悠々人生のエッセイ



水元公園



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1.水元公園の紅葉楓

 都立の水元公園で、街路樹の「モミジバフウ」が紅葉を迎えていると聞いて、行ってみた。自宅から千代田線で金町駅に行き、そこから期間限定で走る循環バスに乗ると、30分もかからないうちに着いた。水元公園には以前、5月の菖蒲祭りのときに訪れて以来のことである。そのときの印象は、ともかくただっ広い水面が広がっている宏大な公園というものであった。私たちは、普段からせせこましい都心に暮らしている身であるから、そこはまるで異次元に属する空間のようであった。

モミジバフウの落ち葉


 ところで、そもそも「モミジバフウ」って、何だろうと思い、ウィキで調べたところでは、「モミジバフウ(和名:紅葉楓)というのは、マンサク科フウ属の落葉高木で、別名をアメリカフウという」とのこと。これを読むまでは、これはてっきり「モミジ」の「葉」「風」に違いないと思い込んでいたから、「フウ」というのは「楓」と知って、びっくりした。しかもそれは「カエデ」かと思ったら、それもまた間違った思い込みで、確かに似ているけれども、カエデは例のとおり、翼の付いた種をつけるのに対し、こちらの実はイガの付いた球形のものだから、それを見たらすぐに違いがわかるというので、また驚いた。そういわれてよくよく木を眺めてみたところ、なるほど、こちらの木には、ピンポンボールくらいの大きさで、イガイガのある小さな丸い実が成っていた。

モミジバフウの葉と実


 この公園の水面は細長くてどこまでも続いている。地図を見ると、こちら側は東京都葛飾区だが、向こう岸は埼玉県三郷市である。同じような公園が向こう岸にも広がっているけれども、あちらは「みさと公園」というらしい。こちらから見ると、ちょうど光がそちらの方に当たっており、写真を撮りやすい位置と時間帯だったといえる。いやまあ、それにしてもだだっ広い。見渡す限りが水面で、そのはるか向こうに木々と公園の緑が少しだけ見えるとでも描写した方がわかりやすいかもしれない。聞くところによると、江戸時代からこの辺りは治水のポイントで、徳川将軍吉宗の時代に人工的にこうした「水溜り」が作られたというのである。確かに現代でも、現在の荒川放水路の近辺がもし水害に遭ったりすると、東京の都心まで一気に水没すると聞いているから、そうなのかもしれない。

モミジバフウの木


 水面では、釣りが許されているようで、多くの釣り人が思い思いに竿を垂れていたが、不思議なことに釣れた人はひとりも見かけなかった。そんな水面に沿ってどんどん歩き、ようやく水元大橋というところに付いて地図を見たら、まだ全体の4分の1程度まで来たに過ぎないことがわかって、改めて公園の大きさを感じた。こんな調子では一周するのに日が暮れてしまう。

 そこで近くの「涼亭」というところに入り、二人で天ざるを注文した。しばらく待った後に出てきた天ざるは、けっこうおいしかった。食べ終わって店を出たところ、お目当ての「モミジバフウ」が、その辺りからずっと先の駐車場にかけて植えられていた。いやいや、なるほどこれは美しい。真っ赤なもの、黄色いもの、まだ緑色のものが混在し、それらが日光を浴びてキラキラ輝くほどに綺麗だ。その様子を写真に納めていったが、もう少し空が晴れていて、空の青色が紅葉の対比色として効いていたら、もっと素晴らしい写真になったかもしれない。まあ、欲を言っては限りがないので、今年はこんなところで満足すべきだろう。ひとしきり写真を撮ったので、そろそろ水元公園から引き上げることにした。バスに乗ったか、10分もかからないうちに、JR金町駅に着いた。そこからバスを乗り換えて、柴又帝釈天に向かったのである。

ベンチには先客の鳩がいた



2.柴又帝釈天の散歩

寅さんシリーズの舞台となった「高木屋」


 柴又帝釈天に着いた。バスから降りると、柴又駅から帝釈天に向かう参道の中途から入る形になる。すると目の前には、松竹映画の寅さんシリーズの舞台となった「高木屋」があるではないか。店内から白い割烹着を着たサクラさんが出てきそうな趣である。それでは、ここで草餅でも食べようかと、二人で店内に入った。あるある、寅さんシリーズの映画の記念写真がたくさん・・・。そのほとんどの写真がセピア色に干からびてしまっているが、中には数枚ほどカラー写真があって、マドンナをはじめとして出演者一同がニコニコしながら写っている。私は、ほんの2〜3の作品しか見ていないが、この写真には第45作目とある。調べてみると1992年のもので、「男はつらいよ 寅次郎の青春(風吹ジュン, 後藤久美子 宮崎県[油津]、岐阜県[下呂温泉) 」とある。特別編を除けば第48作まで作られたというから、たいしたものだ。店内には、若いときの山田洋次監督の写真があった。

第45作目の写真


 運ばれてきたお団子は、私はみたらし、あんこ付きの草団子、それに海苔付きの団子という三本組で、家内は草団子のかたまりである。食してみると、なかなか美味しい。私はあまり甘すぎるものは敬遠しているが、このお団子の甘さは控えめであるし、それに柔らかすぎず固すぎずで、団子の鉄則を守っているところが誠にいじらしい。周りには、おばさんの団体、夫婦子供連れ、カップなど様々であるが、食べている人たちは、皆、ニコニコしていて、幸せそうである。これぞ、庶民のささやかな幸福で、我々もその恩恵にあずかっているというわけだ。

「高木屋」のお団子二皿


 その高木屋を出て参道に戻り、帝釈天に向かう人並みの流れに再び身を任せる。菊の季節とあって大菊が三本セットで各お店の店先や脇に置かれていて、なかなか美しい。ああ、せんべい屋の店先にある丸いガラスの容器がとっても懐かしい。私の小学生の頃の近くの駄菓子屋は、まさにこれで売っていたものだった。そうかと思うと、その近くには漬け物屋があって、店頭で漬け物のキュウリにスティックを刺し、ちょうどウィンナー・ソーセージのようにして売っている。こんなもの誰が食べるのかと思うところだが、案に相違してこれが一番人気らしくて、老若男女だけでなく子供の人だかりも出来ていたから、人間の趣向というのは、わからないものだ。

せんべい屋の店先にある丸いガラスの容器


 今月は11月ということで、あちこちに七五三の晴れ着を身につけた子供さんたちがいて、華やかである。確か男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳だったと記憶しているが、来ている子をざっと見たところ、七歳らしき子はたったひとりしか見かけなかったが、五歳が3〜4人、三歳が7〜8人ほどいた。親も、子供が大きくなると、忘れてしまうのか、それとも面倒くさくなるのか、晴れ着を着させてお祝いするということをしなくなるようだ。先月は10月ということで、近くの八百屋の店頭にすらハローウィンのかぼちゃが出現する時代だというのに、日本古来の古き良き慣習というのも、かくして廃れていく運命なのかもしれない。

七五三の晴れ着を身につけた子供さん


 さて、柴又・帝釈天・題経寺の二天門が見えてきた。ネットで調べたら、初層左右に四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置しているから、この名が付いているようだ。それをくぐると、おなじみの帝釈堂が目の前にある。ちなみに、残りの四天王すなわち持国天と多聞天(毘沙門天)は、こちらの内殿に安置されているそうだ。その帝釈堂でお参りをすませた後、大庭園(邃渓園・すいけいえん)を見学させていただけるというので、そちらに足を向けた。こちらは、昭和10年に完工した総檜造りの大客間前の庭園である。その大客間の中を見ると、畳敷きの客間の天井からシャンデリアがぶら下がっているなど、何か不思議な気がしてくる。その奥の部屋には、例の力強い筆跡で「南無妙法蓮華経」の掛け軸が掛かっている。ああ、こちらは日蓮宗なのだと改めて思った。

帝釈堂前の雑踏


 大庭園には、廊下から三方を見渡せる小部屋がつきだしていて、そこに座ってガラス越しにお庭を眺めることができる。丸く綺麗に刈り込まれた松の木が美しい。ただ、この季節は、日の光を受けて輝く紅葉を庭の裏手に回って見るのがよろしいようだ。何枚かの写真を撮ってみたが、真っ赤な紅葉と黒い木の枝が思わぬ対比を見せて、実に美しい。この時期ならではの景観である。また、大客間からはよく見えなかった庭の池の水が、裏手からはよく見える。日本家屋と庭園と池の水とが一体となって、これも素晴らしい景色を紡ぎ出している。

大客間の庭園


大客間の庭園


 そこを退出した後、「彫刻ギャラリー」なるものがあるというので、軽い気持ちでそちらも見学させていただいたところ、素晴らしい彫刻群の数々に圧倒された。要するに建物の外壁に飾られた木彫りのレリーフで、法華経のハイライト・シーン・・・おっと、ついカタカナ英語を使ってしまうので、ここではふさわしくない・・・というか、その著名な場面を抜き出して彫刻にしたもので、大正11年から昭和9年にかけ著名な10人の彫刻師が分担して制作したという。描かれている場面としては、龍女成佛の図、法華経功徳の図、法師守護の図、病即消滅の図などである。

「彫刻ギャラリー」


 帝釈天を出て、また参道に戻り、来る途中で気になっていたお店、松屋の飴に立ち寄った。店内では、ご主人らしきおじさんが、細長い飴をハサミでチョキチョキ切っている。それも、手元を見ないで往来を行き来する通行人を身ながらの技である。素人がこんなことをやったら、飴の大きさがマチマチになるだけでなく、自分の指を切ってしまいそうである。最後の飴の大きさはどうなるのだろうと思って名人の手元を見ていると、ちょうどよい大きさの飴が切り出されて、終わった。さすが名人だけのことはある。私なら、中途半端な大きさとなってしまった挙げ句に、処理に困って自分の口にパクっと入れてしまいそうだ。ところで、何を買おうか・・・ニッキだのハッカだのというのは懐かしいが、一袋の単位で買うには大きすぎるし・・・と思っていると、五色飴というのがあったので、それを買った。家内は、実家へのおみやげだと言いつつ、きなこ飴というのを求めた。そちらの方も、なかなか美味しそうだ。

フーテンの寅さんの銅像


 松屋の店頭から離れて、参道を歩いて京成の柴又駅の方へとぶらぶら歩く。横切っている路を越えるとすぐその先に駅前広場があるが、その真ん中にフーテンの寅さんの銅像がある。頭にはあの帽子をかぶり、手には破れ鞄を提げている。顔はといえば、渥美清のあの下駄のような大きな顔である。「それを言っちゃあお仕舞いよ」というダミ声が今にも聞こえて来そうだ。



(平成22年11月13日著)
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