秋の夜長、専門書を読むのに飽きて、テレビをパチリとつけた。つまらないニュース番組しかやっていなかったので、リモコンのボタンを次々に押していった。そうすると、放送大学のチャンネルで、谷間の絵を横に置いて、中年の先生が何やら熱心に話をしていた。その絵は、たとえていうとW字型の急峻な谷間を描いていた。ネパールなので両端の標高が1800メートル程度、真ん中の小山はもっと低くておそらく500メートルぐらいではなかろうか。そして、その両端の山の1200メートル以下には赤い色が塗られていて、それより上に点々と、いくつかの家の絵があった。いったい、これは何だと思って、その先生が訥々と語るところを聞いていくと、たいそう面白かったのである。 その地域で生活する民族は三つで、両端の山の上と真ん中の小山にきれいに分かれている。ところが、両端の民族は、真ん中の民族と違って、住居は1200メートル以上の山の上にある。夜はそこで生活し、日中はその1200メートルを歩いて降りて谷間にある畑や水田を耕し、日が暮れる前に再び山を登って家に帰るという暮らしを先祖代々続けている。その部落の長(おさ)によると、山と谷の間の往復は、荷物のないときで1時間半程度、荷物があれば3〜4時間とのこと。 クイズなら、なぜこんな面倒なことを続けているのでしょうかという質問を作りたいところであるが、おそらく誰も答えられないだろう。正解は、マラリアを避けるための生活の知恵だという。この民族は、夜に谷間にある家畜小屋で寝ると、マラリアにかかるということを身をもって体験していた。そこで5代ほど前にこの地で定住しはじめた先祖は、菩提樹が生える限界以上の地に住居を構えるという手を編み出したようである。 放送大学の先生によると、これは見事に理屈にかなったやり方だという。マラリアを媒介する蚊は夜行性で、昼間には活動しない。そこで、マラリア蚊のいない日中に畑や田んぼで働き、マラリア蚊が跳梁跋扈する夜間には、それが飛んでこない1200メートル以上の山の上にすむと、刺されないというわけである。しかも、菩提樹が生える限界が、ちょうど1200メートル以上とのこと。彼らは、マラリアの原因が何であるかを知らないままに、生活の知恵として、こういう見事な対抗策を生み出したのである。 まったく出来すぎている話であるが、放送大学のことゆえ、本当だろうと思う。ちなみに、この先生が、その三つの民族の血液をとって、マラリアに対する耐性を備えているかどうかを調査した。その結果、谷間すなわち、マラリア蚊が飛ぶ地域に生活している民族は、その75%の人たちが、何らかの意味で耐性があった。これに対して、両端の山の上に住む民族のマラリア耐性のある比率は、確か20%程度であったと記憶している。伝統の知恵と現代科学の知見が一致した瞬間である。面白いものだ。 ところで、最近はどうかというと、1950年代に、WHOがやってきて、その部落の長の家に欧米人が泊まった。そして、DDTを撒いてマラリア蚊の撲滅運動を展開したらしい。その結果、この地区のマラリアは激減したので、最近は高地の民も徐々に降りてきて、谷間に住み着くのも出てきたらしい。ただ、この部落の長は、まだ高地に住み着いている。私もその方が良いと思うが、どうだろうか。 (平成17年11月 5日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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