悠々人生のエッセイ

新司法試験三振に負けず前を向いて歩こう

アメリカ梯梧




 私のエッセイ「新司法試験に三振して」を読んでいただいた方から、ある日、次のようなメールが送られてきた。

悠々人生の著者様

 突然のメール、失礼いたします。悠々人生のエッセイ「新司法試験に三振して」を読みメールさせていただきました。私も今年で三振となった者です。まだ勉強不足を感じていましたし、三振制度を前提に試験に参加してきましたので、不合格・三振という結果はしっかり受け止め、次のステップへ向けて動きだしていました。

 しかし、就業未経験の者が職を得ることは困難で、やっと漕ぎ着けた面接でも妙齢の女性であることから結婚や出産についての質問をされて、落ち込む日々です。すると、良くないと思いつつ、純粋未修からスタートして合格点数には数点足らないという地点まで辿り着いたのに、道が閉ざされた不条理さへの怒りが頭をもたげてきます。

 そんな中、エッセイを拝見し、三振した者へ送られたメールに励まされ、『前進』していきたいという気持ちはあるのですが、一方で『前進』することに心が追いつけてない状態です。このような心理状態から抜け出すにはどのようにすればよいのでしょうか。


 この何とも切なくなるメールを送ってきてくださった方に、私は、次のような返信をした。

 メールを拝見して、私も胸が痛くなりました。お気持ちは、よくわかります。実は私の身近にも、法科大学院で学んで修了し、司法試験を三回受け続け、やはり夢がかなわなくて、会社に就職した20歳台の女の子がいます。それからしばらく経つのに、「合格できなかったことが信じられない。あとわずかだったのに・・・結婚するなんて、イメージがわかない」と未だに申しております。被った心の痛みは、そんなに簡単になくなるものではないのです。ある程度の年月と、それに代わる新しい目標が必要でしょう。

 ただ、あなたの場合、未修から出発して、あと数点のところまで行ったということは、それはそれは素晴らしいことです。よく頑張ったものだと思います。今さら言っても仕方のないことですが、合格者が当初喧伝されていたように3000人台であれば、何の問題もなく今頃は修習にいそしんでおられる頃かと思うと、やりきれない思いがします。東日本大震災は天災なので仕方がないと諦めがつかないわけでもないですが、こちらは明らかに政策変更という人災ですから、本当に問題ですね。お怒りになりたい気持ちは、もっともなことです。よくわかります。

 ところで、私自身のことになりますが、実は同じような経験があります。高校生のとき、私は、「世界を相手に大きな仕事をしたい、そのためには東京大学に入ろう」と思って、田舎で頑張って勉強をしていました。何しろ田舎なものですから、受験についてお手本になる人がいないばかりか、そもそも何の情報もありません。今なら予備校なるものが手取り足取り教えてくれますが、田舎ではそれが出来始めたばかりですから通う機会もありませんでした。そうして現役のときに受けた受験で不合格となったのです。原因は数学の軌跡などの図形問題で、教科書のものとは明らかに違った問題が出て、手も足も出ませんでした。さすがに私も悄然として、どうしようかと悩みました。

 ここはひとつ、初志貫徹するために東京に出て予備校に通おうと決心し、さほど裕福でもなかった親に頼み込んで資金を出してもらい、上京しました。そして、東京の予備校に通い始めたのですが、その勉強内容を知ってびっくりしました。特に数学について、私のやってきた内容は明らかに違っていたのです。それで勉強し直したところ、わずか2〜3ヵ月でその種の問題が出来るようになりました。試験は、情報収集と対策が大事なんですね。それで、予備校の模試を受けたら、十分に合格ラインに入っていて、自信をもって受験期を迎えました。

 ところがどうしたことか、その当時、全国各地で暴力的学生運動が大荒れに荒れていました。そのため、東京大学、日本大学、中央大学など全国各地のあらゆる大学でキャンバスが学生に占拠されてしまいました。とりわけ東京大学の本郷キャンバスはひどく荒れて、安田講堂で機動隊と学生部隊が戦うなどして大学内が無法状態になり、年の初めに東京大学の入試は中止となってしまいました。1969年1月のことです。これは、政治決断ですから、仕方のないことですが、ひどく理不尽なことに思えましたね。そういうことで、志望を変えて別の大学に行かざるを得なかったのですが、この理不尽だという気持ちは、正直申して、十年近くも続きました。

 その十年の間、当時のことを振り返って、どうすればよかったかを何回も考えました。ひとつの方法は、もう1年頑張って、東京大学を受け直せば良かったかなというものです。ただ、翌年もまた入試が中止になるかもしれないという気持ちがあり、この道が良いかどうかは、その頃は確信が持てなかったですね。当時の騒然とした社会情勢では、そう思うのも、やむを得ないところです。加えて、また親にお金を無心することはもうできないという思いもありました。しかし、私の友達で、二人だけ、この細い道をたどっていった人がいます。幸い二人とも、翌年実施された入試に受かって東大卒となり、うちひとりは財務省に入って次官にまで上り詰めました。彼なりにこの試練を糧に、頑張ったのでしょう。

 ただ、ほとんどの友達は、私と同じ大学に入り、普通に卒業していきました。常識的にはそうすべきでしょうが、どの友達も、割り切れない思いが残っていたのは事実です。その友達たちがたどった人生の歩みは、まさにいろいろです。三大銀行の頭取になった者もいますが、そういう人はごく少数で、ほとんどはいわゆる一流企業に勤めたものの比較的早く退職して現在は淡々と市井で生活をしている人たちです。しかし、この後者の人たちが不幸かというと、決してそうではなく、楽しく人生を満喫している人も、数多く見受けられます。今から思うと、我々の人生に幸福をもたらすものというのは、学歴や資格はさほど関係なく、4割は努力、2割は運が左右するものというのが、私の観察です。それでは、残る4割は何かというと、その人の普段の気の持ちようです。端的に言うと、幸福だと思えば幸せになり、不幸だと思えば不幸せ(ふしあわせ)になるのですね。現に私の友達の人生を見てください。こちらにありますが、善し悪しは別として本当にさまざまで、ひとりひとりの生き様を如実に表しています。

 だから、あなたのとるべき道として、ひとつは司法予備試験を受けてまた司法試験に挑戦する、もうひとつは、ここできれいさっぱり諦めて、別の道を進むというものですが、これはご自分で決めてください。あなた自身が選ぶ、たったひとつの人生なのですからね。ただ、どちらの道を選んでも、後悔は絶対にしないこと、自分を不幸せなどと思っては絶対にいけないこと、この2つは忘れないでください。

 最近、私には孫が出来て、とても可愛くて仕方がありません。私の娘は、もともとキャリア・ウーマン志向で医師という職業を選ぶくらいのタイプなのですが、その娘が子供を産むなんて、考えもつかなかったのです。ところが、結婚したらほどなく生まれて、まあその可愛いこと。娘本人も、自分でびっくりするほど、母親として振る舞っています。新たな人生の目標が出来たと、心から喜んでいます。

 このように、若い女の人の場合は、子供を産んでしっかり育てるというのもまた、人生の目標となり、大きな楽しみとなるものです。これは、幸せをつかむほんのひとつの事例です。世の中一般の定型的な考えにとらわれることなく、自信をもってあなたなりの新たな人生に歩み出していけば、いかがでしょうか。どの道を進んでも、毎日ニコニコし、頼まれ仕事も気軽に引き受けてさっさと正確に処理し、何事も誠実に取り組む、そんな人生を続けていくと、必ずや楽しいことがあり、またちょっぴり悲しいこともあり、そして大きな幸せがある。それはかなりの部分、自らの努力と気の持ちようだと思います。

 以上いろいろと申し上げましたが、何らかのご参考になったらと思います。なお、就職の面接に当たって「結婚や出産についての質問」というのは定番ですから、そんなことで落ち込む必要はありません。たとえば「私はキャリア・ウーマンとしてやっていきます」とでも言って、相手の目を睨み付ければよいでしょうし、あるいは、小首をかしげてニコッとし、「大丈夫です。仕事を大事にして、しっかりと勤めさせていただきます」と言った方がよいかもしれません。それで、相手が目をそらしたり、釣られてニコッとしたら、あなたの勝ちです。人生、多少のハッタリや愛嬌も必要ですからね。どちらも出来ないというときには、アメリカの映画によくあるように、「私にチャンスをください。絶対にご期待に沿うように頑張ってみせます」などと食い下がってはどうですか。必死になれば、相手の対応も違ってくると思います。

 それでは、ごきげんよう。お幸せに。悠々人生より

悠々人生様

 丁寧な返信を頂き、ありがとうございます。メールを何度も拝読いたしましたが、まさに私が伺いたかった、今の状態から気持ちを立て直す手がかりについて記されていました。

 特に「人生に幸福をもたらすものは、学歴でも資格でもなく、努力と気の持ちよう」とのくだりは本当に心に染み入りました。社会に出たことがないことと、現実として望むような仕事への就職が厳しいことから、資格があるのとないのとでは世界の広がり方が違うのでは、受かっていれば・・・との今更どうしようもない後ろ向きな考えに陥っていました。実際に「人生に幸福をもたらすのは…」と言えるのは私自身が歳を重ねてから人生を振り返ったときなのだと思います。だからこそ、人生の大先輩である悠々人生様の言葉を聞き、思考と気持ちに少し幅が持てるようになりました。

 また、他のエッセイから悠々人生様は東京大学で教鞭をとられることが伺われたので、経歴からしてこの手のご苦労はなされてないのだろうな、と考えていたのですが、まさか大学入試が中止となるという理不尽な経験をされているとは思いもしませんでした。そういうこともあるんですね。この歳まで何の不条理な思いをしてこなかったこと自体、運がよかったのかもしれません。

 それから、強制終了させられたため仕方ないと別の道へと方向転換を図っていた節があり、その辺が悶々とする要因だったのかもしれない、ということも悠々人生様からのメールを拝読してから気づきました。予備試験を受けるか、別の道をゆくか、法曹を目指したきっかけに立ち戻って、もう一度よく考える必要がありそうです。どうも予測が立たない未来へ踏み出す際に心細くなりネガティブになってしまう傾向があるようです。

 今回の試験に限らず、今後も、後悔しないこと、自分を不幸と思わないこと、これをしっかりと胸に刻んで進んでいきたいと思います。本当に素晴らしいアドバイスをありがとうございました。

 それから、面接官を睨みつければ…に思わず笑ってしまいました。質問が具体的だったため、女性は必要とされてないのでは、と重く考えすぎていたのかもしれません。次からはもう少しうまくかわせるようになろうと思います。

 最後に、メールに返信していただいたことに改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。では失礼いたします。


 なるほど、そういう事情ですか。あなたは、とても誠実で、しかも遠慮深くていらっしゃるようですが、本当にその地のままで大丈夫です。今以上にあれこれ悩む必要なんて、全くありません。あとは、ちょっぴり自分に自信をもって、いつもニコニコして楽しくやっていかれたら、どんな世界でもそれで通じます。これからは、そうやっていかれたら、幸福は必ず来ると思います。

それにしても、まず自分から動いてみないと何事も始まりませんから、とりあえず、いくつか会社に応募してみて、まずは足下の生活を固めるようにされたら、いかがでしょうか。そうやって生活が順調に進んでいくと、楽しいことは、いろいろとありますよ。では、お元気で。

悠々人生様

 一つ一つの言葉が暖かく、救われる思いです。前を向いて地道に頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。寒くなってきておりますので、どうぞご自愛くださいませ。では失礼いたします。


 元気をとり戻して、前を向いて頑張ろうという気になられたのは、本当に結構です。私も、若いころの考えを今になって振り返ってみると、受験期にはどうしても受からなければという気持ちが先に立ち、自分にはもうそれしか道がないと思い込んでいたわけです。いわば、自分で視野を狭くして、土管の中から遙か先の光を見て、あそこから出て行かなければ他に道はないと考えていたのですね。

 ところが、社会に出てもう40年近く経つと、人間のとる道は実にいろいろとあって、その時々の考えで本当に様々な方向へと行く可能性があったと思います。たとえていうと、土管の中にはまっている自分がいる位置の、すぐその脇には実にたくさんの扉があって数え切れないほどの分かれ道に通じており、その扉を開けば全く想像もつかなかった面白い世界が広がっているようなものです。もちろん、その中には人生の落とし穴もいくつかあると思いますが、それもよくよく観察すると、避けて通れそうなものばかりです。いずれにせよ、扉を開けて、広い世界に出て行かないと何事も始まりません。ここで、安全確実な世界を選ぶか、それともちょっとリスクはあるけれど、人生を賭けてチャレンジする面白そうな世界を選ぶかという選択の余地はあります。いずれにせよ、ご自分で最も気に入った世界へと、一歩、足を踏み出してはいかがでしょうか。今の日本では、それで十分幸せな、人並み以上の生活を送ることが出来ると思います。

 その場合、どうしても「IF」の世界が頭に浮かぶと思います。たとえば私の場合でしたら、あのとき暴力的学生運動など起きなくて、東京大学に順調に入学出来ていたら、おそらくこうなって、ああなっていただろう・・・などとね。しかし、そんなことになっていたら、今の奥さんにはまず出合わなかっただろうし、そうすると私の愛すべき子供たちや可愛い孫もいなかっただろうし、現在の職とポストにもたぶん着いてしなかっただろうし・・・などとなってしまって、やっぱり、今の道がよかったなということになります。

 ましてや、昨今のような時代には、弁護士の数が激増したせいで、たとえあなたがなっていたとしても、イソ弁はもう難しいは、宅弁・ケータイ弁つまりちゃんとした事務所を持たないで弁護士業をやるというスタイルや、即独つまり司法修習後に即弁護士業を始めるというやり方では顧客はつかないはで、一昔前のエリートの雰囲気は、もうこの業界にはありません。事実、私の知人で弁護士をしている人の現状をみると、中堅弁護士事務所に育て上げて成功を収めたという人はたった二人です。あとはというと、もう惨憺たる始末で、そのうちひとりは何とか一人事務所を運営しているけれど、奥さんから「弁護士って、こんなにお金を稼げないとは思わなかった」と、愚痴を年中こぼされています。そうかと思うと有名な破産事件に連座したり、果ては顧客のお金を使い込んで資格を取り消されたりと、いやもう、弁護士人生いろいろです。前途に希望を抱く学生さんにこんな話をすると、せっかくの夢を壊してしまうような気がしてこれまであまりしていませんが、いずれも事実です。まあこれも、いわゆる人生の落とし穴ですけれども、申し上げたいことは、夢ばかりではないということです。

 しかし、これはどの世界でも同じことで、そういう意味では、前にも書きましたが、どんな世界へ行っても「毎日ニコニコし、頼まれ仕事も気軽に引き受けてさっさと正確に処理し、何事も誠実に取り組む、そんな人生」を倦まず弛まず何十年も続けていくと、必ずうまくいって、幸せになります。でも人間ときどき疲れるから、いつもそんなに頑張らなくていいです。たまには、自分勝手な息抜きをしたらいいでしょう。まあ、そんな調子で、のんびりやってください。長い人生、急ぐことはありません。

 最後になりますが、同じような状況にいらっしゃる方も多いと思いますので、こういうやりとりはホームページで公開してはどうかと思います。よろしければ、ご賛同ください。

                         悠々人生より

悠々人生様

 まさに土管の中にいた状況なのだと思います。頂いたメールやエッセイ(同級生のお話)を拝読し、色々考えさせられました。どこが人生の分岐点になるか、どの道がよいのかなどわからないものですね。

 合格不合格はまだ人生の一通過点にすぎないのだという視点がなく、この時点で将来の大部分が決まってしまった、との考えもどこかにあり辛くなっていた面もありました。また、IFは知り得ない世界のため、「合格していたら」のIFも過剰評価していました。私は今ちょうどIFの分岐した地点にいて、今からもっと年月を経たときに、「受かっていたら」のIFを振り返ったときに後悔しない人生を歩めるように、これからコツコツと頑張っていけばいいかと思うようにもなりました。ちょっと視点を変えるだけなのでしょうが、自力ではたどり着けませんでした。本当に感謝しております。

 やりとりをホームページに掲載するとのことですが、もちろん承知いたしました。私のように、人に話しても仕方がないと一人悶々としている方もいらっしゃると思います。悠々人生様のメッセージを受け取ることで前向きになれる方が増えれば良いなと思っております。

 では失礼いたします。








(平成23年10月23日著)
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