This is my essay.








 イスラームは、紀元610年にムハンマドによって創設された宗教で、その信者はムスリムと呼ばれる。ムスリムの数は全世界で少なくとも13億人はいると推定されており、大きくはスンニー派とシーア派とに分かれる。前者は正統派カリフを、後者はムハンマドの従兄弟アリーとその子孫を中心とする立場から信仰をしている。

 イスラームの教義は、コーランに書かれているとおり、正式には、六信(神、天使、啓典、使徒、来世、定命) 五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)ということである。しかし、私にはその宗教的意義の説明能力がないので、東南アジアでイスラーム教を国教とする国にしばらく住んだひとりの日本人として、その時の経験談を中心にお話しをすることにしたい。

 それは、イスラーム教で有名な戒律やしきたりや考え方の数々であり、いずれも一般の日本人にはなじみのないものである。たとえば、@ 一日5回、メッカの方向に礼拝をすること、A 豚は不浄のもので、触れてはならないこと、B アルコールの類は飲んではならないこと、C 年に一回の決められた時期に約1月間の断食を行うこと、D 妻は4人までを娶ってよいこと、E 女性は、その美しきもの(主として髪)を人目にさらしてはならないこと、F 未婚の男女が二人だけで一つの部屋にいてはならないこと、G イスラームの世界では、物乞いが威張っていること、H 聖地のメッカに巡礼するのがムスリムの夢らしいこと、I 休日の概念が西洋のそれと違っていること、J アラーの神やコーランへの尊崇の念は信じられないほどであることなどである。

 無宗教者の多い日本人にとっては、いずれも、目新しいか、とまどうことばかりである。私も現地に住んだときに、失礼のない範囲でイスラーム教徒や日本人の友達に対して、質問の嵐を浴びせた。その結果、あくまでも経験的な知識として、以下のようなことがわかったのである。

 @ 一日5回の礼拝は、夜明け前、正午、午後、日没、そして夜中である。サウジアラビアに出張に行った日本人の友達によると、都市の間のハイウェイを自動車で移動しているときに、午後5時になった。すると運転手が砂漠の真ん中でいきなり車を停めて、地面に小さな絨毯を敷き、這いつくばってお尻を挙げるの独特な礼拝をし始めたので、びっくりしたという。本場では、ちゃんとやっているらしい。

 ところが私のいた国では、イスラーム教徒は人口の半分以上いるのであるが、少なくとも往来や道の脇などで礼拝している姿を見たことがない。同じイスラームでも、国によって、これほど違うのである。もっとも、現地で工場を経営している友達によると、工場労働者はそのほとんどがカンポン(田舎)から出てきた信心深いイスラーム教徒なので、工場の一角に専用の礼拝部屋を作るのが必須だという。そして、その部屋の天井には、メッカの方向を指す矢印を必ずつけるのだという。そういえば、イスラーム圏を旅行していると、どんなホテルの部屋にも、天井にその矢印があった。最初は、何だろうと思ったものである。

 この礼拝は、本来はモスク(イスラーム寺院)に行って行うべきものらしくて、とりわけ夕方5時から6時頃には、勤め帰りのイスラーム教徒でモスクは混雑をする。もちろん、イスラーム寺院では一日5回の礼拝が厳密に行われている。我々異教徒にとっては、特に朝5時頃の夜明け前のお祈りが問題である。明け方にベッドの上で、うつらうつらしていると、近くのモスクからコーランの朗々とした詠み声が聞こえてきて、慣れないと寝付けないことがある。そういうわけで、最初は迷惑な感じがするのだが、そのうちいつの間にかこれがまた何というか、心地よい眠りを誘うようになって、慣れとは恐ろしいものだと思ったことがある。いずれにせよ、コーラン朗唱というのは、名誉なこととされているらしく、その全国大会などというものがあって、日本風にいえば、こぶしを効かせて詠っていたのは面白かった。

 A 豚がタブーであることは、実に徹底している。豚肉はもとより、たとえば豚の脂、豚を調理したまな板や包丁、果ては豚を料理した台所までタブーなのである。たとえばホテルでは、豚を調理するキッチンとそうでないキッチンとを別室にして分けている。かつての大英帝国傘下のインドにおいて、セポイの乱というものが起こったが、これは兵隊に与えた銃の手入れの油が豚由来のものだという噂から始まったとされるのは、イスラームの発想からすれば、当然のことらしい。

 ちなみに、豚はともかくとして、イスラーム教徒が口にする食物、特に肉類は、イスラームのお坊さんがイスラームの戒律に従って屠殺したものでなければならないらしく、こうした食物にはハラールという表示がされている。どうやら、宗教的に安心して食べられるマークというわけである。もちろん、タブーの豚にハラールが付けられることは、絶対にあり得ない。

 B アルコールの禁止というのは、どうやら国によって相当の幅があるようで、最も厳しいサウジアラビアでは、日本人の酒飲みが苦労していた。これは30年近く前に聞いた友達の話である。日本人の旅行者が、サウジアラビアへの入国時に酒を取り上げられるので業を煮やしてどうしても飲みたくなった。そこで、当時は珍しかった粉末ビールというものを持ち込んで悦に入っていたが、しばらくしてそういうものがあると気づかれて、それも持ち込み禁止になったと嘆いていた。

 私が住んでいた東南アジアの国は、中国人やインド人もいるので、さほど厳格ではなくて、アルコール類は市中にいくらでも売られていた。しかし、パーティなどで現地の人たちを呼ぶと、機嫌良く酒を飲んでいるのはたいてい中国人で、イスラーム教徒は、オレンジジュースやコーラなどのノンアルコール類を飲んでいた。ただし、そういうイスラーム教徒でも、人前では控えているのに自宅では開放的になるようである。ある商社の支店長から、イスラーム教徒の政府高官のお宅に呼ばれて居間に通されたときの話を聞いた。ゲストが日本人だけとなったとき、ホストが壁の隠し扉を開けた。すると、くるりと回転してミニ・バーが現れ、そこにはずらりとウィスキーやらブランデーが並んでいた。彼は「さあ、どれにしますか」といって、率先して酔いつぶれたという。もっとも、私はそういう人にはお目にかからなかった。その支店長は、「二人以上寄ればイスラーム教徒だが、一人だとそうでもないようだ」と苦笑いをしていた。もっとも、日本人でも戒律破りはどこにでもいそうなので、これは万国共通、お互い様であろう。

 C 年に一回の1月間の断食、これをラマダンという。そもそもラマダンを行うようになった理由は、貧しい人たちのことを皆等しく思いやるべきということらしい。そのラマダン明けを祝してお祝いをするのが、イスラームのお正月である。ところでその断食とは、どうするのかと聞くと、「食べ物は食べてはいけない、水はもとより、自分の唾液などに至るまで飲み込んではいけない。たばこも吸わない。ナニもしない」という。私は最初、「そんなことを一般人が一ヶ月も続けたら死んでしまうのではないか」と思ったものであるが、現地の友達は笑って、「いやいや、日の出から日没までだ」という。なるほど、午後7時すぎの時間になって日没が確認されると、イスラーム教徒の家では「わあーっ」と歓声が上がって、食事を食べ始めている。なるほど、そういうことかと納得した。

 そして次に、「それで、ひょっとして、朝食は日の出前に食べるのか」と聞くと、「もちろん。それどころか、その間つまり真夜中に食事をする」と聞いて、たまげてしまった。つまり、午後7時、午後12時、午前4時と、一日三回も食事をするのである。そして、何か苦しいかというと、「日中飲まず食わずということもさることながら、夜中に三回も食べるので、腹は膨れるしよく眠れなくなるからだ」などという。そして何と、そういうことがあるせいか、ラマダンの時期は、他の時期に比べてかえって食料の消費量が増えるらしい。

 このラマダンの時期は、とりわけ運転手などは空腹と喉の渇きで注意力散漫となって、運転が危なくなる。そのほか、オフィス・ワークでも一般に仕事にならないことが多いので、交渉事などはなるべく避けることが賢明である。ところが東京サイドは、そんなことをいっても理解しないことが多い。どうしても現地の会社と交渉をしたいというので、来てもらった。午前中の会議が終わり、さあ昼食という段になって、ラマダン中の先方がどうするかと見ていた。そうすると、食事はイスラーム教徒の席を通りすぎて、そのまま日本側出席者の前に置かれた。イスラーム教徒たちは、日本人が食事するのをそのまま黙って眺めていたという。

 ちなみに、ラマダンの時期でも、兵士や妊娠中の女性それと旅行中の人は、断食をしなくてよいそうだ。人道的な配慮で、なかなか結構なことである。ちなみに私のオフィスでも妊娠中のイスラーム教徒の女性がいたが、ラマダン中にもかかわらず、確かにランチをしっかりと食べていた。それはともかく、ラマダンの時期になると、お金持ちの多くは海外旅行に出てなかなかつかまらないという噂があった。これは合法的な(?)抜け道であるが、お金持ちにしかできない技である。
 
 D 妻は4人までを娶ってよいという制度は、イスラーム教徒の覇権を巡るかつての戦争時に、死亡した兵士の妻を救済するという趣旨で始まったものという。この点については、家庭に立ち入る事柄であるなど、いささか微妙なことなので、私も最初はあまり人に聞くことはなかった。しかし、ある日、現地作家の漫画を見ていると、こんな場面があった。それは、でっぷりと太った女房がベッドに寝そべっている。お菓子を食べながらテレビを見ていて、そのうち寝入ってしまった。その横に旦那がするすると這い寄ってきて、その寝ている女房の指にスタンプを付け、書類にその指を押しつけている。そして次のシーンは、うら若い女性を娶ったその旦那がうれしそうな顔をしているというものである。友人によると、第2の妻を迎えるときには第1の妻の承認が必要で、これはその承認をとる場面とのこと。ちなみに、第3の妻の場合は第2と第1の承認が要るというのであるから、まあ公平というか、手が込んでいるというか、何というか。

 あるパーティで、政府高官が若い女性を連れている。周りの現地の人たちの話を、聞くともなく聞いていると、「あれは、第2か、第3か?」、「第2かな? いやいやそれにしても若すぎるな」、「彼には糟糠の妻がいたね」、「うん、よく許したね」ということだった。しかし、高官やお金持ちに限らず、たとえば収入の乏しい運転手さんでも、四人の妻がいたりして驚いた。これは、必ずしも、地位の上下や収入の多寡ばかりの問題ではないらしい。お金では量れない、男の甲斐性のようなものなのか………。いずれにせよ、「妻がひとりでも結構大変なのに、それが四人なんて、一体どうするのか想像もつかない」というのが、日本人の一般の男の感想である。ちなみに、複数の妻を持つ現地の人は、曜日によって一緒に過ごす妻を決めていて、公平を期すという。そうだろうなぁ、よほどマメでなければ………。でも、体がよく持っていると思う。

 E 女性は、主として髪を人目にさらしてはならないという戒律は、国によって様々である。サウジアラビアやアフガンでは、大人の女性は、外出の際には、髪どころか顔や体の線まで全くみえないカラスのように真っ黒な服(アフガニスタンでは、ブルカ)を着なければならない。ときどき、先進国のイミグレーション(入国管理局)のカウンターで、係官が奥さんに対して「その顔を覆っているものをとれ。」といい、旦那が「これは宗教上の問題だ。」などとやりとりして揉めることが多い。ところが私の住んでいた国の空港では、こんな調子である。私が飛行機で到着し、機体から降りて歩き、イミグレーションに着いて列に並んだところ、サウジアラビア人らしき一家が私の前に並んでいた。もちろん、奥さんは、黒いカラス状態である。入国係官はどうするのかと思っていたら、何とまあ、一家のパスポートをまとめて預かって、顔を見ずにそのまま通してしまった。さすがにイスラームが国教の国だなと思っていたら、他の人のときも、顔を見て通しているようには思えなかった。単に、処理がいいかげんなだけであったのかもしれない。

 アフガニスタンでの戦争のとき、ある男性ジャーナリストが同国への潜入を試みたことがある。190センチを超す大男のそのジャーナリストは、全身と顔をすっぽりと隠すブルカを被って、国境の手前で現地の人の案内を請うた。その案内人は、自分で案内するよりは子連れの母子を装った方がよいと考え、現地の子を付けた。それで一緒に国境を越えようとしたところ、あっさりと捕まってしまった。簡単に見破られた理由をあとから聞いてみると、その子供が、手をつなぎながら現地語で「わーい。ボク、外国人と手をつないでいるんだ!」と叫んで回っていたとのこと。良く出来た笑い話であるが、本当の話である。

 女性の髪や顔や体の線まですっぽり隠すのが中東流だとすると、東南アジアの国では、髪を隠すスカーフ程度でよいようである。しかし、その東南アジアの国でもさすがにモスクでは、女性の体をすっぽり隠すものを貸し出していて、それを着ないと見学をさせないというところが多い。これに関し、フランスでは、イスラーム教徒の女生徒が髪を隠すスカーフをかぶって登校することを校則で禁止することは、果たして合憲かどうかという議論がされている。日本でも、イスラーム教徒の数が少ない内は、さほど目立たない事柄であるが、もしその数が増えてくると、問題視する人も出てくるかもしれない論点である。

 ところで、F 未婚の男女が、二人だけで一つの部屋にいてはならないというテーゼは、週刊誌的にいえば、誠に興味深い点としてとらえる人がいる。確かに、現地の新聞によると、「宗教警察が取締り〜〜政府高官が○○地区のホテルで逮捕」などという記事が踊っている。これは、ホテルの部屋で妻ではない女性と一緒にいたところを、宗教警察官が踏み込んできて逮捕されたという程度の話であるが、日本では決して起こらない犯罪?なので、にわかには信じがたい逮捕劇である。まあ、女性に強いなどと豪語している人には、いい薬であろう。

 それはともかく、「○○地方に住む日本人の技術専門家を宗教警察が逮捕」という記事にはびっくりした。記事によれば、この人は、単身で現地に赴任していたらしい。そこに、イスラーム教徒のお手伝いを雇い入れ、家事をしてもらっていたが、熱帯であまりに暑いので、上半身裸でいたところを、のぞき見た誰かに通報されたらしい。「これはひどい、イスラーム教徒のお手伝いなど雇えないではないか」というのが、首都在住の日本人の反応であった。しかし、われわれ外国人は、ただでさえ目立つので、この場合は雇うお手伝いは中国人にするなどの気配りをすべきであったと思うのであるが、赴任したばかりの人のようなので、宗教問題などは全く知らなかったのではあるまいか。

 G イスラームの世界では、物乞いが威張っているのはなぜかというのは、クイズ番組としてもいいのかもしれない。日本人の友達が言うには、こういうことである。すなわち、イスラーム教では、神様が各人の成績簿のようなものをもっていて、最後の審判に際してその成績簿を見て、天国に行けるかどうかを判断するのだという。そして、その成績は、生前の善行の積み重ねによって決まるものである。とりわけ、貧しい者に金品を施すというのは、その善行の最たるものらしいのである。したがって、施しを受けた者は、施しをした金持ちのポイントを上げる手伝いをしてやっているのだから、ありがとうなどと言うはずがない。したがって、この国では、金持ちより物乞いの方が威張っているというわけである。本当かなぁと思っていくつか文献を調べてみたが、確認ができない。しかし、なかなか面白い見方なので、ご紹介しておきたい。

 H イスラム教徒にとって、一生に一回は、聖地のメッカ、とりわけカーバ神殿に巡礼することが生涯の理想らしいのである。この点、海路と陸路しかない昔は、相当な困難を覚悟して聖地巡礼を敢行したものである。こうして聖地に一度でもお参りした人は、「ハジ」(女性は確か「ハジャ」)といって尊敬され、しかもそれが尊称にもなっている。ところが現代は、飛行機賃だけあれば、簡単に巡礼できるようになってしまったから、あまり有難味はなくなってしまった。それでも貧しい一般大衆にとっては大事業で、そのためにコツコツと貯金し、それを受け入れる政府系貯蓄機関まである。

 ちなみに、そのような巡礼の旅に出る一般庶民は、飛行機に乗るなどということは、一生に一度あるかないかの出来事である。だから、珍事も起こる。ある中東の国で巡礼者を乗せた飛行機が離陸して水平巡航に入った。すると巡礼団のご一行はくつろいでしまい、何と携帯式コンロを持ち出して機中で炊事を始めたという。ここまでは事実である。それが原因で墜落したとか何とか言われているが、その真偽は明らかではない。

 I 休日については、首都や経済の中心地は西洋や我が国のように土曜と日曜が休みである。しかし、イスラームの影響が色濃く残っている一部の地方では、何と木曜と金曜が休みとなっていた(正式には、木曜が全休、金曜が半ドン)。そこで、こういう地域と仕事上の連絡をとろうとすると、月曜から水曜だけに限られるということになり、話にならないとこぼしていた日本人ビジネスマンがいた。日本も、明治維新の時にそれまでの太陰暦を一切合切かなぐり捨てて、西洋の太陽暦へと全面的に移行したわけである。当時の人にとっては大変な文化的ショックだったとは思うが、そのような大革命を経ていなかったら、このイスラーム地域と同様のことが起こっていたかもしれないと思うと、明治期の先人の偉大さがよくわかる。

 ところで、ラマダン(断食月)は、太陰暦であるイスラーム暦に従っているので、その時期が1月だったり9月だったりして毎年変わる。それだけでなく、ラマダンが明ける日が彼らの新年なのであるが、それがいつ明けるかは、イスラームの宗教学者というかお坊さんが空を仰いで月を見て決めるというのである。たとえばその日が雨天で月が見えなかったりすると、新年が来るのが遅れてしまう。ある年、雨が続いて、月が見えないので、なかなかラマダンが明けなかった。そうして2日ほど経ち、ようやく雨が止んだ。するとイスラームのお坊さんがラマダン明けを宣言した。「我々は、雨はあがったけれど、こんなに曇りの日なのに、どうやって月が見えたんだろう」と言い合った。仲間内の訳知りが「坊さんは特別の心眼をもっているからだ」などという。つまり物理現象ではなく、宗教心の問題というわけである。

 J それから、イスラーム教徒はアラーの神はもとより、コーランやムハンマドという存在を非常に大切にするということを忘れてはならない。数年前に、道端の溝にコーランが捨てられていたということで、富山県在住のパキスタン人などのイスラーム教徒が抗議のデモをしていたが、それくらい大切なものである。また、これは笑い話のような本当の話であるが、20年以上前のこと、サウジアラビアに自動車を輸出した日本のメーカーが現地から強い抗議を受けた。というのは、その車に装備されていたタイヤの跡が、「アラー・アクバル」つまり「アラーの神は偉大なり」と読めて、そういうものを常時踏みつけて走るというのは、怪しからぬというわけである。確かに、あのタイヤ跡は、アラビア文字と読めないこともない。しかし、こういう事件は、現地の人にとっては宗教問題であるが、そんなことがわからない日本人にとっては交通事故のようなものであり、事が起こってから学ぶほかないと思われる。

 これに関して、イギリス在住のラシュディが著した小説「悪魔の詩」は、ムハンマドの妻を娼婦のように描いているということで、当時のイラン政府最高指導者ホメイニが著者の暗殺指令を出し、イランの財団が数億円の懸賞金を掛けたなどといわれている。原著者は身を隠していたが、この事件は各国にも飛び火する。イタリアやノルウェーでは翻訳者が襲われて重傷を負った。日本でもこれを翻訳した筑波大学助教授の五十嵐一(ひとし)さんは、1991年に大学のキャンパスで、喉をかき切られるという残忍な手口で殺された。日本には珍しい手口であったが、犯人がわからないまま国内では時効を迎えてしまった。ちなみに、その奥さんである雅子さんは、東大でフランス演劇を学び、修士号をもっていたが、事件後、二人の子を育てるためにご苦労をされたようである。履歴書を40通送って大学にやっと就職し、山梨学院大学を経て、今は帝京平成大学助教授だと報じられていた。ここにも、ひとつの人生があったということであろう。

 ところで、2001年9月11日朝に勃発したニューヨークの摩天楼ビルとペンタゴン等に対する一般旅客機を使った前代未聞の自爆型テロ攻撃事件により、イスラーム教徒は、誠に過激な印象を世界に与えてしまった。その後、アメリカの対イラク戦争後の国内治安問題でも、宗教的対立に加えて、自爆テロが相次いでいる。これでますます、世界の人々は、過激な原理主義がイスラームの本来のような感を持つようになった。しかし、本当のイスラーム教徒は、その名称のとおり、平和的なのである。

 なお、近代合理性からすると、イスラームの戒律のいくつかは、現代化をする余地があるのかもしれない。たとえば、豚がタブーなのは昔は衛生的でなかったことから豚を原因として食中毒を起こすことが多かったので、いっそのこと禁止してしまったものである。しかし、たとえば無菌のSPF豚などというものが出回っている現代で、その必要性を検証することはできないのか。また、断食という形以外で、貧しい人たちのことを思いやる方策はないのか。さらには、未亡人を生む大戦争がなくなった今日で、4人もの妻を持つことが適切なのか、などといろいろとあるとは思うのである。しかし、いささか不合理な戒律でも、それが宗教だといわれれば、それで議論が止まってしまうというわけである。

 見方によれば、イスラームは、まだ若い宗教なのかもしれない。若いといっても、7世紀発祥の宗教ではないかと思われるかもしれないが、キリスト教は1世紀、仏教は紀元前5世紀の宗教で、それらより新しいことは確かである。キリスト教は1500年後の16世紀にマルチン・ルターが出てきて宗教改革を行った。仏教は日本では飛鳥時代に八百万の神と争い、鎌倉時代には日蓮や親鸞などが宗教改革を行い、それぞれの段階で一皮むけたのである。イスラーム教も、果たしてそういう機会があったのか、なかったのか、あるいはこれからありそうなのか、知りたいものである。

 イギリスのムスリム人口は、一説によれば10%を超えたという。2005年7月7日のロンドンで起こった地下鉄やバスでの自爆テロに参加したのは、パキスタン系のイスラーム青年たちで、イギリス国籍だった。これは、中東政策を批判したものであるが、良きにつけ悪しきにつけ、ヨーロッパの国々でムスリムの勢力がその数と影響力を増していることは確かである。ところが、ヨーロッパのキリスト教社会では、長年にわたる宗教対立の経験から、「政教分離」の原則が確立している。この政教分離は人権や環境とともにヨーロッパ社会の要といえる原則である。ところがイスラームは、それとは正反対に「政教一致」の原則がその教義である。これは、ムハンマドの存命中の時代を理想とするからである。このキリスト教とイスラーム教との基本的対立が、今後どう推移するか、誠に興味あるところである。、そしてまた、その対立が日本にどう反映するのかということが、現下の私の関心事なのである。私自身にはひとつの予測があるが、心の中にとどめておき、ここでは差し控えておくが、そのうち有識者の誰かと大いに議論したいものである。

(参 考) テロの恐怖





(平成19年3月10日著)
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