This is my essay.










 夏のある日、東南アジア、インド、中国に駐在していたことがある3人が集まって、懐石料理をつつきながら、それぞれ勤務していた国についてのよもやま話をした。一杯、また一杯と盃を酌み交わすたびに、話が盛り上がった。悪口が多いかもしれないが、まあ酔っ払いの戯言と思って聞いてほしい。

 インド人の典型的習性がわかる話はないかな。

 そうだね、私なら「信号で待っているときのインド人」を思い浮かべるね。

 というと?

 鉄道の踏み切りで、遮断機が降りて、列車の通過を待っているという場面を考えてもらおう。日本人なら、車でも人でも、いかにたくさん待っていても、道路の左車線できれいに列を作って待つよね。ところが、インド人は全然違うんですよ。あちらも左側通行だから、日本と全く同じように待つと思うでしょう。しかし決して、そうはならないのだよ。

 でも、ほかに待ちようがないでしょ。いったいどうするの?

 いやいや、それは典型的な日本人の考えだ。インド人は、左側に列を作って待っているなんてまだるっこしいことをせずに、どんどん道路の右側にはみ出していって、道一杯に広がって待ってしまうんだ。

 しかしそんなことをしたら、相手側もそうするので、遮断機が上がって踏切りを渡り始めたら、ぶつかってしまうじゃない。

 そんなこともかまわずに、ともかく、そうなってしまうのが、インド人というものの特質ですよ。あの人口がうじゃうじゃいる大陸で、生き抜いていこうと思ったら、その程度のことは当たり前なんだな。印僑には、華僑はもちろん、ユダヤ商人も、尻尾を巻いて退散するというしね。

 では、私から中国のことを言おう、北京に住んでみて感じたことだけれども、中国人は、決して他の国を信用することがないね。仮に日本人が、中国のためにと思って善意で何かをしてあげても、彼らの発想だと必ず何か裏があるのではないかと思うので、何をやっても無駄ですな。もちろんこれは、自国における他人を相手にするときでも全く同様で、要するに誰に対しても心を開いて信用するということはない。もっとも、中国4000年の血で血を争ったあの歴史からすれば、こういう発想がある人だけが生き残ってきたのだろうね。だからこそ、そういう疑り深い性格が、中国人のDNAの中に刷り込まれているのではないかと思うよ。

 その通りだ。ただね、華僑と付き合った私の経験だと、彼らは家族や親類といった自分の身内だけは本当のことを言うし、文字通り親身になって世話をするよね。こういうところは、昔の日本人みたいだ。うるわしき家族愛というところかな。ああいう人間不信の大陸に放り込まれても、やっぱり誰かを信じなければ、やっていけないじゃない。肉親の結びつきが強いからこそ、生き延びて来られたのではないかな。

 私も、それは認める。確かにそうなのだけど、ただ文化大革命のときだけは違っていた。あのときは、その身内にすら裏切られたという。つまり、子が親を、夫婦の一方が他方を密告するように仕向けられたのだから、残酷だよね。いまでもそのことは、中国人にとっては深刻なトラウマとなっていて残っている。かわいそうなくらいだ。現に今の中国の高官の中にも、家族がばらばらにされたばかりか、自身は地方へと下放されて辛酸をなめ、30歳になってやっと大学へ行くという夢がかなったという人たちも現にいるくらいだ。

 へえーっ、今なお、まだ影を落としているとは知らなかった。



 日本では、第二次大戦などはもう、大多数の国民にとっては歴史上の出来事になってしまっているが、中国人にとって文化大革命は、まだ現役の人々の一身上の問題として、心に深い傷を負っている人も多いのだよ。まあ、それはともかくとして、個々人がそういう重い歴史を背負ってきているにもかかわらず、現在の国家としての中国は、とても傲慢で大国というにはほど遠いよね。たとえば東シナ海の石油の掘削にしても、中国人に対して日本的な遠慮などしていたら、徹底的に好きなようにされてしまって、挙句の果て「何か問題か」などと、とぼけられたりしてね。それに常任理事国入りを徹底的に妨害している。実にけしからん。

 本当に扱い難い国だよね。これで経済発展で力をつけてきたら、国レベルでとんでもないことになりそうだ。ともかく、今でも日本や世界の常識というものが通じない国だよね。いくつか、例を挙げよう。私はあるとき、上海から杭州まで車で行ったことがある。全体で数時間程度の旅なのだけれど、あまりの恐怖に数日間も旅したような気になった。というのは、上海から、ものの20分程度で高速道路が途切れて、あとは一車線で未舗装の田舎道を行くわけだ。ところがその細い道に、人や牛車は歩いているし、自転車やトラクターものんびりと走る。そんなところを時速120キロでベンツが飛ばす。当然、追い越しということなるよね。反対車線の向こうからも車がきて「危ない、ぶつかる」と思った瞬間、ササッと自分の車線に戻るということを繰り返して、全行程の半分以上を反対車線で走ってしまうんだよ。何度も、死ぬかと思った。そうかと思うと、鉄道もないのに、道の真ん中に遮断機が下りている。そこでベンツは止まらされて、集金袋を提げたその村の人間と運転手とが言い争いをしている。訳してもらうと、運転手は「公道に勝手に遮断機を作って、道路整備に資金がいるとかいって通りかかる車から金を巻き上げる。それだけでなく、車が汚いと道がよごれるなどといって二重に金を巻き上げる。本当にけしからん。」と言っていた。そうやって、ほうほうの体で目的地に着いたけれども、そのわずか数時間の間に、3回も警官に停められて罰金のようなものを支払っていた。ところがあとから聞いたところでは、その地方では警官の服を着ただけのニセ警官がはびこっていて、その中の2人はどうやらニセ警官だったのではないかという。ホントに、大変な国だよね。

 はぁーっ、私も、それは知らなかった。

 ところで、私は東南アジアにいたから、中国人ともインド人とも付き合ったので、両者ともある程度は知っている。料理といえば、中華料理はいいけれども、インド料理は、どうもいただけないね。インドにいて、何を食べていたの?

 私も駐在はしていたものの、インド料理のあの辛さには、とても付いていけない。ニューデリーには、日本料理もどきがないわけではないけれど、コールド・チェーンが存在しないものだから、生ものは全くないね。煮物や揚げ物になってしまう。西洋風レストランで、生サラダなどを持ってくるけれども、そんなもの食べようものなら、ただちにアメーバー赤痢に感染して、一週間は抗生物質を飲まなきゃならない。しかし、最近では、ちゃんとしたイタリア料理店なども出はじめて、そこは、まあまあの味で、安全だよ。

 アメリカ留学中の寮で、私の部屋の向かいがインド人助教授だったのだけれど、毎日毎日、黄色いカレーばかり食べているから、ついに見かねて「飽きないの?」と聞くと、「とんでもない、40数種類の香辛料の配合を変えているので、いつも味が違う」と反論された。われわれには、まったく同じ味に見えるけどね。

 まったく、その通り、日比谷のマハラジャなどは、年に1〜2回は行きたいなと、あの味が恋しくなるときがあるけれど、しかしあれが毎日3食も続くなんて、考えただけで、気が遠くなるよね。

 シンガポールで航空路線図を見ればわかるが、左側のインド中東方面と、右側の中国日本方面とが、ちょうど蝶々の羽のように対照的に大きく伸びている。つまり、東南アジアというのは、中国文化圏とインド文化圏とが混ざり合いながら発展している土地なんだね。その中間の地を「インドシナ」と称したのは、実にすばらしい命名だと思う。良きに付け悪しきにつけ、この二つの超人口大国が、これからのアジアを引っ張っていくのだろうと思う。10億の人口のうち、大卒人口が5%なら、それだけで5000万人の優秀な労働力がいることになる。日本がいかに人材を育成しても、数の上では、とっても、かなわない。日本も少子化の時代を迎えたし、これからが正念場だ。

 ところで、最近、インド人があちこちのミスコンテストで優勝しているのはなぜか知っている?
典型的インド美人。本文には関係はありません。
 インド人は、北部アーリア系の血が濃い人たちは、肌も真っ白ではないが、それなりに白くて、顔立ちも美しい人が多いね。

 もちろん、その通りだけれど、それに加えて、ミスコンテスト用の学校があるんですよ。つまりね、単に美人であるだけでなく、教養とユーモアのセンスを高めようとしているのさ。インドはもともと英語ができる人が多い。そこで、色々なシチュエイションを想定して、ウィットに富んだ当意即妙の答を英語で言える人を育てている。そういう学校で3年間も勉強していると、どんなミスコンでもOKとなる。

 われわれとは、発想が違うね。徹底的にプラグマティックというか、何というか。こういう国と、日本はこれから競争していくわけだ。日本国内で、ぼーっ、のんびりという雰囲気で育ったわれわれの子供の世代は、やっていけるだろうか。

 心配だね。これからの日本は、老人ばかり増える。人口は減る。若者の100人に2人は学校に出てこない。ニートになる。そのうち国の借金はとんでもない額になる。国と地方の財政は破綻する。産業競争力も減退する。国際企業は税金の安い国に本社を移す。有能な人材は国内企業や公務員から外資に流れる。果ては外国に移住する。無能な政治家がはこびる。年金は減らされる・・・。暗い展望ばかりだ。

 いやいや、中国も、臨海部の都市と内陸部の農村との発展の格差がひどい。上海などの上層部は日本人もびっくりするお金の使い方をする人が増えてきた。かと思えば、黄河上流域の農村地帯では、はだしの子供もいっぱいいるという有り様だ。こんなに経済格差が出てくると、いまの共産党政権がいつまでもつか、時間の問題だね。北京オリンピックの後くらいが危ないと、ささやられているが、そうだろうね。

 インドも、何だかんだといっても、あのカースト制がある限り、発展は限られるだろうね。しかし、面白いことに、IT技術者をカーストのどこに位置づけるか、なんて議論がされていた。さすがに一番上のバラモンは駄目だったようだけれど、その下のクシャトリア、つまり戦士階級の上の方だったように思う。アメリカと戦う現代の戦士というわけだ。

 それにインドといえば、パキスタンとの間での核開発の競争がこわいね。そのうち、ひょっとしてという気がしてしまう。広島と長崎の教訓をよく学んでほしいね。

 まったく、同感だ。イスラム過激派によるテロの時代が終わったかと思うと、ヒンズーとイスラムの核戦争なんて、考えたくもない。

 こんなところで、核のタガが外れると、他の紛争地域にただちに波及する。地球温暖化どころか、核の雲があちこちを覆いかねない。そうなれば、地球の未来は暗い。何としても防がないとね。

 それに日本独自の問題として、困った隣人、北朝鮮への対応も、同様だ。中国はその威信をかけて6者協議をまとめようとしているけれども、どうなるか。まとまらなかったら、中国の立場はなくなる。いかに朝鮮戦争以来の間柄とはいえ、北朝鮮が核をもって脅威に感ずるのは、日本だけではないはずだ。中国だって、食料やエネルギーを梃子にした、これまでのコントロールがきかなくなるのにね。






(平成17年8月20日著)
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