悠々人生のエッセイ



「さくらぽっぷ」さんイラスト






 今年の春は桜の花が例年より10日ほど早く咲き始めて、瞬く間に満開となった。4歳と3ヶ月になった初孫ちゃんを連れて、花見の散歩をした。まずは近くの東大構内で、安田講堂の脇に満開となった枝垂れ桜を眺め、その下で記念撮影をした。次に医学部のベルツ博士の銅像の前の染井吉野を眺めてひと休みをする。初孫ちゃんは、こんな花には全く興味がないのかと思ったら、意外とそうでもなくて、「きれいねー」とか「このお花、いい色ね」などと、一端の大人並みに鑑賞しているから、こちらも思わず笑ってしまう。

東大構内で、安田講堂の脇に満開となった枝垂れ桜


東大構内医学部のベルツ博士の銅像の前の染井吉野


 でも、やはり子供だ。不忍池にさしかかったときのこと、池の周囲には染井吉野だけでなく、いろいろな桜の木が真っ盛りである。池越しに見える東京スカイ・ツリーを見つけて喜んでいたかと思うと、その辺の石ころ拾いに夢中になった。そして、自分で気に入った石を見つけては、それを預かってくれという。懐からビックカメラと書いてある茶色のプラスチック・バックを出して、そこにどんどん入れる。するとまた持ってくるので、それをまた入れる・・・そういうのを繰り返して、もうよしてくれと言いたくなった頃、初孫ちゃんの関心は石から落ちている柳の小枝に移った。様々な長さの小枝を集めてくる。ところが、枝といっても中には1メートル近くにもなるものすらあるし、それを持つ手が動くたびにピュンピュン揺れたりするので、危なくて仕方がない。それが自分や通行人の眼に当たらないかと心配になる。そこで、「それはちょっと危ないから、集めるのは止めよう」と話した。すると、本人はしばらく考えていたが、すぐにすっぱりと諦めてくれた。

不忍池越しに桜に囲まれる弁天堂


不忍池の桜


 さてその初孫ちゃんは、4歳と3ヶ月になった。これまでは若干離れていたところに住んでいたことから、1〜2月に一回ほど会って、その成長ぶりを眺めるぐらいしか出来なかった。ところが、最近、東京に戻って来て、前よりも頻繁に会えるようになったので、改めてその成長ぶりに目を見張る思いをしている。特に4歳の誕生日を挟むこの数ヶ月間の成長は誠に著しく、おむつをした赤ちゃん時代から一足飛びにお兄ちゃんになったものだとつくづく感ずる今日この頃である。

 何が違うのかというと、まずは、とても社交的になった・・・というか、何でも疑問に思ったら無鉄砲に誰とでも会話を始める。特に地下鉄に乗ったりすると、気が付いたら知らない人と話をしているという場面もしばしばある。この間は50歳くらいの知らないおじさんに、いきなり車内でこう聞いていた。「あなたは、どこで降りるの」。ああ、次の駅さ「なんで?」おじさんの家があるからさ。今日は雨だけど、傘は持っていないの?家に置いてあるの」

 近くの公園で遊んでいたときのこと、その隣で住宅を新築している。車体に産業廃棄物処理業者と書かれた4トントラックがやってきて公園前に横付けし、その建築作業で出た廃材や梱包材料を二人がかりで積み込んでいた。すると、公園の中からウチの初孫ちゃんが、頭にタオルを巻いてその作業中のおじさんに向かって叫んだ。「ねえ、おじさん、何してんの?」すると、そのおじさんは風体や顔つきに似合わずやさしい声で、こう言った。「うん、お片付けをしてるんだよ。こんな仕事でなくても、何かを売ったり、お金を数えたり、物を作ったりする仕事もあるから、できたらこんな仕事はやめた方がよいね」もう、私は苦笑をかみ殺して、そのおじさんに頭を下げるばかりであった。

 そうかと思うと、私のマンションのエレベーター内で、同じマンションに住む80数歳の奥さんと私たちが乗り合わせた。その方のお宅は、ご夫婦そろって背が低くて150センチもない。すると初孫ちゃん、その奥さんに向かって突然話しかけた。「ねえ、おばちゃん、どうしてそんなに背が低いの」。そんな失礼なこと聞くものではないと言うべきだが、まったくもう・・・止める暇もない。しかし、その奥さんはなかなかの人格者で、こう答えてくれたのである。「うん、おばちゃんたちの若い頃はね、戦争で食べるものがなかったの。だから、背が大きくならなかったの。だからボクも、たくさん食べて大きくなるんだよ」。いやいや・・・人それぞれに背景となる人生があるものだ。これについても、その奥さんに感謝して頭を深々と下げた次第である。


不忍池の桜


 iPhoneやiPadが何より好きで、貸してくれとうるさい。私が入れたパスワードをちゃんと覚えていて、それ以来、自分でパスワードを勝手に入れて開けてしまう。私のiPhoneの最後のところに、打上げ花火、熱帯魚の水槽、ハンバーグ作成、ゴルフなどのゲームがあるのを見つけて勝手に遊ぶ。最初はデタラメに触っていたが、徐々に使い方を覚えて、私の知らない画面を出して自由に遊んでいる。そうかと思うと、音楽のアプリを開けて、ベートーベンの交響曲・運命を流し、そのダダダダーンという一節になると「これが良いんだ」などと独り言を言いながら曲に合わせて身体をいっぱい使って踊りまくる。こういうところは、現代っ子そのものだ。

 しかし、せっかくのiPadだから、何か勉強させられないかと思い、検索して平仮名の練習が出来るアプリを見つけて購入した。素知らぬ顔をしてデスクの上に置いておくと、家にやってきたときにそれを見つけて大喜びし、自分でやり始めた。「あ」「い」などを画面上に指で書くと、それがそのまま保存されて画面の上の部分にあるいくつかの箱に納められて、それを10回やると花丸マークが付いて次に進むというものだ。最初はまじめにやっていたのだが、「あ」行と「か」行が終わり、「さ」行に移って「し」の番になった。すると「し」という文字は書くのだけれど、変なところに点々をつける。「『じ』なら、そこと違うよ」というと、「いいの。これは『ほこり』なの」なんて言いながら、それが保存されるのをキャッキャッと喜んでいる。「何だ、冗談か」と思いながら、それにしても「ほこり」なんて、よく思い付くものだと感心するやら困るやら。頭が働きすぎるというのも、良し悪しである。


不忍池の桜


 最近は、とっても細部にこだわるようになった。たとえば、紙で飛行機を作っているとき、先端が少しでもズレたら、必ずやり直している。最初は折り紙程度の大きさの紙で作っていたのだけれど、どんどん大きな紙飛行機を作るようになり、それがますます遠くまで飛ぶ。すると気を良くしてとうとうA3の紙をセロテープで二枚くっつけて巨大飛行機を制作した。さて、どこまで到達するかと思ってそれを飛ばしたら、構造が耐えられなくて空中で広がって分解してしまった。すると、それがたいそう口惜しかったらしくて、何回も折ってとうとう槍のような飛行機にしてしまった。傍で見ていて、あんなもの飛ぶのかと訝っていたら、何とそれが一番飛ぶ飛行機になった。

 歳相応に、なかなか悪智恵が働くようになった。洗面所に入ったかと思うと、「ちょっと見ないで」とだけ言ってしばらく籠もる。どうもおかしいなと思ってドアの隙間からそっと覗くと、口にリップクリームやら口紅やらを一杯付けていたりする。こういうことはさせじと、ドアを開けたままで監視するようにした。ところが初孫ちゃんもなかなかの曲者で、あさっての方向を向きながら、鏡を使って逆にこちらの動きを監視していた。あるとき、歯磨きチューブがかなり減っているのに気が付いた。これは甘いからひょっとして食べているのではないかと思い、やや苦味のある歯磨きチューブを置いておいたら、渋い顔をして何もいわないで洗面所から出て来た。やっぱりそのようである。また最近は、大人の会話を耳にして、その内容がわかるようになった。とりわけ話の中身がこの子のエピソードや、何か都合の悪いことに及ぶと、それを直ちに察知して、近くでガオーなどと大きな声を上げる。娘は、困ってしまうわ。妨害騒音を発するのよね」と表現したから、笑ってしまった。

 食事は、ご飯と肉、魚、それにチーズに目がない。それらはとってもたくさん食べるのだけれど、野菜となると、さっぱり食べなくなる。お母さんは、野菜を細かく切って、混ぜ御飯にしたり自宅で焼き上げるパンに入れるようにしてきた。いわば野菜の「ステルス化」である。ところが、我が家に来たときは、この子の将来のことを考えてそういうことはやめにして、少しでもよいから野菜食べる習慣を付けさせようと、いろいろ工夫するようにした。最初は、ほうれん草を口元に持っていくと、手で口をふさいで「行き止まり」と言う有り様で、とても食べる気配がなかった。そこを家内が色々と工夫し、肉とセットにして色々な種類の野菜を食べさせたり(いわば「抱き合わせ」)、あるいは好きなご飯を食べる前にこのひじきを食べることとしたり、さらには「お野菜を食べないと、大きくなれないよ」などと少し脅かすなど、あらゆる手練手管を弄して、何とか一口ずつでも食べさせることに成功しつつある。でも、全国には野菜嫌いの子が多いと思うが、そういう子を持つお母さんたちは、いったいどうしているのだろうか。聞いてみたいものである。子育ての専門家によれば、たとえ一切れでも食べた経験がある子は、将来必ずその野菜を食べられるようになる」ということなので、なるだけ努力したい。

 近頃は、自我が目覚めたのか、子ども扱いをすると嫌がる。たとえば、我が家に来たときにトイレに入って用を足すような場合、トイレを汚さないか気になってドアを開けて大人が見ていると、つい数ヶ月前までは何も言わなかったのに、最近では極端に嫌がる。また、公園で知らないお友達と遊ぶという場面では、我々が近くに寄って、「あの子は小さいから、何でも譲るようにしてね」などというと、(そんなこと、わかっている)とでも言うように、手を振り払って「わかっている」などと煩そうに叫ぶ。そんなとき、こちらは「ああ、お兄ちゃんになったのだ」という気になる。

 それにしても不思議なのは、この寒い季節がまだまだ続いているというのに、寝るときに掛け布団がいらないことである。いったん寝付くと、それが単に下着一枚の姿であっても、大汗をかいている。室温をみると、23〜25度であるから、大人だったら掛布団のひとつも必要だと思うのであるが、実際に掛布団を掛けたりすると、汗びっしょりとなる。とりわけ寝入りばながそうである。そういうときには、寝たままで着替えさせる。そして寝入ってから1〜2時間もすれば、汗をかくということはないが、そこでまた布団を掛けたりすると、また元の木阿弥となる。結局、寝間着一枚のまま、朝までいってしまい、それで朝起きてくるのだから、大人では考えられないことが起こる。幼児の体というのは一体どうなっているのかと思う。

 楽天的というか、気にしないというか、たとえ親に叱られても、嫌なことは次の瞬間すぐにケロリと忘れてしまう性質のようだ。自宅から少し遠い児童公園で、知らない女の子とパン屋さんごっこをして遊んでいた。よほど楽しかったらしく、夕方になってその子が帰ってからも余韻を楽しむようにしばらく一人で遊んでいた。ところがそのとき突然「オシッコ漏らした」と叫んだ。最近はトイレを失敗したことがないので、私もうっかりして着替えを持って来なかった。そこで仕方ないので、建物の陰で、下着のパンツだけ脱がして、ズボン(この子は「パンツ」という)をそのまま履かせようとした。「濡れてる」と文句を言ったが、「下が裸よりいいでしょ」と言って無理矢理履いてもらった。抱くとこちらも濡れるので、家まで手を繋いでそのまま歩かせた。最初はガニ股で変な歩き方をしていたが、しばらくすると慣れたようで、お気に入りの歌が出るようになり、道中大声で歌うなど、ご機嫌さんになった。坂を下って我が家まであと50メートルという場所に来たとき、突然、その歌が「パンツが落ちた、パンツが落ちた」に変わった。妙な唄を歌うなと思いながら先を急いでそのまま自宅前に来たとき、やはり変だと思って初孫ちゃんをよく見たら、本当にズボン(パンツ)が膝まで落ちていて、両太腿が丸見えだったのには、ビックリした。自転車で通りがかりのカップルに笑われ、あわてて家に戻って、着替えさせた。


近くの児童遊園の滑り台。


 ところで、自宅前には文京区の児童遊園がある。これまでは正直言って、そういうものにはさほど関心がなかったが、今回、孫が家に遊びに来るときに初めて連れて行った。すると、たいそう喜んで遊び回っていた。滑り台、ブランコ、お砂場の順に使っていたが、とりわけ滑り台では、単に滑ったり駆け上がったりするだけでなく、友達と一緒に滑ったり、その周りで追いかけっこをしたりして、大いに楽しんだ。こういういうのをいわゆる「外遊び」なのかと納得した。最近は一人っ子が多い中で、同世代の友達との共同生活に慣れるのに良い環境である。また、そのほか文京区には「子育てひろば」というものがあり、指導員がいて、「保護者と就学前の乳幼児が、一緒に安心して遊びながら、他の親子との情報交換や交流が図れる場」となっている。確かに、子育てで孤立感を深めるお母さんお父さん方も多いだろうから、そういう意味では有難い存在となっているようだし、我々のような俄か育爺・育婆にもそれなりに使いでがありそうだ。


(平成25年3月24日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)







 赤い火を噴くあの山へ 登ろう登ろう
  そこは地獄の釜の中 のぞこうのぞこう
  登山電車ができたので 誰でも登れる
  流れる煙は招くよ みんなをみんなを
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ


 暗い夜空に赤々と 見えるよ見えるよ
  あれは火の山ベスビアス 火の山火の山
  登山電車が降りてくる ふもとへふもとへ
  燃える焔は空に映え 輝く輝く
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ


             訳詞: 清野 協、 青木 爽
             作曲: ルイジ・デンツァ


 ウチの初孫ちゃん、ディズニーシーに何回か行ったことから、あそこのプロメテウス火山が大のお気に入りで、誰にでもその話をする。ねえ、プロメテウス火山って知ってる?ドドドーって、爆発するんだよー」と、爪先立ちして両手を一杯に伸ばして爆発の様を見せ、ついでに口を大きく開けてドドーンとやるから面白い。

 そんなに火山が好きなら、何か歌がなかったかなと考えて思いついたのが、フニクリ・フニクラだ。ウチの子供が小さい頃からあった歌だったなぁと思いながら歌詞を諳んじてみたら、意外と簡単に出て来た。念のため、ネットで調べてみると、ほぼあっている。これだこれだと思い、初孫ちゃんに歌ってみたら、あっさり「変なの!」と言われてしまった。これはいかん、誰かプロが歌っているビデオはないかと思ってYouTubeで検索したところ、面白いビデオを見つけた。それが冒頭のビデオである。

 このビデオを含めてこの歌にまつわる話をいろいろと集めてみると、面白いことが分かった。そもそもここに歌われた火山は、イタリア半島の西側にある風光明媚なナポリ湾の東9kmに位置するヴェスヴィオス火山のことである。ヴェスヴィオス火山といえば、紀元79年の大噴火で、その麓にあった古代ローマの町ポンペイを火砕流で焼き尽くし、埋めてしまったことで世界的に知られている。ヴェスヴィオス火山はその後何回も噴火を繰り返してきたが、今日までイタリア市民にこよなく愛され、親しまれて来た火山だという。

 そして、19世紀末には、この火山を見物するために、麓から火口までをつなぐ登山鉄道まで出来たそうな。どんな鉄道かは、このビデオに出て来る。東京近辺なら、ちょうど大山のケーブルカーのようなものだ。ところがこの鉄道、開業当初は客がいなくて閑古鳥が鳴いていたそうだ。そこでこの鉄道の完成を祝し、合わせて宣伝するために、作曲家ルイジ・デンツァが1880年に作ったのがこの曲というわけだ。一説には、世界で初めて作られたCMソングだという。そういうわけで、この登山鉄道は評判となり、大繁盛したそうな。ところがそれで話をおしまいにしてくれないのがヴェスヴィオス火山の怖いところ。この登山鉄道は、1944年の大噴火で焼けてしまったそうだ。それ以来、再建されていない。しかし、この歌だけは人々の記憶に残り、未だに歌い継がれているという。ただ、原語の歌の意味は、日本語の歌詞とは似ても似つかないもので、意中の女性に愛を告白するというもの。さすがにイタリアらしい。

 色々なエピソードがさりげなく入れられているこのビデオ、歌っているのが由緒正しきテノール歌手の福井敬さんで、実に良い声だ。イタリア語なのに、日本語の「山」に聞こえる部分があるから、これまた不思議である。調べてみると、ナポリ語の「Jammo」を歌う部分である。初孫ちゃんは、じーっとこれを聴いていたが、特に何も言わなかった。しかしその直後に二人で手を繋いで外出したとき、ヤンマ、ヤンマ、ヤンマ」と調子よくつぶやいていたのには、思わず笑ってしまった。




(平成25年2月16日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)




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