This is my essay.








 私の大学時代の友人たちで、毎年何回か集まっている仲間がいる。もともと、教養学部時代に同じクラスにいた法学部の同級生たちが中心的メンバーなのであるが、どういうわけか、工学部の人や農学部の人もおり、またたったひとりではあるけれども、びっくりすることに、違う大学の人まで交じっている。というのは、我々は大学紛争で荒廃した大学に入学した世代なので、ようやく復活した大学祭のときに、政治向きのことは一切抜きでこれに参加しようとしたことに始まる。そうすると、せっかく参加するなら誰もやっていないことをやろうというわけで、同じクラスの仲間の何人かが、当時全国的に有名だった某アイドル女性歌手を連れてきて、コンサートを開催しようとした。

 今でこそ、珍しくないことだが、30数年前のその頃には、そんなことを考える人は皆無だった。問題は、その歌手が来てくれるかどうかであったが、事務所との交渉で、その言いだしっぺの人ががんばり、学生価格でとうとう来てくれることとなった。そこで、大学当局と交渉して講堂を借り受け、そこでダンスパーティのようなコンサートのようなイベントを開催できることとと相成ったというわけである。私は、勉強が忙しかったこともあったし、それに楽器を弾けたり歌を歌える能力があるわけでもないので、当初はそんなに積極的でもなかった。まあしかし、同じクラスの仲間がせっかくやるというなら、その会場に設置する喫茶店でもやってみようかと軽い気持ちで、友人数人とともにカップアンドソーサーを買いに行ったりして準備し、おっとり刀で参加したというわけである。

 当日は、あの広い講堂が満員で、大学当局が床が抜けるかもしれないと心配したほどであったが、とても盛況で、すごい熱狂ぶりであった。そのアイドル歌手も、下手な我々の学生バンドに合わせてちゃんと歌ってくれて、コンサートそのものはうまくいった。惜しむらくは、当時の素人のカメラでは、あの暗いステージ上がちゃんと撮れないことで、ぼやけた写真しか残っていない。しかし、我々の耳には、その歌手の歌声や熱狂的ファンの声援がまだ残っていて、これが我々の青春だったのかと、今にして思う。

 とまあ、そういう次第なので、このイベントには、我々の法学部のクラスのメンバーだけでなく、そのバンドのメンバーや周囲の屋台をやってくれた仲間、受付や警備を引き受けてくれた友人たちが参加をしてくれている。そこで、そのイベントの名をとって、「ディオニソス」という会の名称の下に、卒業以来もう30年近くの永きにわたる交流を続けてきたというわけである。

 こういう会が続くのは、しっかりとした幹事がいるからであり、我々の場合は、そのアイドル女性歌手をひっぱり出す交渉を行った人がその任に当たってくれている。たとえば、毎年末になると、メンバーの最新の名簿を送ってくれるし、誰かが「ディオニソスはまだかなー」と声をあげれば、さっそくしゃれた店を手配してくれる。そういうわけで、彼を抜きにしては、とても成り立たない。しかし、こういう会の世話も、以前は電話やはがきで連絡をとっていたことから、面倒が多かったようである。たまたま私がパソコンに詳しいものだから、今から7年前に、当時はまだ珍しかったメーリングリスト・システムを導入したところ、たいそう喜ばれた。少しでも、長い間の恩返しができたのではないかと思っている。

 実は今晩もまた、東京ディオニソスの会がある。わざわざ「東京」と名付けているのは、関西ディオニソスというのもあるからで、東京から関西方面に赴任していくと、そっちに移るというわけである。両方合わせてざっと40人ほどがメンバーであるが、これまで、肝がんと肺がんでひとりずつ亡くなった以外は、みな元気である。もうかなりの人が、いわゆる第二の人生を歩み始めているが、たとえ頭が薄くなろうと、あるいは孫が出来ようと、集まればたちまち30数年前に戻るのだから、これが不思議である。ちなみに、このメンバーの中で偉くなった人はほんの数えるほどしかいないから、お互い誠に気楽である。もっとも、たとえいたとしても、昔の悪行蛮行愚行をみんな知られているから、あまり大きな顔もできないというわけである。



【後日談】その夜の東京ディオニソスの同窓会の模様

 「四川豆花飯荘(シセントゥホア)」で開いた東京ディオニソスの同窓会、本当に面白かった。行く前は、要するに辛いだけの四川料理だろうという感じだったが、さすがに良質のレストランを集めた新丸ビルの店舗だけあって、他にない工夫がされていた。

 まず料理は、我々のような年配者に合わせて、ひとつひとつの料理を、量は少ないものの、次々と持ってくる懐石料理風である。最初のオードブルは、あたかも京懐石のごとく、ちょこちょことしたものが六品も添えられている。ふかひれスープも量は手頃でしつこくなく、すっぽんのカップスープも味は良し、豆腐花もちょっとだけだが雰囲気はあり、季節の野菜と蟹肉の和え物に至っては、野菜ばかりが目立ってどこに蟹があるんだと宝探しをやっていたが、まあそれもご愛嬌。どれも四川料理にしては全くといってよいほど辛くはなかった。

 韓国駐在だった友人が、「なーんだ。どれも味がない」と文句を言うほどだったのに、さすがに最後の麻婆豆腐だけは、かなり辛かったことから、ご機嫌が戻った。しかしそれも、ご飯の上に掛けられていたので、われわれ典型的日本人でも、なんとか食べられたというわけである。

     
 一番、面白かったのは、「茶芸職人(Tea Master)」である。黄色いチャイナ服を着て、じょうろのお化けみたいなものをあやつり、1メートルはあろうかと思われるその細長い注ぎ口の先を客の茶碗に向けて注ぐという趣向である。最初は、右手を引いて下向きの斜めに注ぐだけであるが、だんだんエスカレートしてきて、頭の上から注いだり、両腕を背中にVの字のようにして注いだり、いやまあ、さまざまなパフォーマンスをみせてくれる。それでまあ、不思議なことは、あの細い注ぎ口から流れ出るお湯は、周囲に少しもこぼれたりせずに、ちゃんとお茶碗の中に全部入るのである。演じているお兄ちゃんに聞こうと思ったら、日本語はダメらしい。そばのウェイトレスは、この人は、8年間の修行をしたという。

 幸いなことにこの店は今のところ東京ミシュランには載っていないので、予約もとれるし騒がしくないのがよい。ともあれ一見の価値があるので、お勧めしたい。そうそう、その茶芸職人が入れてくれたお茶も珍しかった。ジャスミン茶をベースとして、乾燥した菊の花、百合根、クコの実、紅棗、龍眼、胡桃、氷砂糖みたいなものが入っていて、茶芸職人がお湯を注ぐごとに味が変化する。最初はジャスミン茶そのもの、三杯目くらいから氷砂糖が効いてきてやや甘く、それが過ぎて五杯目くらいからは菊の苦味を感じ、そしてだんだんと味が抜けていく。八宝茶というらしいが、まあ、百聞は一見にしかずである。店を出るときにはゆったりとした満足感に包まれた。こんなことを体験できるのは、幹事さんのお陰であるし、ひいては東京に住む大きなメリットである。





(平成19年12月19日著)
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