感じがでないという向きには、名古屋弁、富山弁、大分弁に訳した歌詞も用意したので、それも併せて読んでいただくとおもしろかろう。
サンホセは、サンフランシスコ州最古の都市である。そこから、成功を夢みて大都市ロサンゼルスへと移り住み、一生懸命に働いたものの、ついに芽が出なかった人たちのことを取り上げているようだ。田舎から大都市に出てきて成功するのは、ほんの一握りの人である。あとの大多数は、この歌詞の主人公のように、数年、数十年と働いても全く芽が出ずに、ひとり夢破れて故郷のサンノゼに帰っていくのである。 アメリカといえば、夢と希望あふれる国というイメージが世界に浸透しており、それはそれで一面は真実なのであるが、そういう良い思いをするのはごく一部で、あとの大多数の人々は日々の生活を維持するのに精一杯という暮らしである。不況時などはホームレス状態に陥る人も多かろう。ハリウッドなどはそういう話題を絶対に取り上げないし、アメリカ人自身も成功物語は好きだが日常的な夢のない話は好きではないので、自然とそのような(言葉は悪いが)「負け犬」の話はしないものと思っていた。しかし、それは浅薄な先入観だったようで、現にこの歌は、そういう人たちのことを歌っているのである。 「すべての人々が豊かに」というのが、現代国家の理想である。ところが、東南アジアに住んで思ったことは、所得格差があってはじめて、豊かさが実感できるということである。現地の家庭の様子を見ていると、一方では、家事をいっさいお手伝いさんたちに任せ、きょうは絵の教室、明日はパーティ、その次はゴルフなどと遊びまわっている裕福な奥様たちがいると思えば、他方では、極端な低賃金のもとで夫婦共稼ぎをすることによって何とか食べていっているという人たちもいるという現実である。要すれば、「安い賃金で文句もいわずに良く働く一般大衆が大勢いて、はじめて一部の豊かな人たちが生まれる」という逆説である。古代ローマの奴隷制というのも、本質は同じなのではなかろうか。これは賃金なし、24時間強制労働という極端な世界であるが、たとえば現代の上海でも、出稼ぎの農村戸籍の人たちを低賃金でこき使う都市戸籍の人が、豊かさを実感しているということでは、同じである。 日本でも、昭和の始めには、大会社の社長の給与と新入社員の給与とでは、200倍近い差があったという。それが今では、せいぜい、10倍から15倍ではなかろうか。これに累進課税所得税などを考慮すれば、その差は5倍程度に大きく縮まる。これは、日本では終戦直後に社会的革命があり、農村の地主やら都会の貴族やらが没落して、いったんは平等な世界となり、しかも終戦直後の物資不足のために皆一丸となって働くことを余儀なくさせられたことによるものが大きいと思う。その点、アメリカなどはそういう社会の変動を経験することなく、社会的格差というものがそのまま維持されて今日に至っている。したがって、アメリカ大企業の社長の平均給与は、一般大衆のそれの1000倍という仕儀にあいなり、別にけしからぬということになったりせず、おかしいとも思わないという世界なのであろう。 ところが最近では、日本でもバブル経済後の長期のデフレ経済下で一般大衆の所得の低迷が続く一方、IT長者などがどんどん生まれてきている。したがって所得格差を示すジニ係数(1に近くなるほど所得格差あり)も、次のように、年を経るごとに右肩上がりである。。ただし、一般に高齢者世帯ほど所得格差が大きいので、この結果は日本の高齢化を示しているにすぎないとの見方もある。ちなみにアメリカのジニ係数は、1997年で0.372となっている。 1984年 1989年 1994年 1999年 0.252 0.260 0.265 0.273 いずれにせよ、近い将来の日本は、高齢化が進み、所得格差も大きくなり、不法滞在外国人も増え、犯罪も増加し、国際競争力も衰え、国債の大量償還が進まず、大増税のやむなきに至るなど、あまり明るい未来ではないらしい。もうこうなってしまったら、一度ご和算に願って、皆でサンホセ、つまり終戦直後の世界にでも戻って、再びやり直すしかないのかもしれない。 (参 考) 等価可処分所得によるジニ係数の国際比較 (総務省統計局 平成16年) (平成17年7月 2日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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