わずか2年ほど前、私はニューヨーク大学のミチオ・カク教授の書いた「パラレル・ワールド」を読んで、とても感ずるところがあった。そのひとつは、インフレーション理論の根幹についての疑問が、少し解消されたことである。インフレーション理論とは、われわれの住んでいる宇宙は、今から137億年前にビック・バンを起こして、ある一点からほんの一瞬のうちに、10の50乗というとてつもない勢いで急膨張したと説く。そのとてつもない急膨張の原因は何か、どうして始まったのかについては、50以上もの説が考えられている。このうちどれが正しいかはまだわからないが、現在有力なのは、われわれの宇宙(ユニバース)は、ただひとつではなく、並行宇宙あるいは多宇宙(マルチバース)であるという。つまり、宇宙の中のごくごく小さな一点が突如としてインフレーションを起こして芽吹き、そうした子宇宙(ベービー・ユニバース)があちこちにある。そしてあたかも泡だらけの海に浮かぶ泡のような多宇宙が、そのようなインフレーションを果てしなく起こしているというのである。 一昔前だと、そのような並行宇宙があちこちにあるなどと学会で主張しようものなら、「何を馬鹿な、そんなことがあるわけがない」といって、変人扱いをされたのは間違いない。しかし最近では、万物を説明できるとされる「超ひも理論」が基本的に10次元の世界を前提としていることもあって、世界の超一流の頭脳が、その解明に向けて大まじめに取り組んでいる。アメリカでは、この「超ひも理論」はプリンストン大学を中心として研究が行われてきた。これに対して実験し、検証する物理を重んずるハーバード大学などは、つい最近までこの「ひも」理論には非常に懐疑的で、現に一時期ひもの研究者がほとんどいないという状態であった。ところが、昨年8月に読んだ「ワープする宇宙」は、そのハーバード大学のリサ・ランドール教授の著書なのだが、そういうアンチ「ひも」理論学派の中からも、余剰次元があると主張する者が出てきたという意味で、画期的なこととされている。 そして、今年になって、超ひも理論を研究する京都大学の川合 光教授らの日本人研究者グループが、われわれの宇宙の起源と歴史について、「サイクリック宇宙論」(一般書:講談社現代新書の川合 光教授著「はじめての超ひも理論」)なるものを、2003年以来、試論としてとなえていることを知って、私はまた、感心した次第である。川合教授らの日本人研究者グループが作った、超ひも理論に基づくタイプUB型の行列模型モデルは、次のとおりである。標準理論では、20近いパラメーターを設定しなければならないが、この川合教授らのモデルは、最初のgの2分の1乗というプランクの長さ以外、一切のパラメーターを使わないで、世界を表していることが画期的である所以である。 (注)超ひも理論UB型のIKKT行列模型モデル 川合教授によると、私たちの宇宙とは別のパラレル・ワールドがあるかどうかは、そのうち観測されるはずの重力波を詳しく調べてみればわかるが、余分な6次元はプランクの長さ以下にコンパクト化されていると解し、やはりわれわれの宇宙が唯一のものと考える方が自然であるとする。現に、川合教授らが研究している行列模型による超ひも理論の定式化の過程では、10個の行列で表された10次元のうち、確かに6次元はぴしっとつぶれていて、宇宙は4次元方向に広がっていることがみてとれたという。これは、まさに現実のわれわれの宇宙を表していると解せるので、これからは現実の世界に見られるゲージ粒子などがその4次元時空に現れるかどうかを解析していく方針とのこと。そういう超ひも理論の基礎の下に、川合教授らは、温度の上限であるハゲドン温度と、ハッブル定数の上限、それにTデュアリティという超ひも理論の性質から、次のようなサイクリック宇宙論の新仮説を提唱している。 すなわち、「現在の宇宙は、ビック・バン及びビック・クランチといういわば輪廻転生を繰り返した(30回目ないし)50回目の宇宙である」という。ビック・バンとは大膨張で、プランクの長さ(10のマイナス33乗cm)以下の微少な世界だったものが、信じられないほど急激に拡大して現在の宇宙のような広大な構造の世界になる。これに対してビック・クランチとは大収縮で、そういう大規模に出来上がった世界が、急激に大きく収縮して、再びプランクの長さに戻っていく。こういうことをこれまで49回も反復し、その回数を重ねるごとに、なんと8倍ずつも、それぞれの宇宙の寿命を延ばしていったとする。 普通であれば、初期宇宙の大きさが極小のプランクの長さ以下の時には、宇宙全体はブラックホールと同じ状態となってしまって、インフレーションを生じる可能性が極めて少なくなり、自己重力によって崩壊しまうはずである。ところが、何回も繰り返したビック・バンによって生じた膨大なエントロピーは保存され、蓄積されていくため、ビック・クランチを起こした宇宙は再び、ビック・バンを起こすだけのエネルギーを優にもっている。この時に生じたエントロピーが、次の超ひもの大きさを規定するというのである。ちなみに、ビック・クランチを通じて宇宙の大きさが極小のプランクの長さ以下になるときには、当然に物質を構成するハドロンはいったん超ひもに戻るので、物質はすべて消えてしまうが、その代わりエントロピーは、代々受け継がれる。これが更に大きな次の宇宙を作り出すというわけである。それが(30回ないし)50回も繰り返された結果、今われわれが住むこの宇宙が出来上がったとされる。 それでは、時間を遡り、われわれの宇宙の過去はどうだったかという点については、これまであまりまともに論じられて来なかった。その理由は、宇宙が一点から始まったビック・バン論では、相対性理論が破綻する特異点が出てきてしまい、困った問題であったからである。たとえば10年近く前にホーキング博士は、この問題を複素数を使って「虚の時間」を作り出して説明しようとしていたが、あまりにも技巧的で、それが現実に何を意味するかはわかっていなかった。 川合教授のサイクリック宇宙論の非凡なところは、超ひも理論を使って、ひとつの宇宙のビック・クランチが、次世代宇宙のビック・バンに繋がると考えた点である。普通は、ビック・クランチすなわちゼロに帰すると考えるところである。しかし、宇宙の成長の過程でインフレーションが終了して再加熱が起きるときにほぼゼロとなっていた真空のエネルギーは、宇宙が大収縮してその終末期を迎えて極端に小さくなると、大きく意味を持つようになってくる。そして、ゼロになる前に、プランクの長さ到達した時点において、宇宙を収縮から反転させて膨張させる方向に効いてくるという。つまり、前世代でプランクの長さまで大収縮した宇宙は、プランクの長さからそのまま大膨張する次の世代の宇宙へと繋がっているとする。要するに、ひとつの宇宙のビック・バンで、無理矢理、虚時間などというものを考え出さなくとも、親と子の二つの宇宙が直結して、よく大きな宇宙になっていくと考えるべきだというのである。これであれば、ひとつの宇宙の終末が即、次の宇宙の開闢を意味する。 この点を宇宙のビック・クランチ面から追っていくと、ビック・クランチが進むにつれ、サイズが収縮していき、それにつれ超高温になる。更に進むと、晴れ上がっていた宇宙は曇りだし、やがて元素は分解していき、陽子と中性子は素粒子のクォークに戻る。さらにそのクォークは質量をなくし、温度の上限つまりハゲドン温度のまま、「超ひも」がうようよと飛び交っている状態になる。サイズの収縮が進行し、やがては1メートル程度の大きさから更に微少な大きさまでつぶれていって、最終的にはプランクの長さとなる。そうなったときに、不思議なことが起こる。超ひも理論で、Tデュアリティ(双対性)といわれ、プランクの時間(10のマイナス41乗秒)では時空に関する定義はできず、2分の1の時間は2倍の時間に等しくなるというのである。これは長さについても同様で、プランクの長さより小さい長さは、その逆数に比例した長さに等しくなる。これを宇宙の収縮と誕生のモデルに当てはめれば、プランクの長さにおいて宇宙は、収縮しつつあると見えたものが実時間のまま跳ね返って膨張に転ずる。つまり、宇宙の終末はそのまま次の宇宙の誕生に直結しているのである。 サイクリック宇宙論が正しいとすれば、そこからこれまでの宇宙の歴史はどのようなものであったかということが推定できる。まず最初の宇宙は、プランクの長さ以下の次元も時間もない混沌とした世界から、量子力学でいうトンネル効果によって、実時間の中へ「ぷっ」と出てきたものであるが、さほど成長できずにすぐに収縮してプランクの長さ以下に戻っていった。その最低温度は、10の31乗K、つまりプランク温度である。この縮んでいく宇宙の最後の長さは、超ひも理論のTデュアリティによって次の2回目の宇宙の最初の長さと双対であることになり、1回目の宇宙のビック・クランチが実時間で2回目の宇宙のビック・バンに繋がっていく。2回目の宇宙は1回目の宇宙の約4倍の大きさ(最低温度はプランク温度の4分の1)に成長するが、これもまたビック・クランチを起こしてあえなく萎んでしまう。そのとき、1回目の宇宙で蓄えたエントロピーの約50倍のエントロピーを残す。それがまた次の宇宙のビック・バンに繋がる。3回目の宇宙は、1回目の宇宙の約16倍の大きさ(最低温度はプランク温度の16分の1)で、最後にビック・クランチを起こしたときには2500倍のエントロピーがある。それが4回目の宇宙のビック・バンへと繋がる・・・というように、輪廻転生が繰り返されていく。 その途中では、それまでの超ひもの世界から30回目の宇宙でクォークの閉じ込めが見られたと思ったら、その宇宙はその段階でビック・クランチを起こしてつぶれてしまう。そして、36回目の宇宙で元素が合成されるが、これまたその段階でつぶれる。また同様な宇宙の生成と消滅を繰り返して、やっと44回目の宇宙になって星ができ、銀河ができるが、その段階でビック・クランチとなる。その後、48回目の宇宙は、直径6億光年で4〜5億年の寿命となる。次の49回目の宇宙は、直径25億光年で30〜40億年の寿命であるから、地球の年齢が46億年であることを考慮すれば、地球型生命体が生まれないままに、ビック・クランチを迎えたのではないかと思われる。そしてこの宇宙が、50回目の宇宙となる現在の宇宙に直接繋がっている。そのわれわれの宇宙は、ビック・バンから数えて137億年目の現在、WMAP衛星の観測によれば引き続き膨張しているようで、今のところビック・クランチの兆候は見られない。しかし、やがては収縮に転じて、あと100億〜200億年でビック・クランチとなるかもしれない。そうなると、また新たなビック・バンにより51回目の宇宙が誕生し、それまでに経験をしたような経緯をたどって成長していくかもしれないというのである。それでなければ、われわれの宇宙が文字通り最後の宇宙ということになる。 これがわれわれの宇宙の来し方と行く末であるとすると、あたかも宇宙そのものが、まるで生物の発生過程のように思えてくる。生物の発生過程は、進化の過程を表すものだとされている。つまり、生物たとえばヒトの胎児も、ひとつの受精卵が2つに、そして4つにと分裂していき、だんだん複雑な構造になっていくが、その過程では、最初は魚類のようにエラが出てくるもののすぐにそれが消えるなど、人類の発生過程をなぞっているのではないかといわれている。宇宙も、これとまったく同じではないか。このように考えていくと、直前の49回目の宇宙ですら、地球がなかったのだから、現在の宇宙の地球に生まれたわれわれ人類は、よほど運が良かったばかりでなく、何か特殊な因果律の必然の結果ではないのかとすら思えてくる。そして、人類の将来も、宇宙の行く末次第というわけだ。 それを握っているのは、今は素粒子は「点」ではなく「振動するひも」とする超ひも理論の説明である。ところが、その「振動するひも」あるいは「超ひも」とは何か、その探求はまだ手つかずである。そして、50回目の宇宙というサイクリック宇宙論はこれで納得したとして、そのほか沸々と疑問が湧いてくる。たとえば、最初の宇宙において量子力学のトンネル効果は、なぜ起こったのか。そもそも、そういうごく微少な宇宙の誕生は、あちこちで起こっているのではないか、そうだとすると、サイクリック宇宙論はひとつの宇宙を説明することしかできなくて、似たような宇宙は、やはりたくさんあるのではないか・・・などである。こういう問題を早期に解明するためにも、早く「超ひも理論」の定式化が行われ、それで万物の事象が統一的かつ整合的に説明が行われることを望みたい。 (平成20年9月 3日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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