悠々人生のエッセイ



平泉への旅の写真




 いつものように、ふと思い立って、家内と二人で平泉へ行き、中尊寺と毛越寺を訪ねた。私は学生時代以来だからそれこそ40年ぶり、家内は初めてである。行くのは簡単で、東京から東北新幹線で一ノ関駅に行き、そこからJR東北本線に乗り換えると二つ目の駅がもう平泉である。午前9時16分に東京を出れば昼前の11時44分に到着する。たった2時間半なので、自宅から3時間で着いてしまう。ここが東北の奥地とは思えない。都内の日原鍾乳洞へ行く方がもっと時間がかかるくらいである。平泉でタクシーの運転手さんにそういう話をすると、「そうなんです。首都圏からは日帰りで来られるんですよ」というわけだ。新幹線などなかった私の大学時代には、6〜7時間もかかってやっと仙台に到着し、そこで泊まってからさあこれからもっと山の中に分け入ろうかという感覚だったから、変われば変わるものである。

 平泉駅前には、世界遺産に登録を申請中という横断幕が掲げられていて、強い意気込みを感じられる。しかし、残念なことに、つい最近、登録延期の勧告を受けたようだ。それはともかく、駅前は非常によく整備されているし、それだけでなく、何とまあ、毛越寺の脇にある小学校は、日本風の実にモダンな建物となっている。これをタクシーの運転手さんにいうと、「世界遺産に登録を申請するというので、頑張って木造だった小学校をあんな形にしたり、駅前や道路を整備したんですわ」とのこと。それを聞いて、やや複雑な感じがした。現に住んでおられる住民の方には申し訳ないが、むしろ、昔の佇まいそのものの方が、世界遺産の指定地域らしくてよかったのではなかろうか。

 ともあれ、「もうお昼近くだから、どこかで食事をしなくては」と駅前であたりを見渡したところ、「芭蕉館」という蕎麦屋が目に入った。メニューを見ると、まあまあ、まともな蕎麦屋さんらしい。というのは、私はこれまでの経験からして、駅前の食堂については、「駅に近いほど不味い」という法則があると信じているからである。なぜなら、駅前に位置しているお店だと、労せずしてお客が入るものだから、味はいい加減になりやすく、概して不味いのである。親子丼なぞを食べてみたらすぐわかる。これに対して駅から離れれば離れるほど、味で勝負しなければ客は来ないから、それなりに向上心をもって研鑽に励むので、その結果として、駅から遠い店は、それなりに食べられる味となるというわけである。

 だから、こんな駅前にたったひとつあるような食堂は、もうどうしようもないような味かもしれないと、先入観が働いたのである。ところが、この芭蕉館、わんこ蕎麦があるらしい。写真で見れば本格派のようだし、店内に入ったところ、現にそれを注文しているお客さんばかりである。それがまた、たくさんの薬味とともに、上下二段各12個、つまり24個のわんこが付いているという面白い蕎麦である。よしよし、これにしようと注文した。ほどなく持ってきてくれたわんこ蕎麦の大群を見て、まずは感激し、次いでそれを食べてみて、その美味しさに感動した。なかでも蕎麦汁は秀逸で、とても控え目な味ながら、わんこの冷たいお蕎麦がそれを通してツルツルと喉に通って行く。家内が食べきれないというので、少しお助けしたから、32椀も食べてしまった。

芭蕉館、わんこ蕎麦


 その際いただいた冊子によると「まずお客様の前には、鮪の山かけ、なめこおろし、筋子、鰹節、のり、ねぎ等の数々のお薬味が出されます。別の盆の『わんこ』に盛られた『おそば』を、素早くお手許の秀衡椀に移し入れ、お好みに従って薬味を交互に加え、一口に食べるのがコツです。一セット二十四杯を興味深く召し上がれます。それに地方産の、香のものも色沢香気を添え、これで豪華と素朴、しかも五味満点の、平泉わんこそばの郷悠の味覚は、得難いものと、どなた様もこの道の通になられましょう」とある。ははあ、なるほどなるほど、このわんこの器は秀衡椀というのか・・・その一杯をひとくちでねぇ・・・落語で蕎麦をツルツルと食べる場面を思い出して試みてみたが、どうも音を出しつつ噛まないで食べるのは性に合わなくて、それは断念した。しかし、冷たくて素朴な味の蕎麦と、口の中で色々な薬味とが相互に混ざって複雑な味となるのは確かである。この冊子のいうとおり、本当に美味しく食べることが出来た。これで、2800円というのは、納得できる値段である。ちなみに、芭蕉館のHPによれば、「わんこ」とは、「手打ちそばの切りたてを、ゆで揚げたものが、少時の間にのびて、風味を減ずることを惜しんで、一時に大器に盛り入れず、小さい椀に盛り、食べるにしたがって盛り替えする仕方であり、それに使用する椀を、地方の方言の呼び名で、残されたもの」だという

 この店の入口に、女主人と思しき白髪の品の良い方が座っておられたので、「これはお宅の発案ですか」と聞いたところ、「もともと地元には、わんこ蕎麦というものがありましたけれど、それは、ただ椀を重ねるというような食べ方だったんです。ところが、50年ほど前に、中尊寺のお坊さんがこのような形を考え出されたので、それ以来こうして出させてもらってます」という答えだった。ふううむ・・・。ほかにこの種のわんこ蕎麦を出す店があるかと訪ねると、「もうひとつ、国道4号線沿いに、甥っ子が店を出していまして、ここと併せてその二軒だけです」とのこと。たまたま見つけたものだが、これは、我ながら良い店を選んだものである。自信を持って、お勧めしたい。

中尊寺の蓮


 その蕎麦屋さんを出て、タクシーで中尊寺に向かった。気温が30度以上のこの暑い中を、月見坂をだらだらと歩いて登るというのはたまらないので、裏手の道を車で一気に登ってもらい、宝物を収納している讃衡蔵(さんこうぞう)の裏に着いた。まずそこで、中尊寺の蓮の花が目に入った。花弁のピンク色が美しく、目に焼きつくようである。傍に、この花をめぐるエピソードが書かれていた。

 それは、昭和25年に行われた奥州藤原氏の遺体調査の際、四代泰衡の首級が収められた首桶から100粒の蓮の種が見つかったことに始まる。これをかの大賀一郎博士の弟子である長嶋時子さんが育てたところ、平成10年に一輪の花を咲かせたと書いてあった。つまり、800年ぶりに咲いた花だというのである。なるほど、弥生以前の2000年以上も前のものと判明した大賀蓮には及ばないものの、それでも平安時代から現代まで眠っていた実から発芽し、開花するということも、実際にあるのである。蓮の生命力を示す話ではないか。

 ところで、中尊寺は、天台宗東北大本山といい、嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開いたお寺である。奥州藤原氏とりわけ初代清衡の庇護の下で、前九年の役と後三年の役の戦死者を弔い、仏国土(仏の教えを元にした平和な理想的な社会)を建設するという趣旨の下に、数々の堂塔が造られたらしい。ところが、14世紀になって多くの堂塔が焼失した。それでも、昔をしのばせる金色堂など数々の文化財が今なお伝えられているという。私にとって金色堂は、まさに40年ぶりの見学となったが、豪華な金箔の内装や阿弥陀如来のお姿は、昔この地に来たときとまったく同じで、私の記憶通りであった。この貴重な文化財は、しっかりと守られてきていることを確認できて、うれしくなる。隣の讃衡蔵(さんこうぞう)へ立ち寄ったが、ここについては、実はあまり覚えていない。もっとも、こちらにはさほど記憶に残るような文化財がないのも事実である。やはり中尊寺は、金色堂に始まって、金色堂に終わるようだ。残念ながら、内部で写真を撮ることが許されていないので、その写真はない。

中尊寺地蔵堂のお地蔵様


 はっきり言ってしまえば、金色堂の印象があまりにも強烈であるがゆえに、それ以外の中尊寺の文物で、後々の記憶に残っているようなものは、あまりないのである。しかし、今回、我ながら齢をとったせいか、境内のあちらこちらに静かに佇むお地蔵様のお姿に、なかなか感ずるものがあった。もとよりお地蔵様は、餓鬼道の能化(のうけ・仏菩薩)で、各種のご利益があり、とりわけその手に持つ宝球は如意の球といわれ、願い事は何でもかなえられるということだそうな・・・だから、昔から庶民によって信仰されてきたのである。とりわけ、地蔵堂のお地蔵様が誠に儚げ(はかなげ)で、それでいて衆生全体を優しく包み込んでくれそうな、誠に良いお顔をされている。

松尾芭蕉の銅像


 境内には、松尾芭蕉の銅像が建てられている。まだ真新しいものである。その脇に句碑があり、「五月雨の降り残してや光堂」とある。そういえば、この寺の近くの高館という地で、芭蕉は「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだそうで、それと対をなしている句碑だといっていた。ところでこの芭蕉の銅像は、とてもリアルな表情をしていて、近くの八百屋のおじさんにそっくりなのには、びっくりした。

毛越寺大泉が池の池中立石


 中尊寺を出て、タクシーで毛越寺(もうつうじ)に向かう。毛越寺は、奥州藤原氏の基衡、秀衡の親子により建立された浄土式庭園を有する大寺院であったが、藤原氏の滅亡後にまず伽藍が焼失し、近世までに往時の堂塔すべてが焼失したという。行ってみると、本尊薬師如来と日光・月光両菩薩のある本堂以外には、広大な大泉が池(浄土式庭園)が広がっている。その周囲を巡ると、南大門跡、講堂跡、金堂円隆寺跡などと書いてあって、要するにお寺としての主要な建物は何もないのである。ああ、これでは私も40年前に来たときの記憶がないわけだと思った。

毛越寺大泉が池の州浜


 ただ、それでもこの40年間、無駄に過ごしたわけではないという証拠に、池の中の出島石組や池中立石の佇まいに惹かれるものがあり、それを眺めていると、不思議に心が落ち着いてきたことである。昔なら、「何だ!単なる石じゃないか」などと思って無視したことだろう。そのほか、池の中に突き出している州浜は、とても優美な形をしていて、これにも感じ入った。

毛越寺の鑓水(やりみず)


 近年、発掘が行われて、鑓水(やりみず)が見つかったらしい。これは、つまり山水を池に取り入れるための水路で、底には玉砂利を敷き詰め、蛇行する水路に石組を配したものであるが、復元されている姿をみると、なかなか美しいし、構造が良く考えられている。たとえば、水が一気に流れ込まないように、途中でさまざまな石の構造物を置いて、さりげなくうまく処置されているところなどは、心憎いばかりである。しかもこうした構造全体が、その池に流れ込む所に植えられた桔梗の花とよくマッチして、これまた非常に心安らぐ風景を作りだしている。

毛越寺大泉が池の龍頭舟


 おやおや、大泉が池に、不思議な形をした舟が二艘、浮かんでいる。龍の頭を先頭に付けているようだ。ははあ、もしかすると、これを使って曲水の宴などを催すのかもしれない。しかし、どうも私とは趣味の合わない顔をしている。まあ、ご愛嬌というところか。資料によると、これで管弦の楽を奏したという。今でも宮中の園遊会にお呼ばれをすると、池の近くに楽団がいて、雅楽を演奏している。それが、平安時代にはこのように、舟に乗っているというわけだ。プワー・ホワァーなどというのんびりした雅楽の調べが聞こえてきそうだ。

毛越寺のあやめ


 ところで、一番奥まった場所に、美しいあやめが数多く植えられていた。これが、駅の広告にあった毛越寺あやめ祭りらしい。説明を読むと、このあやめは、明治神宮から分けてもらったそうな。ああ、先月、私が写真を撮りに行ったあの花菖蒲と同じということか。道理で立派な花ばかりである。写真を撮っていたところ、大きな熊蜂が飛んできた。じっと見ていると、その大きな巨体で素早く花の中心部に潜り込み、すぐに出てきてまた別の花に飛びつくなど、いやはや、大忙しである。ははぁ、虫もここぞとばかりに頑張っているというわけだ。

ふくよかなお顔の地蔵菩薩


 引き続き大泉が池を回っているうちに、ふくよかなお顔の地蔵菩薩が鎮座しているのが見えた。じっくりとそのお顔を拝見していると、これまた心落ち着いてくるのを感じた。これが宗教の力というものかもしれない。引き続き大泉が池の周りの回遊を続けたところ、これが秋なら、紅葉がさぞかし美しかろうという並木道があった。そこを通って行くと、いつの間にか大泉が池を一周した。そこで、毛越寺を後にした。タクシーに来てもらい、そのまま一ノ関へと向かったのである。

三陸あわびうに飯


 一ノ関では、在来線の方に着いたので、そこからホームを渡って、反対側の新幹線の方へと歩いて行ったのであるが、その途中、在来線のホームの売店で、面白いお弁当を見つけた。その名も「三陸あわびうに飯」というのである。「ウニそぼろをぎっしり詰め、スライスしたあわびと肝を乗せた贅沢弁当」という触れ込みである。しかも、家内と私の分で、ちょうど二つあるではないか・・・これは、お弁当の方から我々を見つけてもらったようなものだと思い、さっそく買い求めた。新幹線の車中でそれを開けて、おいしくいただいたのであるが、海の味と香りが、口の中にパワーッと広がり、これまた美味しかったことは、いうまでもない。昼のわんこ蕎麦といい、夕食のお弁当といい、食に恵まれた一日であった。お寺を見に来ているのか。それとも食べに来たのか、よくわからなくなったが、まあそれで良いではないか・・・。花より団子、これぞ、悠々と過ごす人生の極意というべきものである。

三陸あわびうに飯




(平成22年7月 6日著)
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