This is my essay.



中国正月のお年玉「利是」袋に書いてある言葉 〜 「恭喜發財」= 今年も繁盛しますように = あけまして、おめでとう。 〜 「年年有餘」= 毎年余りが出る = 財力を蓄える = 豊かに暮らせますように。




 2008年1月末から2月にかけて、中国では中西部や南部を中心に100年ぶりといわれる大雪に見舞われた。しかも、折悪しく2月7日から旧暦の中国正月(春節)が始まるので、そのために帰省しようとしていた出稼ぎの民工さんの数は、3000万人を超えるという。ところが、この世紀の大雪でこれらの地域に向かう鉄道や長距離バスはいずれも動かなくなってしまい、その再開を待つ人々が、駅やバスターミナルに押し寄せている。テレビのニュースを見ると、いるは、いるは、何十万人ではないかと思われるほどの、ものすごい数の人々が映し出されている。しかもその人たちは、いずれも大きな荷物を抱えて、気温が零下となる中で徹夜で三日三晩も立ちつくしている。その結果、1万人を超える人たちが具合が悪くなっただけでなく、駅前広場で女性が群衆に圧迫されて死亡したり、橋の上から列車に飛び乗ろうとした男性が、電線で感電死したりするという痛ましい事故も起きたらしい。

 これだけでも大混乱の元なのに、中国政府首脳が現場に行って「鉄道の再開に努めているので、しばらくご辛抱を」と言ったのだが、何しろ相手が気まぐれな天候なので、軍隊を何十万人を動員しても、3日経っても再開できない。そこで上海市などは逆に「今年の春節の帰省は、あきらめてください」と呼びかけたりして、ますます混乱に拍車がかかった。6日には鉄道が動き始めたのだが、その日の切符を持っている人が乗っていったので、その前の日付の切符を持っていた人たちが騒ぎ出した。その一方、豪雪に遭った地帯では、1週間にわたって停電している地域もあって、数百万人が電力や水道の供給が途絶えたままの生活を強いられている。米や中国料理に欠かせない豚肉、野菜などの生活必需品の値段が、倍以上になっているという。その他もろもろの影響を受けた人の数は、計1億人とか・・・。いやまあ、ものすごいことになっているようだ。

 いやいや、これは大変なだなぁ・・・などと思っていたところ、はるか昔の出来事を思い出した。いまから45年前の昭和38年の日本である。そのころ、私は小学生で、北陸の町に住んでいた。その冬、後世に三八(サンパチ)豪雪といわれる大雪が襲ったのである。その朝、私はたまたま早起きして、玄関を出て新聞を取りに行こうとした。すると、玄関のガラス戸が、まるで夜明け前のように暗いのである。何か変だなぁと思いつつ、その引き戸を開けようとしたものの、なかなか開かない。全身に力を込めて、両手でエイっとばかりに引くと、開いた。そしてびっくりした。目の前が一面の雪だったからである。

 これは一体どうしたことかと、あわてて二階に駆け上がったのだが、そこで見たことに再び驚いた。その二階の高さを、通行人が行き交っていたからである。前日の昼間の積雪が1メートルくらいであったが、それが一晩でいきなり2メートル数十センチになった。その結果、道路の高さが二階になってしまったというわけである。ウチはたまたま二階家だったが、これが平屋建ての家だったら、玄関いっぱいに積み上がっている雪を掻きだして、階段でも作らないと外に出られなかっただろう。

 当然、学校も休みとなったし、私はまだ子供だったから、普段より2メートルも嵩上げされた道がうれしくて、あちこち歩き回ったものである。そうして、遊び回って疲れて帰ってくると、母は食べ物を心配していた。ただ、北陸はお米は十分にあったし、白菜を漬け物にする習慣があったようで、私たちは何とか過ごすことができた。ところが、日に日に物資が欠乏していく様子がよくわかるものがあった。それは新聞の紙面で、大雪のその当日から時間が経つにつれて、加速度的にページ数が減っていったのである。最初は20ページくらいだった紙面が、翌日には10ページとなり、4ページ、1ページとなり、ついには4分の1の紙面になった。こうなると、「これが新聞?」という感じである。まあ、新聞社の努力は買いたい。

 その紙面が4分の1になった頃、私はその日のお昼に、いつもの通り市内を見て回った。そうすると、草色の服を着た大勢の人たちが、鉄道の線路に積もった雪を、スコップで懸命に掻きだしている。自衛隊の人たちであった。子供心に、「ああ、有り難いな。」と思ったものである。これが原体験で、私は爾来、自衛隊のファンである。その後、安保反対運動の余韻が残って自衛隊なるものの存在が否定されんばかりの主張が堂々と展開されたときも、ああいう国の組織は絶対に必要だと思って、その騒ぎに巻き込まれそうになる同級生を尻目に、割と冷静に見ていることが出来たものである。

 再び中国の話に戻るが、2月6日から天候がようやく回復して、無事に旧正月(春節)を迎えることができたようである。よかった、よかった。なぜこの時期に、皆、故郷に戻り始めるのかというと、一族が集まって、再会と団結を確認するのだという。なるほど、結構なことである。日本は、もう、とうの昔にそのような良き風習はなくなってしまった。戦前の「家」制度に対する反省から、戦後は「個」の尊重となり、それが行き過ぎて一族郎党はもちろんのこと、家族ですらバラバラとなって、都会では孤独な老人の「孤死」が相次ぐという現象が見受けられるようになった。今更、昔に戻ることは出来ないのだから、せいぜい、親子兄弟との普段の連絡を良くしておくことだろう。

 ところで、先日、中国人の友達が訪ねてきて、面白い話をしていった。お年玉のことである。かつて、私が「日本の家庭のお年玉は、どうかしていて、甥や姪に、少なくとも一万円、場合によっては三万円もあげるんだよ。」というと、目を丸くしていたが、その話の続きである。その人が言うには、「そのときはびっくりした。自分たちは、日本円でいうと、せいぜい100円か200円程度のものしか包まないからね。ところが最近は、上海では日本のようになってきたんですよ。帰省して親類の子たちに配ると、1カ月分の給料をも上回るようになってしまって、若手のサラリーマンの中には帰省を取りやめる人も出てきたんだと。」・・・なるほど、経済発展の光と影(?)のひとつである。

 話によると、その春節のお年玉は、色とりどりの小さな封筒に包むのが習慣となっているらしい。私も記念に何枚かもらったが(もちろん、中身はからっぽ)、いずれも、なかなか綺麗なものである。こんなのに包んでお年玉を貰った子供は、たとえ中身が薄くても、きっとうれしいだろうなぁと思う。



(平成20年2月12日著)
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