悠々人生のエッセイ、浅草三社祭りの宮出し







  俺っち、江戸っ子でぇーぃ!
 
  義理と人情とやせ我慢だよーっ!
 
  粋といなせと気っぷの良さが自慢だ!
 
  だから神輿も豪華絢爛なのさ。あらよっと
 
  さあ、俺っちの祭りを見てくんねぇ!
 
  おい!そこの唐変木!どいた!どいた!
 





 今日は浅草の三社祭りの最終日である。午後はテニスの予定がある日であったが、これは見逃せないとばかりに、その宮出しを見物に行ったのである。宮出しは午前6時に始まり、午後8時に宮入りとなる。その間、御神輿が町内を威勢良く回り、祭りは最高潮となるのである。三社祭りをはじめとする東京のお祭りでは、掛け声が「セイヤッ!、セイャッ!」となり、地方のお祭りの「ワッショイ!、ワッショイ!」とは異なる。初めて上京した頃にこの掛け声を聞いたときには、「妙な方言だな」と思った記憶があるが、それはそれ、住めば都というか、すっかり慣れてしまうと、これ以外の掛け声がインチキとすら思えてしまうところが怖い。

 とまあ、そういうわけで、この日も朝早く、浅草寺に出かけた。ところが、前夜は古河庭園で撮った薔薇の写真を整理していたために就寝が遅くなった分、ちょっと寝坊をしてしまった。起きたのが午前8時を回っていて、それでいて家内が急ごしらえで準備してくれたお握りを口に放り込み、家からタクシーに乗ったのが、8時10分を過ぎていた。それで、雷門の前に着いたのが、午前8時30分だった。ちょうど、浅草寺の境内を三基の御神輿が練り歩き、そのうち一基が雷門から出てくる時刻である。そうすると、タクシーを降りるなり、御神輿が時間通りに出てきてしまったではないか・・・あの大雑把な担ぎ方からすると、本当に意外なほど、時間に正確なものなんだ・・・。

 タクシーの中でアングルを考えていた。できれば反対車線に降りて、超望遠レンズで御神輿を捉え、背景が雷門ならちょうど良いなと思っていた。そこで、タクシーの中で標準レンズを超望遠レンズに換装して準備していたのに、いざタクシーを降りてみると、反対車線どころか雷門のすぐ前である。しかも間の悪いことに、御神輿がちょうど門から出てきたばかりの時だったので、背景が雷門どころではない。あわてて御神輿にカメラを向けると、超望遠レンズの悲しさで、御神輿が超アップに写ってしまう。いやはや、うまくいかないものである。

浅草の三社祭りの雷門前の「雷門囃子連」


 ところで、雷門のすぐ脇に、浅草の芸者衆であろうか、お揃いの和服を着た綺麗どころが乗っている「雷門囃子連」という山車がいた。私はたまたまその後ろから御神輿の写真を撮ったのだが、さすがに本職だけあって、笛や太鼓の音色がすばらしくて、思わず聞き惚れてしまった。また、中のひとりの芸者さんが来ていた帯に、江戸の火消しの粋な絵柄が書いてあって、これにもついつい見とれていたのである。さすがに浅草、長く繁栄した歴史と文化の重みが違うという気がした。ちなみに、そのときは、お姉さん方のお顔は見えなかったので、念のため。

「雷門囃子連」の芸者さんが来ていた帯にあった江戸の火消しの絵


 それで、雷門を出て出発した御神輿を追い、しばらくついて回った。途中で、楽しげな担ぎ手さん・・・いやいや、氏子さんたち・・・の奮闘ぶりを見て、私ももう少し若かったら、この人並みの渦に加わりたいと思ったほどである。ただ、御神輿を担ぐのはとても大変なことなので、私なんかがそれに加わったら、たちまち何箇所か骨折しそうなくらいに、激しいものである。これは生半可な気持ちではとても出来ないことだ・・・それなりの覚悟がいるらしい。ちなみに、御神輿担ぐのは神様への感謝の意とされているという。

雷門を出て出発した御神輿


 途中でいただいたパンフレットによると、このお祭りには、こういういわれがある。「浅草寺縁起によると、今から1380年程の昔、隅田川で漁労に精を出していた檜前浜成と竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が漁網の中から一像を持ち帰り、土地の文化人である土師真仲知(はじのまつち)に一見を請うた処、土師はこれは尊い聖観音像であり、自分も帰依する所の深い仏像であると二人の者にその功徳を諄々と説き、自邸に堂舎を構えて寺とし、三人共々厚く聖観音像をお祀りするようになったという。これが浅草寺の起源であり、後世この三人が浅草の開拓者として三社大権現の尊称を奉られ祭祀されるようになった」ということらしい。これが起こりということであるが、「その大祭の神輿渡御は江戸第一の荒祭りとして浅草人の血を沸かせ、その賑わいは府下随一として全国に喧伝された」とのこと。

 14日には、恒例大行列(びんざさら舞、くみ踊りなど)
 15日には、町内神輿連合渡御(約100基観音堂裏順次発進)
 16日には、本社神輿の宮出しと宮入り

 ということであるが、私が一昨年に見に行ったのは、二日目の町内神輿連合渡御だったようだ。今年は、最終日の本社神輿の宮出しだから、まだまだ見ていない行事がたくさんある。これをすべて見て回ると、いやはや退職後はとても忙しいことになりそうだ。

御神輿が建設中の東京スカイツリーを背景に進む


 出発した御神輿を追って行くと、雷門の前の道を行き、そして左へ曲がり、また左へと曲がって、浅草橋のところへと差しかかった。進行方向の右手をふと見ると、そこには、アサヒビールのジョッキビルと金斗雲との横に、只今建設中の東京スカイツリーが見えるではないか。目標634メートルに対して、340メートルまで来ているらしいから、やっと半分が過ぎたばかりである。あと1年もすれば、スカイツリーの展望台から、この三社祭りが見られるかもしれない。

アサヒビールのジョッキビルと金ト雲の横に、只今建設中の東京スカイツリーが見える


雷門前の交差点に面する形で演奏する「葛西囃子」の皆さん


 この担ぎ手たちは、雷門東部の町内さんたちである。きっかり40分で、雷門の前に戻り、そこで「無事に終わった! 次の町内にお任せします」ということで、三々七拍子をもって、次に控えていた雷門中部に御神輿を譲ったのである。そうすると、ワーッという掛け声とともに次の担ぎ手さんたちが殺到して、何が何だかわからない状態に陥ったが、どうにか混乱は日本的に収まり、新たな担ぎ手による御神輿が出発した。こんな調子で、それこそ100近い町会が順番に担いでいくのだそうだ。

帰り途に雷門から仲見世をちょっと覗く


 この雷門前の交差点には、交差点に面する形で「葛西囃子」という皆さんが、良い御囃子の音を響かせていた。なお、帰り途に雷門から仲見世をちょっと覗くと、朝も早いというのに、もう大勢の見物客でごった返していた。ところで、今回、私が見物したのは、三社祭全体の10分の1程度である。来年以降は、いますこし時間の余裕をとって、もっと他の行事も見てみたいものである。



(平成22年5月16日著)
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