This is my essay.








 先日、大学の同窓会があり、神楽坂の料亭に18人も集まって、たいへんな盛会であった。在京の面々のほか、関西や東北からも来てくれて、懐かしい顔をたくさん目にすることとなった。しかし、大学を卒業して早35年の歳月の経過は隠せず、皆の頭髪と体型を見ると、いやまあ、歳をとったの一言に尽きる。外形だけではない。中にはまだ目付きがギラギラとしていて体中から精力をみなぎらせているヤツもいるかと思えば、その対極として「来年、オレはもう定年だ。さあ、遊ぶぞ!」という髪の毛だけでなく存在感の薄いヤツもいて、こういうタイプは、勇ましいのやら、投げやりなのやら、さっぱりわからない。それを聞いて、「いやぁ、毎日ひまなのも、堪らないぞぉ」と交ぜっ返すヤツ、「そうそう、人間、働くのが一番。半日でもいいから死ぬまで毎日働け」というヤツがいたかと思うと、「そうだな、昔やったバンドをまたやってみようか。誰か、一緒にやらないか。おう、お前どうだ」と、事もあろうに私に聞くヤツもいる。

 私は、「小学校のスペリオル・パイプというのに苦労して以来、音符だの楽器だのというのは、ぜーんぜん駄目なんだ。能力と才能の問題だな。だから、大学時代は、ギターなんぞをかき鳴らして女の子を呼び込んで楽しくやっている連中をうらやましく思いながら、することがないので仕方なく勉強やっていたんだよね。」と答えた次第である。半分本音、半分悪い冗談なのだが、そうすると、中のひとりが、「そうか。それは賢明だったな。それが一番だ」と、あきれるほど真顔で言ったのには、思わず笑えてきた。まあ確かに、今となって思えば下手な学問でも、現在の我が身を助けてくれる一助になっているのは事実であるから、何が幸いするかわからないものである。

 それにしても、大学を卒業したときには、皆がほぼ横一線に並んでいたのに、それから35年がすぎると、このバラエティの極みのような「ばらけ」ようは、これは何だろうか。まず思うのは、我々はその時代のトップに位置していた学歴、気取っていえば和製「ベスト・アンド・ブライテスト」だったはずなのに、世の中は本当に厳しいものである。それぞれの組織では、もうトップ、あるいは、せめてトップ近くになってもよろしい歳回りであるはずなのに、一部上場会社に行った連中で実際に役員クラスに残っているのは、これだけの数がいても、わずかに2人だけ。うちひとりは銀行屋である。確かに大学時代の彼は、あまり遊んでいた風ではなかった。まあ、その分まじめだったから、ちょうどその道に合っていたのかもしれない。あとのひとりは、社交ダンスばかりしていて確か留年したはずなのに、人生の総決算期を迎えてみると、役員クラス、それも人事担当重役というわけだ。若い頃、安月給で苦労していたのを知っているから、まあ、よかったではないか。

 そのほかの人たちの人生は、まちまちである。ある人は、50歳を迎える頃に、早期退職制度で1億円をもらって退職した。思い返せばその頃、本人は自信満々、文字通り皆の羨望を一身に浴びていたものである。ところが、退職して最初に入った会社では売上の架空計上を見つけてしまって居づらくなり退社。二番目の会社は、構造不況業種で青息吐息という有様。世間の荒波を一身に背負った観がなきにしもあらず。童顔だった彼の皺の増えた顔や真っ白になってしまった髪を見て、これなら、無理して早期退職しなければよかったのにと、傍で思う次第である。もっとも、最初の会社を出るときは、そういうことになろうとは、本人はもとよりひょっとして神様でさえ、考えもつかなかっただろうなぁ・・・。

 また別のケースであるが、大きな鉄鋼会社を退職した2人がいる。退職後、一方はIT関係、他方は環境関係の会社を始めた。そのうちまずIT関係の方は、たまさか、データ処理の外注の波に乗って業容を拡大しつつあり、まあ安泰というところである。しかし、環境関係の方は、とても厳しい状況が続いているようで、やあ、どうだい?などと近況を聞くのもはばかられる感じである。そのせいか、家庭の方も崩壊に至ったようだし、かわいそうなことに、よほどストレスがかかったと見えて、突発性の難聴にもなってしまった。まさに弱り目にたたり耳というところである。こういう人には、胸が痛くなる思いである。

 そうかと思うと、大新聞社に入ったヤツは、いささか変わっている。よくテレビドラマに出てくるような敏腕記者にはなれずじまいだったようだが、その代わり何しろ給料が良いので、生活の心配なぞ一切する必要がなく、いろいろな趣味の世界に生きている。出世は早々と放棄してしまったようだけれども、考えてみれば、ストレスは全くないし、生活は完全に保障されているし、ワインの会、演劇の会、運動部の会、陶芸の会などと毎日楽しくやっているわけだから、同級生中で、一番幸せなのではあるまいか。別に皮肉でもなく、本当にそう思っている。

 こういう事例をいくつかみていくと、大会社という大船にいったん乗ってしまったら、よほどのことがない限り、自分から船を下りない方が得策と思えてくる。しかし、その大会社に残っていても、役員クラスまで上がらなければ、幸せな人生が保障されているとは限らない。たとえば、大手の信託銀行の支店長を50歳すぎに辞めさせられた人は、サラ金、事務処理などの関連会社を転々とさせられている。それぞれ社長という肩書きと、それなりの給料をいただいているので、まあ金銭的にはそれでよいようなものであるが、彼の実力からすれば、力をふるえないポストばかりではないか。この人を見ていると、心なしか、毎年、元気がなくなっていくような気がするのは残念だ。

 そうかと思うと、大手の化学会社に行って、それなりに活躍していたが、役員手前で退社し、大学時代の先輩の会社に入った人がいる。ここでも伸び伸びと活躍していると聞いていた。ところが、ある日突然、目の視界にギザギザの黒いものが走り、あわてて診てもらったところ、白内障の一種で、もう二回も手術をしたが、すっきりと治るというわけにはいかないらしく、そのまま療養している。長い人生だが、病気になってしまったら、もう一巻の終わりである。無事、これぞ名馬なり、というところか。自戒したいところだ。

 それでは、弁護士になった連中はどうか。うまくいっているのは、半分くらいだろう。一概にはいえないが、個人事務所は、よほど特色を出さない限り、楽ではない。どうかすると、事務所の経費が持ち出しになるほどである。私の友達は、ピンからキリまで、いろいろである。大きな事務所のパートナーに名を連ねて悠々としているヤツ、中堅の事務所を経営しているヤツ、まあこの人たちは、ピンの世界で安泰といってよい。しかし、相も変わらずに一人事務所でやっているヤツは、バブルの時代はそれなりによかったようであるが、中途の病気に加え、平成の長期不況の波をかぶって長期低迷の時期を抜け出せないらしく、収入はどうかすると、事務員の給料より低いかもしれないという噂である。最近では同窓会にも出てこなくなり、とんと消息を聞かなくなった。皆で心配はしているが、最近の専門分野は倒産処理だと聞くと、何かの冗談ではないかとすら思えてしまう。

 私が思うにこれからの弁護士は、渉外、M&A、会社法、金融などの分野であれば恒常的に大きく稼げるが、こういうのは、大手事務所の独壇場である。それ以外の中小の事務所は、大きく稼ごうとすれば、国や地方公共団体相手に一発勝負を期待するほかないようだ。もっとも、去年からは、貸金業法などの規制強化で、グレー金利の取り戻しという特需があったわけであるが、その性質上、そう長続きするものではない。しかも、司法制度改革の影響で弁護士数が現在の3万人弱から、毎年3000人近くもどんどん増えていって8年後には5万人にもなるようなので、これからますます競争が激しくなっていくものと思われる。その中で小さな事務所で生き残るのは、容易なことではあるまい。

 それでは、国家公務員になった連中はどうか。いま現役で残っているのは、定年が65歳の裁判官のほかは、ただ1名で、あとはすべて第二の人生、いわゆる天下り段階に入っている。局長まで務めたヤツは、小さい会社ながらも、さすがに副社長という肩書をもらって活躍中であるが、それ以外は、企業の役員やら団体の理事やら監事とやらで、一概にはいえないが、見たところ、必ずしも楽しい生活を送っているというわけでもなさそうだ。役員クラスとして生き残る確率だけからすれば、国家公務員だった連中は、会社員の道を選んだ連中よりは高いものの、それまでの安月給の期間が長かったことからすると、総収入は、一部上場企業に行った会社員より劣るのではないかというのが、話をしていてわかった実感である。これに、いわゆる天下り規制ということになれば、これまで何のために、超勤手当てなしの安月給と過労死寸前の状態で、頑張ってきたのかということになるだろうなぁ。こちらが一番、人生の帳尻が合わないということになる。

 誠に寂しい限りではあるが、以上のようなところが、和製「ベスト・アンド・ブライテスト」のなれの果てというわけである。必ずしもこの人生、青春の頃の大志に沿って生きられるものではないという見本のようなものである。もちろん、本場のベスト・アンド・ブライテストに比べれば小市民的で、誠にスケールの小さな話ではあるが、その代わり本場のように、世界にベトナム戦争のような災厄をもたらさなかっただけ、はるかにましな人生を送っていることは確かである。

 ええっ、何ですと? そういう悠々本人は、どうなのかって? まあ、それは内緒であるが、その名のとおり、悠々と人生を送っているということだけお伝えしておこう。いずれにせよ、同窓会を開くと、このように、本当にいろいろな人生がある。同窓会が面白いと思うのは、単に昔を懐かしむことができるということだけではない。それ以上に、「イフ」の世界を垣間見ることができるからだと思う。どういうことかといえば、「イフ」つまり、「もし、私が大学を出てあの会社に行っていたら、定年直前は、こんな風になっていたかもしれないなぁ。いや、もう少し違った人生を歩んだかもしれない」などとシミュレーションができるからである。つまり、友達の人生を借りて、自分の仮想人生をいくつか味わうことができるというわけだ。面白いこと楽しいことも多いし、逆に胸が痛んだり、悔しいと思うことも多いが、まあ、それが人生、これも人生、あれも人生・・・。もっとも、そのうち自分の人生も、悠々どころか火がボウボウと燃えさかるかもしれないので、油断はできない。そういうときは、皆に話題を提供することとするか・・・面白がるだろうなぁ。そういうわけだから、同窓会に出るのは、なかなかやめられない。



【後日談】 とうとうメガバンクの社長がひとり

 昨年の夏頃、以上のようなエッセイを書いて、なかなか偉くなる同級生がいないと、嘆いていたものであるが、なんとまあ、それから1年も経たないちに、メガバンクの社長がひとり、出てしまった。その報道があった日、普段からの連絡網に、同級生からのメールが殺到した。それぞれ、心温まるものであったことは、いうまでもない。たとえば、

「月並みな言葉に聞こえるでしょうが、我々同期生の誇りです。心より慶賀申し上げます。」

「ご就任おめでとうございます。組織のトップに行きついた友人がわれわれの仲間の中から出たことは、大変、誇らしい思いです。ご健康に留意され、今後益々のご活躍をされますことを祈念いたします。」
など、皆、我が事のように喜んで、励ますものばかり。

 これらに対して、当の本人からは、
「皆さんから、多くのメッセージをいただき感謝しています。これまでも多くの人に支えられて来たと感じていますが、さらにこのエールを支えにして頑張って行きたいと思います。」

 やはり、同級生というのは、本当にいいものである。





(平成20年7月24日著、21年2月3日追加)
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