悠々人生のエッセイ



水蒸気の排出は収まったが、無残な姿をさらす2011年3月18日の福島第一原子力発電所(右から左へと第一号機から第四号機)。デジタル・グローブ社の衛星写真




 東京電力の福島第一原子力発電所事故から1年が経った。この間、原発事故の調査のため、官民で次の3つの調査委員会が立ち上げられて、報告や調査結果が順次公表されつつある。

(1) 閣議決定で設置された政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)」(委員長・畑村洋太郎東京大学名誉教授、工学院大学教授、失敗学会初代会長)
(2) 民間有識者で自主的に設置された「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」(委員長・北沢宏一前科学技術振興機構理事長)
(3)「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」(委員長・黒川 清東京大学名誉教授、元日本学術会議会長)

 このうち、(1)の政府事故調は、昨年12月26日に中間報告を公表した。私が見るところ、これはあまりにも技術的に過ぎ、関係者の生の声のようなものがあまり伝わって来ないので、読んでいても、いまひとつというところであるのは残念であり、次の本報告書で改善されることを期待したい。一方、(3)の国会事故調はまだ調査中で、その報告書は通常国会会期末の6月頃になるという話である。ところが、原発事故からちょうど1周年となる頃に、(2)の民間事故調が調査・検証報告書をとりまとめ、1周年に当たる3月11日に、書物や電子出版の形で売り出された。私はさっそくそれを買い求め、熟読したのである。折しもその頃になると、1周年ということでそれまで口が硬かった原発事故関係者が徐々に事故の模様を語りだすようになり、それぞれが持ち場で感じたり経験したりしたことが断片的にながらも、次第に報道されるようになった。これらを合わせて読むと、私自身も、当時の緊迫感その他一生懸命自分なりに推測したり感じたりしたことが脳裏にまざまざと甦ってきた。そこで、以下ではそれらを対比しながら、私の推測に対して事実はどうだったのかを中心に検証してみたい。

民間事故調の調査・検証報告書


 3月11日の私の記述によると、「政府は・・・11日夜になり、福島第一原子力発電所第二号機について、原子炉内の水位低下が認められるとして半径3キロ以内の住民約6000人を避難させるよう福島県、大熊町、双葉町に指示を行った。」 この段階では、私は、テレビの画面で次々に映し出される大津波の惨状に目を奪われていて、原子炉の方も多少は気になったものの、単なる炉心の水位低下だということだから、まあ大したことはあるまいと思っていた。ところが、水位低下どころか、まさか空焚き状態になっているとは、全く想像もしなかった。

 実際には、午後2時46分の大地震の直後、福島第一原子力発電所に対して3時35分に4メートルの津波の第一波が、そして3時35分にはおそらく14〜15メートルを超える津波の第二波が来襲した。このため、3時37分から42分にかけて第一号機から第五号機のすべてで全交流電源が喪失した。これにより、核燃料の崩壊熱の逃げ場がなくなり、それが燃料被覆管の材料であるジルコニウムを溶かし、燃料自身と周辺のコンクリートなどの構造物を溶かしつつあった。そのまま放置すれば、あたかもチェルノブイリ事故のごとく、原子炉内部に閉じ込められている放射性物質を環境中に広範囲にしかも大量に放出してしまう結果となる。とりわけそのおそれは、非常用電源が回復せず、非常用の冷却装置も機能しなかった第一号機から第三号機、そして取り出したばかりの使用済み核燃料プールがある第四号機において高く、緊急事態に突入していた。とりわけ第四号機の使用済み核燃料プールは、単に原子炉建屋の中にあるだけで、普通の核燃料のように格納容器中に収められていなかった。だから、高濃度の放射性物質が飛び散るおそれは極めて高く、この点はアメリカ原子力委員会のヤツコ委員長が最も懸念していたところである。

 東京電力から福島第一原子力発電所で原子炉が冷却できなくなったという報告を受け、11日の夕方から夜にかけて官邸が中心となってあちらこちらに声をかけ、電源車を手配したようだ。それも、菅直人首相自らがどこに何台あるか、それがどこを出発してどこを通り、福島第一にいつ着きそうかということまで、事細かに管理し指示したそうな・・・しかし結果的に、こうした手配した40台もの電源車は、東京電力自身が所有するたった1台の高圧電源車(これはたぶん、柏崎にあったものだ)を除いて、コネクターの形状の違いなどにより、全く役に立たなかったという。これはもう、悲劇を超えて喜劇としかいうほかない。

 その一方、原子炉の損傷は科学の法則に従って徐々に・・・どころか急激に進む。既に11日午後10時の段階で原子力安全・保安院は、プラント解析予測システムが第二号機の状況について解析し、早ければ同日午後10時50分から炉心露出が始まり、翌12日午前1時50分から燃料溶融が始まると予測していた。しかし、そんなことは一般市民の私としては、全く知る由もない。この点、12日午後の保安院の中村幸一郎審議官の記者会見では、炉心溶融の可能性について言及したところ、官邸の逆鱗に触れ、おそらくそれが原因となって広報担当者の交代につながったとされる。広報担当者が二転三転した後、最終的に広報担当になった西山英彦審議官は、「燃料棒の外側の被覆管の損傷」と表現したが、これは明らかに事実に反していた。こういう場合は、シミュレーションによる推測結果であると注釈でも付けて、明確かつ正確に事態の推移を発表してくれる方がよいと思うが、どうであろうか。そうでないと、疑心暗鬼ばかりが生まれてしまう。

 3月12日の私の記述では、「それにしても、福島に第一・第二とある二つの原子力発電所の状態が気になる。冷却施設が津波でやられ、非常用電源も稼働させられなかったことから、核燃料のメルトダウンが始まったらしい。そこで原子力容器の爆発を防ぐために、放射性物質を含む排気を排出する作業が始まった。その直前、福島県内に避難指示が出た。それだけでなく、夕刻にまた地震があって、その頃に第一原発の4つの原子力発電所建屋のうち1つが爆発して骨組みだけになったようだ。そうこうしているうちに夜になったこともあり、この建屋の爆発で原子炉格納容器まで飛んでしまったかどうかはまだわからない。」とある。仮に原子炉格納容器まで噴き飛んでしまったのなら、まさにチェルノブイリの二の舞で、しかもこちらにはその何倍もの核燃料があるから、被害は4〜5倍以上となる。静岡あたりを境にして、東日本には、もう何十年間も住めなくなるのではないかとすらと私は思った。この事故処理とは全く関係のなかった私でさえそう推測したものだが、同様に官邸でも「悪魔の連鎖」という最悪のシナリオが共通認識となっていったようだ。すなわち、福島第一原子力発電所のどれかの原子炉や使用済み核燃料プールが事故を起こしたら、爆発が次から次へと連鎖していって、あたり一帯に近づけなくなる。やがて福島第二原子力発電所にも近づけなくなって、そうすると200キロメートル離れた東京都民まで避難しなければならなくなるというものである。幸い、そうならなかったが、私は紙一重だったと思うのである。

 このときの官邸の様子は、菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業大臣などの周りに、頼りない東京電力本社幹部、現場の様子を何も知らされてない斑目春樹原子力安全委員会委員長、それに呆然自失状態の原子力安全・保安院幹部などの専門家が集まり、官邸地下の危機管理センターで対応を検討したようだ。そこで、原子炉内部の圧力を逃がして爆発することを避けるため、原子炉内部の気体を外へ直接放出すること(ベント)がとりあえず必要ということになった。12日午前1時半頃のことである。ところが、ベントをすると、原子炉から放射性物質がある程度出てしまう。そこで、菅直人首相は、第一原子力発電所周辺半径3キロメートルの住民に対し、午後9時23分に避難指示を出した。保安院は、午前2時頃から燃料溶融が始まると予測していた。

 ところが、官邸の指示に対して、ベントは一向に実施されない。官邸にいる東京電力幹部に聞いても要領を得ない。業を煮やした海江田万里経済産業大臣が、12日午前6時50分とうとう原子炉規制法に基づいてベントを実施すべしという命令を行った。しかし、それでもなお実施しない。この点について、ベントは電源があってできるものだから、手動で行うベントは初めてのことなので、図面から検討せざるを得ず、それで時間がかかったという説明が行われた。私も、「まあそんなものかな、確かに放射能が漏れているところに行くのは決死の覚悟がいるからな」と思っていた。ところがどうやら真実は、第一原子力発電所の現場が福島県との間で、住民の避難が終わるまでベントを実施しないという約束をしたから、遅れたらしい。全くもう・・・何ということだ・・・。呆れてものが言えない。これが、今回の事故対策の第1のポイントであると思う。これは明らかに、現場のサボタージュであり、東京電力本社も官邸も担当大臣の命令ですら、無視されたのである。私はこれがなかったなら、その後に続く第一号機から第四号機までの爆発は、あるいは避けられたかもしれないと思っているし、福島県の海側一帯から千葉県にかけて、あれほど広範囲に汚染されることはなかったのかもしれないとも考えている。もちろん、早期の海水注入ができていればという条件付きであるが・・・。

 第一号機のベントが実施されず、内部の圧力が高まったために、万が一に備えて12日午前5時44分、避難指示の範囲が第一原子力発電所周辺から10キロメートルに拡大された。ベントが実施されないことにいら立った菅直人首相は、自衛隊のヘリコプターに乗って第一原子力発電所へ出発した。このヘリコプター内で菅首相は斑目春樹委員長に対して水素爆発があるかと聞かれ、格納容器内ではすべて窒素に置換されていて酸素がないから、その危険はないと答えたそうだ。ヘリコプターは、午前7時11分に到着し、免震重要棟で吉田昌郎所長から決死隊を作ってでもベントをするとの決意を聞いて、菅首相は納得した。結局、ベントは午前9時4分に着手されて、午前10時17分に実施された。

 これで当面の問題は避けられたかと思ったが、ところがそうではなかった。ベントを実施した時期が遅すぎたのである。12日午後3時56分、第一号機が突然爆発した。この様子は、福島テレビが設置していたビデオカメラがとらえ、現地では数分遅れだったが、日本テレビの全国網では1時間も遅れたものの、放送された直後から大騒ぎとなった。これを官邸のテレビで見た斑目委員長は「ああーっ」と言って頭を抱えて前のめりになったという。これを見た官邸関係者は、専門家といってもこの程度かと、見下すようになった。これが今回の事故の第2のポイントにつながる。官邸関係者は、斑目委員長や保安院の能力に疑念を抱いた。後日談では、斑目委員長は水素爆発だと思ったが、ヘリコプター内で菅首相にそれはないと断言したので言い出せなかったという。その真偽はともかくとして、私が不思議でならないのは、技術的な助言をすべき立場にある保安院の平岡英治次長の言である。新聞記事によると「水素爆発は思いもしなかった。漏れた水素がどうなるかというのは、あまり考えたことがなかった。不勉強だったと思います」というが、あとからテレビ番組で見たアメリカの原子力発電所では、冷却機能が失われたときには当然のこととして水素爆発の対策が取られていた。もうこうなると、不勉強以上に、職務怠慢ではないかと言いたくなる。天の配材は、時として間違っていることがあると思う。この人は、いわゆる電気屋さんであるが、その後、安井正也保安院付という原子力関係の専門家が加わって、助言内容が格段に良くなったといわれる。

 3月12日、私はこう書いた。「万が一仮に原子炉格納容器が爆発したのなら、既に大量の放射性物質が吹き上げられた可能性がある。そうなると、スリーマイルやチェルノブイリ事故の再発になってしまう。その放射性物質は、目に見えないほどのチリの形で飛んでくる。これを口や鼻から吸い込むと、肺の中に入って一生、放射線を出すので最も危険だ。だから、これを避けるためには、外に出ないことが一番の対策となる。やむなく外出する時には、息をするときに、湿ったマスクやタオルで鼻と口を覆うことだ。特に、皮膚に付いたときには除洗といって洗い流すこともできるが、完全ではないので、なるだけ皮膚を露出させないよう、長袖、帽子、手袋、めがねを着用することが大切である。なお、この場合は風向きが大事で、この季節は寒いときは西から東、暖かいときは南から北に風が吹くことが多いので、それを頭に置いて放射性物質を含む排気を排出するタイミングを図るはずだ。しかし、仮に原子炉格納容器が爆発したのなら、全方向どこへ行くかはわからない。とても心配だ。 祈るような気持ちでNHKテレビの画面を見ていたら、午後9時頃になって官房長官から発表があった。それによると、爆発した原子力発電所建屋は、充満した水素による爆発であり、建屋は破壊されたものの、それは外壁のコンクリートだけだったようで、原子炉格納容器まで飛んでしまったわけではないようだ。ひとまず、安心してよさそうだ。」

 今から記憶をたどると、私は今回の原子力事故で、3回ほどとても緊張した覚えがある。そのひとつがこの瞬間で、最悪の場合、原子炉格納容器が爆発して、その中身が東京まで既に飛んで来ているかもしれないと思った。吉田昌郎所長もその退任時、数度、死ぬかもしれないと思ったことがあると告白していたが、そのうちの一回が間違いなくこれであると思う。私は、子供たちに上記のような内容のメールを送って、なるだけ外出を控えるように伝えた。結局、数時間して爆発後の周辺地域の放射線量が下がったことがわかり、この爆発は水素によるもので、原子炉格納容器が爆発したのではないことが判明した。私も、ひと安心したのである。

 12日の夕方から夜にかけて、官邸では、海水注入の是非をめぐり、激論が行われたようである。炉心のメルト・ダウンが進行しつつある中、外から消防ポンプ車や緊急に手当てをした電源車でポンプを動かし、淡水を注入した。しかしそれでは水源がとても足りない。そこで廃炉を覚悟で、海水を注入すべきかというもので、官邸の関係者はすべしという意見が一致した。午後5時55分、海江田経済産業大臣が口頭で海水注入を命令した。午後6時、そこへ菅首相が入ってきて、塩の影響は考えたのかと聞いた。斑目委員長が「再臨界の可能性はゼロではない」と、文字通りでたらめな説明を行ったため、首相は再臨界の方法を指示して散会したという。一方、東京電力の方では、海江田大臣の命令を受けて午後7時4分に海水注入を開始した。ところがそこへ首相の介入があったものだから、官邸にいる東京電力の武黒一郎フェローが吉田昌郎所長に直接電話をし、官邸の「雰囲気」を伝えて、海水注入を待つように指示した。一刻も早く冷却すべきときなのに何が「雰囲気」だという気がするが、これらの専門家は科学的知見も生かせず、何の矜持も自信もないようだ。これでは単なる茶坊主にすぎない。それに対して、現場の吉田所長は、なかなか骨がある。せっかく始まった海水注入を中止すると冷却ができなくなると危惧したらしい。注水の担当者に小声で「これから中止を命令するが、それでも注水を継続せよ」と言って、皆の前で中止を命令したというから、もう茶番というか、お笑いである。下手な芝居より面白いではないか。後から思うと、これがまあ、第3のポイントだったかもしれない。もっとも、民間事故調のいうように、上位機関の命令が下達されなかったという点では、危機管理上あるいは組織統制上、大いに問題である。

 13日になり、私はこう書いている。「第三号機でも同じような事態に陥り、こちらでも海水の注入後、やむなく蒸気を大気中に放出する弁が開けられた。しかし、第一号機に比べて第三号機の場合は、ウランだけでなくプルトニウムをまぜたMOX燃料を使っているから、より毒性が高い放射性物質が放出されるおそれがある。こちらの方が深刻な問題だと思われる。この日午後8時過ぎに会見した東京電力の社長は、『想定を超える津波だった』と弁解をし、皆から失笑をかっていた。」その13日であるが、午前9時25分に淡水注入を開始したが、昼ごろにはそれが枯渇した。そこで、海水注入に切り替えて約52分遅れで注入が再開された。

 14日の私の記述「朝11時に第三号機も水素爆発を起こし、第一号機と同じく建屋の上が吹き飛んだ。これで第一号機と第三号機の二つの建物の建屋が失われ、原子炉格納容器がむき出しになったことになる。ただ、周辺の大気中の放射能レベルをみると、原子炉格納容器はまだ健全だと判断された。しかし、今度は第二号機に大きな問題が発生した。こちらも、午後1時に冷却機能が失われ、午後4時に海水注入がされたが、やはり燃料棒が露出して炉心溶融が起こったようだ。それも、冷却ポンプを動かしていた作業員が見回りに行って帰ってきたとき、燃料が切れてポンプが止まっていたことに気が付いたという。これを聞いて私などは、こんな大事な時に、なんという凡ミスをしているのかと残念でならない気持ちになった。それはともかく、午後7時前、第一号機と第三号機の冷却が成功し、午後9時頃になって第二号機も、一時は完全に露出していた核燃料棒の半分近くまで水位が回復したと報じられた。」

 この通り、14日午前11時1分には、第三号機の原子炉建屋が水素爆発した。次いで、午後6時22分、第二号機の燃料棒が全露出し、絶体絶命のピンチを迎えた。東京電力本社と福島第一原子力発電所の現場、そして官邸の専門家は、原子炉内の炉心溶融が進んで核燃料が溶け落ち、それが高圧で飛び出して原子炉格納容器はおろか、原子炉建屋まで壊し、一気にあたり一面に飛び散るのではないかと想像をめぐらせた。これも、吉田所長が死ぬかもしれないと考えた2番目の事象ではないかと私は思っている。しかも、これは福島第一原子力発電所だけではすまない。これがやられると、放射線量が高くて近寄れなくなる状態は福島第二原子力発電所に及び、さらには東海原子力発電所にも及んで手が付けられなくなる。これを最悪シナリオと呼んでいたそうだ。今回の原子力事故の第4のポイントである。しかし、そんなことはもちろん報道されないから、一般国民は、知る由もなかった。しかし、前にも書いたが、「仮に原子炉格納容器まで噴き飛んでしまったのなら、まさにチェルノブイリの二の舞で、しかもこちらにはその何倍もの核燃料があるから、被害は4〜5倍以上となる。静岡あたりを境にして、東日本には、もう何十年間も住めなくなるのではないかとすらと私は思った。」私はかつてチャイナ・シンドロームという映画も見たし、チェルノブイリ事故もかたずをのんで見守ったことがあるから、それくらいはすぐに見当が付いたのである。まあ、年の功というものだ。家内に、状況は最悪だと伝えると、家内は直ちに娘と連絡をとり、孫を連れてすぐに静岡へと旅立ってしまった。

 この大きな危機に際し、14日夜から翌15日未明にかけて、東京電力本社と官邸との間で、重大なやりとりがあった。東京電力の清水社長は、なんと福島第一原子力発電所からの全面撤退を官邸に申し出たのである。あとになって東京電力は、あれは全面撤退の趣旨ではなかったと言っているようだが、電話で直接話を受けた官邸側の人たちは、誰もがそう受け取った。これを聞いた菅首相は、清水社長を官邸に呼びつけ、全面撤退など絶対にダメだと申し渡すとともに、細野豪志首相補佐官を東京電力に常駐することを言い渡した。併せて、政府と東京電力との統合対策本部を立ち上げることとし、午前5時26分にそれを発表した。場所は東京電力本社である。発表後、そこに押しかけた首相は、居並ぶ東京電力社員を相手に、マイクを握ってこのように演説したという。「被害は甚大だ。このままでは日本国滅亡だ。撤退などあり得ない。命がけでやれ。情報が遅い、しかも不正確で、間違っている。撤退したら東電は100パーセントつぶれる。逃げ切れないぞ。60歳になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。おれも行く。原子炉のことを本当にわかっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ。」などと語気鋭く怒鳴った。あまりの権幕に、これを聞いた女子社員の中には泣き出した人もいたというが、これが結果的には俗にいう「カツを入れた」ということになり、これ以降、東京電力の対応はより真剣になったといわれる。

 私の記述はこうだ。「15日を迎えた。これで、このまま事態が落ち着いてくれればよいなと思い、朝起きてすぐにテレビをつけた。すると、事態は収束どころかどんどん悪化していたので、びっくりした。まず、第二号機で午前6時14分頃に爆発音があった。こちらは、炉内の水位が下がって核燃料棒が露出し、14日夕刻には2時間20分間、深夜には6時間半も続いた。この爆発直後、原子炉格納容器の下にあるドーナツ上の圧力抑制室(サブセッションプール)の圧力が、3気圧から1気圧へと急減した。このため、どこかに穴が開いて、放射性物質が漏れている可能性が高い。それだけではとどまらない。発電所内の定期検査中で止まっていたはずの第四号機でも、午前6時頃に火災が起こった。続いて午前9時38分にも、大きな音がした。こちらは、定期検査中だから、使用済み核燃料が原子炉圧力容器から出されて、原子炉格納容器内にある貯蔵用プールの水の中に入れて保管されている。その温度は摂氏40度を下回っているが、やはり冷却をしておかないと、水が蒸発して失われる。ところが電源がすべて喪失しているので、貯蔵用プールの冷却ができない。だから、こちらも温度が上昇して水蒸気か水素による爆発をしたのではないかと推測されている。考えてみると、こちらは使用済核燃料が原子炉圧力容器から出されているし、爆発で建屋の壁が壊れてプールが露出しているから、この方がもっと深刻な問題ではないか・・・どうするのだろう。これら一連の事故のせいで、発電所施設内では放射線量が400ミリシーベルトを示した。この水準について枝野幸男官房長官は、『これまでとは桁違い。人体に影響する可能性の数値だ』と述べた。ちなみにこの放射線量は、普通の人が自然界から一年間に浴びる限度量の400倍に相当するらしい。作業員でも15分間しかその場におられない水準だそうだ。放射線量が500ミリシーベルトになると、血中のリンパ球が減少し始め、1000ミリシーベルトでは悪心・嘔吐があるらしい。このため東京電力は、現地所長判断で、注水作業に直接かかわらない作業員を現場から退避させた。福島県いわき市では15日午前4時に1時間当たり23.7マイクロシーベルトを観測した。茨城県北茨城市では午前5時50分に5.5マイクロシーベルト、東京都新宿区で午前中に通常の21倍の0.8マイクロシーベルト、神奈川県横須賀市では午前5時48分に0.2マイクロシーベルトをそれぞれ観測した。静岡県以西では、特段の放射能は測定されていない。」

 「ああ、やはり私が最初から想定していた最悪のケースになりつつある。これこそ絶対絶命だ、もう崖っぷちにいる」と感じた。心臓が高鳴り、動悸が大きく感ずるようになった。これが、今回の事故対策の第5のポイントである。これでいよいよ最後かと思ったのは、吉田所長だけでなく、私もそうだ。静岡で宿泊している家内に電話し、「東京都や神奈川県まで放射能が来たが、まだ静岡までには及んでいない。そちらへ行くのは時間の問題かもしれない」と言った。「チェルノブイリ事故だと、最大で650キロメートルまで汚染された例がある。もっとも、放射能ブルームの散らばり方は、風向き次第だから、本当にところは誰にもわからない」と説明した。すると「福島から650キロメートルはどこか」と聞くので、「まあ、滋賀県の大津辺りかな」というと、その翌日、孫を連れ、新幹線で大津どころか九州の博多まで一気に行ってしまったのには、驚いた。やり過ぎた・・・。しかし、もっと驚いたことに、その新幹線の中は、小さな子供をバギーに乗せた若いお母さんたちでいっぱいだったこと、そして博多で家内が泊まったホテルでは、空路や船で中国に逃げようとする中国人で満室だったということである。その中国人たちに、家内はこう言われたという。あなた方、政府の言うことなど信じるのは馬鹿ね。本当のことは絶対に隠していのだから、汚染はもっともっと広がっているよ。よく東日本の日本人は、逃げないわねぇ」なるほど、中国では、このように考えないと、生きていけないのだ。3000年の歴史は、侮れない。

 15日午前11時に菅直人首相が首相官邸で記者会見を開き、次のように述べた。「国民の皆さまに福島原発についてご報告したいと思います。ぜひ、冷静にお聞きいただきたいと思います。福島原発については、これまでも説明してきましたように地震や津波により原子炉が停止し、本来なら非常用として冷却装置を動かすはずのディーゼルエンジンがすべて稼働しない状態になっております。この間、あらゆる手立てを使って原子炉の冷却に努めてまいりました。しかし第一号機、第三号機の水素の発生による水素爆発に続き、第四号機においても火災が発生し、周囲に漏洩している放射能、この濃度がかなり高くなっております。今後、更なる放射性物質の漏洩の危険が高まっております。ついては、改めて福島第一原子力発電所から20キロメートルの範囲は、すでに大半の方は避難済みでありますけれども、この範囲に住んでおられる皆さんには全員、その範囲の外に避難をいただくことが必要だと考えております。また、20キロメートル以上、30キロメートルの範囲の皆さんには、今後の原子炉の状況を勘案しますと、外出をしないで自宅や事務所など屋内に待機するようにしていただきたい。」

 16日の私の記述「第三号機と第四号機の使用済核燃料を貯蔵するプール付近で白煙が上がり、火災が発生した。第三号機では爆発で既に建屋の屋上が吹き飛んでいる。他方、第四号機の方もやはり爆発が起こっているが、建屋の横のちょうどプール付近に穴が開いているという違いがある。この二つの原子炉から約1キロメートル離れた正門周辺では、この白煙と火災の発生で午後0時半には、放射線量が1時間当たり10ミリシーベルトを超えた。その後は午後4時20分になると1.4ミリシーベルトまで低下した。いずれにせよ、この二つの原子炉が差しあたり緊急の手当てが必要である。そういうことで、自衛隊のヘリコプターが山火事の消火の要領で、水を吊り上げて空から投下することになった。一度に7トン程度の水を浴びせることができるという。この非常手段は、屋根が壊れている第三号機について、特に効果があると思われる。何が幸いするか、わからないとはこのことだ。そういうことで、自衛隊のヘリコプターが現場から20キロメートル離れている基地から発進したという報道があり、大いに期待した。ところが、現場上空の放射能を測定した観測ヘリコプターによれば、自衛隊員に認められている許容限度の50ミリシーベルトの4倍という、予想をはるかに上回る放射能が観測されたとして、水の投下が中止されてしまった。これで私も大いに落胆したひとりであるが、報道によると、もともと自衛隊は地上からの放水の方が効果があると主張していたようだ。そのせいかどうかは知らないが、警視庁機動隊の高圧放水車にも出動が指示されたようだ。明日を期待したい。」

 さらに私は書いた。「それにしても、われわれ国民が心から感謝すべきは、この福島原子力発電所の危機に際して、現場で献身的に必死に努力している作業員、自衛隊員、警察官などの皆さんである。特に命がけなのは、原子力発電所のサイトでコントロールしようとしている東京電力の作業員の皆さんである。放射能レベルが上がっているから、中央制御室からは退避せざるを得ない状態で、そのために電気が切れて真っ暗な中を制御室まで走っていって計器の数値を確認して何とか対処しているという。また、弁を開けて高温高圧の蒸気を外に逃すといっても、これはあの危険な原子炉の建屋内で、真っ暗な中で手作業で行ったそうだ。我が身への危険を省みずに実に困難な作業を行う、まさに英雄的な行為ではないだろうか。」 いや、本当にそう思っていた。たまたまこの日は決心がつかなかったようだが、明日こそは必ず、自衛隊のヘリコプターが海水を投下してくれるに違いないと、祈るような気持ちでいた。

 そして、翌17日となった。私の記述は次のとおりである。「本日17日の午前、テレビを見ていると、自衛隊のヘリコプターが第三号機と第四号機に対して水を落とした。隊員に防護服を着てもらい。かつヘリコプターの床にタングステンの板を引いているらしい。放射線の遮蔽効果があるようだ。ただ、ホバリングせずに通過しつつ上空から水を落とすというスタイルなので、どうしても正確さは劣る。私が見ていた限りでは、5分の1くらいしか入らなかった。一回が7トン半ということだが、当初期待していたような効果はなかったかもしれない。次いで、午後7時半過ぎには、警視庁の機動隊放水車が原子炉から30メートルの距離に近づき、高圧で放水を行おうとした。一回の放水は4トンで、かかる時間はたった1分という計画だったが、放水は届かず、放射能の値が高いといって、撤退してしまった。そんなことで良いのかといいたいところだが、隊員の健康にも配慮しなければならない。だいたい、ひとつの使用済核燃料の貯蔵プールの水の量は、1450トンらしい。その全部の量の水は必要ないとしても、千トン単位の水は必要だろう。それなのに、わずか何十トンの水の20%程度が入ったところで、そんなものは、まるで蟷螂の斧ではないか。もう、本当に打つ手はないのか・・・映画タワーリング・インフェルノで消防隊長を演じたスチーブ・マックィーンのようなヒーローは、今の日本では期待できないだろうな・・・。これからは、まるで人類未知の世界となる。魔王に支配されるか、それとも菩薩が微笑むか、そのどちらかである。」 このときの焦燥感と絶望感は、まだよく覚えている。

 18日も、状況はあまり変わらない。「福島第一原子力発電所・・・第三号機と第四号機は、既に水素爆発や火災を起こして建屋が見るも無惨に損壊している。東京電力が飛行機を飛ばして上空から確認したところ、第四号機の使用済核燃料の貯蔵プールには水が残っていることがわかった。そこでこの日は、第三号機への注水が優先された。自衛隊は、この日は地上から50トンの海水を放水した。警察の機動隊の高圧放水車も、車内の4トンの水に加えて貯水してあった40トンの水も放水したが、直後に隊員が身につけている放射線の線量計が警報を発したので、あわてて退避したそうだ(あとから、誤報とわかる)。ああ、こんな体たらくでは、とても持たない。焦燥感が強くなる。タイムマシンでひとっ飛びして、昔の日本陸軍の爆弾三勇士でも連れてきたいものだ・・・」

 やっと19日になって、劇的な展開があった。私は、いささか興奮してこのように書いている「出た、出た、やっと出てくれた。今回の大事故を救ってくれるスーパー・ヒーローだ。東京消防庁の緊急消防援助隊のことである。福島第一原子力発電所の第三号機に対し、地上22メートルのところから放水できる屈折放水塔車を使って、10時間で推定千トン強もの海水を、地上から放水でぶち込んでくれた、佐藤康雄警防部長、ハイパーレスキュー隊の富岡豊彦総括隊長と高山幸夫総括隊長の三人が福島の現場から帰ってきて、千代田区の東京消防庁で19日夜に記者会見を行った。佐藤部長以下は「非常に難しい危険な任務だったが、国民の皆さんの期待されるところをある程度達成することができた」と語った。それによると、3月11日には都内で51件の火災があり、それに対応していた。その一方、今回のような核(N)事案があるのではないかと机上で研究し、16日には荒川で色々な状況を想定して訓練を行っていたという。これは、すごい、用意周到だ。さすがプロだと感じ入った。そして、いよいよ石原知事から出動命令があったとき、家に帰る時間がないので奥さんにメールを送ったそうだ。これから、福島へ行ってくる』と。すると部長の奥さんは『日本の救世主になってください』と一行の返事を寄越してくれたそうな。奥さんも偉い。こういうヒーローやヒロインがいてくれないと、こんな修羅場は収められない。ちなみに、被爆をなるべく押さえるために、最初は機械でホースを展開する予定だったが、いざ現場に行くと地震、津波、爆発による瓦礫が散乱していて車が通れないことがわかった。そこで隊員が自らの被爆を顧みずに外へ出て、人力でホースを展開したそうだ。私は大いに感激した。われわれ日本国民は、この英雄的行為に深く感謝しなければならない。」

 これにより、状況は明らかに改善するようになった。私の記録では、「原子力安全保安院によると、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の大量放水によると思われるが、3343マイクロシーベルトだったものが、その後7時間経った時点で2906マイクロシーベルトと、500マイクロシーベルトも改善された。なお、これとは別に、第五号機について新たに非常用冷却ポンプが回復した。すると、その使用済核燃料貯蔵プールの温度は、その直前には摂氏68.8度だったものが48.1度と、20度以上も下がった。また、これに引き続いて第六号機についても、現在は67度であるが、冷却を開始し始めた。悪くなる一方だった原子炉の状況が、少しは好転してきている模様だ。」

 この頃をターニング・ポイントとして、それまでこの世の終わりに向けて一直線に落ちていく一方だった日本の運命を示す折れ線グラフが、ようやく上向きになってきた。上に掲げた私の日記には、その安堵した様子が描かれている。しかし、私にはひとつだけ腑に落ちないことがあった。空焚き状態だった第四号機の使用済み核燃料プールに、なぜ水が残っていたのかという点である。プールの中の水は冷却されないままでいたから、とうの昔に蒸発してなくなっているはずだった。そうなると、最悪の場合は(専門家はないというが)再臨界となりうるし、そうでなくとも崩壊熱で2000度を超す高温となって溶け出し、それが爆発的に周囲に飛び散る。もとよりこの使用済み核燃料は、格納容器内ではなく原子炉建屋の中にある単なるプールに入っていたもので、しかもその建屋自体が爆発して何の遮蔽もできていない。だから、周囲に使用済み核燃料の溶解したものが飛び散るということは、原子炉の中身を空中に向かって放り出すことに等しい。こうなってしまうと、チェルノブイリ事故とまったく同じことになり、その結果、福島第一原子力発電所には近づけなくなる。すると当然、福島第二原子力発電所にも人間が近づけなくなる状況に早晩追い込まれ、その後は悪魔の連鎖となって、もはや最後のシナリオに向かって一直線に落下していくしかない。ところが、ここで日本に神風が吹いたのである。

 事故から50日目に、私はこう書いている「福島第一原子力発電所の第四号機において、3月15日にどういうことが起こっていたのかにつき、誠に興味深い記事が載っていた。これが本当だとしたら、我々日本人は、ごくごく危ない道を渡りながら、ほとんど信じられないほどの幸運に恵まれて、かろうじて無事だったということになる。鎌倉時代の元寇に際して吹いた、神風のようなものである。それはどういうことかというと、次のような出来事だったらしい。3月11日の地震と津波で冷却機能が失われた。すると、使用済み核燃料貯蔵プールから、使用済み核燃料棒が次第に露出してきて、まさに燃料の溶融が起き始めようとしていた。その直前には、露出した燃料棒を覆う金属ジルコニウムが高温となり、水と反応して水素が次々に生成された。その水素が建屋内に溜まり、思いがけず水素爆発が起こった。かなり激しいもので、建屋の上部が吹き飛んでしまった。すると、その爆発の衝撃で、隣のスペースとの間の壁となっていたゲートが壊れ、たまたま隣(原子炉ウェル)に入れてあった数百トンもの水が貯蔵プールに流れ込んだ。そのような偶然によって、貯蔵プール内の使用済み核燃料棒が再び水に覆われ、結果的にそれが冷却機能を発揮し、燃料の溶融が止まったというのである。この第四号機は、第一号機から第三号機までと違って、定期点検中だったので、原子炉圧力容器から核燃料棒が搬出されていた。したがって原子炉圧力容器は空っぽとなっていたのだが、燃料棒を空気に触れさせずに移動させるために、たまたま原子炉圧力容器とその上の原子炉ウェル全体を水で満たしていたのである。だから、その水をせき止めていた壁に当たるゲートが水素爆発で「運良く」破損したために、その中の数百トンにのぼる水が隣の使用済み核燃料貯蔵プール内に流入し、それが溶融を止めたというわけである。この都合の良いハプニングがなかったら、1331本の使用済み核燃料棒が入っていた貯蔵プールが加熱して燃料棒の溶融を起こし、文字通りのメルト・ダウンになっていたものと考えられる。そうなると、チェルノブイリ事故のような水蒸気爆発を起こして、放射性物質が大量に世界中にまき散らされただろう。それだけでなく、冷却手段を失った第一号機から第三号機までの原子炉でも使用済み核燃料棒貯蔵プールで同じようなことが起こっただけでなく、原子炉本体に入っている核燃料棒すべてについても、また同じことになっていたはずである。」 これと全く同じことを官邸のスタッフのひとりも感じたらしく、民間事故調報告書によれば、この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」(p119)と語っていたそうだ。まさに同感である。

 なお、この偶然について、今年の3月になって、新聞にもう少し詳しい解説が載っていた。それを要約すると、神風にも当たる嬉しい誤算は2つあったという。それは、震災直後の工事の不手際と、思いがけない仕切り壁のずれである。まず前者の方は、原子炉真上の原子炉ウェルという部分を取り換えるという大きな工事が行われていて、そのために原子炉真上の部分に水が貯められていた。放射能を帯びたシュラウドという大型構造物を切断して解体するときに無用な被ばくをしないように、水を放射能の遮蔽に使うためである。その原子炉真上の部分の隣にあるDSピットという部分にも仕切り壁を作って、シュラウドを解体した後はそこへ水を移して原子炉真上の部分からは水を抜くことになっていた。シュラウドの解体が終わったので、2011年3月7日までに水を移すはずだったが、補助器具の寸法違いのために工事が遅れ、震災が起こった3月11日時点では、水を張ったままにしておかれた。これが第一の幸運である。次に後者の方であるが、DSピットの反対側には使用済み核燃料貯蔵プールがあって、やはり仕切り壁で仕切られていて、プールの位置は原子炉ウェルよりも低かった。これがポイントである。そして、原因は地震のせいか、それとも第四号機が爆発したせいかはよくわからないが、仕切り壁がずれて、原子炉ウェル側からプール側へと、およそ1000トンにも及ぶ水が流れ込んだ。これこそが第二の幸運となったということである。これが崩壊熱で加熱されて蒸発したとみられるプールの水を補い、さらに3月20日からは、外部から放水することで、間断なく供給されたものだといわれている。まさに、紙一重だったと思う。




(平成24年3月18日著)
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