悠々人生のエッセイ 伊豆下田と河津桜



河津桜にきたメジロ




 2月21日の土曜日となった。かねて予約しておいた伊豆旅行の日である。季節がら寒いのは寒いが、幸い、天気はとても良い。朝も早くから家内とともに、東京駅発の踊り子号に乗った。古臭い車両で、「あれあれ、こんなに古かったっけ・・・もっと近代的な車両だったはずなのに・・・」と驚くほどである。「これじゃ、われわれが乗った半世紀近く前の修学旅行の列車そのものだね」と言いつつ、指定された席に行く。後から調べてみると、この日の臨時増発電車だったらしい。

 その古臭い踊り子号の電車は、大船、熱海、伊東と順調に進んで行って、伊豆急の線路の狭い区間に入った。いつもながら、「こんな狭いトンネルだと、そのうち電車が接触するのではないか」と心配するほどだ。もっとも、そんなことを思って早や40年ほど経つが、幸いそのような事故は発生していないようだ。しかし、人間の直観というものは、あまり馬鹿にしてはいけない。私は、18歳の頃に上京し、日比谷線の中目黒駅から都心方面に向けて、地下鉄に乗ったことがある。そのとき、駅を出た直後に、急に曲がる区間があった。座席から外に向かって放り出される気がした。その帰りも同じように揺れたので、これは危ないと直感したことがある。それから33年後の2000年、案の定というか、やはりというか、まさにその場所で脱線事故があった。5名の方が亡くなられ、64名の方が重軽傷を負ったそうである。

 しかし、幸いこの伊豆急では、未だトンネルにぶつかったという話は聞かない。それどころか、下田に行く途中では、黒船列車なるものとすれ違い、まあその、なんというか、リゾート風の車体の造りに感心した。単に黒い塗装をしている展望車というだけでなく、ベンチ式の座席が、すべて海側に向けて設えてある。車両下に赤いラインがあるが、これは、確か本物の黒船もそういう赤い線が舷側に描かれていたようなので、そこから来ているらしい。この黒船号はなかなかの人気らしくて、オンラインのジグソーパズルまである。ただし、やってみると、頭が痛くなった。どうも私は、向かないようである。

寝姿山頂からの眺め


 また伊豆急での旅の話に戻るが、当初は、河津桜を見に行くつもりで河津駅まで切符を買っていたのだが、乗っている途中のアナウンスで、そこから下田までわずか10分ということを知った。そこで急遽、目的地を変更して・・・こういうところが、お仕着せの旅でないところの良いところ・・・下田で降りることにした。ほどなく伊豆急下田駅に到着した。そこで船に乗ろうか、ロープウェイにするかと迷った末、風が強そうなので、船で酔ったら困ると思い、寝姿山のロープウェイを選んた。出発点は駅のすぐ前で、わずか数分で山頂に到着。眼前にはすばらしい眺めが広がる。大きく切り込んできている下田湾が一望の下にある。往時、ペリー提督率いる黒船艦隊は、この湾を一杯にしたらしい。この寝姿山に幕府の黒船見張所が置かれたのは、さもありなんという気がするが、それにしても当時の幕府の官吏は、この近代的な海軍力の前に、さぞかし無力感に襲われたのだろうと思う。

下田湾に集結したペリー艦隊


 ひとしきり下田港と、その向こうにある大島、利島、式根島などを眺めてから、、寝姿山頂上に向かう。途中の遊歩道には、美しい色々な花が植えてあり、よく手入れがされていた。頂上には「縁結び」の 愛染堂というお堂があって、御本尊の愛染明王はもともと鎌倉八幡宮境内にあったらしいのであるが、数奇な運命を経てここに収まったという。今や愛敬開運の神様として現代版になっていて、その絵馬は在来型だけでなくハート型のものまである。

下田『雑忠』の「なまこ壁」


 その寝姿山のロープウェイを降りて、有名な「なまこ壁」の家々に向かった。須崎町をちょっと回っただけだが、石原家や、鈴木家雑忠(さいちゅう)を見た。観光協会のマップによると、「なまこ壁が使われたのは江戸時代のことで、度重なる大火の延焼防止策として旗本屋敷の外側に使ったのが始まりで、参勤交代によって全国に広まった、ここ下田では、安政の大津波(1854年)で壊滅的な打撃を受けた後、下田復興に当たり外国に対して恥ずかしくない美観と防火のためにと、幕府が奨励した結果、多くの建物になまこ壁が使われた。鈴木家雑忠(さいちゅう)は、もともとは和歌山から移住した雑賀衆(さいがしゅう)が先祖で、鈴木家は代々『忠吉』名を世襲したので、屋号が『雑忠』といわれる。江戸時代から廻船問屋として栄え、下田奉行所の取次をする船改めの世話役だった。」とのこと。その他、下田には下田条約締結の地である了仙寺、初代アメリカ領事館が置かれた玉泉寺などがある。そんなところにも、いろいろと行ってみたかったが、何しろ電車の時間が迫っていたので、そのまま足早に下田駅に向かった。

今井東急リゾートの極楽鳥と、静かな今井浜


 下田駅から、来た道を普通電車でまたもどり、河津を通り越して今井浜に向かう。ここは、夏は海水浴場で有名だが、この季節は海岸以外は何もない。駅近くの東急リゾート・ホテルに着いた。客室はベランダが外へ丸く張り出して、ペナンで泊まったホテルを思い出させるような、典型的リゾート型である。もっとも、ここは日本だから、スイミング・プールはあるが、もちろん今は使えない。でも、庭に熱帯の極楽鳥花(ストレリチア・レギーネ)がそのまま植えてあり、しかも大きく咲いていたのには、びっくりした。浜辺は美しかったが、この時期であるから、夏の賑わいの片鱗もなくて閑散としていた。この下田東急リゾートの昼食は、バイキングで、これがまた結構おいしい。洋食を選んだが、まあ色々と食べてしまってお腹がいっぱいになった。しかも最後のデザートの中には、ケーキにまじって桜餅があり、季節柄なかなか気が利いていた。

空の青、雲の白、河津桜のピンク、菜の花の黄色、そして人の波


 そのあと、隣の駅の河津に向かった。いうまでもなく、河津桜を見に行くためである。駅に着くと、満員電車を思わせるような混雑である。その人並みを縫うようにして河津駅から5分ほど歩くと川があり、この川岸に桜が数百本も咲いている。それだけでなく、川の土手の斜面に菜の花が一面真っ盛りである。だから、晴れていたので空が真っ青、目の前にはピンクの桜、その下には黄色の菜の花という組み合わせで、それ自体はとても美しい。しかし、上野公園の花見を思わせるような大変な人出である。加えて道端には焼き栗やら、海産物やら、はたまた串団子などを売る店がずらりとあり、まるで神社の縁日といった風景である。少し歩くと、人並みに揉まれ揉まれて、家内ともども疲れて果ててしまった。

河津桜に集まるメジロ


 そうこうしているうちに、人並みが比較的少ない海岸の方に向かっている途中、人々が上を向いてカメラを構えている。興味しんしんで近づくと、上からチッチッという鳥の声がした。その方を向くと、薄緑色の小さな鳥がいる。目の周りが白いので、メジロのようだ。私もデジカメを構えてシャッターチャンスを狙う。7倍の望遠で眺めると、画面に収まってちょうどよい。しかし、鳥の動きが激しくて、小さなデジカメでは、その動きをなかなか捉えることができない。メジロは、いきなり飛んできてチョンと枝に留まり、上下左右に首を伸ばして桜の花の蜜を吸ったあと、すぐにパッと飛び出していく。まさに瞬間の勝負であるが、何とか数枚は、絵になる写真を撮ることができた。そして、たまたま飛び立ったメジロを見送ったあと、ちょうど同じ枝に別のメジロが留まったので、そのビデオを撮ることにも成功した。このビデオも、よく映っている。短いものだが、帰りの車中でも、それを繰り返すように見て、大いに満足した。今日という日は、とても良い日だった。




(平成21年2月21日著)
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  伊豆半島下田と河津桜( 写 真 )は、こちらから。

  河津桜に集まるメジロ( 写 真 )は、こちらから。



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