




目 次 |
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| 1 | 三世代なつかしの旅 | ||
| 2 | まず熊内の家の跡に | ||
| 3 | 夜景を見て昔話に花 | ||
| 4 | 異人館のベンの家等 | ||
| 5 | 神戸の夜景は美しい | ||
| 6 | 綱敷八幡宮と須磨寺 | ||
| 7 | 南京町高砂屋金つば | ||
| 8 | 一ノ谷花月旅館にて | ||
| 9 | 明石大橋と明石卵焼 | ||
| 10 | 大丸さんとお土産物 | ||
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1.三世代なつかしの旅 私が赤ん坊から小学校の低学年までの一時期、つまり今から50年ほど前に、神戸に住んでいたことがある。何と、半世紀も前のことになる。私の両親は、赤ん坊の私を抱いて初めて三ノ宮の駅前に立ったときは、行き交う大勢の人々でびっくりしたという。とまあ、そういうわけで、神戸は私が物心のついた土地でもあり、まだ若かった私の両親にとっては最初の任地であったことから、いつも懐かしがっていた。 折しも、私の子がちょうど修習で神戸に一時的に滞在していることもあって、では皆で神戸に行ってみようということになった。残念ながら、家内は急な用で行けなくなってしまったものの、五月の連休の後半、私の両親、私、息子が神戸で落ち合い、三世代によるセンチメンタル・ジャーニーが始まった。 ![]() 2.まず熊内の家の跡に 神戸では、まず熊内(くもち)に落ち着き、途中で須磨(すま)へと引越しをしたので、二つの家に住んだことになる。その最初の家は、住所をたどると、新神戸駅の近くにあった。神戸というのは、ちょうど長崎のように坂の多い土地柄で、その昔住んでいたところも、たいへんな坂道の途中にある。阪神淡路大震災の影響で、相当変わっているかと思ったら、基本的な構造は昔のままであった。 母が「あれ、ここには貯水池があったのに」といったところは公園になっていたが、その管理者は神戸市水道局だったので、埋め立てたに違いないということになった。住んでいた家はもうないが、近くの神社の庭に立って神戸の市街を眺め回すと、小さい頃の記憶がよみがえってきた。そうそう、この急な坂道が大変だった。母も、Tさんはどうで、Nさんはどうだったとか、半世紀前の記憶が生き生きと甦ってきたようだ。 3.夜景を見て昔話に花 ![]() その夜は、新神戸駅にあるクラウンプラザ・ホテルに泊まり、最上階の37階から百万ドルの夜景を見ながら、昔話に花を咲かせた。 母がせっかくカレーライスを作って、さあ皆で食べようとしたら、強風が吹いて壁の一部が落ちてきて食べられなくなった話とか、父が喉にタイの小骨がささって咽喉科の医院で取り除いてもらった話とか、まあ色々なエピソードが次から次へと、とめどもなく出てきた。 こういう話は、過去50年も頭の隅に封印されてきて、その記憶が甦ってきたのであるから、人間の記憶というのは、実にすごいものである。 4.異人館のベンの家等
次に行ったうろこの館というのも、入口に天灯鬼、竜灯鬼がいたり、建物の中にはドンキホーテとサンチョパンサの像があったり、ガンダーラの仏があったりで、統一性がなく何が何だかわからない趣味であるが、どうやら像一般を見境なく集めるのが性癖だったらしい人の館である。こんなものを見て頭が混乱したあと、緑豊かな庭に出て、一瞬ほっとしたが、ふと横を見るとアンコールワットにある仏頭があったし、反対側を見ると、19世紀ロンドンで使われていた赤い電話ボックスがあった。いやはや………、ますます混乱してきた。 もう夕暮れが迫っていたので、残念ながら、風見鶏の館にはたどり着けなかった。まあ、次の楽しみにとっておこう。 5.神戸の夜景は美しい ![]() その点、神戸の場合は土地が狭くてコンパクトなために、一度にすべてを見ることが可能だという。なるほどと納得した。それにしても、市販のデジカメで夜景を撮るのは難しい。両手で持って、夜景モードで撮るのだが、どうしても手ぶれがする。タイマーで撮ると少しはマシだが、まだ手ぶれが残る。さりとて三脚はないので、手すりに乗せて写真を撮るしかなかった。 6.綱敷八幡宮と須磨寺 ![]() そして、まず綱敷天満宮に入った。震災のせいで相当の被害を受けたらしく、様子がまるで変わってしまっていたのは残念なことであった。しかしそれでも、幼い頃の私の遊び場であったここの境内は、昔を思い出してくれる縁となった。母が御朱印帳をおもむろに出して、八幡宮の印鑑を押してもらっていた。 そこを出て、かつて私たちの家があった場所に行くと、まあ何と、その土地には私たちと同じ姓の人が住んでいてびっくりした。母がお隣さんだったお友達の奥さんの消息を知りたいと思ったちょうどその時、近くの人が通りかかった。母がその人に消息を聞いたところ、残念ながらもう亡くなったと聞いて、残念がっていた。その方を含めて、近所の方には、いろいろとお世話になったらしい。
7.南京町高砂屋金つば
そこからタクシーで、元町の南京町に出た。人がものすごく出ていて、著名なお店には長い列ができている。われわれも、昔よく食べた高砂屋の金つばを買った。そして父が銀行通りと呼んでいた通りに向かって、再びさっさと歩き出した。 昔の道は、体で覚えているらしくて、以前通っていた銀行の位置がわかり、昼食によく行ったうどん屋が、まだ残っていたと喜んでいた。この間、50年の歳月が経っていることを考えると、まさに奇跡のような話である。 8.一ノ谷花月旅館にて ![]() 9.明石大橋と明石卵焼 ![]() 途中で通った市場では、玉子焼という看板があるので何だと思ったら、関東でいうタコ焼きである。港のフェリーもタコフェリーというくらいで、面白かった。今度、試しに乗ってみたいものである。それから旅館に帰ると、ちょうど5月5日の日だったので、お風呂は菖蒲湯にしていてくれた。体の芯から暖まった気がする。それから始まった懐石料理は、いずれも薄味で、我々の趣味に合い、なかなか楽しいひとときであった。 ![]() 10.大丸さんとお土産物 最後の日は、残念ながら大雨であったが、もう既に行きたいところに行きつくしていたことから、昔通ったデパートの大丸に行ってみようということになった。関東で大丸といえば駅のデパート程度という印象であるが、こちらではたいそう格の高いデパートらしくて、なかなかの品揃えである。母はおみやげにまた金つばを買い込んでいた。10個入っているものを4箱、手に取ると暖かくてずっしりと重い。これだけのものが人の胃に入るのかと思うと、我ながらびっくりする。 これで、センチメンタル・ジャーニーのゴールデン・ウィークは終わった。私は、50年前のことが頭の中を走馬灯のように横切って、こんな記憶が出てくるとは、自分でも信じられないほどである。父も母も全く同様だったらしくて、本当に懐かしいひとときを過ごさせてもらった。全行程を忍耐強くお付き合いしてもらった息子にも我々一同深く感謝をして、この三世代にわたる神戸の旅を長く記憶に残していきたい。 この旅の続き・・・ (平成19年5月 7日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |

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