zつ 悠々人生のエッセイ、財政危機と10年後の職業
悠々人生のエッセイ








 日本の財政は、毎年の国の歳出92兆円のうち、税収と税外収入が約半分の48兆円しかなく、残り44兆円については国債を発行してようやく賄っている。つまりは、非常に危うい状態にあるのである。その結果、国債の発行残高は、668兆円(平成23年度末)と、とてつもない額に積み上がって来てしまっている。これを一般家庭の一月分の家計にたとえると、月収が40万円なのに対して、支出は家計費が59万円(うち田舎への仕送りが14万円)、ローンの元金払いが18万円という状況で、不足分の37万円を借金に頼っているから、ローン残高が6,661万円にも達しているという有様になる(財務省試算)。

 もう少し数字を続けるが、国の歳出のうち、社会保障費は31%、地方交付税交付金は18%、文教科学振興費は6%、公共事業費は5%、防衛費も5%、その他が11%で、国債の債務償還と利払いが23%になる。しかもこのうち、28兆円と最も多い社会保障費は、毎年、1兆2,000億円もの自然増が見込まれるというのである。そうこうしているうちに、気が付いたら社会保障の重みに耐えかねて呻吟する国家になりかねない。いや、我々が気が付かないだけで、既にもうなっているのかもしれないのである。

 経済には門外漢の私でも、このような調子では、あと数年もせずに財政は行き詰まり、その前に日本国債の格付けが大きく引き下げられるのは、火を見るより明らかである。その結果、たまたま最近、欧州で大問題となっているギリシャ、スペイン、ポルトガルという財政破綻国家並みの大混乱に陥るのではないかと懸念している。ところが、現実に起こっていることは、これとは全く逆の現象なので、ただただ、びっくりするばかりだ。すなわち、近頃では日本円が国際的に評価されて、8月19日のニューヨーク外国為替市場では円相場が急騰し、一時1ドル=75円95銭と、戦後最高値をつけたのだから、私には何が何だかさっぱりわからない。

 その背景としては、世界経済への先行き不安がある。米国では米国債の償還問題で米議会とオバマ政権とがデフォルト覚悟のギリギリの攻防をみせた。このため米国債の格付けが1段階引き下げられ、しかも雇用情勢などの経済指標が非常に悪くなりつつある。そればかりか南欧の大借金国を救うか否かで独仏の二大国がはっきりとした態度をなかなか決めきれないうちにユーロ相場が混乱に陥った。そこで、ドルとユーロに嫌気がさした世界の投機資金が日本円の買いに向かったというわけらしい。何でもそうだが、こうして後講釈を受けると、なるほどそうだったのかと思うのだけれど、こういう話は、事件が起こる前に説明してくれないと意味がない。まあ所詮、経済の専門家といわれる人たちも、オツムのレベルは我々程度なのかもしれないと確認するくらいのことである。

 ところで、8月24日、米国の格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは、日本国債の格付けを上から3番目の「Aa2」から、一つ下の4番目となる「Aa3」へと引き下げたと発表した。ただし、格付けの見通しは、引き続き「安定的」としたようだ。その格下げの理由として同社は、「多額の財政赤字と政府債務の増加、頻繁に首相が交代する政治の不安定さが経済・財政改革を妨げており・・・震災と津波、福島第1原発事故が景気回復を遅らせ、デフレを悪化させた」と説明した。

 そんなことは、ムーディーズからわざわざ言われなくとも全くその通りである。小泉首相以降の自民党政権では、3代続けて毎年のように首相が代わった。一昨年ようやく民主党が政権交代を果たして、これで長続きするかと思ったのも束の間、初代の鳩山首相はわずか9ヵ月も持たないで退陣に追い込まれ、続く菅首相は辞めろコールの中、粘り腰を見せたが、それでも1年と3ヵ月も続かずに退陣表明をするに至った。その後釜には、本日時点で7人が立候補の構えをみせている。

 ところが問題だと思うのは、そのうち増税の可能性に言及している候補者は、野田佳彦・財務大臣のたった1人だけで、残りの6人はいずれも増税に否定的だということである。つまり、眼前に財政破綻という文字を突き付けられるまでは、責任もってこれに立ち向かおうという気概のある政治家がほとんどいないというわけだ。このままでは、国民も政治家も、かつての平成花見酒経済以来の太平楽な気分に、ついついボーっと浸り切ってしまって、いつまで経っても目が覚めないのではないかと暗澹たる気持ちになる。そういうことで、私としては、これからの日本の行く末が大いに気になるところである。

 いやいやこれは、日本経済だけでなく、我々日本人の一人一人の明日の糧が掛かっている問題なのである。早い話、私もあと数年すれば年金生活に入るだろうから、そのときの自分の懐具合が心配にならないといえば、嘘になる。私のように60歳の壁を通り越してしまうと、自分の年金の額は、今さらどうにもならないので、それはすべての公職から身を引いたときに、身の丈に合わせて考えることとしている。

 今はそれより、これから先、次々と迫り来る内外の敵に対し、日本人、とりわけ若者はこれからどう生きていくべきかを真剣に考えていく時に来ていると思う。内外の敵とは、一つには着々と迫りつつある財政破綻、二つには中国やインドなどの追い上げ、三つには少子高齢化社会、四つには長引く経済低迷、五つには否応なしに始まる経済のグローバル化である。

 これほど次々に難しい課題が降りかかって来る中で、これから社会に出る人は、生きていくためにどういう職業を選ぶべきだろうかと、私はついつい考え込んでしまう。もちろん、社会全体の視点からすれば、あらゆる職業に優秀な人材が配置されていくことが望ましいし、国家が最後まで国民の面倒をみてくれる福祉が充実した社会、そして家庭を構成する家族すべての幸福が実現されていることが理想である。しかし、昔の共産主義の世界観ではあるまいし、そんなことはあり得ない絵空事である。個人が必死になって生き抜く努力をしていない国家に明日という日があるわけはないし、昔からの良き伝統を捨て去って家族がバラバラになってしまっている乾いた砂のような社会の行く末にも未来はない。早い話、東京の私の住むマンションでも、30歳を過ぎてどうかすると40歳にもなるシングルの子供がたくさん滞留していて、男の子も女の子もちっとも家を出て行ってくれないと嘆く親の多いこと、多いこと・・・非正規社員なので収入が少ないから結婚しても妻子を養う力がなくて仕方なく親と同居している男の子、あるいは、もらった給料をすべて衣服や旅行に使うという独身生活をエンジョイしている女の子が、そういうパラサイト族の典型である。

 その前提として、昔はあった親からの「結婚しなさい」という陰に陽にかかる圧力、近所のおばさんで仲人が飯より好きな人、職場での身を固めろとの上司の言葉などが、今ではすっかり雲散霧消し、古き良き日本の社会が崩壊してしまったことがある。また、かつてのように、社会のあちこちでフツフツと煮えたぎるようになっていた高度経済成長の竈の火が夢幻のように消えてなくなり、社会の構造そのものがまったく変わってしまったことも、その違いの大きな要因であろう。まあしかし、そういう変化の是非を問うても、仕方がない。なってしまったものは、なってしまったのだ。そんなことより、これからの沈滞し停滞する社会、しかも財政危機に端を発する厳しい経済状況の中で、どういう職業なら、そこそこの収入を確保して安定した豊かな生活をすることが出来るのだろうか。

 そう思っていたら、東洋経済の今週号(2011.8.27)に、「10年後に食える仕事、食えない仕事」(渡邉正浩著)という記事が載っていたので、とても興味深く読んだ。結論からいうと、私の考えに近いところもある一方、そうでないところもあり、いささか出版界への身びいきが過ぎて分析が甘いのではないかと感じるところもある。それはともかく、この記事の秀逸な点は、2つの座標軸を提示しているところである。一つは、日本人としてのメリットを生かせるかどうか、2つは、知識集約的か技能集約的かである。それによって、4分類を行っている。
(なお、[ ]内の言葉は、原文ではわかりにくいので、私がネーミングし直したものである。)

 (1) グローカル [日本的専門職] 日本人としてのメリットを生かせて知識集約的であるもの。(医師、弁護士、コンサルタント、マーケティング、グローバル営業、人事、システムエンジニア、記者・編集者)

 (2) ジャパンプレミアム [世界的専門職] 日本人としてのメリットを生かせないが知識集約的であるもの。(経営者、CFO、ディーラー・トレーダー、メーカー基礎研究者、会計士、ファンドマネージャー、財務経理、パイロット)

 (3) 無国籍シングル [日本的技能職] 日本人としてのメリットを生かせて技能集約的であるもの。(メガバンク地域営業、住宅営業、美容師、スーパー技能職、保険セールス、料理人、看護師、ホテルマン)

 (4) 重力の世界 [未熟練労働職] 日本人としてのメリットを生かせなくて技能集約的であるもの。(プログラマー、メーカー汎用品開発者、介護サービス、御用聞き営業、コールセンター、タクシードライバー、レジ打ち、ウェーター)

 そして渡邉氏は言う。「現在の20代、30代は、好むと好まざるとにかかわらず、グローバル化を前提として10年後のキャリアを考える必要がある。結論からいえば、日本人の強みを生かさない手はない。日本にいると周りが日本人だらけなので認識できないが、強みとはあくまで相対的なものだ。その場合の比較対象は10億人単位で存在するインド人、中国人になる。」


 いや、私も全くその通りだと思う。ともかく、中国人とインド人の上昇志向と押しの強さ、そしてハングリー精神と個人主義の徹底は世界一である。あれだけ人口が多い中で周囲の凡人から頭ひとつ抜きん出るためには、仕方のないことなのだろう。私が東南アジアに住んでいたとき、1ドルでも高い給料を求めてジョブホッピングを繰り返す人たちをよく見てきた。家のメードは、皿を落として壊したのに、「私が落としたのではない。皿が勝手に落ちた」といって責任は否定する。サービス業なのに、笑顔のひとつもない。そういう海千山千の個人主義の人たちを相手に勝負するわけであるから、得てして万事に遠慮がちな日本人は、ただでさえ損をする立場に置かれる。

 私に言わせれば、普通の日本人は、もっと確固たる信念を持って自己主張し、自らの言い分を徹底的に相手に受け入れさせなければならないのである。「いや、そんなこと言ったって、和をもって貴しとなすという聖徳太子以来の日本の伝統に反する」とか、だいたい、学校教育からして出る釘を打つような教育をやっているのだから、そんなこと無理ですよ」という人もいる。確かに大多数の日本人には難しいかもしれないが、それでもたまには例外もいる。私が東大の大学院で教えていたとき、とても熱心な学生がいて、何でもガリガリと吸収しなければ収まらないという雰囲気なのである。おお、頼もしいなと思っていたら、卒業後はやっぱり、外資系コンサルタントに就職した。上の分類でいえば、(2)ジャパンプレミアム [世界的専門職]である。この分野で生きていくには、はっきり言って、日本人であることを捨てて、徹底的に世界の論理で戦うしかない。

 まあ、いずれにせよ、この(2)ジャパンプレミアム [世界的専門職]の類型になるには、高度な専門性と国際性が必要であるから、アメリカの大学に留学してMBAを取得しておくことが最低限の資格になるだろう。そして、朝から晩まで必死になって働く必要がある。経営陣になるにしても、日本企業のように年齢を重ねればトコロテン式に偉くなるというというものではなく、若い頃から選抜されて、上になればなるほど働かなければならない。その代り、欧米の企業のように、トップは何十億円という報酬を手にすることができる。この類型のディーラーやトレーダーも、四六時中、神経を研ぎ澄まして世界の金融や経済の動きを追い、たった一瞬で判断を下してそれが吉と出れば何億円もの報酬、凶と出ればお払い箱という厳しい世界である。図太い神経の人でなければ、持たないかもしれない。聞くところによると、最近は公認会計士がこの類型に入るらしい。というのは、会計基準がIFRS(国際財務報告基準)にとって代わられるからである。国際化のとばっちりである。

 順序は逆になったが、上記の分類のうち(1)グローカル [日本的専門職]の中でも一番のお勧めは、やはり医師と弁護士である。勤務医の年収は、中堅でも1500万円は上回るし、開業医になれば年収はおそらく2000〜3000万円くらいである。だからというわけでもないが、開業医でその子供を医学部に行かせる人も多い。私立大学医学部だと、家が一軒建つほどの高額の授業料を払ってまで医師にさせようというのだから、それだけ価値があるものと思われている。ただ、日本の財政がこれほど逼迫して来ると、いかに医師会が政治力を発揮したとしても、今の健康保険制度を支えきれなくなることは明らかである。そうなると、診療報酬の定額化と混合診療の解禁が行われることは不可避であろう。すると、お金持ちはたくさんお金を使って高度な最新治療を受け。そんな余裕のない人は、定型的な治療で我慢せよということに行きつく。その結果、優秀な自由診療技術を提供できない普通の医師の年収は、激減するのではなかろうか。しかし、そんなリスクはどの職業にもある。これは、腕に覚えのある人に限って、お勧めしたい職業である。

 医師と並んで(1)グローカル [日本的専門職]のもうひとつの雄となっている弁護士という職業である。日弁連の統計によると、収入が一番多いのが1000〜2000万円という層であるが、はっきり言って、いまや弁護士に、かつてのような高収入を期待することは出来なくなってきた。その大きな要因は、10年前の司法制度改革で、司法試験合格者の数が激増したからである。それまでの年間500人程度というレベルから、最近では2000人を上回るようになり、過当競争が起こっているのである。このため、かつては先輩弁護士の事務所に居候させてもらう「イソ弁」が基本で、これによって仕事を覚えていったものなのに、最近では軒先だけを借りて給料は出ない「ノキ弁」、自宅で携帯電話ひとつで仕事をせざるを得ない「タク弁」「ケータイ弁」というのも珍しくなくなった。そればかりか、登録をすると弁護士会費を払わなければならないから敢えて登録をしないという者まで現れ、昨年はその数が修習を終えた者の11%にものぼった。当然、弁護士の収入 も下がりつつあり、司法修習を終えて弁護士になったばかりの新人弁護士の給与は、かつては500〜600万円程度だったものが、最近では300万円くらいに落ち込んでいる。もっとも、東京の大手事務所で渉外関係や企業法務を扱うところは、新人にまだ1000万円を超す給与を提示しているが、これは最も恵まれた処遇である。ただし、その代り仕事はきつい。毎日午前2時・3時まで仕事をし、土日もなく働かなければならない。ワーク・ライフ・バランスが最悪といったところである。まあしかし、その激務に耐えられる体力と知力があるというのであれば、お勧めであることには、変わりがない。

 (1)グローカル [日本的専門職]の部類に入っている職業の中にコンサルタントがあるが、これはまあ、そうかもしれない。何しろ1プロジェクトで何億円も稼いで、さあ次とばかりに去っていく、まるで狩猟民族みたいな人たちだからだ。マーケティングやグローバル営業、人事もそう思う。特に、グローバル営業などは外国に住んでいてよくそういう日本人とご一緒させていただき、いやまあ、本当に押しが強くてめげないなと感心したことがある。システムエンジニアというのも、日本企業の仕事の流れや発想を熟知していないと出来ない仕事だから、プログラマーと違ってこれはそう簡単に中国人やインド人にとって代わられることはないだろう。それはともかくとして、記者・編集者を(1)グローカル [日本的専門職]に入れるのには、私には異論がある。これは確かに日本語に対する深い知識がなければならないが、そもそもインターネット時代で、誰でも情報の発信が出来るようになった。早い話、既存のマスコミの果たす役割が小さくなりつつあるのである。現にアメリカでは、新聞が次々に休刊してインターネットに移行しつつあり、その過程で記者の大規模リストラが進んでおり、記者の収入が激減している。ところが日本のマスコミはまだそういう憂き目には逢っていないが、あと5年もしないうちに、同様の道をたどるものと思われる。だから、あまりお勧めしたくない職業である。

 以上のような(1)グローカル [日本的専門職](2)ジャパンプレミアム [世界的専門職] が、大学院程度の学歴が必要であるのに対して、(3)無国籍シングル [日本的技術職]は、手に職を付けている職人の世界であるし、(4)重力の世界 [未熟練労働職]は、もろに中国人やインド人とぶつかる世界である。前者はともかく、後者の未来は暗い。もちろん、当初は外国人単純労働者の移民は厳しく抑制されるものの、そのうちそういう規制も日本的にあやふやで曖昧になっていき、いつしか撤廃されるだろう。すると、この種の外国人労働者が日本中にあふれて、こうした単純労働の職から日本人はどんどん追い出されるか、あるいは賃金が引き下げられる方向に働くことが、容易に推定できる。これに、日本の財政危機と時期が重なると、最悪の事態になりかねない。そうならないことを願うが、近頃の私の予感は、どうも当たってしまうことが多いから心配である。



(平成23年8月26日著)
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