悠々人生のエッセイ



鉄道博物館 1階のヒストリーゾーン




 さいたま市大宮区の鉄道博物館に行ってきた。大宮駅からライトレールの埼玉新都市鉄道ニューシャトルで次の駅が、鉄道博物館駅である。とても行きやすい。しかも、入館も館内での買い物もSuicaでよいから、さすが鉄道ファンゆかりの地というわけである。

 1階のヒストリーゾーンでは、明治の創業期の1号機関車と弁慶号に始まって、大きな敷地の真中には蒸気機関車C57がある。これが置いてある場所が転轍台となっていて、これを中心として放射状に、年代別の機関車、列車、電車が置かれている。それをひとつひとつ見て回ると、実に懐かしい列車が並んでいて、遠い昔にタイムスリップした気分になる。それを見透かしたかのように、転轍台を回転させると同時に、蒸気機関車C57の汽笛の音を聞かせてくれるという、心憎いサービスまである。ボッ・ボーーッというその大きな音を聞いていると、私の心は、かつて少年だった頃の日々に戻っていく。

 もう半世紀も前のことになるが、私が小学生の頃に、一家そろって神戸から北陸に引っ越したことがある。その時に乗った北陸本線の汽車は、蒸気機関車だった。とても大きく感じたので、D51つまりデゴイチだったかもしれない。客車の中は板張りで、シートは緑色であった。長く座っていると、お尻が痛くなるシロモノである。列車はシュッシュッポッポと順調に走り、米原駅を過ぎて福井県に入った。

 ほどなくして、誰かが「トンネルに入るぞーっ」と叫んだ。それを合図に周りの人たちは、バタバタと音を立てて窓を閉め始めた。しかし、我々一家は、何のことやらわからずに、ぼんやりしていた。そうこうするうちに、列車はトンネルに入ってしまった。そのとたん、開け放っていた我々の座席の窓から、蒸気機関車のモクモクとした黒い煙がどんどん入ってきた。ああ、これは大変だとおろおろしていると、周囲の人から「何してるー!」と怒られた。父が慌てて窓を閉めたのだが、閉め終わってホッとしてお互いの顔を見合わせると、煙の煤で黒くなっていたので、大笑いをしたことを覚えている。

 私が中学生の頃に、これまた一家を挙げて名古屋に引っ越しをしたが、今となっては、蒸気機関車で行ったのか、それともディーゼル機関車あるいは電気機関車だったのかは、定かには覚えていない。でも、その頃から、鉄道の電化が進んでいたし、完成したばかりの北陸トンネルを通って、いやこれは長いトンネルだなぁと感心した記憶がある。その割には、煙で臭い思いをした覚えはないので、おそらく既に電気機関車だったのではないかと思う。

団子っ鼻の初代の新幹線車両


 東海道新幹線が開業したのは、私が高校生のときであるから、これに乗って大学入試を受けに行った。私は学生だったから、気楽な学生服姿だったが、その当時は、今日の人がよく着ているような、それこそよれよれの普段着とは違って、人々は一張羅の「ハレ」の衣装を身につけて乗っていたものである。新幹線が走り出すと、景色がビュンビュンと音を立てるがごとく、次から次へと後方へ飛んでいく。時あたかも日本は高度経済成長の真っただ中である。そういう時代の高揚感も手伝ってか、「ああ、僕は時代の最先端にいるんだ。よし、やるぞ!」という気がしたものである。あるいはカラ元気だったかもしれないが、そんな風に私を妙に元気付けてくれた団子っ鼻の初代の新幹線車両は、つい最近まで山陽新幹線を走っていたようだ。しかし先日、とうとうリタイアしたそうである。心から御苦労さまと言わせてもらいたい。

 当時はやったクイズで、「あの団子っ鼻の丸いドームの中には、何か入っていますか? (1)非常用ライト、(2)衝突防止のレーダー、(3)列車連結器、(4)通信機器、の四つのうち、さてどれでしょう」というものがあった。私も含めて、皆、間違ったものである。(答えは、このエッセイの最後に)

 大学時代には、寝台特急「日本海」で、京都から日本海沿岸を通り、青森を経て、北海道の旭川まで大旅行をしたのが、良い思い出である。この寝台特急「日本海」には、上中下三段のベッドがあったが、学生だった私は、もちろん一番安い最上段で旅行した。日中は最下段のシートを普通の座席として3人で使い、夕闇に包まれてからさあ寝ようというときに、上二つの折りたたまれたベッドを前方に倒して設え、金属の梯子で登っていくというものである。ところが、最上段のベッドが一番狭い。幅が40センチそこそこだったのではないだろうか。私は背が高いし、体が大きいので、それにもぐり込むのに、ひと苦労だった。縦に2本のヒモがあるので、乗客が落ちないようにはなっているが、それでも気になる。だから安いのかと、納得したものである。そういうわけで、ようやく身を横たえてから、青い色のカーテンを閉めて、寝付くというわけである。

寝台特急「日本海」の寝台。これは最下段と中段で、最上段は、これらの上にある。

 ところが、夜中にキャーッという女の悲鳴があがった。何事かとカーテンの隙間から覗いたところ、どうやら自分のベッドで酒を飲んだ酔っ払いが、カーテンに隙間から手を入れて、お嬢さんが寝ている向いのベッドにちょっかいを出したらしい。車掌さんが駆けつけて、女の人の話を聞き、「それでは、こちらへどうぞ」と言って、別のベッドに誘導していった。誠に手慣れたものである。きょうび、こんなことをすると、素面だろうが酔漢だろうが、強制わいせつ罪で捕まってしまうところである。昔は、おおらかというか、いい加減というか、のんびりした時代だったものだ。その寝台特急「日本海」の車両が、鉄道博物館に並んでいた。おお懐かしい、あの濃いブルーの車体と上中下三段のベッドが眼前にあるではないか・・・。

「おぎのや」の「峠の釜めし」。おぎのやHPより

 東京で仕事についてからも、北陸地方の親類を訪ねるために、私はときおり、特急白山号に乗って、信越本線を経由して北陸まで行ったものである。6時間半の長旅である。途中、碓氷峠を越えるために横川駅に停まって機関車を増結するのだが、そこの名物である「おぎのや」の「峠の釜めし」を買うのを楽しみにしていた。あるとき、私の家内となる人に、この釜飯をお土産に差し上げたら、なんとまあ、その容器(益子焼)を、ついこの間まで料理の廃油を入れるために使っていた! 旦那も含めて何でも大事にして、その扱いの良いこと、この上ない・・・。この点だけは、私の眼力に狂いがなかったと、ひそかに自慢できるところである。

 それやこれやで、私のような年配の者には懐かしい限りの車両などに対面するところであるが、全国の鉄ちゃん、鉄子さんには、むしろレア・グッズの鉄道部品を見たり、シミュレーションや模型ではあるが運転するのを楽しむところらしい。特に、SLつまり蒸気機関車の運転は、なかなか臨場感があって傍で見ていても楽しい。シミュレーションの画面を見物していると、ド田舎を思わせる緑豊かな路線を走っていて本物そっくりである。しかし、それもつかの間で、そもそもSLの力は坂道では強くないし、線路が山中の狭いところを通るから、運転は苦労の連続のようである。そこを、プォーッ、プォーッと汽笛の音を鳴らしながら、ガタンゴトンと走っていく。ときどき運転席がガタガタと大きく揺れて、それがいかにも本物らしい。しばらく、見とれてしまった。

八戸の「いいとこどり」弁当

 お昼を過ぎたので、どこかで食事をしようと思ったら、例の日本食堂があって、かつて出していた懐かしいメニューを用意しているという。しかし、たいそう混んでいたので、そちらに並ぶのをやめて、ふと見かけた駅弁屋にした。私は、八戸の「いいとこどり」弁当、家内は「おぎのや」のものではなかったものの、釜めしを選んだ。それで、食べるところといえば、さすがに鉄道ファンが集うところだけあって、その近くに横付けされた本物の特急列車の中なのである。4人掛けの座席に向かい合って座り、お弁当を開け、しゃべっていたら、あっという間に時間がすぎた。「こんなことなら、どこかへ本当に旅行に行けばよかったね。高崎とか、熱海とかに鈍行で行って、車中で駅弁を食べているのと、何が違うんだろう・・・?」といいながら・・・。

 そのほか、ジオラマの中で模型電車を動かすコーナーもあって、たいへんな人だかりがしていたし、実際にミニシャトル電車を運転させるところすらあった。屋上に出てみると、左手に上越新幹線とライトレール電車が走り、右手は在来線の湘南新宿ライナーやら京浜東北線の路線である。もちろん、こちらには本物の電車がガタンゴトンと音を立てながら次々に通り過ぎていく。屋上に置かれた表示には、ちゃんとその通り過ぎる各電車の色や形や名前が、図鑑のように親切に書かれている。いやいや、これは鉄道マニアには、たまらない場所なのだろうなと思った次第である。

 帰り際に、ミュージアム・ショップに立ち寄ったが、これがまた妙なマニア向けの品物ばかりだった。たとえば、東京の山手線の電車の発車を知らせる8種類の音が入っている目覚まし時計とか、各駅の名前が入ったSuica入れとか、ブルートレイン北斗星のロゴの入ったキーホルダーとか、それこそいろいろだ・・・。きょうはホントに、変な一日であった。




(平成21年2月28日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)




【新幹線の団子っ鼻の正解】 (3)列車連結器



ライン




悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2009, All rights reserved