悠々人生のエッセイ








 長瀞の七草寺めぐり( 写 真 )は、こちらから。


 東京に長く住んでいるとはいえ、家内も私も、関東地方や東京そのものにもまだ行ったことがないところがかなりある。9月の下旬にたまたま、ゴールデンならぬシルバー・ウィークという5連休があったので、少しずつ行ってみようということになった。そこで手始めに、最初の日は、秩父地方へ出かけることにしたのである。ウェブでまず駅前探検倶楽部を出し、自宅の駅と、それから長瀞を入れた。すると、自宅 → 西日暮里 → 赤羽 → 熊谷 → 長瀞 というルートが出てきた。しかし、この駅前探検倶楽部というのは、ときどきとんでもなく非常識なルートを出すことがある。そこで、念のために秩父鉄道のHPを見てみたところ、何とまあ、この鉄道は、熊谷でJRと、寄居で東武鉄道と、御花畑で西武鉄道とそれぞれ連絡しているのだ。さきほどのルートは、JRのケースだった。それで念のため、他の二つのルートを調べてみると、出発しようとする時間ではあまり大差ないので、最初の案通りに行くことにした。朝8時7分に千代田線に乗ると、10時21分には長瀞に立つことができる。

 検索の下車駅としてなぜ長瀞を入れたかというと、先日のテレビ「趣味悠々」で、デジタル一眼レフで鉄道写真を撮ろうという番組に出てきたからである。この秩父鉄道には、1日1便だがSL(蒸気機関車)が走っており、それに上長瀞駅と親鼻駅との間には鉄橋があって、そこを通る電車を撮るというシーンがあった。それを楽しみにしよう。まあ、その程度の下調べをして、朝、目標の時間の少し前の電車に乗って出かけた。
道端でしばしば見かけた彼岸花

 途中、赤羽駅でハプニングがあった。降りたホームで次の電車を待っていたのだが、時間近くになっても、電光表示には目指す電車がない。これはホームをとり違えたと気づいて、正しいホームに行って、事なきをえた。それ以外は、特に問題なく、熊谷に着き、秩父鉄道に乗り換えた。ところが、秩父鉄道では、パスモやスイカが使えない。これは面倒だ、なぜだろうと思ったが、行ってみてその理由がすぐにわかった。電車にはお客がほとんどいないのである。これでは追加投資ができないわけだ。

 熊谷から52分もかかって、長瀞に着いたが、その道すがらの風景は、まるで我々が小さかった頃から時間が止まっているかのようである。あの時代には、東京大阪間が、確か8時間もかかっていたし、地方の鉄道は、まだ蒸気機関車全盛の時代だったなぁ・・・。そんなことを思い出していると、途中の線路わきに、ときどき赤い群落を見つけた。彼岸花が今を盛りと咲いているようだ。これも、撮ってみよう。ところで、なぜ当初の計画通りに上長瀞駅で降りてSLを撮るために鉄橋へ行かなかったのかというと、電車の中で、家内が宙吊り広告を眺めて「長瀞七草寺めぐり」というものを見たからである。私たちが子供の時分には、春の七草、秋の七草は、その辺りの野原や田圃近くにどこにでもある身近なものだった。しかし、そういえば二十歳を越して、見たことがなかった。我々の心の中が、みるみるうちにノスタルジーで一杯となった。そこで、SLは帰りに撮ることにし、こちらを選んだというわけだ。

 長瀞駅で降りてみると、七草寺めぐりは、あと20分後に出発とのこと。それに申し込んで、楽しみに待っていた。バスが来て、よくしゃべる地元のガイドさんと一緒に乗る。出発して、小学校の横を通ると、運動会を開催中である。万国旗の下で徒競争をやっていて、子どもの頭には赤と白の帽子が乗っている。懐かしい限りである。失礼ながらこんな山奥なのに、たくさんの人たちが参加している。ガイドさんによれば、長瀞地区の現在の人口は、8,500人とのこと。全国各地で高齢化と過疎化が進む中にもかかわらず、意外に多くて、なぜか私もほっとした。

桔梗(ききょう)


 さて、最初に連れて行かれたのは、桔梗の寺 〜 多宝寺である。ああ、その前に、秋の七草の由来を見逃すわけにはいかない。これは、山上憶良の歌(万葉集)から来ているという。すなわち、

 秋の野に咲きたる花を指折りて かき数うれば七草の花

 萩の花 尾花 葛花 なでしこ 女郎花 また 藤袴 朝がおの花

       (注)最後の、「朝がおの花」とは、桔梗のこと。

 桔梗の花言葉は「清楚な美しさ」だが、その名にたがわず、桔梗は、青紫の美しい花である。多宝寺自体は、特に何ということもない田舎のお寺である。いかにも桔梗の寺らしかったのは、行く途中に桔梗の畑があったくらいで、境内には桔梗だけでなく、あちらこちらに色々な花が咲き乱れていた。ちなみに、唐辛子の実まであったのには、びっくりした。

女郎花(おみなえし)

男郎花(おとこえし)


 2番目は、女郎花の寺 〜 真性寺である。女郎花(おみなえし)は、小さい粒々のような鮮黄色の美しい花である。この花は、何しろ細かすぎるので、あまり良い写真は撮れなかった。しかし、面白かったのは男郎花(おとこえし)である。そんなものあったのかという気がしたのであるが、女郎花が黄色であるのに対して、こちらは白っぽい色の花である。真性寺の説明によれば、「男郎花は・・・全体に毛が生えており、たくましいので七草には入らない」とのこと。そうかなぁ・・・私には、よくわからなかった。ちなみに、こちらの本尊は不動明王であるけれども、そのほかに秩父古生層から発見されたという岩猿が祀られている。岩「猿」といわれたが、私にはどう見ても岩そのものである・・・まぁ、あまり深く追求することなく、ともあれ私も、お賽銭を奉げてお参りをしてきた。

藤袴(ふじばかま)


 3番目は、藤袴の寺 〜 法善寺である。藤袴(ふじばかま)だけでなく、門をくぐってすぐ左にある樹齢百年余りの枝垂れ桜も有名らしくて、四月になると大勢の人が見物に訪れるそうな。藤袴の花は、まるで線香花火のような、はかない感じの花だった。なんでも、咲いている藤袴を下向きにすると、袴のように見えたことから、そう名づけられたそうだ。本堂の脇には池があって、その傍の小川では、2匹のオニヤンマが産卵中で、飛び回りながら胴体を縦にして、水面に尾をツンツンと何回も付けていた。

尾花(ススキ)


 4番目は、尾花の寺 〜 道光寺である。本堂の両脇に、まるで聳え立つような形で大きなススキがある。ざっと見ると、7種類もの違ったススキ(尾花)が植えられている。なかなか、壮観な眺めである。しかし、ガイドさんの話によると、この大きな二つは、パンパスなんとかというという。それで、気がついた。この二つは、南アメリカ原産の外来種ではないだろうか。日本在来種のススキは、その脇で縮こまっているようだ。門を入って右側にあった何体かのお地蔵様は、なかなか品がよかった。ところで、道光寺には、二つの書きものが売られていて、それには、こんな風に書かれていた。どちらも実感がこもっているが、いやはや、年寄りや親の本音を書くと、まあこんなものかと思ってしまう。しかし、後者の「ダメな家庭の十ヶ条」は、反面教師のチェック表としては、使えそうだ。どこの親も、子育てには苦労しているらしい。それから道光寺を出て、長瀞駅近くの宝登山前のレストランにおいて、昼食休憩となった。

    年寄りの六歌仙

   しわがよる ホクロができる 背が縮む
   頭はハゲる ヒゲ白うなる

   しんどなる 気短かになる 愚痴になる
   心はひがむ 身は古うなる

   手は震う 足はよろめく 歯は抜ける
   耳は聞こえず 眼はうとくなる

   聞きたがる 死にたがる 寂しがる
   出しゃばりたがる 世話やきたがる

   又しても同じ話に 子をほめる
   達者自慢に 人は嫌がる

   身に合うは 頭巾 襟巻 杖 眼鏡
   たんぽ 温石 しびん 孫の手




    ダメな家庭の十ヶ条

 1.酔うて言う 飯どきに言う 愚痴を言う
    気分で叱る 罰を与える

 1.夢かける 目立たせたがる 良い子がる
    家で良い子は よそで悪い子

 1.やりなさい 親は動かず 子を使う
    躾しつけと みんな 押し付け

 1.バカな親 親の成績 棚に上げ
    夫婦でしごく 欲の限りに

 1.先生はなっちゃいないと批判する
    不満ぶつける 信じなくなる

 1.我慢なく 夫婦別れに 子が迷う
    子ども取り合う 鍵っ子になる

 1.子は親を批判しながら まねながら
    ひねくれても行く 曲がっても行く

 1.家の中 つまらないから 外に出る
    夜遊びをする 悪事覚える

 1.子育てを手抜きするから悪くなる
    悔いる処か 子が憎くなる

 1.不自由な思いは仮にもさせないと
    愛の代わりに 物で与える



撫子(なでしこ)


 5番目は、撫子の寺 〜 不動寺
である。撫子といえば、子どもがその手を開いたような、ピンクや白の可憐な花である。こんな、か弱そうな花では、外来種との競争に簡単に負けてしまいそうだ。ちなみに、撫子の花言葉は「深い愛情」。なお、この寺には、赤のほかに白い色の彼岸花があり、しかも群落を作って群生していたので、珍しいものを見た気がした。

葛(くず)


 6番目は、葛の寺 〜 遍照寺である。山の中の駐車場でおろされ、山道を10分弱下って、甘い香りのする葛の葉でできたトンネルをくぐると、そこは葛湯の里・・・ならぬ葛の寺だった。しかし残念ながら、葛の花は、8月にもう終わった後である。このお寺の檀家は、すべて「林さん」で、今は31家に減ったが、なお守り続けているという。中では、農家の作物を持ち寄って売っていたので、わずかでもご寄付をと思ってたくさんの野菜を買い、ついでにふかし立てのサツマイモにかぶりついていた。また、お寺の中の林さんたちからご親切にも、ゆずを入れた水をいただいたので、その香りを楽しんでいた。そうしていたところ、同行の皆さんの姿が見えなくなり、あわてて山道を駆け上がって追いついた。その途中、わずかに残った葛の花を見つけて、それを写真に収めたのである。

萩(はぎ)


 最後の7番目は、萩の寺 〜 洞昌院である。萩の花は今が盛りで、ピンクに白に、紫色にと、境内一面に咲き誇っていた。山萩、白萩、宮城野萩、屋久島萩、夏萩など1万本も植えられているという。墓地に向かう左右の道すがらにも、たくさんの萩が満開だった。あちこち見せていただいたが、寺としては、ここが一番しっかりと運営されている気がした。・・・ということで、むかし親しんだ花々に、また何十年かぶりで、会うことができた1日だった。

長瀞駅


 ところで、話はここでおしまいではない。長瀞駅に帰って来たのが、午後3時前である。そういえば、3時すぎにSL(蒸気機関車)がこの駅を通るはずである。せっかくここまで来たのだから、それを撮らなくては・・・ということで、駅の脇の踏切りでカメラを構えた。駅近くだから、スピートを落としているはずなので、これで十分に撮れるはずである。カメラは、Sつまりシャッタースピード優先で、1250秒分の1、コンティニュアス・オートフォーカスつまりピントを連続的に合わせてもらい、ISO感度は1600にしよう。最後に、連写モードにして準備万端整え、待っていた。私の左右を見ると、一眼レフを構えたカメラマンが大勢いた。それも幅広い年代からで、70歳くらいの女性から、高校生のような男の子まで、鉄道マニアがこんなにいるとは、驚くばかりである。

長瀞駅の脇の踏み切りに近づいてくるSL・・・少し、画面を傾けすぎてしまったかも・・・


 「おおー来たぞーっ」と誰かが叫ぶ。すると、遠くからSLが煙を吐いてこちらに走ってくる。カメラを構えた人波に緊張感が高まる。SLはぐんぐん近づきつつある。それを見ながら液晶画面の真ん中にSLが来た段階で、シャッターを押す。同時にあちこちでカシャン・カシャン・カシャンと、小気味良い音を立てて、シャッターが切られる音がする。そうこうするうちに、あっという間にSLは私の眼前を通り過ぎてしまった。

長瀞駅の脇の踏み切りにさしかかるSL。引き付けが足りない。

眼の前を通り過ぎてしまったSL


 問題は、連写の間隙だなぁと思って、撮れた写真を液晶画面上で見直してみた。すると、SLが遠いうちは、まあまあ写っているが、私の真ん中を通り過ぎる瞬間がちょっとだけズレてしまった。つまり、SLの先頭部分が半分だけ写っている写真の次が、もうSLの胴体しかない写真となってしまっている。ああ、これかとがっかりした。というのは、「趣味悠々」の番組に出ていた先生は、「素人は、機関車がまだ視界一杯に来ていない段階で、あせってついついシャッターを早く押してしまう癖がある。だから、肝心の機関車が、画面上ではその前半分だけしか写っていないなどという失敗をするから、気をつけましょう。これを『引きつける』といいます」などと言っていた。私のやったのは、まさにその「引きつけ」が十分に出来なかった失敗だったからである。

長瀞駅から出発直前のSL
秩父鉄道の蒸気機関車パレオエクスプレスが長瀞駅を発車するビデオ


 仕方がないので、これを取り返そうとして、SLが7分間だけ長瀞駅に停車している間に、駅へと急行した。うまい具合に、SL撮影用の入場券なるものが160円で売られている。何かもう、秩父鉄道の手の掌の上でうまく操られているようだが、ともかく、ホームに停車しているSLの先頭部分へと急いだ。いるいる、黒山の人だかりで、家族連れなどが、SLを前にして記念写真を撮っている。でも、大抵はSLに乗車中の人たちだから、出発前には、いなくなるはずだ。しばらく待っていると、やがて人並みが車中に引いていったので、そこでやっと、SL全体の写真が撮れたというわけである。ああ、疲れた・・・。

長瀞駅前のライン下りの案内所


 しかし、この話には、さらにまだ先がある。SLを撮って駅から出てきたとき、目の前に、長瀞ライン下りの案内所というものがあった。まだ受け付けているらしい。よしこれも経験してみようと、家内と二人分、申し込んだ。すると、荒川のほとりから、竿で動かす20人乗りの舟が出るらしい。客が集まるまでの間、外からガイドの声が聞こえてくる。何でも、この川は下流は東京の荒川となる。川の両脇の岩は、1枚の巨岩からできていて、川が上流や下流では荒れていても、この近辺だけはなぜか静かになるので、サンズイに静かと書いて、長瀞という地名にした。その前は、このあたりには藤が多かったので、藤ナントカという地名だった・・・そんな説明をしていた。

長瀞ライン下りが始まる

長瀞ライン下り途中の大岩


 さて、我々の舟が出発の時間となった。舟の前後に二人の船頭さんが着いて、川に乗り出す。ところがこの日は、たまたま晴天が続いて、川の水かさが非常に低い日だったので、川中の難所といわれるところも難なく通り過ぎて・・・それどころか、ときどき舟底を川中の岩や石にガリガリこすりながら、進んでいった。しかし、川の中で、やはり川幅が狭まっているところは、流れも速くて、かじ取りも大変なようだった。

長瀞駅前のライン下りの難所といえば、この程度で済んだ。
長瀞で乗ったライン下りの様子のビデオ


 そんな調子で、これといったことも起きずに、20分くらいで、入江のようなところに到着して、束の間の舟旅が終わった。それにしてもこの舟、どうやって再びあの上流に戻すのかと思っていたら、クレーンを積んだトラックが待っていた。それで4隻を一度に積み重ねて、また元の場所に運ぶのだそうで、疑問は氷解した。しかし、こういう車やクレーンがなかった時代はというと、6人の船頭が、ロープで舟を引っ張って、川を遡っていったという。その時代は、1日に2往復しかできなかったらしい。

荒川は、とても静かだった。右手に見える皆さんは、川沿いのオートキャンプ場のキャンパーたちらしい。


 さてそれで、再び長瀞駅に戻ってみると、ちょうど急行が出るところで、方向も確かめずにともかくそれに飛び乗った。その急行は、寄居に停車するというので、東武東上線で帰ることにした。いずれも接続がうまくいって、我が家には、午後6時半頃に帰ることができた。いやはや、いささか遊びすぎた1日だった。今回の旅行の一つの目的である写真の技術については、花や昆虫はまあ、自信がついたけれども、走る電車などは、まだまだ練習しなければと思った次第である。




(平成21年9月19日著)
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