悠々人生のエッセイ








 お昼、近くのレストランにひとりで食事に行ったところ、「やぁ」という明るい声とともに、私に向かって手を振る人がいる。同級生のAくんで、会うのは数年ぶりだ。「おやおや、こんなところで・・・お久しぶり。元気そうだね。」といい、彼の座っているテーブルの向かいに腰を下ろした。ここは彼が良く通う定番の食事処で、私が注文した魚料理は、昨日、彼が食べたものだそうだ。

 すぐに近況の話となる。なかでも、家族とりわけお互いにひとりずついる男の子と女の子の、二人の子供のことが話題にのぼった。私の家では、数年前に上の娘が結婚をして初孫がいるし、昨年秋には下の息子が結婚したばかりである。彼のところも似たような状況で、昨年は上の男の子が結婚し、今年の初めには下の女の子がやっと結婚してくれたそうだ。実は私は、この女の子と同じ職場にいたことがあって、美人であり、かつその才女ぶりは良く知っている。ところが年賀状の季節になっても、なかなか姓が変わらないのでどうしているのかなと案じていたが、これで納得した。

お台場から都心を望む


 しかし、ここに至るまでには、男親としての、彼の涙ぐましい努力があったのである。男の子は、東京の大学を出た理系の技術者で、関東地方のある県に勤務している。ところが東京都内で結婚相手を見つけようとしても、結婚後はその県に住むことになるというその地名を聞いただけで、「お断りします」ということになる。そういうことが幾度もあって、本人は「もう結婚しなくても良い」とまで言うし、それをまた説得し・・・などという騒ぎを何度も繰り返してきたそうだ。そこで、うかうかしていると40歳に近くになるという年回りになるに及び、親としてかなり焦っていたところに、たまたま実家近くの小学校の先生から「こういうお嬢さんがいるのだけれど・・・」という話が舞い込んだ。

 これを逃すと、もう後がないという切羽詰まった状況で、また県の問題が頭をよぎった。そこで彼が考え付いた方法というのは、両者の勤務先の中間からちょっと都内寄りの埼玉県に住まいを定めるということだった。これで、お嫁さんの方は、相変わらずの通勤時間で、結婚前と同じように都心の勤務先まで通えるというわけだ。このアイデアが効いたのか、話はとんとん拍子にまとまり、晴れて華燭の典を迎えることが出来た。その結婚式の写真を見ると、なるほどお似合いの二人である。お嫁さんの方は、ただいま妊娠中で、来年初めには、待望の初孫を授かる予定とのこと。それは良かった。

 しかし、東京に住んで仕事をするいまどきの若い女性にとって、東京都 → 地方の県というのが、それほどネックになるとは思いもしなかった。その県に住んでおられる皆さんに対しては誠に申し訳ない言い方だが、都落ちという感覚なのだろうか。これでは、田舎に嫁の来てがないはずである。私が思うに、田舎には田舎の良さがあるし、どこでも住めば都だと考えるのであるが、とりわけ都心に住み仕事をしているお嬢さんが田舎に住まいを移すというのには、非常に大きな抵抗感があるらしい。確かに、そういうことを東京でのお見合いの席で主張するのは、いささか勇気がいるかもしれない。

お台場から都心を望む


 ところで、二人の子供さんのうち、もうひとりの30歳代半ばとなった娘さんは、たいそう弁もたつし勝ち気で気が利いて先々を見通せるタイプだから、父親から見ると、その性格がついつい相手の男性をやり込めることになってしまう傾向があるという。そういうことで、こちらもなかなか良縁に恵まれなかったが、さすがに30歳を超すと、親としてあせる気持ちが出てきた。ところが本人は、結婚するという気はさらさらなかった。それもそのはず。彼女の同僚の女の子たちを見ても、皆揃って美人の才媛ばかりで、しかもお金持ちのお嬢さんが多く、ちょっとした暇を見つけては海外に行って買い物したりダイビングをしたり観劇をしたりなどと、人生を満喫している。だから、そういう人たちと交じっていると、結婚するのは自分の生活レベルを下げるように思えて、特に20歳代の頃はどうもその気にならないそうだ。

 ははぁ、それはそれは・・・バブル期の残照がまだ続いているようなもので、まるで極楽のような世界だ・・・そもそも、今の世の中でまだそんな世界が残っているのかという気がする。近頃はだいたい、大学を出ても就職もままならない上、やっと勤め始めても非正規でのお仕事になってしまうし、経済的に非常に厳しいという人が多い中で、そんな海外で買い物だのダイビングだのと気ままに振る舞えるなんて、なんと贅沢な・・・まあ、世の中にはお金が遍在していることを如実に示すものだ。なるほど、そんな裕福で世間離れしている女の子たちに交じっていると、身の回りを地道に見て生活するということすら、ままならないわけである。ところが、この私の友達は実に偉い。そういう娘さんが30歳半ば近くの年齢となり、次第にその気になるまで辛抱強く待って、一気にお見合いから結婚にまで漕ぎつけさせたのだから、並大抵のことではない。こういう荒事こそ、男親の力の見せどころである。

 でも、さすがに内心焦ったそうだ。娘の方は、30歳を超えたのに、結婚などさらさらする気はない。ところが、相手となるべき男性は、お嫁さんは若い方がよいことは、いうまでもない。だから、言葉は悪いが、結婚相手としての女性の商品価値は年をとるごとに大きく落ちていくものだと思いつつ、それを口に出してやかましく言うのは、かえって逆効果となるのがわかっているので、諭すタイミングと内容について、とても気を使ったそうだ。なるほどねぇ・・・。また、それに加えて、娘のやや勝ち気な性格と頭の良過ぎるところが問題だとわかっていた。そこで、あまりに頭が良くて旦那さんの先をどんどん考えていくことは、結果的に旦那さんを精神的に抑えつけることになり、それは男から見るとあまりに可愛くないものだということを、まずわからせた。その上で、そういうことは是非どうしても言わなければいけないという最終的な局面のためにとっておいて、はっきり言うと普段は馬鹿の振りをしていて、旦那や男を立てろと何度も説教したそうだ。これには、笑ってしまった。

お台場から都心を望む


 ところで、私の子供たちはいずれも勝手に結婚相手を見つけてきたので、こうした彼の努力に比べれば、私のしたことは単に結婚式に出席することくらいで、全く大したことはやっていない。私はそういうのが当たり前という気でいたが、しかしそれは、たまたま実に幸運だっただけのことで、一歩間違うと、彼のような努力をせざるを得ない羽目に陥っていたのかもしれない。それを思うと、男親としての彼の奮闘は本当に尊敬に値すると思い、感無量でただひとこと、「そりゃあ、君は実に良くやったよ。心の底から感心する。良いお父さんだ。私には、とてもやれない。」と申し上げておいた。




(平成24年9月26日著)
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