悠々人生のエッセイ








 ちょうど1年前の昨年の今頃には、私の両親と家内の両親は4人とも、健在であった。いずれも80歳半ばに達するか、もうすぐ達しようとしている年齢ながら、それでも比較的元気で、この調子でいくと4人そろって100歳の大台まで行くのではないかと思うくらいだった。ところが86歳だった私の父は、体調が突然悪化してあれよあれよという間に、半年ほどして亡くなってしまった。その頃、自宅で介護に当たったのは82歳の母で、4人の中では最も若いし、活動的である。たとえばまだ自分で自動車も運転しているので、遠くの親類のところまで行くなどという機動力すらある。そうやって父を病院まで連れて行ってくれていたのだが、父が歩けなくなってからはそうもいかなくなった。そこで、近くに住んでいる妹の一人がケア・マネージャーに来てもらって介護保険の手続きをし、自宅で訪問看護を受けることにした。看護の人が父をお風呂に入れてくれたり、近所の医者が看護師さんと組んでチームでやって来たりして、とても良くしていただいたそうだ。そういう話を母や妹から聞いていたのだけれど、何しろ実家までは地理的に遠いし、仕事の関係もあってそうしばしば帰るわけにもいかない。自分が介護保険の手続きをしたわけでもないので、それほどピンと来ないままでいた。

 そのうち、東京の成城に住んでいる私の同級生の友達が、両親の認知症が進んでどうにも仕方がなくなったので、特別な有料老人ホームに入れたという話をしていた。どんな風だったのかと聞くと、たとえば、母親は近所に買い物へ行くと言って出かけるのだが、しばしばお金を払わないで帰ってきてしまうので、それを後からそうしたお店に訪ねて行って、そのお金を払ってくるのが大変だという。認知症の検査を受けさせたら、何と零点だったという。加えて父親は、どこに何があるどころか、息子をはじめとして家族の顔すら忘れてしまうようになった。そんなことで、これはもう限界だと思って、近くの老人ホームに入居してもらったというのである。一人当たりの入居金が1500万円、毎月の支払いが22万円とのこと。いや、それは大変だなと思ったのは、ご両親の症状の大変さもさることながら、その入居金の高さである。一人ならともかく、二人分なら3000万円か・・・これでは私の場合だと家を処分しなければとても支払えないではないか・・・。

 まあ、そんなことは、病気だった私の父は例外として、我が家の場合は早くとも2〜3年以上先の話だろうと高をくくっていた。しかし、それは甘かった。家内の両親は二人とも86歳を超し、つい半年前まで元気いっぱいだったのに、急にその様子がおかしくなってきたのである。母親の方が高齢の女性にありがちな骨粗鬆症で、背中が曲がってきたことから、建物の二階にある住居部分に出入りすることがつらくなってきた。自宅は3階建てだから、エレベーターを付けようかとも考えたが、法令上の制約で、それもかなわなかった。一方、父親の方は、念のため認知症の検査を受けたところ悠々と合格したから頭は大丈夫だと証明されたし、身体も至って丈夫で、買い物や散歩に出歩いたりすることは問題ない。しかし、ある日、楽しく晩酌をしているときにいきなり意識を失って倒れたことがある。翌朝、病院で何事もなく起き上がってきたので、枕元に集まった親戚一同はほっとした。いわゆる一過性脳虚血発作だったらしいが、どうも普段の食事内容そのものからして改善しなければならないようだ。しかし、老人の二人暮らしでは、バランスの良い献立の食事を作ったり、それにいろいろな薬を処方通りにきっちり飲んでもらうには、どうしても限界がある。

 そうこうしているうちに、親しくしていた隣の同じ年頃のお爺さんが自宅で倒れて、翌日にはもう亡くなつた。間の悪いことに、そのご遺体が自宅に運ばれて来るのを見てしまった。すると、二人とも心理的なショックを受け、以前にも増して自分の身を心配するようになった。近くに家内の妹が住んでいるのだが、なかなか落ち着かせることが出来ない。その直後に、今度は自宅の向かいにある友人のおばあさんの部屋の電気が点かなくなり、老人ホームに入ったとの噂が聞こえてきた。そんな中、近所の写真屋に行った帰りに、自宅の鍵と財布を落として、どこでどう落としたのかどうにも思い出せない。そのような小さな出来事が積み重なって、「このままでは自立した生活が出来ない、老人ホームに移り、そこで生活しよう」という気になったのである。

 そこで家内に対し、どこか適当な介護付有料老人ホームがないか、調べてほしいという大命が下ったというわけである。実は数年前に、母親が骨折をした関係で介護保険の認定を受けていて、その際ついでに父親の方も介護度は低いものの認定を受けていた。だから、二人とも老人ホームに入る資格はあったのは、不幸中の幸いである。家内が市役所に頼んで、実家近くの有料老人ホームの一覧表を送ってもらったり、ニチイ、ワタミ、ベネッセ、セコムなど有料老人ホームの大手に電話してパンフレットを取り寄せた。それまで老人ホームについては、ほとんどといってよいほど知識がなかったが、これらのパンフレットや現地施設に電話することで、かなりのことがわかったのである。まず、原則65歳以上の高齢者を対象とする「特別養護老人ホーム」というものがある。これは、費用はあまりかからなくて安いのが取り柄であるものの、入居までおよそ3年待ちで、入居者数10人に対し、職員数は1人というから、まず論外である。「グループホーム」というのは、主として認知症の方々が入るところらしくて、「一般の住宅に近い状態に置き、地域に溶け込んだ生活を過ごす形で社会とつながりつつ、生活そのものがリハビリとなる」というものだから、両親には関係がなさそうだ。またこれを含めて老人福祉施設というのも、幸いウチは、生活に困っているわけではないので、対象外だ。やはり、株式会社、医療法人などの民間事業者が運営をしている「有料老人ホーム」しかないということがわかった。

 それでは、私の友人がその親を入れたように、一人1500万円の入居金が要るのか、それは困ったなと思ってよくよく調べてみたところ、家内の実家のある県では、高額の入居金をとるところはむしろそれほど多くなくて、最近出来たところは入居時に数十万円の事務手数料で済むものが多いことがわかった。これは、所得水準の高い東京と、必ずしもそうではない地方とが大きく異なる点である。それでは、介護の内容が薄いかといえば、必ずしもそうではなくて、かなり手厚いところも多い。そこで、母親のケアマネージャーをしてくれている人に聞いたところ、最近出来たところで、結構評判が良いという老人ホームの名を一カ所、教えてもらった。家内や妹がそこを見に行ったら、実家からさほど遠くないし、設備は新しく、職員の方々も親切なだけでなく看護師さんが4人もいて施設長さんもその一人であるし、居間からは富士山が正面に見えて建物の廻りは木々の緑に囲まれている。個室は、さほど広くはないが清潔である。両親を連れていったら、いたく気に入ってくれた。

 人や設備はこれでよいとして、料金や介護はどうなっているのか、気になるところである。東京の常識からすれば驚くところであるが、入居金はゼロで、その代わり事務手数料として二人分30万円、毎月の支出が二人で45万円くらいらしい。ここで「らしい」というのは、買い物の付き添いなど、色々と付加的サービスを受けるとそれだけ追加されていく仕組みなので、あまり確定的なことがいえないからである。いずれにせよ、東京では何千万円の入居金を支払った挙げ句、案外早くそれが「償却」されてしまい、数年後に亡くなったときには何も残らなくてトラブルになるという話をよく耳にする。それに比べれば、はるかに良心的な料金設定である。それでいて、2.5人の入居者数に対して職員数は1人というし、実際に見てみるとそのようだから、それなりに手厚い介護はしていただけるようだ。

 それから、いささかデリケートな話ではあるが、この施設で「看取り」までしてもらえるというのが気になった。これもよく聞くことであるが、こういう施設の中には元気でいる間は預かって、いざ病気になり、入院して1ヶ月ほど空けると、もう出て行ってもらうという方針であることを明言しているところが少なからずある。しかし、そうなると、もう末期の段階であるにもかかわらず、病院からは入院期間が長くなるので、もう出て行ってほしいといわれるし、他方その施設に帰ろうとすると、早く部屋を空けてくれといわれて、家族は立ち往生してしまう。だから、最後の最後まで置いていただけるところでないと、本当に困るのである。とりわけ、家内は東京在住だし、家内の妹も近くに住んでいるのではあるが、家族の世話や自分の体調や何やらで、こちらも大変な状況にある。だから、「看取り」までしてもらえるということは、是非ともお願いしたいことである。家内がそれを確かめると、できますということで、実際につい最近、そういうことがあり、安らかに永眠されたという。提携医療機関は、近くにある。

 では、こちらにお願いしようということで、両親、家内、妹が合意するに至った。幸い、ひと部屋だけだが空いていて、すぐに入れるというが、もうひと部屋空いてないかというと、同じ会社の別の施設が出来たばかりで、とりあえずそちらに入り、約1ヶ月後にこちらの施設に入ったらどうかと提案された。これ幸いと、その通りにして、昨年末、入居することが出来た。そのとき、どういうわけか、部屋をやり繰りしてくれたようで、一日違いながら、同じ施設の真向かいの部屋に一緒に落ち着くことが出来たのである。これで、目出度し、目出度しというわけだ。

 それから数週間経った。二人の様子はどうかといえば、食事と部屋の居住性、そしてスタッフの接し方には満足している。ただ、細かいことをいうと、たとえば、まだ元気な父親には、いささか力を持てあましている状況である。一例を挙げれば、父は囲碁が趣味だから、同じ入居者で囲碁が出来て同じような段位の方をスタッフが見つけてきて、実際に対局して打ち出したところ、段位が低いはずの父の方があっという間に勝ってしまって、誠にもの足らなかったという。どうもその方の段位は、まだ現役だった頃のもののようだった。それから、今年に入って、母の方が、急に背中が痛くなった。スタッフの人は、「大丈夫ですか。ちょっと横になったらいかがですか」と親切に声を掛けてくれるが、特にそれ以上の行動をとろうとするわけではない。たまたま会いに行った家内がその様子を見て、これは尋常でないと勘が働き、スタッフが勧める近くの診療所ではなく、距離は遠いが設備の整った大病院にタクシーで連れて行った。MRIを撮ったところ骨粗鬆症が進展してしまっていて、しばらくは絶対安静ということがわかった。それで特殊なギブスを作ったり、色々と対応したらしいが、これで判明したことは、こういう施設は、看護師や看護職員がいるといっても、やはり肉親によるケアにはかなわないということである。道行く赤の他人よりは親切で、よく知っている知人がする程度のことはしてくれるが、それ以上のことを期待するのはそもそも無理なのだ。

 その反面、高齢者向けの造りではない実家の建物にあのままでいるよりは、こちらの老人ホームにいる方がはるかに良い。たとえば、三食は自分で作る必要がないし、出てくる食事の栄養バランスは、しっかり計算されている。母親はしばらく寝たきりとなってしまうが、褥瘡が生じないようにケアしてくれる。最近、少し良くなったから、お風呂に入りたいというと、横たわったまま入浴出来る器具があり、風呂好きの母親はとても喜んでくれた。こういうケアを、離れたところに住んでいる高齢の家族がすることなど、不可能というものである。さらにいうと、色々なレクリエーションのためのプログラムが用意されている。もっとも、その大半は、母親によれば、「まるで幼稚園児がするようなチィーチィーパッパのたぐいのお遊戯だから、私はイヤだから参加しない」とけなす対象になるプログラムだけれども、そういうものではなくて母のようなインテリでも参加できるプログラムが少しはあるらしい。老人ホームも、だんだんと変わってきているようだ。そういうことなのだが、まあ、見方によれば、福祉をお金で買っているという面がなきにしもあらずである。しかしそれでも、本人のため、家族のためには、その方が良いと思うが、どうであろうか。

 これで家内の両親は、家内と妹の奔走で短期間に良い老人ホームに入居することが出来た。やれやれと安心する間もなく、私の故郷に残された母のことが気になった。まだ愛車を乗り回してあちこちに行くなど、元気ではあるものの、高血圧気味であるし、先日は脚が痛いと言っていた。マッサージに通うと言っていたが、何か重篤な病気だと取り返しがつかないから、大病院に行きなさいと電話で伝えたりしたが、側にいないものだから、どうも隔靴掻痒の感がある。

 つい昨日までは元気だったのに、突然倒れたりするなど、老人の状態は、刻々と変化する。だから、ウチの母にも何か起こってからでは遅いと思ったので、近くに住んでいる妹に頼んで、介護認定を受けてもらうことにした。たとえば、いきなり末期がんと診断されても、それから介護認定を受けるというのでは、間に合わないことになる。それに、老人ホームの入居要件は、要支援2以上か、要介護1以上であるところが多い。いずれにせよ、介護認定を受けて置いて損はないのである。自分がまだ元気でやれると思えば、使わなければよいが、いったん介護を必要とする状態になってしまうと、約1ヶ月とされる認定に要する期間を待っておられなくなると聞く。だから、今のうちにやれる下準備として、介護認定を受けておくことは、大事なのである。

 介護認定のための医師の診察を終えたことを確認して、母のいる県の介護付有料老人ホームを調べることにした。インターネットを検索し、大手の事業者に電話をかけたところ、まずびっくりしたことは、この種の介護付有料老人ホームそのものが、今のところ県にひとつしかなかったことである。もう少し調べれば、いくつか出てくるかもしれないが、ともかく大手の事業者でも、この県には施設がないのである。なぜだろうとつらつらと考えてみたところ、やはりこれは所得水準が低いこともあるのだろうが、ひょっとして県民性もあるのかもしれない。つまり、「親の世話を他人に任せるなんて、そんな罰当たりなことをしてはいけない」などという古い考え方が根付いているのかもしれないのである。しかし、高齢の老人がこれだけどんどん増えてくれば、そんなことを言っておられなくなる。そうこうしているうちに、我々自身が、介護を必要とする時期が来るのもそう遠いことではない。そうなると、長生きしている100歳の親を80歳の息子や娘が介護しなければならないし、介護しているはずのその息子や娘自身が介護を必要とする年齢に達する。だから、親の介護など出来るはずもない。もはや、そういう時代なのである。




(平成24年1月22日著)
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