This is my essay.







   目  次   
 
 図らずも教え始め
 凝りに凝った教材
 教室に熱気あふれ
 出来の良いレポート
 学生にもいろいろ
 いよいよ残る半年
 1年間を終えて
 教師の醍醐味
 法科大学院を終えて


1.図らずも教え始め

 仕事のかたわら、今年の4月から、本郷の大学院で法律の教鞭をとっている。どうしてこうなったかというと、話せば長くなるが、要するに親しい教授から適任者の推薦を頼まれ、探し回った末に誰も見当たらなかったので、自ら責任をとって引き受けたという次第である。私は本業があるので夜間しか時間が空かないというと、それでも良いから是非ということになった。そこで、図らずも客員教授という肩書をいただいて、教え始めたというわけである。大学も、ひと頃の象牙の塔の時代から、実務を重視する学問の時代に移行しつつあり、アメリカの大学のMBA、行政大学院などを範にして、このような大学院が作られたという。院長先生は、新しい大学院像を熱っぽく語っておられた。主要な教授陣による歓迎会も開いていただいたが、産学官の連携の話、今どきの学生の話、留学や出向したときの話、どうにも安い給料の話、小難しい法律の話、日米比較の面白い話などで、座はたいそう盛り上がった。

 私の授業の内訳は、講義形式、事例研究形式である。しかし、夜間の授業なので受講する学生などいるのかなと思っていたところ、これがまたどうして、結構いてくれたのである。同じ学生が複数の授業を受講していることがあるので、数に重複はあるが、合計で40人も登録してくれた。私自身、別に名が売れているわけではないので、私のような実務家が授業に来るということ自体を、面白いと思ってくれたからかもしれない。

2.凝りに凝った教材

 実は私も、この話が決まった昨年の末から、せっかく授業をするのだからと張り切って、1年間の教材を準備した。実際にいろいろな法律を取り扱うわけであるから、そのための材料となる資料は、山ほどある。これを集めて整理するのに始まって、立案のための課題やヒントなどを一話完結方式で作っていった。これを24セット、更に講義用に12話というのは、結構たいへんな作業であったが、3月初めまでには何とかやり終えた。そして、これをブラウザで見られるWeb形式に編集し、それをCD−Rに焼き付けて、受講者に配ることにした。電子データがあれば、それを利用してパソコンで立案することは、容易だからである。どうせ配布するのなら美しいものにしようということで、私の撮った千鳥ヶ淵の桜の写真をあしらったラベルを印刷し、CD−Rに貼り付けた。こんな次第であるから、私のホームページ「悠々人生」は、開店休業の状態となり、何とか季節の写真を更新する程度がやっとになってしまった。まあ、仕方がない、お許し願いしかない。

 ところで私のこの教材、我ながらかなり凝ったものが出来たと思ったが、作り終わると、それにも飽き足らずに、更にこれにパスワードを付けてホームページにおいて掲載し、併せて授業の本番で追加する教材を配布することにした。その一方、メーリング・リストというものがあると気がついたので、ついでにこれも作って受講者に最新の状況をメールでも知らせるようにした。実際に授業をやってみると、このメーリング・リストの方が使いやすいし、ホームページのメンテナンスも不要ということがわかった。というのは、いくらホームページに掲載してあっても、それを見に行くというのは、やはり面倒である。それより、メールならば毎日見るわけで、こちらは必ずといってよいほど読んでくれるというわけである。しかも、メーリング・リスト・サービスによっては、過去のメールがそのまま保存されているから資料集にもなる。いちいちウェブ・サイトを直しに行く必要もない。ということで、学期の中途からホームページの更新はやめて、メーリング・リスト一本に絞った。

 こうして教材を作ったのであるが、いざ授業を始めようとすると、アメリカの大学院ならあるはずの、学生が教室にパソコンを持ち込むような設備がないということがわかった。それどころか、学内のキャンバスのあちこちに、大学院の教室やら事務室が散らばっているらしい。まだ開設したばかりの大学院なので、とても設備にまで手は回らないらしい。それどころか、たとえ手が回ったとしても、教室に学生がパソコンを持ち込むことなど、全く考えられていないようだ。そしてまた困ったことに、用意した資料の中には、パワーポイントで作ったものもあるのだが、ほとんどの教室では使えないという。事務室に行ってみると、棚の上でほこりをかぶったプロジェクターとスクリーンを出そうとしてくれたが、とてもそのようなものを使う気も起こらない。

 というわけで、教材は、やはりペーパーで配るしかないのかという気になった。ためしに、すべてを印刷したところ、1,200ページもある。これは困ったと思い、事務室に相談をした。すると、教材なら配ってくれるという。外部に印刷に出すのかと聞いたところ、いや、そんな予算はないから自分たちでコピーをするというのである。これは相当にご迷惑をかけているのではないかと思いつつ、お願いすることとした。

3.教室に熱気あふれ

 4月の初めの授業開始の日となった。割り当てられたのは、15人ほどが入る教室というか、演習室である。既に15人は座っている中で、話し始めてからも次々と学生が入ってきて、ざっと見渡しても20人を越して、押すな押すなの盛況である。熱気がむんむんとしている。ざーっと見渡してみると、おおむね20歳代前半というところで、良いところのお坊ちゃん、お嬢ちゃんといった雰囲気である。いずれも、熱心に耳を傾けてくれている。居眠りする人も、ついぞいないし、話の中身についてきてくれている。ああよかった、これならやりがいがあるというのが最初の感想である。事例研究の授業については、もとより夜間の授業でもあるし、そもそもこんな趣味的な科目に出席する学生がいるのかなと、一抹の不安を抱いていたが、いやどうして、どうして。結構な人数が来てくれた。なかなか、皆、賢そうなしっかりした顔をしている。

 私の授業の方針であるが、学校の先生の学術的な授業には、皆飽きているだろうから、実務家ならではと言われそうなことを材料としようと思い、実務で直面したことなどを中心として、話をしていくことにした。真実は、フィクションより面白いというわけである。「講義」では、文字どおりの概論のほか、せっかくの機会であるから、各方面の専門家である友人をゲストとして招いて、そのときどきの直面している課題について、説明してもらった。学生も、私と友人と二人での掛け合い漫才のような時事放談を聞いてもらって、すこぶる満足げである。

 その友人に対する謝礼は、終わってからの、ささやかな夕食とした。大学近くの本郷や根津には、最近いろいろと新しくてセンスのよいレストランがいくつも出来てきて、銀座や赤坂などと比べると、味に遜色はないし、加えて誠に常識的な値段である。もっとも、私の税率を考えれば、その日いただいた授業料は右から左に消えてなくなるが、久しぶりに友人と食事するのは楽しいことで、それを補って余りある。そういう調子で、最近話題のありとあらゆるテーマをこなしていった。テーマがあちこちに飛んでしまうので、学生も追いつくのが大変だったかもしれない。

 最初のヤマ場は5月の連休前に来た。授業の登録である。何人くらい登録してくれるのかと思っていたところ、「講義」では19人、「事例研究」で21人である(重複あり)。やれやれ、という感じであるが、その後、見ていたところ、皆、出席率が高いのである。6月末から7月にかけての国家公務員の面接時は特殊な期間であるから除いてみると、「事例研究」は毎回全員が出席、「講義」は結局3人が出てこなくなっただけで、あとはいつも出席してくれた。私のゲストである友人の中には、他大学で授業を受け持った人もいたが、私のクラスには、居眠りがないと驚いていた。

4.出来の良いレポート

 私の授業では実務家らしくしようと思って、毎回2人を指名し、レポートを書いてもらうのであるが、その出来がなかなか良いのである。もちろん、半分強は、いったい何を聞いているのやらという状況であるが、三割くらいは、知識もあるし、自分の意見もあるし、加えてそれを説得力のある文章に作り上げている。それも、このまま新聞記者になったらいいのではと思う人もいれば、役所の審議会で通用するような文章の人もいる。こういう人には、そういうことを正直に伝えて、大いに誉めて上げることにした。事例研究の方でも、私が内心、これは難しいテーマだが、できるかなと思いつつ、「誰か、やってみる?」と水を向けると、男女を問わずに手を上げて、書いてくる。しかし、その報告メールの発信時刻をと、午前4時だったりするので、かなり大変そうだ。あるとき、それを書いてくれた女子学生に、どれくらいかかったのと聞くと、「二日間、徹夜しました」という。「いや、よく書けているよ」というと、うれしそうだった。本当にそうなのだから。ここに紹介したいが、後日、私の本が出るときに、そちらの方に掲載したいと思っているほどである。

5.学生にもいろいろ

 五月も半ばとなり、誰か、コンパしようと言い出した。そういえば、学生時代も、そういうことがあったなぁと思いつつ、「いいよ、半分くらいは、出してあげる」と応じた。聞いてみると、あまりレストランは知らないみたいだったので、根津近辺で私の知っている沖縄料理、イタリア料理へクラス別に連れていった。すると、か弱きはずの楚々とした女子学生が意外に堂々たる酒豪だったり・・・これには一番驚いた。あるいは、学者志望だが、なかなか先が長そうだという人がいたり、国家公務員志望だが、面接が気になるという人がいたり、それぞれに悩みや希望を抱えていることが、よくわかった。もちろん、私も一教授として半年又は一年間、お付き合いするという関係で、自分が出来る範囲内で、なるべく無用な心配は取り除いてあげて、自信を持ってもらおうと思った次第である。私が見られる限り、なるべくレポートを書いてもらって、文章中で直すべきところを指摘するとともに、やや僭越ながら、合わせて「こうやった方がいい」と、人生訓的なことも言ってあげることとした。ただ、もう人物が出来上がっていて、もう何もいうことはないという人も何人かいる。そういう人たちには、「あなたは、そのままで、実務に出て、やっていけるよ」と言ってあげている。

 それでも、どういう風にコメントしてあげればよいのか、未だに確信が持てない人もいる。たとえば、第一回の授業の直後、廊下ですれ違ったときに、「先生って、何でそんなにいろいろなことを知っているんですか」と、真顔で聞いた男子学生がいた。私も、ついびっくりしてしまった。私がかつて、お目にかかったことのない人物像である。この人の出身地を聞くと、伝統ある地方の出である。あの辺りは私もよく知っているところであるが、伝統ある地域だけに、あまり外界と交わらない傾向があり、そのせいかと思ってしまった。レポートを書いてもらったが、何というか、現代用語の基礎知識に欠けている。私の授業は、常識的なことは当然に知っているだろうから、常識外れのことを話すこともある。しかしこの人の場合、その常識外れを常識と思っている節があり、それでは困るのである。そこでふと、思いついて、「きみ、新聞を読んでいるかい?」と聞くと、やはり読んでいないという。まず、そこから始めてもらって、授業中のやりとりで、学んでいってもらうしかない。

 そうかと思うと、授業の帰りにエレベーターで一緒になった女子学生は、「先生、そのネクタイ、素敵ですね」という。これにも、私はたじたじになってしまった。これまた、ここが大学であることを忘れてしまうような発言である。この人は、授業中に何を聞いても的確に答えるので、今度は私の方から「何でそんなに知っているの?」と聞いたことがあるが、「母からです」という答えであった。なるほど、家庭教育がちゃんと機能しているらしい。それにしても、やりすぎの観もある。
 

6.いよいよ残る半年

 このような次第で、半年の講義が終わってしまった。長いような、短いようなと言いたいところであるが、残る半年もあり、感慨にひたっているどころではないのである。この間の私の講義は、多少は役に立っているらしい。というのは、会社訪問は既に終わっているが、6月後半から7月はじめにかけては国家公務員の面接のシーズンであるが、各省庁で面接をする際に、私が授業で取り上げた時事問題が良い話のネタになったらしくて、「先生のお陰です」と感謝されてしまった。それはそれで、誠にありがたいことである。もっとも、本来の目的にかなうことなのでそれもいいのだが、私としては、せっかく皆さんに普段から練習してもらっているので、書く文章でも勝負してもらいたいと密かに思っている。

 このような私の授業の成果を生かして、演習書を書いていて、夏休みを挟んでほぼ書きあがったところである。全部で26の章に分けて書いてあるのだが、その中の5〜6は、学生の皆さんに書いてもらったテーマを入れてある。本当は、書いてもらった全員の成果を入れることができればよいのだが、テーマの選定や出来具合で、そうもいかないところが悩ましい。それから出版社に頼んでこれを出版したいのであるが、これもひとつの交渉ごとである。少しサウンドしたところでは、担当者は必ずしも乗り気ではなかった。こういう書物が世の中にはないし、私としては知っている限りの知識とノウハウを詰め込んでいるから、確実に引き受けてくれると確信していたので、その担当者の反応を聞いたときには、少しがっかりした。

 ところが、それからしばらくして、担当者からメールがあり、社長に見せたところ、「前回のものより出来が良いので、これは是非やるべきだ。」とのご宣託があった由。このうち「前回のものより」というところがややひっかかるが、やはり社長さんだけあり、人と商品を見る目は確かなようだ。めでたし、めでたし。家内は、赤飯を炊いて祝ってくれた。日の目を見ないおそれもあった本なので、第一刷が出来上がったら、その印税などはどうでもいいから自分で買えるだけ買って、関係者に配ってしまおうと思っている。来月からまた後期の授業が始まるが、こうして出版された本を持っていって、自分の名前を見つけて喜ぶ学生たちの顔を、早く見たいものである。


(平成18年9月16日著)


7.1年間を終えて

 さて、1年間の教授としての教育活動が終わり、ほっとしたのも束の間のことで、再び新しい学期が始まった。この間、私も新年度に向けて教科書を執筆し、その中には出来のよかった学生さんの成果も一部に入れたところ、幸い喜んでいただけたようで、お母さんが記念になるからと、故郷で購入された方もいたという。

 その一方、授業の評価の一環とするためか、学生に対してアンケートをした結果が事務室から配布されてきた。それを見ると、私の授業は、結構、高く評価をされていて、うれしかった。たとえば、このような調子である。

@ 最高レベルの評価「5」が100%だったもの
 (1)配布されたレジメや資料が適切だった(全授業は、41%)
 (2)質問や発言を通じて、授業に参加した(全授業は、22%)
 (3)授業の方法に、相当の工夫が見られた(全授業は、32%)

A 最高レベルの評価「5」が80%台だったもの
 (1)授業の教師の話し方は、適切であった(全授業は、42%)
 (2)教師はとても誠意をもって授業をした(全授業は、53%)

B 最高レベルの評価「5」が60%台だったもの
 (1)授業のレベル(難易度)は、適切だった(全授業は、32%)
 (2)授業の内容は、よく整理されていた。(全授業は、37%)
 (3)授業は総合的に満足のいくものだった(全授業は、38%)

 私についての高評価は、たいへんありがたく名誉なことではあるが、それにしても・・・、ほかの授業では、いったい何をやっているのだろう。どうも、想像の域を超えているようだ。



(平成19年4月12日著)



          


8.教 師 の 醍 醐 味

 この2年間、大学院で客員教授を務めてきた。その2年目も、もう終わりに近づいてきているが、何よりもうれしいのは、学生からの便りである。たとえば、本年度最後の授業の次の日に、ある学生から次のようなメールを受け取った。


 
件名 : 二年間、本当にありがとうございました。

悠々先生

 昨年の○○学の授業と、今年1年間、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 ちょうど先生がいらっしゃる2年間に当大学院に在籍し、先生の大変貴重な授業を受講することができてとても幸運でした。この大学院に来て学べて本当によかったです。

 大学時代は、法律の世界の一貫性などの視点に欠けたまま民法なら民法、刑法なら刑法と個々の法律や学説、判例などを漫然と勉強していましたが、先生の授業を受講させていただき、未熟ながらも自分で考えたりレポートを作っていくにつれて、法律に対する見方や理解のレベルが変わりました(まだまだ未熟ですが)。何よりも法律がとても好きになりました。今まで使ったことのないところの頭を使い、課題の度に悪戦苦闘し、多々反省も残りましたが、私にとってかけがえのない経験になりました。

 今後、法律の勉強を集中的にし、その後研究の道に進むことを希望していますが、この先ずっと先生に教えていただいたことが考え方の核となって残っていくと思います。このような勉強は他では決してできるものではなく、このようなチャンスに恵まれたことにとても感謝しています。

 また、特に今年度は、先生に多大な配慮をしていただき、一年間受講を続けることができました。進路のことについても親身にアドバイスをいただき、発表の順番にも配慮していただいたおかげで何とか無事合格し道をつなげることができました。

 本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 まだまだ私にとっては一人前になるまで険しい道のりが続きますが、今後も努力を続けていき、いつか先生にご報告できたらいいなと思っています。

 先生とご家族の皆様のご健康とこれからのますますのご活躍をお祈り申し上げております。


 二年間、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



 うれしい、このように評価していただく学生が一人でもいたとは、教師冥利に尽きるの一言で、思わず心が熱くなった。この2年間の努力が報われたという気がしたものである。


(平成20年1月25日著)



9.法科大学院の授業を終えて


法科大学院の授業を終えて(エッセイ)は、こちらから。




(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)





ライン





悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2005, All rights reserved