悠々人生のエッセイ

飛鳥・奈良への旅

飛鳥の石舞台古墳と奈良の東大寺大仏殿




1.飛鳥でサイクリング

 先週の25日から26日にかけての土日に一泊二日で、飛鳥・奈良へ旅行に出かけた。いわゆるカンパニー・トリップというわけだが、実は私にとっては、買ってまだ一ヶ月も経っていない一眼レフを使って、古都奈良の夜景を撮りたいというささやかな願いを秘めた旅でもあった。

 第一日目の土曜日の朝は、午前9時40分東京駅発の新幹線のぞみに乗車した。車中で旅行会社からもらったパンフレットを広げて、どこの観光ポイントへ行くか、そこをどうやって回るか、何を食べるかなどと研究する。旅というものは、旅行中に楽しむのはもちろんだが、それだけではない。こうやって事前に楽しみながら想像をめぐらせ、実際に行ってみて予想外のことに驚き、そして帰ってから写真や旅程を整理してそれを思い出すという、3回も楽しめるわけだ。これにまた、一眼レフで撮る写真というものが加わって、まさに楽しさ4倍となった。

 若い人が企画してくれたものだから、この日の午後は、飛鳥でサイクリングをしながら回るという。あれれ、そうすると宿泊地の奈良の夜景を撮りに行く体力が残っているかなぁと心配になる。そのサイクリングの時間はどれくらいかというと、3時間半だという。まあ、これくらいなら大丈夫か。JR京都駅に着いてすぐに近鉄京都駅で特急に乗り換えて橿原神宮前駅まで行き、その近くの飛鳥駅で降りるらしい。駅前のレンタ・サイクルに、既に申し込んであるという。先日、幹事から「電動自転車にしますか」と聞かれたのはこれか・・・。もちろん、お願い!と言っておいたけれど・・・。

 そこで、車中を見まわす。ほとんどのメンバーが参加している。しかも女性が5人もいるというのは、これは我々のオフィス始まって以来の出来事ではないだろうか。そういえば、きょうのメンバーの中には、写真を撮るような人がいない。よし、それでは私が写真記録係を買って出ようではないかと思い。「さあ、撮るよ」と声をかけて、「シーン」ボタンの「人物」に合わせた。一眼レフ独特のカターンという乾いた感じのシャッター音を響かせながら、座席毎に全員の写真を撮り始めた。液晶画面を見る限り、なかなか良い出来具合の写真である。それでも、露出が正しいか少し気になって、車窓のブラインドを閉めてもらった。あとからパソコン上で確認したところ、結論からいうと、画面上で人物がそれなりに大きく映っていれば、たとえ窓から光が入っていたとしても、その人物の顔の露出は、適正となっていた。要するに、それほど露出に神経質になる必要はないカメラだということがわかった。

 それはともかくとして、被写体となって撮られている人は、ひとりひとりその性格がわかって、面白い。照れるような顔をする人、それが昂じてあらぬ方を向いてしまう人、顔面いっぱいに笑みを浮かべる人、いつもの通りのキョトンとした顔を向けてくる人など、さまざまである。その中で、一番若い女性が、まるで雑誌のモデルのようなシナと笑顔を造って写っていた。あとからパソコン上で見たところ、ほかのだれもが認める可愛さと可憐さを兼ね備えていた。それが自然に出るというのが、何ともいえない。英語で「photogenic」というのは、こういう人のことをいうのだろう。

 さて、そうこうしているうちに、早くも正午となり、JR京都駅に着いて近鉄特急に乗り替えた。近鉄の特急電車というのは、心なしか全体に丸みを帯びているデザインである。何だか、ひと昔前の電車を見ているような、とても懐かしい気がした。車中で、柿の葉寿司なる弁当が配られる。しょっぱいなぁと思いつつ、やっと全部を平らげたのであるが、今から思うと、これは絶好の塩分補給となったようだ。何しろそれから、炎天下や酷暑下での行軍が待っていたのだから・・・。そのときはそんなこともつゆ知らず、呑気に雑談に興じていたのである。

 橿原神宮前駅まで特急で行き、そしてようやく飛鳥駅に着いた。皆で駅舎から出て、口々に「ああ、ここかぁ」と叫んだ。駅前には、小さなロータリーと看板があるだけで、そのほかまったく何にもない。新宿や渋谷などで、大勢の人また人、建物に次ぐ建物という、それこそ嫌になるほどの都会に住んでいる我々には、まったく何もない空間ほど新鮮なものはない。思わず見回していると、幹事の掛け声が飛んで来た。その指示に従い、駅の右手にあるレンタサイクルのお店の方向へと、皆でぞろぞろと歩きだした。ところがここで、のんびりとした旅行の雰囲気が一変したのである。一天俄かにかき曇ったと思ったとたん、ザザーという音とともに豪雨が降ってきた。皆が蜘蛛の子を散らすように散り散りとなり、それぞれてんでにレンタサイクルのお店へ走り込んだ。すると雨脚はますます激しく、コンクリートの地面に当たる雨粒が、10センチばかりも跳ね返っている。「ああ、これでサイクリングは駄目か、残念無念。ついていないなぁ」と思った。店番をしていた地元の朴訥そうなおじさんは、飛鳥地方の地図を用意してくれていて、「まあ、これを持って行ってください」と、それを配ってくれた。借りもしないお客にこれは親切なと思ったので、思わず「ああ、すみませんねぇ」というと、「お天気だけは、仕方ないですわ。どうもならんですから」と答えてくれた。そのやり取りがあった後、全員でとぼとぼと駅前のロータリーへ行き、そこから「かめバス」という村営らしき小型バスに乗り込んだ。

 最初の停留所は、行きたかった高松塚古墳だったが、雨足が強くて休むところもなさそうなので、パスした。次に向かったのは、石舞台古墳である。ここには、比較的大きな休憩所があったので、バスを降りて、全員がそこへ転がり込んだ。二階で荷物を置かせてもらって、そこから傘をさしてすぐ近くの石舞台の現場へと向かう。道路に沿って少し上った小高い丘に、石舞台古墳があった。この古墳は、蘇我馬子の墓という言い伝えである。私は学生時代にここへ来て以来だから、40年ぶりの対面である。あのときは、日本史の上田助教授に引率していただいて、私を含めて20名くらいの学生のグループでここに来たっけ・・・。そういえば、旅芸人がここを舞台代わりにしたという説に従って、われわれ全員がこの石の上に立って、記念写真を撮ったものだ。今だと、そんなことをすれば大いに叱られて新聞種にもなりそうな行いであるが、あの頃は大らかだったのか、それとも文化財保護についての知識がなかったのか、いずれにせよ誠にのんびりしていた時代だったことは間違いない。

聖徳太子の誕生地である橘寺

 そうして、石舞台古墳の周囲を傘をさして回っているうちに、突然、雨が止んだ。ああ、これは良かったということで、ちょうどその近くにあったレンタサイクル店で、自転車を借りることにした。予定の3時間半から、2時間強くらいしか見て回る時間がないが、それでも期待していた自転車に乗れると、皆は大張りきりである。私はというと、残念ながら電動の自転車はなかったが、首尾よく普通の自転車を一台借りることができて、準備万端が整った。それから、一行はてんでばらばらに好きな方へと出発した。私は、猿石、鬼の雪隠、鬼の俎、亀石なども見たかったが、何しろ時間がない。とりあえず聖徳太子の誕生地である橘寺へ行ってから、あぜ道を引き返し、飛鳥寺へと向かった。田圃に囲まれた細い道を突き進み、やがて到着した。ここは、40年前とほとんど変わっていないのでびっくりした。我が国最古の仏様である飛鳥大仏も、私の記憶のままで、柔和なお顔をしておられる。これがいわゆるアルカイック・スマイルだ。この仏様は、606年(推古天皇14年)に、鞍作止利によって作られた。しかし、1196(建久7年)に落雷に遭って修復されたために、国宝とはならずに、重要文化財に指定されているにとどまるという。

飛鳥寺

 飛鳥寺を出て、本日の目的地の甘樫の丘に向かう。道中、セミがジーン、ジーンと煩く鳴いて、まあその騒がしいこと。甘樫の丘の麓に着いて、展望台を目指して登り始めたところ、そのセミの音にホーホケキョという鶯の鳴き声まで加わって、さながら田舎の大合唱団が近くで演奏しているようである。その派手な演奏を耳にしながら、丘の頂上を目指してひたすら登る。雨上がりで足元はよくないが、緑なす木々がトンネルのようになっているで美しい。ちょうどこの日はとても蒸し暑い日で、汗がどんどん流れていく。途中、空に向かって空間がぽっかりとあいている踊り場に出た。これで登りきったのではなく、道はまだ上に向かって続いていたので、げんなりとした。それでも仕方がない。そのまま登り続けて、ようやく甘樫の丘の頂きに立った。こんな暑い日に登ってくる物好きは、他にはいない。目の前の開けたところからは、大和三山らしき山影が見えた。地図によると、これが畝傍山である。その手前には、大きな池がある。これが石川池、別名を剣池というらしい。そして・・・大きい木の間からやっと見えるのが、香具山ということだ。持統天皇御製の歌からは、美しい新緑と白い衣のあざやかな対比、そして爽やかな風を思い浮かべるが、まさにその通りのイメージの山である。

 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 

      衣ほすてふ 天の香具山
                  持統天皇


甘樫の丘展望台から眺めた畝傍山

 はて、もうひとつの耳成山はどこだろう・・・これは、残念ながらよくわからなかった。それは諦めて、畝傍山から香具山にかけてのパノラマ写真に挑戦した。予めどこを継ぎ目にするのかを想定して写真を撮っていくのだけれど、これが案外難しい。それに、最初の写真で露出やらピントやらが固定されるので、それについても注意する必要がある。加えて、パソコン上で数枚の写真をつないでみなければ成否がわからないというわけで、なかなかの難物なのである。その代わり、出来上がってしまえば既存の展示ソフトがあるので、ホームページ作りは簡単である。

 そうこうしているうちに、甘樫の丘展望台に、我々のグループのうちの何人かが、三々五々に集まってきた。畝傍山を背景として、その連中を並べて記念写真を撮る。背景が明るいし、人物の顔は暗いしで、露出がなかなか難しい。一眼レフと、コンパクトカメラのフラッシュ付きで撮ってみたが、フラッシュだと人の顔が以上に白くなりすぎるので、結局この場合は、露出を+1.0くらい明るくして撮った一眼レフの方が自然な写真となった。

 甘樫の丘を下り、麓に着いた。また自転車にまたがり、出発したが、サトイモだろうか、大きな葉に雨の滴が乗っている場面に出合い、美しい水滴の形が神秘的なものにすら思えたことから、その写真を撮った。さらに進むと、百日紅 (サルスベリ)の花が咲いていて、きれいだったので、またその写真も撮るという具合で、なかなか他の観光スポットには行けそうもない。そうこうしているうちに、橿原神宮前駅に集まる時間が迫ってきて、現地に急ぐ羽目となった。まあ、今回は観光というより、一眼レフのお試し撮影会だと思えばよいか・・・。

興福寺の五重塔と東金堂

 近鉄奈良に着き、商店街を抜けて猿沢池のほとりを過ぎて興福寺を左手に見て右へ曲がり、その日の宿となる飛鳥荘に到着した。案外、ちゃんとした旅館であるだけでなく、アルカリ温泉の露天風呂があるということで、入るのが楽しみである。宴会まで時間があるので、荷物を部屋に置いたとたん、興福寺へと偵察に出かけた。五重塔の横を通り過ぎると、東金堂があり、夜間の拝観を行っている。そこで、入館料をお渡しして、東金堂の階段を上り、中のご本尊を外から一枚、撮らせてもらった。それから中に入り、そのご本尊、薬師如来像を仰ぎ見る。柔和なお顔をしている。飛鳥寺のアルカイック・スマイルの、やや人工的な無理をした笑いとは違って、こちらには母親の笑みのような自然のやさしさがある。好みの問題かもしれないが、私は、この薬師如来像の方を好む。

興福寺東金堂に安置されている薬師如来像

 東金堂の前には奈良公園の名物、野生の鹿がたむろしている。もう夕方になるので、鹿も疲れたようで、四肢を折って地面の上に腹ばいとなっている。雄鹿の角は、なかなか立派である。近づいて写真を撮っても、まったく気にしない。相当に人慣れしているようだ。

 そこから、方向を変えて、南円堂の方へと向かい、その八角形の建物をしばらく眺めていた。中学校の教科書にあった不空羂索観音坐像が安置されているらしい。その隣には、普通の木造の建物があって、阿修羅像のポスターがある。お坊ちゃんのような幼顔の三面と手が六臂ある、あの像である。ついこの間まで、上野で公開されていたので、もう帰っているかと思ったら、今は九州で展示中とのこと。なんだ、それでは明日は興福寺に来ても、見られないのかと、少しがっかりした。


2.古都奈良の夜景

 もう暗くなってきたので、そのまま宿に帰り、宴会に出席した。宴会料理はまあまあ、皆も楽しんでいる。この後は、二次会と称して飲みに行く人が多いらしい。しかし私は、飛鳥荘のフロントでチェック・インの最中に、奈良公園内にある主な観光スポットにおいて、ちょうどライトアップを催していると聞き、その地図もいただいていた。それが午後10時までというわけで、宴会料理もそこそこに、買ったばかりの三脚を担いで、夜の公園へとひとりで飛び出した。午後8時のことである。まず、猿沢池から坂を上がって右手に折れ、春日大社の一ノ鳥居に向かった。あったあった。暗い夜道の向こうに、朱色にぽつんと、光に浮かぶ鳥居が見えた。その交差点にたどりついて、まず三脚の脚を伸ばした。3重に折り畳まれていて、ひとつひとつロックを外さなければならない。それを手早くやり終え、すっくと三脚を立てる。このあたりまでは、我ながらきょう初めて三脚を開く人物とは思えないのではないかと、ほくそ笑む。

 三脚を設定する練習などは全然していないが、やってみるとまあ何とかなるもので、ともあれ三脚の首にカメラを据え付けた。あちこちに付いているネジを適当に選んで回すと、うまく固定されたようだ。そこで「シーン」ボタンで「夜景」を選びシャッターを押そうとしたが、「いやまてよ、このままだとブレる」と思い直し、2秒のタイマーをセットして、シャッターを切る。うまくいくかどうかと、ちょっとワクワクする瞬間である。液晶画面の右手に、タイマーらしき赤いアイコンが出てきた。それが消えたら自動的にシャッターが切れて、一瞬のあいだ液晶が真っ黒になった。1、2、3・・・と心の中で数えるうち、いつの間にか画面が復活して、朱色の鳥居が現れた。ふむふむ、なるほど、確かに写っている。パソコン上で確認しないと何ともいえないが、少なくとも液晶画面上では、成功したようだ。子供のように、素直にうれしい。最初に撮った夜景の写真としては、上出来である。

一ノ鳥居の夜景

 「さてと、次のライトアップは何かな・・・」と思って地図を見たところ、浮見堂だという。その名のとおり、池の中に浮かんでいるようだ。一ノ鳥居を向かって右に行き、こっちの方向で良いのかと思うほど真っ暗い中を進んで、ようやく池にたどり着いた。いにしえの奈良の都の昔なら、それこそ物盗りが出そうな物騒な雰囲気である。思わず周囲を見回すと、たった2組ほどだが、カップルがいたので、やや安心した。しかし、私みたいに写真を撮っているような人は、ほかには全く見当たらなかった。我ながらよほどの物好きだなぁと自嘲しつつ、その池の周りを時計回りに歩き、撮影のスポットを探した。ところが、どうも適当なところがないのである。池に写っている浮見堂の胴体の写真は撮れるのだが、さすがにその屋根までは光が当たっていない。それを無理して撮ると、上下が一直線になっているような、まるでランタンのような写真になってしまいそうである。「まあ、仕方がない、それでも撮ろうか」と思って、とある地点に三脚をセットし、「シーン」の「夜景」で撮った。そうしたところ、案の定、やはりランタン風になってしまった。あとから、お手本のライトアップのパンフレットをよくよく見たところ、この浮見堂の写真だけ、空が薄明るいではないか。「なんだ、やはりプロでも屋根は撮れなかったのか」と納得した次第である。しかしそれにしても、このパンフレットの写真は、いささか過大広告なのではないだろうか。

浮見堂

 引き続き、まっ暗な奈良公園の中を歩いていささか飽きが来たころに、仏教美術資料研究センターにたどり着いた。いやはや、ともかくこの夜は、ことのほか蒸し暑くてかなわなかった。たぶん気温は30度、湿度も相当なものだったのだろう。そんな中を三脚を担いで暗闇の中を歩き回るという物好きは、私以外には見当たらなかった。歩いていると汗がどんどん出るので、このままでは水分不足で熱中症になると思ったとたん、ちょうどその辺りに自動販売機があった。うまく出来ているなぁと思いつつ、ポカリスウェットを買い求め、それを一気に飲みほした。ううっと言いたくなるほどに冷たい。干天の慈雨というわけだ。古都に来ていると、表現まで古代風になる。ともあれ、それでやっと、人心地がついたのである。

仏教美術資料研究センターの夜景

 目当ての仏教美術資料研究センターの建物前に着いたものの、門が閉まっているので、全景がうまく撮れないではないか。どうしたものかと迷ったが、こうなったらその門の隙間にカメラを突っ込んで撮るしかないと思い、試してみたところ、それが正解だった。ところが無理をしているので、三脚が横へ少し傾いてしまい、このままだとちょっと傾いた写真しか撮れない。しかもだ、なにせ俄かカメラマンなうえに真っ暗な中で、どのネジをどう触ったら調整できるのかがわからない。困ったものだと思った。とりあえず、三脚のひとつに紙を敷くという応急措置を施したところ、傾きが治った。まるで中華料理店で傾いたテーブルを直すのと似ていると、思わず笑いがこみあげてきた。他人がこれを見たら、変なおじさんが笑っていると思われたことだろう。それはともかく、同じように「シーン」の「夜景」、2秒タイマーで撮った。すると、当たっているライトの色の具合がよろしくて、なかなか良い写真が撮れた。これは、成功といってよいだろう。苦労した甲斐があったというものである。

東大寺南大門

 気を良くして、次のターゲットへ向かう。東大寺である。前方の暗闇の中に朱色の南大門がぼんやりと浮かぶ。近づくと視野一杯に広がり、雄大で美しい。夜だから、他の邪魔物が目に入らなくなるうえに、ライトアップで大きく見えるのではないだろうか。しばらく見とれていたが、はたと我に返って三脚をセットした。まず全景を撮ったあと、左右の運慶と快慶の金剛力士像を撮る。ちなみに翌日のお昼に同じようにこれらの像を撮ったのだが、一面に金網があってよく見えなかった。その点、このように夜にラットアップの下で撮ると、そういう余分な障害物がないのでうまく撮れる。この写真のように、睨みつける鋭い眼、いかつい顔、盛り上がる筋肉の塊、不自然なほど捻じった手や腕などがはっきりとわかる。

運慶と快慶の金剛力士像(WB調整なし)
運慶と快慶の金剛力士像(WB調整済み)

 この日は、まず「シーン」の「夜景」で金剛力士像を撮ったのだが、色がオレンジ色っぽくなって、実物を見た感じと少し違う。もちろんこれはこれで、それなりに夜景という感じがしてよいのだけれども、目に見えたように撮るにはどうするかと考えたところ、これはホワイト・バランスの問題だろうと思いついた。そこで、これを調整して撮ってみた。すると、まるで白黒写真のような雰囲気のある写真となった。うむ、これはいいと、我ながら満足した。

 東大寺を後にして、奈良国立博物館の前に行き、その写真を撮った。ところがここは、建物そのものにあまり陰影がないし、近くにアクセントとなる木々のようなものもないので、のっぺりとした写真しか撮れない。これではまるで、厚化粧の女性のようだ。何とかならないかとホワイト・バランスをいろいろ変えて撮ってみたが、どれもいまひとつで、あまり面白みのない写真となったのは残念である。これは、カメラの性能のせいではなく、モデルの誤選択といったところか。

奈良国立博物館

 続いて、興福寺まで戻ってきて、五重塔を撮ろうとしたが、光の具合、塔を見る向き、頂にある相輪が写らないなどという問題が次々に出てきた。構図を変えつつ南海も試し撮りを繰り返した結果、右手前の木々の緑も入っている五重の塔の写真がやっと1枚撮れた。できれば頂点の相輪も入れたかったが、これだけ近づくと無理な相談である。まあ、こんなところではなかろうか。ところが、同じ旅行に行った仲間から、4年前に買ったというコンパクト・デジカメを使って撮ったその同じ五重塔の写真を見せてもらって、びっくりした。なかなか良く撮れているではないか。どうやって撮ったのかと聞くと、手ぶれを起こさないように、数秒間しっかりとカメラを構えたという。こんな今やほとんど無価値に近いカメラのくせに、それでいて私が10数万円もはたいて買ったばかりの一眼レフの写真とそう違わない写真が撮れるなんて、もう馬鹿馬鹿しくてやっていられないという気がしたほどである。でも、この人は数秒間、カメラを抱えてじっとしているという体力と精神力・・・敢えて「腕前」とはいわない・・・の持ち主だったからであり、まあ、私の場合はそれをお金で買ったということだと思えば、びっくりしたり、がっかりしたりすることもなかろうと思い直した。

興福寺の五重塔の夜景

 それはともかく、その夜の最後を飾ることとなった写真の被写体は、猿沢池のほとりの柳の木である。一本は緑色、もう一つはやや黄色がかった緑と、なかなか美しい夜景である。それをしっかりと撮ったつもりだが、そのとき、はたと思いついた。この「シーン」の「夜景」というのは、いったいどういうデータなのだろう? それを液晶画面上で表示させた。すると、F値3.6、露出時間0.77秒であり、ここまでは私の予想通りの範囲内だったが、次の数字には驚いた。ISO感度が200なのである。事前のお勉強の成果では、こういうときには、ISO感度を3200ぐらいにはしなければいけないと思っていたので、これには困惑してしまった。理屈よりまず実践とは、良く言ったものだ・・・。今度、カメラのセミナーに行くので、聞いてこよう・・・。それはそうとして、理屈通りのことを試そうと、ISO感度を3200、露出時間を長くするつもりで250から20000にしたが、あっという間に写真が撮れて、しかも真っ黒である。あれれ、どうしたのかと思ったが、間違えて1/20000にしてしまったと気づいて、設定をし直した。すると、「2”」というのがあったので、どうやらこれが正解の2秒らしい。それで撮ったところ、ちゃんと柳の木の写真が撮れた。まるで笑い話である。しかし、後でパソコンで見たところ、露出時間が長すぎたようで、光があふれてしまい、うまく写っていなかった。やっぱり、頭でっかちの新米カメラマンより、カメラのプログラムの方が頭が良かったようだ。

猿沢池のほとりの柳の木(夜)

 ところで、翌朝のこと、猿沢池の、その同じ柳の木のところに行ってみた。そこでまた驚いたことがある。それは、昨晩見た美しい柳の木はどこへやら、目の前にあったのは、何の変哲もない、本当に目立たない柳の木だったからである。ははぁ、これが編み笠の女、夜の蝶現象というものかと、深く納得した。カメラの世界には、なかなか奥深いものがある。

猿沢池のほとりの柳の木(朝)


3.春日大社と東大寺

 翌朝、午前5時に目覚めてしまった。ちょうど真夜中に寝たから、睡眠時間は、わずか5時間ほどである。部屋の冷蔵庫の音がときどき響いてうるさいのと、それにエアコンの設定を「M」としたので、冷え過ぎたせいかもしれない。目をつぶって引き続き眠ろうと努めたが、ますます目が覚めてくる。仕方がないので、テレビをつけたところ、NHKの今日の健康という番組で、熱中症の予防というテーマで解説をやっていた。これは、この蒸し暑い中を旅する私には、ちょうど良いではないか。その内容をかいつまんでいうと、この季節は暑い上に水分不足に陥りやすいので、注意せよ、そのため、外を歩くときは、帽子をかぶり、ポカリスウェットのようなドリンクを飲んで水分と塩分などを補給すべきだという。では、そうしよう。帽子に加えて、雨傘を日傘代わりに使い、ついでにサングラスをかけようか・・・。あとから、同じグループの人に、誰だかわからなかったと言われた。まあ、そうだろう。

春日大社一ノ鳥居

 昨晩の夜景撮影と同じコースをたどり、一ノ鳥居に向かう。残念ながらこの時は逆光になるので、昨晩と同じ位置ではカメラを構えることはできなかったが、それでも反対側から、同じような写真が撮れた。さあ、次にどこへ行こうかと思ったのだが、素直に考えれば東大寺方向となる。しかし、昔ここに来たときには、春日大社に行かなかったような気がした。そこで突然、行ってみようという気になったのである。これが、暑い散歩の始まりだったが、そうなるとも知らずに、山の方へとゆるやかに延々と続く上り坂を上がっていった。両脇は大きな木々に囲まれて涼やかではあるが、参道はというと細かい砂利道なので、私の靴だと歩きにくくって仕方がない。スニーカーでも持ってくればよかった。そんなことを思いながら進んでいくと、鹿せんべいを売っている屋台があった。その周辺には、鹿がたむろしている。観光客が近付くと、鹿せんべいを恵んでくれないかなぁという鹿顔をしている。そんな状況下で、観光客の誰かが屋台のおばさんから鹿せんべいを買ったりしたら、大変な騒ぎとなる。鹿という鹿がその人の回りに集まって、自分にもくれと催促をする。それがあまりにも激しいものだから、鹿せんべいを持った人は、せんべいの袋を持ってバンザイ状態となってしまう。鹿どうしの競争も激烈で、中には、その人の衣服をくわえて引っ張る鹿もいるほどである。こういうときの鹿は、なかなか怖いものである。しかし、よくしたもので、販売用の鹿せんべいを持っている販売員のおばさんには、たとえどんなに一杯持っていたとしても、催促を一切しないのだから、鹿もよくわきまえている。

春日大社南門

 さて、春日神社の参道をさらに登ってくと、左右には苔むした石燈籠が何千基もあり、すべて庶民の寄進であろう。京都の伏見稲荷の千本鳥居と同じだ。しばらく行くと、右手に酒樽をいっぱい積んでいる建物があった。車舎というらしい。その前には、はぐれ鹿のようなのが一匹、うろうろしている。その左手先には着到殿というのがあって、その前に鹿が腹ばいになっている。そして、朱色があざやかな南門がある。そこから中に入ると、拝殿があったので、とりあえず家内平安をお祈りした。巫女さんが、頭にきらきらした飾りを付けていて、なかなかかわいらしい。

東大寺の鹿

 これでやっと念願を果たしたということになる。足取りも軽く、来た道をどんどん下って行った。やがて右手に折れ、東大寺に向かう。ここは、中学校の修学旅行でも来たし、大学時代にも来たが、それ以来である。743年(天平13年)に聖武天皇が国全体を鎮護する寺の盧舎那仏像の建立を発願し、758年(天平宝字2年)に完成をみた。東大寺というお寺の起源は、この大仏の造立よりもやや古かったらしい。東大寺の伽藍は、南大門、中門、金堂(大仏殿)が南北方向に一直線に並んでいて、わかりやすい。昨晩見て感激したのが、国宝の南大門である。その右には吽形(口を閉じている)、左には阿形(口を開いている)の木造の金剛力士立像があり、鎌倉時代の仏師の運慶と快慶の代表作である。そこを通り過ぎ、中門を抜けて国宝の金堂(大仏殿)に入る。本尊盧舎那仏が鎮座されている。大きいなぁ・・・中学生の時に見たのと、まったく同じ感想しか出て来ないのは、我ながら情けない。人間、50年近く経っても、さほど進歩していないようだ。しかし、カメラは明らかに進歩していて、以前撮った大仏さまの写真は真っ黒にしか写らなかったことを覚えているが、今回持ってきた一眼レフでは、実にすばらしい写真が撮れた。まあ、これをもって私の進歩としておこう。ああ、それから、本堂の右手にある柱の穴をくぐるのは、まだ行われていた。昔は大きな穴だと思っていたのだが、半世紀たって見たところ、案外小さなものだったので、拍子抜けした。

東大寺の本尊盧舎那仏

 さて、タクシーに乗って東大寺を後にし、近鉄奈良駅に向かった。駅ビルの8階の北京料理 奈良百楽からの眺めが良いということで、そこを予約していた。すると、若草山から春日大社のある御蓋山にかけての山々が一望できて、素晴らしかった。加えて、奈良のおいしい料理がちょこちょこっと載っている料理が、なかなかおいしかったので、大いに満足したのである。

若草山の眺め。左手前は、鹿の角をかたどった奈良県庁の建物。
奈良百楽での昼食

4.西ノ京を訪ねる

 その近鉄奈良駅から再び近鉄電車に乗り、大和西大寺駅で乗り換えて、西ノ京駅に向かった。途中、派手な古代の門があると思ったら、最近発掘が進む平城京跡に再現された、朱雀門らしい。わざわざ訪ねるような時間がないので、車中から眺める。西ノ京駅に着くと、目の前が薬師寺である。私が高等学校を受験したときの教科書には、この薬師寺東塔が白鳳時代を代表する建物だと書いてあった。そして、そのときの薬師寺は、確かこの建物と小さな仮の金堂があったくらいで、荒れ果てていたという印象が強い。

薬師寺東塔

 ところが、これも記憶によると、昭和40年代から平成の初めにかけて高田好胤住職という方が、薬師寺の再興に取り組んだ。この方は、話術が得意で、寺を訪れる修学旅行生などを相手に面白おかしい話をするものだから、一種のトーク・ブームとなり、寺を訪れる観光客が急増した。それだけでなく、多くの善男善女に写経を進めて寄進を募ったものだから、これが大いに当たり、西塔から金堂など一切を再興できたのである。今回、私が訪れたときも、金堂で、お坊さんがたくさんの参拝客を相手に何やら説教をしていた。高田大師の置き土産なのであろうか。この寺には、玄奘三蔵院伽藍と、平山郁夫画伯の大唐西域壁画殿があるが、この日は、残念ながらどちらも見られなかった。

薬師寺金堂

 薬師寺を出て、約10分ほど歩いて唐招提寺に到着した。こちらはいうまでもなく、鑑真和上の私寺として、759年(天平宝字3年)に始まったものである。境内に入って最初に見える優美な金堂が、とても印象的である。平成12年からその解体修理が行われていて、つい最近まで金堂は大きな屋根に覆われていたが、先月当たりにそれが外されたばかりとのこと。ただし、金堂の中の三尊は、まだ拝むことができなかった。ついいましがた薬師寺の新しくてきらびやかな建物を見てきたばかりなので、この唐招提寺の古びたくすんだ色の建物は、いかにも分が悪い。しかし、むしろこの建物には、朱色などは似合わない。それどころか、こういう渋い色こそ大和路を飾るお寺として、誠にふさわしいものではないかと思う次第である。

唐招提寺




(平成21年7月29日著)
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