昨年、私自身が「転職」したことにより、同じ法律関係の職でも仕事内容がかなり変わってしまった。前職では、忙しいときには日が変わるまで仕事をすることもしばしばであったが、その代わり暇なときには早めに・・・といっても普通のサラリーマンと同じような時間であるが・・・帰宅すると、有り余るほどの時間的余裕があった。だから、そうした暇な時間を利用して、好きなエッセイを書き溜めたり、撮った写真を整理したり、ホームページ「悠々人生」に手を加えたりする余裕もあったというわけである。ところが今度の最高裁判所での職は、毎日毎日、たくさんの事件が舞い込んで来て、恒常的にとんでもなく忙しい。目の前を次から次へと案件が通り過ぎて、しかもそのひとつひとつが、それこそ、人の一生にかかわる問題であることが多いので、あだやおろそかはできない。それに伴い書く仕事がとても多いものだから、これらに加えてエッセイなどを書くという、暇人の特権のようなものもなくなって来た。誠に残念ながら、とても「悠々」と過ごすどころではなく、要は仕事に追いまくられるようになったのである。 次に私の身辺に生じた大きな変化は、孫が私たち夫婦の家に居着くようになったことである。もともと孫は、共働きの両親の下に生まれてから此の方、保育園とベビーシッターで育てられて来た。しかし、特に娘がクリニックの責任者となり仕事がますます多忙になって、とうとうそれも限界に来てしまった。加えて、本格的なインターナショナル・スクール系の幼稚園に入れたいということもあり、そこに通うのに便利な我々夫婦の住まいのごく近くへと引っ越して来た。そこで、我々も最初はごく短期間のベビーシッターの役を果たすことにしていた。ところが、孫や我々もお互いになじんでくるうち、次第に孫の日々の躾けや世話のため、我々の家に寝かせ、食事やお風呂などの日常生活を送るようになってきた。それからというもの、我が家そのものが、孫のホームグラウンドのようになってしまった。というわけで、実は私も毎日、孫とお風呂に一緒に入り、キャッチボールと称するゴムボール投げの相手をし、絵本を読んであげ、寝かし付けまでを担当するようになってしまった。それだけでなく、日曜日には、何処かへ連れて行くことになっている。だから、パソコンを開けてエッセイをつむいだり、ホームページ「悠々人生」の手入れなどをしている暇は、ほとんどなくなってしまったのである。 第三として、昨年、私は第一の職業人生を終えたので、まだ記憶に新しい内にと思って、これまで自分が歩んだ道を思い出して、文章にし始めたところである。日本経済新聞が「私の履歴書」という記事を設けているけれど、まあ、そういうものだと思っていただいてよい。これは別に公開するつもりで書いているわけではないが、例えば、私の子供たちや孫たちに、私と家内がこういう人生を歩んで来たのだということを知っておいてもらえれば嬉しいという程度のものである。 最後になるが、第二の職業人生で私は、日々、事件の処理を行っている。それぞれに公式な記録はあるものの、このような気持ちや考え方でそのように結論付けたという、いわば背景描写のようなものは、公式記録上のどこにも残らない。仮に将来それを振り返って自ら反省をしたり、あるいは別の事件処理のよすがとするようなこともあるだろうから、そうした場合に備えて、短いものでもよいから、記録を付けておきたいのである。これも別に公表するつもりはなく、あくまでも個人的な心覚えのための記録である・・・というわけで、ただでさえ忙しいのに、自分からまた忙しくしている。 (平成26年3月25日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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