悠々人生のエッセイ



シロホシアカモエビ




 板橋熱帯環境植物館には、今年の2月末に初めて行ってみた。あれから9ヶ月経ち、その後どんなことになっているのだろうと思い、家内とともに再訪した。前回は、訪れた季節柄、いろいろなランの花が咲いていたが、それに比べれば今回はどうやら花の季節ではなかったようで、花よりはむしろ水槽の中の魚の方が見応えがあった。たとえば、シロホシアカモエビというのは、小型ながら赤い体に白い点がくっきりと入っていて、なかなか鮮やかで、かわいい。それに、体に縦横の格子模様が入っている魚「クダゴンベ」というのは、これまで見たことがない。

クダゴンベ


 タカアシガニは相変わらず手足を広げているだけだけれど、その他の脇役が面白い。特に、ユメカサゴだと思うが、この顔を正面から見ると、ヨソ者を心配げに見る田舎のおじさんのように見えてくるから、何かしら愉快さがこみ上げてきて、大いに笑えてくる。

ユメカサゴ


 それに、ハナミノカサゴという魚も、なかなかの役者である。体の回りにヒラヒラしたものを翻しながら、ゆったりと水中を移動している。こんな体で、果たしてエサが獲れるのかと思うのだけれど、以前テレビの番組で水中を撮していたときに、このハナミノカサゴが意外と俊敏な動きをすることを知った。人は・・・いや魚は、見かけによらないものである。

ハナミノカサゴ


 彩りがきらびやかな熱帯魚が泳ぐ水槽が現れた。白黒の縦縞とパレード先頭で旗を立てているようなハタタテダイ、体の後ろに大きな目のような模様のあるトゲ蝶々ウオ、黄色いキイロハギなどがいる。いずれも、熱帯魚の水槽の定番の魚である。ただ、小さいだけあってすばしこく、写真のピントがなかなか合わなかったり、シャッターを押したらもう目の前を通り抜けた後だったりして、写真を撮るにはなかなかの難物である。できれば、こちらに向かって来ている魚の眼にピントを合わせたいのだけれど、これが非常に難しい。

熱帯魚が泳ぐ水槽


 アジア・アロワナがいた。ちょっと生意気な感じのヒゲをはやし、流し目でこちらを見て、悠々と通り過ぎる。まるで悠々人生を地でいっているような古代魚である。あんな、しっぽのヒレもロクにない魚なのに、何を食べて生きているのかと常々不思議に思っていた。しかしあるとき、アマゾンの生物の様子を撮ったドキュメンタリー番組を見てその疑問は一気に氷解した。まさに百聞は一見にしかずということわざ通りである。つまり、何とこの魚は、水面に突き出ている枝の先にとまっている昆虫を狙って水中からジャンプし、見事それを咥えてまた水中に戻っていったのである。少なくとも水面から数十センチは飛んでいた。いやはや、俊敏なんていうものではない。電光石火のごとくエサに食らいついていたのである。普段の悠々とした泳ぎからは想像もできない出来事で、本当に驚いた。話は変わるが、その昔、東南アジアにいた頃、友達が釣りにいくというので、「何が釣れるの? 鯉かね?」と聞くと、「いやいや、アロワナだよ」と言われて、びっくりしたことがある。ともかくこの魚には、驚かされることばかりである。

アジア・アロワナ


 あった、あった。ジャック・フルーツ、現地名でパラミツである。これは、まだごく小さいものだが、現地では、数十センチのものが売られていた。いささか臭みがあるが、実を開けてみると、オレンジ色の小さな果実が綺麗に並んでいて、ジューシーでおいしい。現地のスーパーでは、この実がパックされて売っていたので、ときおり買っていた。

ジャック・フルーツ


 カカオの実は、春に見たものと同じかどうかはわからないが、もう黒ずんでいる。中を割ったものを見てみたい気がする。確か、赤い実で、これをローストするとコーヒーやココアになるらしい。木の幹に直接、生るというのも、私の知る限り、ほかの実にはない特徴である。

カカオの実


 次は、同じ実であるが、セイロンマンリョウの実で、成熟するにつれて白っぽいピンク、赤い色そして黒い色へと変わっていくらしい。いかにも鳥の食欲を誘い、鳥が好んで食べそうな実である。

セイロンマンリョウの実


 釣浮草(フクシア)の花があった。私の近所にもこの花の鉢を置いてある家々があるが、どの家のものも、その傘に当たる部分がピンクの釣浮草だった。それはそれで華やかで良いが、それに比べればこちらは白で、一転して清楚な感じを受ける。ところで、おそらくこの花が成熟したものだろうが、釣浮草の実が生っていた。まるで、アメリカのサクランボのような形をしていて、これまた面白い。

釣浮草(フクシア)の花と実


 二階には、喫茶室クレアというものがあり、休みながら、館内を見渡せる。ここでは、ナシゴレン、ココナツカレーなどを出してくれる。ナシゴレンというのは、ミー・スープと並んで、現地の庶民の食べ物で、要するに混ぜご飯をパームオイルで炒めた焼きめしである。ちょっと小さなエビを乗せたら出来上がりで、簡単に作ることができる。中華料理のチャーハンとはまた違って、あれほど油濃くなくて、もっとさっぱりとした味である。ちなみに、ミー・スープというのは、日本でいえばラーメンの類で、こちらも具次第で色んな種類がある。そんなものを家内と2人で食べて、しばし昔の思い出話をしたのである。

喫茶室クレア



喫茶室クレア見える全体像



 ウチにいたアマさん、つまりお手伝いさんは、40歳を過ぎた中国人の女性だったが、とても働き者であり、しかも知識の吸収に貪欲だった。家内が、天麩羅、巻き寿司、茶碗蒸し、焼き魚などの日本料理を教え込んだら、1年もしないうちに吸収していった。そうして、料理を任せられると思ったまではよかったのだが、そのうち、「私、辞めさせてもらいます」ということになり、こちらはせっかく料理を覚えたばかりなのにと落胆したものである。それで、どうするのかと思っていたら、その頃に進出してきた日本の建設会社の飯場に就職した。賄いおばさんになったというわけである。そのときの売り文句は、「私は、日本料理が出来ます」だったらしい。しかも、給料は私の家の倍になったというから、恐れ入った。まあ、これなら我が家が対抗できないわけだ。日本人のように忠誠心や世話になったという感覚は、どうやらないらしい。

 考えてみると、中国人とりわけこういう東南アジアで働いている華僑の人たちは、現地政府からは白い眼で見られ、ときには迫害され、加えて中国政府からは故郷を捨てた流れ者という冷たい扱いを受けている。だから、頼れるものとしては、親類縁者と出身地のつながりのほかは、自分の才覚だけである。それだけに、少しでも良い給料を求めてジョブ・ホッピングしていくのは、止められないし、止めるべきでもないと思う。そういうものとして、雇っていくしかないのである。現にこの女性、あの安い給料で、子息をアメリカの大学に留学させていて、せっせと仕送りをしていた。誠に感心な母親なのである。一度、一族郎党を引き連れて、我が家に来てくれたことがあるが、はてさて、今頃どうしているだろうか・・・まあ、こういうことを考えるのは、日本人くらいなのかもしれない。

 イギリス人による現地の人の使い方を見ていると、はるかにビジネス・ライクというか、上下関係をきっちりと仕分けるドライなものだった。それに対して日本人の現地の人との接し方は、我々も含めてウェットそのもので、とてもその足元には及ばない。まあ、ああでなければ、世界の7つの海にユニオン・ジャックをはためかせるということは、とても出来なかったに違いない。もう少しいえば、我々はアジア的村落共同体意識がまだ抜けきらない義理人情の世界に生きている。だから、アマさんを家族のように扱ってしまって、その挙げ句に我々のように簡単に裏切られる。それに対して、もともと狩猟社会であった民族は、個の確立と契約に基づく権利義務の意識が発達した上下関係の厳しいピラミッド社会に生きている。そのためには雇う側と雇われる側の区別、そして指揮命令関係というものを常に大事にする。外国での人の使い方ひとつをとってみても、こうした何世紀にもわたる社会構造の違いから来る意識の相違が、潜在的な影響を及ぼしているのではないかと思っている。




 板橋熱帯環境植物館の秋( 写 真 )は、こちらから。

 前回の板橋熱帯環境植物館(エッセイ)は、こちらから。

 前回の板橋熱帯環境植物館( 写 真 )は、こちらから。



(平成22年11月25日著)
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