悠々人生のエッセイ 東京湾クルーズ



マグロの解体ショー




 「クルーズ」といっても、竹芝桟橋から千葉そして横浜へと行く、わずか6時間ほどの船旅にすぎない。だからまあ、いささか恥ずかしい限りの「クルーズ」なのだけれど、それでも、ジャグリングあり、中国雑技あり、生演奏あり、そして極めつけのマグロを解体するショーまであるという盛りだくさんの内容である。元はといえば、家内がどこからか見つけてきたもので、東海汽船の「さるびあ丸」で東京湾の三都市間を三角形に航海するというのである。確かに、これら三つの都市を船でめぐるツアーなんて、いかにもありそうでいて、聞いたことがない。だから、興味が湧いた。珍しいもの好きの本能が揺さぶられたというわけである。その名も「東京湾エンターテイメント・クルージング」というらしい。

 そもそもこの「さるびあ丸」は、伊豆諸島航路や東京湾納涼船として使われているのだそうだが、この日だけは、東京湾内の大都市を結ぶデイ・クルージングを行うというのである。東海汽船のHPを見ても、これ以上の情報はない。だいたい、当日の出し物はもちろん、スケジュールすら載っていなかったから、妙といえば、妙なのである。そういうわけで、少し心に引っかかるものがあるままに、その当日になった。調べてもわからないのは仕方がないので、ともかく言い出しっぺの家内の後に付いていくことにした。そして、午前10時の出港直前に、竹芝桟橋からその「さるびあ丸」とやらに乗り込んだ。この時点では、まあちょっとお昼頃までの2時間くらいのものだろうと二人とも思っていたのだから、おめでたい。

「さるびあ丸」に乗船


 船の中で、乗客が歩き回ることのできる区域は、AデッキからEデッキまでで、このうちAデッキがいわゆる甲板階であり、ここに舞台や模擬店のたぐいを設けている。模擬店には、まるで神社の縁日のごとく大勢の人が群がっていて、賑やかである。そして、下の階たとえばBデッキでは島の写真展を開いているし、階段の横では似顔絵まで描いている。そうかと思うと、Dデッキに行くとリクライニング・シートがあって疲れればこちらで休むことができる。Eデッキでは平らなところがあって、何ならここでごろりと横たわってもよいというわけだ。乗船時に4000円の乗船料を支払うと500円分のチケットがもらえて、模擬店ではそれを使って買い物が出来る。まあ、そういう仕組みなのだが、食事をするようなときにはもちろんそれだけでは足らないので、現金を足すということになる。周りの乗客を見渡すと、家族連れ、それも小さなお子さん連れが多いし、我々のような年配のカップルも数多い。確かに、船だと歩き回る必要がないので、そういう方たちには好都合である。

出港直後に隅田川方面を振り返る


 この夏は、つい前日まで連日摂氏30度を超える猛暑日が続いて、夏を通してみるとそれがほとんど続け様に71日間もあったというひどい暑さだった。しかしこの日は、それがどうしたことか一転して気温が日中で22度と、10度近くも下がってしまった。加えて、何しろ短くとも航海だから、海上を走るとその分、海風が体に凍みて寒く感じる。それに空からはポツポツと雨が降ってきて、天候もよろしくないときている。航海には最悪の日だ。まさか船が沈むということはなかろうが、何かロクでもないことが起きるかもしれないという気がしないでもない。

大学生のDJ


 そんな私の嫌な予感を振り払うように、さるびあ丸はボボーッという軽やかな汽笛の音とともにゆっくりとその巨体を動かして、竹芝桟橋を離れた。埠頭では、船会社の係員たちが大きく手を振ってくれている。なるほど・・・色とりどりのテープが乱れ飛ぶというものではなかったが、胸が一瞬ジーンと来た。船出というのは、なかなか好いものである。船は、そのまま一路、レインボーブリッジの方向を目指して走り出した。さっそくAデッキの舞台では、大学生のDJの司会にあわせて、ジャグラーが出てきて、その華麗なピンさばきを見せてくれる・・・はずだったが、何しろ船の天井が低いものだから、ピンを高く放り上げることが出来ずに、それはすぐに終わって、代わりに一本の長い棒を2本の棒で操る演技に移った。まず、体の前の方でそれをやり、それから棒を背中から回して演技をし、ということで、集まった家族連れの子供たちを釘付けにしている。さすが、プロの腕前である。そのうち、ジャグラー氏は、小さな子供を舞台に上がるように呼びかけている。ははぁ、観客を参加させて、一緒に楽しんで貰おうという常套手段である。ところが呼びかけても、皆もじもじして埒があかないので、ジャグラー氏は、舞台から降りて、4歳くらいの男の子を連れてきた。そして、サッカーボールをぐるぐる回し始めた。その回っているボールを男の子に渡す。男の子は、しばらく持ちこたえたから、やんやの喝采を浴びた。

ジャグラーのお兄さんと観客の坊や


 ところがその演技のバックグラウンド・ミュージックとなっている軽快な音楽が突然、中断したと思ったら、黒い制帽をかぶり、金色のモールで縁どられた白い船服を着た船長さんらしき人物がマイクを持って現れた。そして、こう言うのである。「お客様の中に、お医者様又は看護師様はいらっしゃいませんか。急病人が出て、至急手当てをする必要があります」これを聞いた観客は、ざわざわとしているだけだったが、後ろの方から、いがぐり頭の男の人が手を挙げた。「医者です」といったような気がした。そして、船員さんたちに先導され、小走りで下の階に消えて行った。船の外を見ると、レインボーブリッジをさあこれからくぐろうかという位置である。舞台では、何事もなかったようにそのジャグラーさんの演技が再開され、船はそのままお台場の先の「船の科学館」のある位置まで進んでいた。しかし、そこで、ぐるりと大きく回頭して、たった今くぐったばかりのレインボーブリッジにまた向かっていくではないか。ははぁ、これはよほど容態が良くないと見える。

 しばしの時が経ち、船は竹芝桟橋の手前に着て、これから接岸しようとしていた。桟橋には、救急車が待機している。船はゆったりとした速度ながら大きく旋回し、接岸したとたん、ドドーンと大きな音がして、皆が一瞬にして横っ飛びに1メートルほど跳ね飛ばされた。いやはや、乱暴な操船である。よほど、あわてていたらしい。乗客の多くは、桟橋側から一斉に下を覗き込んだ。患者というよりは、船体が心配になったからである。すると、アナウンスがあって「大勢の方があまり桟橋側に寄ると船が傾くので、海側に寄ってください」とのこと。大きな船なのに、そんなに微妙な重量の調整が必要なのかと思う。そうこうしているうちに、患者の担架が運び出されて、救急車に搬送された。年配の男の人だったようだ。周りの人から、心臓麻痺!という声が上がった。本当なら、それは生死にかかわる重病である。これは大変だ。前日と比べて10度も低くなった気温のせいかもしれないし、あの冷たい海風が引き起こしたのかもしれない。それにしても、楽しかるべきクルーズに乗船してすぐ発病するとは、何とまあ、運のない人だったのだろう。早期の回復を祈るばかりである。私が出港時に「何かロクでもないことが起きるかもしれない」という気がしたのは、これだったのかと納得した。

途中で追い越した貨物船


 そんなことがあって再び船は出発したのだが、これでもう1時間は遅れてしまった。次は千葉の埠頭に行って何人かを乗せ、その次は横浜の大桟橋に立ち寄ってから、またこの竹芝桟橋に午後4時10分に戻ってくる予定というのだから、全員がこの調子ではその戻りが午後5時過ぎになるのは間違いないと思った。ところがその後、船は順調にというか、どんどん走り、先を行く貨物船などはすぐに追い抜く。そういう調子で竹芝桟橋に戻ってきたのは、何とわずか20分遅れの午後4時30分だった。今もって、どうやってあれほどの遅れを取り戻したのかはよくわからない。寄港時間を削ったにしても、40分間も出ないはずだし、航路についも、短縮する工夫の余地はなさそうだ。さるびあ丸の予定を聞くと、この日はいつも通り午後7時すぎから納涼船となるようだから、やはり、予定より早く走って戻ってきたというのが、正解のような気がする。船というのは、案外、融通無碍なんだ・・・。まあ、例えて言うとこれは、いつもの散歩の時はあっちへ寄ったりこっちを見たりしてトロトロと歩いている犬のポチが、いざとなったらちゃんと走ることが出来たからビックリしたというようなものかもしれない。

中国雑技の女性


 再び竹芝桟橋を出た後のAデッキの舞台に戻るが、ジャグラーの次は、男女二人の中国雑技である。女性は、すらりとした背の高い美人で、日本風に言うと、フラフープを扱う。まずひとつ、次に2つ、それから6〜7本を体全身を使ってぐるぐる回している。私が小学校の頃は、これがブームだったからこの技がいかに難しいかよく知っているが、最近の子供たちはもちろんその若い親もフラフープそのものを知らないようである。しかし、それでも、皆その演技を食い入るように見つめている。女性の体は胸とヒップが出ていて、腰がくびれているから、同じ直径のフラフープの動きは、どこの体の部分で回されているかによってそれぞれ異なる。ぐるぐる回るそのフラフープの数多くの輪を目で追って行くとなかなか面白くて魅力的だ。ちなみにこの演技している女性は、クラシック・バレーの素養もあるらしい。というのは、その両腕の使い方が、バレーの仕草のようで誠に優雅そのものであったからである。最後に、何十本ものフラフープを一気に回して力尽きたようになり、それでおしまいとなった。彼女の演技が終わってから思ったのだが、中国雑技には、フラフープというものはあったっけ・・・いささか怪しいところである。少なくとも、20年前に本場で見たときには絶対になかった。

中国雑技の男性


 そう思っていると、男性の演技者が出て来た。この人は、京劇か何かで見た仮面の早変わりを演じていた。つまり、一瞬にして、被っている仮面が、赤色になったり青色になったりする、あの中国特有の芸である。確か十数年前に中国に行ったときには、これはとある地方の秘中の中の秘伝だと聞いたように記憶しているが、今やこうして遠く日本の、しかもこんなしがないクルーズ船内で演じられるようになっているとは思わなかった。小さな子供たちの中には、それを見てびっくりして泣き出してしまう子もいたので、よほど怖かったとみえる。このパフォーマーは、後の演技で、例の壺芸つまり重い壺を頭で扱う芸も演じていたから、なかなかの芸達者である。これこそ中国雑技だと、感心してしまった。

マグロの解体ショー


 急患のために予定が狂ってお昼時間をかなり過ぎてから、マグロの解体ショーが始まった。本日のメイン・イベントである。「三崎市朝市協同組合」とある。舞台の背景に大漁旗などが所狭しと並べられて、雰囲気たっぷりである。その中のマグロの絵がかわいい。取り扱うのは、メバチマグロで、ざっと見て、1メートルはある大物だ。氷を敷き詰められた箱に入れられている。それを取り出し、まな板の上に乗せて、黒い法被を着た鉢巻き姿の若い衆が、黙々と切っていく。それを隣にいる組合の重鎮らしきおじさんが、解説をするという具合である。まず頭を切り落として、それからいわゆる三枚におろすというわけである。真ん中の中落ちと背骨を取り除いたところで、その若い衆とおじさんとが交代し、おじさんが自らしゃべりながら解説を加えていく。腹びれのところをちょっと切り落としたかと思うと、それを掲げて「ほら、これが大トロです。この一本から、たったこれだけしか取れないんですよ。だから、高くなってしまうんです」という名調子である。なるほど、わかり良い。それが20分ほどで終わり、それからその解体したマグロを有料で乗客に配ることになった。列を作って並んでいると、間の悪いことに船外の雨が猛烈になり、ついにそれがAデッキの我々に向かって横なぐりの風とともに吹き込んできた。いや、これはたまらないと、皆が逃げ惑う中、三崎港のおじさんたちは、さすが漁師らしく慣れた手つきで青いビニール・シートを開いている舷側に縛り付けた。そしてまた、配布を再開したのである。私もそれをいただいたが、いや、なるほどおいしかった。

解体されたマグロ


 船は、千葉港に着いた。それも、片側にはコンビナートの煙突からモクモクと蒸気が上がり、反対側にはサイロが立ち並ぶというような、狭い水路を通ってである。千葉港といっても、何もない、だだっ広い薄汚れたコンクリートの岸壁で、目立つものといえば右手にある高いガラスのタワーと、はるか左手にあるこれもガラスの建物のみという寂しさ。なるほど、これでは東京湾の三都市間を船でめぐるツアーというのが成立しないわけだ。地図で見ると、県庁所在地の千葉市役所がすぐそばだというのに、これは何としたことか。千葉県の港湾開発は、幕張がメインだったからかもしれない。

 それから横浜港に着くまで、外は雨で何も見えないし、寒いしで、我々はDデッキのリクライニング・シートで体を横たえて休んでいた。模擬店では、いろいろと売っていたので、それを買い込み、抱えて食べながらである。まあ、東京湾上の、カウチ・ポテト族というわけだ。それで満腹になった上に、船の心地よい揺れが加わってウトウトとしていたところ、「間もなく横浜です。降りる方は、Cデッキにお集まりください」という声が聞こえた。それで、起き上がってデッキに出てみたところ、船は横浜港の大桟橋に横付けするところだった。その反対側には、先日行った横浜ランドマークタワーのほか、レンガ倉庫街やぷかり桟橋が見えた。もし雨の日でなかったら、我々もここで降り、中華街に立ち寄って食事でもするところであるが、まあそれは止めて、このまま船中でリクライニング・シートに身を横たえ、船の動きの合わせてユラユラと揺れていることにした。そして次に目を開けたら、本日は三度目となる竹芝桟橋に着いていた。まあ、妙な一日であった。行く前は写真を撮ることも楽しみにしていたのであるが、残念ながらこの日は外は雨だったので、主に船内の舞台の様子しか撮ることが出来なかったのは、いささか心残りではある。

横浜港に着いて、すぐに出港







【備考】 ところでこの「東京湾エンターテイメント・クルージング」という企画、てっきり東海汽船が通常の商業ベースで行っているものと思っていたが、船内でもらったアンケート用紙には「首都圏の九都県市(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市、相模原市)では、首都圏の広域観光振興を目指し、東京湾における旅客船運航実験、広域周遊モデルコースの策定や旅行商品化の促進、首都圏観光キャンペーンの展開、など5つのプロジェクトを展開します。」とあって、この企画はその一環としての「東京湾での新たな船上エンターテイメント」であることがわかって、びっくりした。なるほど、だから東海汽船の案内がどこか他人事のようだったのかと、納得がいった。 




(平成22年9月26日著)
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