邯鄲の夢エッセイ



四季彩の丘




 北海道縦断の旅( 写 真 )は、こちらから。

 夏休みに、北海道縦断の旅に出かけた。北海道には、これまで何度か旅行していて、地名を挙げて行くと、根室、利尻島、網走、野付半島、摩周湖、旭川、大雪山、札幌、小樽、洞爺湖、鹿部、大沼、函館といったところである。それも私の人生の中で、学生時代から始まって数回に分け、全く別々の時期に旅行したものだから、印象はばらばらで、その後の各地の発展や推移のようなものは全然知らない。だから、今回はまだ行っていないところとその後に観光地として大きく発展したところを見物して写真を撮って来ようと思っていた。4泊5日は行くことができるからと思ってそういう旅行商品を大手旅行会社で探したのだが、驚いたことに、そういうパック旅行はほとんどない。3泊4日のコースならいくつもあるのだけれど、それだと北海道全部をカバーすることができない。大手のJTBでも見当たらない。ところがやっと1社だけ、北海道全部をカバーしてしかも4泊5日というコースがあるのを見つけて、そこに申し込んだ。15万円ほどかかったが、それだけのお金があるのなら、海外でも行った方がましということかもしれない・・・と思っていた。

 ところが、実際に日本の典型的なツアーに行ってみてよくわかった。もうこの種のツアーというのは、まるで買い物と温泉ツアーなのである。景色、文物、歴史などに関心のある人は皆無といってよい。同行者の皆さんは、美しい風景を愛でるというよりは、あちこちに行っては山のように買い物をする。あんなに買ってどうするのだろうと、いらぬ心配すらしてしまう。また、日本人は温泉好きのせいか、どの人も温泉に入るのを無上の楽しみにしている。そういう次第だから、景色は二の次で、この買い物と温泉だけで日が暮れてもそれで良いようなのである。それに比べて私は、この2つにはあまり関心がなくて、専ら風景写真を撮りたい、その歴史や背景を知りたいという方だから、要は元々の旅行の楽しみ方が違うのである。ただまあ、この短い日数であれだけの数の観光地へ一度に連れて行ってくれるというのは、それだけでも貴重だといわなければならない。今回行くこととなったのは、次の行程である。


【1日目 知床】羽田空港 → 根室中標津空港 → オシンコシンの滝 → 知床自然クルーズ(硫黄山航路) → 知床ウトロ温泉泊 → 知床ナイト・サファリ

【2日目 釧路】知床ウトロ温泉発 → 知床五胡のうち1湖の高架散策 → 摩周湖 → JR塘路駅発 → くしろ湿原ノロッコ号 → JR釧路駅 → 小樽和商市場 → 旧国鉄幸福駅 → 十勝川温泉泊

【3日目 美瑛】十勝川温泉発 → 風のガーデン → ファーム冨田 → 上富良野 → 丘のまち美瑛 → ケンとメリーの木 → 上野ファーム → 四季彩の丘 → 札幌のビジネス・ホテル泊

【4日目 洞爺】札幌のビジネス・ホテル発 → 小樽市内散策 → 京極ふきだし公園 → 洞爺湖サイロ展望台 → 昭和新山 → 湯の川温泉泊 → 函館山からの夜景

【5日目 函館】湯の川温泉発 → 大沼国定公園 → 函館朝市と昼食 → 函館ベイエリア → 五稜郭公園 → トラピスチヌ修道院 → 函館元町公園散策 → 函館空港発 → 羽田空港着



 ちなみに函館には既に3回訪れているが、夜景が見られたのは最初の1回だけで、あとの2回はガスがかかっていて全く何も見えなかった。さあ今回は果たして見られるかどうか、もし見られたら運が良いと思わなければと思っていた。


オシンコシンの滝


【1日目 知床】羽田空港 → 根室中標津空港 → オシンコシンの滝 → 知床自然クルーズ(硫黄山航路) → 知床ウトロ温泉泊 → 知床ナイト・サファリ

 羽田空港から根室中標津空港まで、わずか1時間40分で到着した。雨模様の中まず行ったのがオシンコシンの滝で、落ちる水の形が扇のように広がっている。昨日も今日も雨が降っているので、かなりの水量である。特にこれという感想は、感じなかった。ちなみに、「オシンコシン」とは、「そこにエゾマツが群生するところ」を意味するアイヌ語だという。次は、知床半島に沿って観光船で半分ほど行くというもの。題して「知床自然クルーズ(硫黄山航路)」。世界遺産に指定されているから、知床半島の中には足を踏み入れることができないので、こうして半島の外の海の上から見物するという趣向である。雨模様だから、どんよりと曇った中を、ブォーンというエンジン音を響かせて観光船が荒れる海を進んで行く。ときどき波に乗り上げるので、大きく揺れる。海の色は群青で美しい。そこに荒々しい波が打ち寄せている。海岸は切り立った崖のような構造で、しかもオホーツク海に近いところほど抉れている。これはよほど強い波が打ち寄せてくるに違いないと思っていたら、そうではなくて、この抉れているのは冬になるとオホーツク海の流氷がぶつかり、それで浸食を続けたからだという。海岸の崖には、海に近いところて大きな穴が開いている場所もあり、ここは流氷に突破されたところだろう。いずれにせよ、荒々しい自然がそのままの形で残っている。海岸には砂地も少しはあるから、野生の熊が出て来ないかなぁと思うが、そんな物好きで暇そうな熊は一頭もいなかった。


知床自然クルーズ(硫黄山航路)


知床自然クルーズ(硫黄山航路)


 それから本日泊まるホテルにチェック・インをして食事をとってから、「知床ナイト・サファリ」に出かけた。要は、バスの車内灯を消して真っ暗にし、何人かがトーチ・ライトを持って道端を照らして野生動物を見つけるという趣向である。自然ガイドのお姉さんがいて、双眼鏡とトーチ・ライトを貸してくれた。目の前のご婦人が、双眼鏡を反対に持って外を眺め「あら、かえって遠くに見えるわ」などと言っていたのはご愛嬌である。そりゃあ、遠目の方を見ているのだから、当たり前である。かくして素人らしい多少の混乱はあったものの、何とか全員がちゃんと双眼鏡で見られるようになったあと、数人にひとつのトーチ・ライトを渡された、これで動くものを探せというのだが、しばらく行くと、目がきらりと光るものがある。いた、いた。バスの右側に狐」と声が上がる。ああ、本当だ。大人の狐で、口には鼠を咥えている。視界にすーっと入ったかと思うと、すぐに消えてしまった。ぼやぼやしているうちに、カメラで写真を撮るのを忘れてしまった。次にチャンスがあるといいなと、心の中で思う。するとまた、バスの左、鹿だ。しかもすぐ近く」と叫ぶ声がする。私はバスの左側に座っていたので、これは大助かりだ。今度はその鹿にレンズを向ける余裕があり、何枚かを撮ったが、いかんせん、暗闇の中でスポット的に明るい部分の撮影であるから鹿が少しでも動くと画像がぶれる。そのため、あまり上手くは撮れなかった。しばらく行くと、右に狐、小さいから生まれたばかり」というガイドの声が上がる。なるほど、子狐が口をもぐもぐと咀嚼しながらガードレールの下をささっと通り過ぎて行った。これは写真に撮る暇がなかった。次に、左に鹿」という声が上がるが、これは遠い」ということで、ほとんど見えなかった。誰かが「熊さんが出て来ないかな」などというが、ガイドによると、これまでただ1回だけバスで出会ったことがあるそうだ。熊は用心深いから、いかに自然保護区の近くだといえ、こんなバスが通る道に出てくるはずがないと思うのだが・・・などと思ってると、また「右に子狐、座っている」という声か聞こえた。なるほど、子狐が道路脇にしゃがんでいる。それを写真に何枚か撮ったが、動くのでなかなかタイミングが難しい。最後にたった1枚だけ、子狐が威嚇のためか、口を広げた瞬間が撮れた。これが今回の旅で唯一の動物の写真となる。



知床ナイト・サファリ


知床ナイト・サファリ


【2日目 釧路】知床ウトロ温泉発 → 知床五胡のうち1湖の高架散策 → 摩周湖 → JR塘路駅発 → くしろ湿原ノロッコ号 → JR釧路駅 → 小樽和商市場 → 旧国鉄幸福駅 → 十勝川温泉泊

知床五胡のうち1湖の高架散策


知床五胡のうち1湖の高架散策


 早朝に知床ウトロ温泉を出て、知床五胡のうち1湖の高架木道の散策を行う。これは、誰でも自由に散策できる。熊よけに電流が流れている高架の橋である。ところが残り4つの湖は、ガイドツアーに申し込んでレクチャーを受けて自然ガイドに案内してもらわないといけない。その代わり、地上遊歩道を歩くことができる。世界自然遺産になってから、こういうシステムをとっているそうだ。だから我々が行ったのは、その1湖の高架木道だけで、これが広大な緑の原野に延々と続いていたが、情けないことにまだ湖に到着しないうちに引き返さないとバスの時間に遅れる。景色は、羅臼岳を背景として原野が連なるという雄大な風景だったが、誠に残念である。またバスの上の人となり、まっすぐな道を延々と行ったところが摩周湖だったが、霧に覆われてさっぱり何にも見えない。これまた外れである。

くしろ湿原ノロッコ号


旧国鉄幸福駅


旧国鉄幸福駅


 バスは塘路駅というJRの駅に着いた。そこから「くしろ湿原ノロッコ号」という電車に乗った。右手に湿原を見ながらどこまでも続く線路を行く。まあ、「乗り鉄」の人にはこういう電車に乗るだけで幸せなのだろうけれど、私は風景の写真を撮りたい方なので、そういう観点からすると、ほとんど絵にならない原野が広がるだけで、あまり面白くなかった。丹頂が何羽かいれば話は違うのだけど、ここも外れた。やがてJR釧路駅に着き、そこで小樽和商市場という建物で海産物を見て回る。タラバガニが1万2千円もする。毛ガニは、6千円程度である。やがてバスは、旧国鉄幸福駅に着いた、ここが廃線となっていたとは知らなかったが、その駅の名前は万人に愛されたので、いまではお花畑に囲まれるように旧駅舎らしきものと電車が置かれている。その夜は、十勝川温泉に泊まった。

風のガーデン


【3日目 美瑛】十勝川温泉発 → 風のガーデン → ファーム冨田 → 上富良野 → 丘のまち美瑛 → ケンとメリーの木 → 上野ファーム → 四季彩の丘 → 札幌のビジネス・ホテル泊

ファーム冨田


ファーム冨田


ファーム冨田


 前日までは雨模様の天気で写真どころではなかったが、この日は快晴で空がどこまでも青い。これは写真が撮れると、嬉しくなる。十勝川温泉を早朝に発ち、「風のガーデン(富良野市中御料)」に向かう。ここは新富良野プリンスホテルのすぐ前にある。草花が一見乱雑そうに植わっているようで、それでいて花の種類や大きさや色、そして高さが全体としてバランスよく調和していて、まるでイングリッシュ・ガーデンそのものの佇まいである。私は見ていないのでわからないが、ドラマに使われたという「ガブリエルの家」なるものがあった。次いで「ファーム冨田(空知郡中富良野町基線北15号)」に立ち寄る。こちらは、北海道の宣伝写真によく出てくるもので、柔らかく起伏のある丘の上に見渡す限りの花、花、また花で、それもラベンダーの紫色、サルビアの赤色、ポピーの黄色などが鮮やかに列を作ってどこまでも植えられており、それはそれは見事である。加えてそれらが青い空に白い雲の下にあるから、ますます花の色の鮮やかさが増す。このファームはもともとラベンダーを栽培していたが、そのラベンダー畑が1976年に国鉄のカレンダーに採用されてから観光客が増えて、それとともにラベンダーの香水造りと観光客向けの設備の充実に努めてきたようだ。全体を眺めると、畑と畑を仕切る木々がアクセントになっている。

ケンとメリーの木


 それから再びバスに乗って上富良野を経由して「丘のまち美瑛」に行き、中心街を通った。バスの窓越しから見てガイドの説明を聞いただけだけれど、その話によれば、街並み保全のための条例があって、建物の色はこれこれ、屋根の傾きは45度にするなどの規制があるという。インターネットで美瑛町の資料を見てみると「本通り地区建築協定第6条に基づく街づくりマニュアル」なるものがあり、軒の高さの統一、勾配の統一(確かに45度)、ファザードのデザインの統一、屋外広告物の規制、表通りに面した車庫の制限などが細かく定められていた。それから「ケンとメリーの木」という観光スポットに立ち寄ったが、こちらはかつて日産スカイラインのコマーシャルに採用されたポプラの木だそうだ。確かに一本だけ、目立つポプラの木が立っている。その前で中国人の若者数人が一斉に飛び上がる写真を撮っていたから面白かった。この手の写真は、世界的に流行っているらしい。またしばらく走って、そこから旭山動物園とお花を見に行くグループに分かれた。もちろん私は、お花の方だ。

上野ファーム


上野ファーム


上野ファーム


上野ファーム


上野ファーム


上野ファーム


 「上野ファーム(旭川市永山町16−186)」は、1906年に入植し農業を続けてきたが、農場の魅力造りのために周辺に花を植えたことがきっかけで現在のガーデン・スタイルが誕生したという。そのHPから引用させていただくと「始まりの小道 1989年 農家も個人でお米が販売できる制度が作られ、上野ファームでもいち早くお米の個人販売をはじめました。そのことをきっかけに消費者とのつながりが生まれ、お客様が直接農場にお米を買いにくることも増えてきました。お米を買ってくださるお客様に農場の環境や農村風景をより楽しんでいただこうと思い、田んぼのあぜ道にルピナスを植えたり、農道の脇にカモミールなどを植えて魅力的な景観づくりをはじめました。さらに農場の散策も楽しんでもらおうと思い、畑だったところに一本の石畳の小道を作り、花を植えました。それが現在「マザーズガーデン」と名付けている場所です。最初は一年草が中心でしたが、四季折々に咲く宿根草を巧みに組み合わせてつくるあげる英国式の庭づくりに憧れて、宿根草の種類を年々増やして行きました。」「魅せる農家を目指して 2001年 花で農場の環境をもっと魅力的にして、都市と農村の交流点にしたいという思いを実現するため、グリーンツーリズム制度を活用して二年ほど休ませていた水田にダンプ500台ほどの土を埋め立て、新しい庭を造ることを決意。最初につくり始めた600坪ほどのマザーズガーデンに加え900坪の新しい庭造り奮戦記がここから始まりました。粘土質でスコップすらささらないところに暗渠を入れて排水対策をし、大量の堆肥をいれてまずは土づくりからはじまりました。農業の知識と経験をフル活用して、芝生も花も種から育てながら、忙しい農作業の合間で家族総出の大仕事。造園のプロでもない農家が手探りで庭づくりに挑んだ日々、じつは農作業より重労働で大変でした。」「花が人を呼び広がる輪 新しい庭が形になってきた2001年 庭の公開(オープンガーデン)を始めました。公開当日は誰も来ない日が続き悩みましたが、上野ファームの庭づくりが口コミで少しずつ広がり、庭を見学に来る人が増えてきました。海外から取り寄せた種から育てた珍しい植物が、その頃から庭できれいに咲き始め、見に来た方から「この咲いている花がほしい!」という希望が多数寄せられるようになりました、このことをきっかけに誕生したのが、2002年に小さなビニールハウスで始めた苗の直売所「丘のふもとの小さな苗屋」です。現在では雑貨店やカフェも併設して、シーズン中はたくさんの方でにぎわいます。農場を楽しくするため、魅力的にするために家族でつくり始めた小さな庭が、花たちが、いつしかたくさんの人とのつながりを生み、農場と庭を組み合わせた現在の上野ファームのスタイルができました。きっとこれからも少しずつ上野ファームは庭とともに形を変えていくのだと思います。」なるほど、なかなかご苦労されたようだが、その甲斐あってか、多種多様な見たことがない花々が一見乱雑にボウボウとあちこちに生えていて、それでいて不思議なことに全体の調和が保たれている。小道に敷かれた石畳やあちこちに築かれたレンガの塀などは、イングリッシュ・ガーデンと似ているが、しかし、あそこまで洗練はされていない未完成な面も多い。たとえば、青色に塗られたベンチは、むしろ緑色か茶色にすべきだろう。この庭は、どことなく「風のガーデン」に似ていると思ったら、あちらの設計者は、やはりこの上野ファームなのだそうだ。

四季彩の丘


四季彩の丘


四季彩の丘


四季彩の丘


 次に立ち寄った「四季彩の丘(上川郡美瑛町新星第3)」は、今回の旅行の白眉であった。そのHPによると「展望花畑 四季彩の丘は、展望が素晴らしい『丘のまち びえい』に7ヘクタールもの広さを有しています。春から秋までのお花の季節には、数十種類の草花が咲き乱れる、花の楽園です。あなたもぜひ、やさしい花の香りと絶景をお楽しみください。」とある。なだらかにうねりくねった丘陵に緑と収穫間近な黄色の小麦畑、ラベンダー、サルビア、マリーゴールド、ダリア、ストックなどの花々が緑、赤、黄、ピンクに咲き乱れている。上がったり下がったりの丘陵地帯だから歩くと大変だが、トラクターに乗って園内を一周するサービスもあって、それに乗ると楽だしじっくりお花を楽しめる。牧草ロールで人形を作ってあったが、剽軽な感じがして面白い。もっと滞在したかったが、バスの時間が迫っていたので飛び乗った。その日は、札幌駅近くのビジネス・ホテルに宿泊した。同行の人たちが札幌ラーメンを食べたがったので、ガイドさんに連れて行ってもらった。その話によると、札幌の味は味噌ラーメン、旭川の味は醤油ラーメン、函館の味は海産物の味を引き出すために塩ラーメンであるが、最近ではどこへ行ってもその3種類の中から客に選ばせるようになったとのこと。とはいえ、せっかく札幌だからと味噌味にしたが、濃厚すぎて汁は飲めなかった。

小樽運河


【4日目 洞爺】札幌のビジネス・ホテル発 → 小樽市内散策 → 京極ふきだし公園 → 洞爺湖サイロ展望台 → 昭和新山 → 湯の川温泉泊 → 函館山からの夜景



小樽の北一ヴェネツィア美術館


洋菓子屋のルタオ


 札幌のビジネス・ホテルを出発して、まず小樽市内に向かう。まず運河に行って写真を撮ってから近くを散策するという趣向だが、私は4年前に行ったことがあるので、市内観光散策よりは、洋菓子屋のルタオを探すことにした。ところが、最近は全国的に名が通ってきたせいか、本店以外にあちこちに支店のようなものが出来ている。そのうちの一軒に入って聞いたら、目当てのドゥーブルフロマージュを提供してくれる支店は限られていて、その店では出していないらしい。でも、すぐ脇の店ではケーキセットとして提供してくれるらしいので、同行の人たちを誘ってそこに行った。お値段は東京並みだが、相変わらずこってりしたチーズケーキで、一緒にいただいた紅茶も美味しい。店の中の装飾も、まるで森の中にいるように、木々が並んでその中を鹿が歩いている。大いに満足して長居したので、散策する暇はなかった。ちなみに、このドゥーブルフロマージュは、ここ数年、梅雨が明けた頃に2〜3個注文してオフィスに送ってもらい、1個は家に持って帰り、あとは秘書さんたちに食べてもらって好評いただいているスイーツである。なお、「ルタオ」とは、小樽をひっくり返して付けた名前らしい。

京極ふきだし公園


京極ふきだし公園


 次に訪れたのは、「京極ふきだし公園(虻田郡京極町字川西)」である。こちらは、羊蹄山に降った雨雪が長い年月の間に濾過されて地表に湧き出したところで、本当に「吹き出して」いる湧水である。飲んでみると実に美味しい。写真に撮ってもなかなかの絵になるところである。1日の水量は約8万トン(約30万人の生活用水に相当)、水温は年間を通じて6.5度後と、理想的である。その水を何個もの大きなポリタンクに詰めて運んでいる人に姿を見かけた。京極とは、由緒ある名前かと思ったら、子爵京極高徳(旧丸亀藩)が倶知安村ワッカタサップ番外地に未開地約800haの貸付を許可され開拓に着手したことから来るという。

Beauty and Bears


洞爺湖を見下ろす展望台


昭和新山


 またバスに乗って羊蹄山を見ながら洞爺湖サイロ展望台に着いた。ここは、まさに洞爺湖を見下ろす地にある展望台で、そこで毛蟹の昼食をいただいた。レストランから出てみると、2匹の熊が立ち上がっている剥製のようによく出来た像があり、そこで観光客が熊の間に立って記念写真を撮っていた。そこに女の人が立つとなかなかの絵になる。これこそ、「Beauty and the Beast(美女と野獣)」ではなくて「Beauty and Bears」だなと心中で思って、可笑しかった。バスは昭和新山に向かう。ここは、1943年の有珠山噴火に伴って畑とフカバ集落があった場所が1日60cmずつ隆起し1年後には50mの高さに成長して、今では400m近くになった。頂上の温度は最高で900度、今では100度ということで、今でも白い煙が上がっている。時間があれば、有珠山ロープウェイで上がるところだが、そうはいかなかった。その日は、函館の湯の川温泉に泊まった。夕食後、函館山からの夜景にさそわれた。もちろん参加したが、事前の添乗員さんがインターネットのライブビューカメラで確認したところでは、夜景が見えるという。期待した行ったところ、頂上からは左右両側から迫る海に挟まれた函館の夜景がくっきりと見えて、感動した。ただ、人か多かったので三脚は使えずにカメラは手持ちだったことから、撮った写真がややブレてしまったが、それでも雰囲気は出ていると思う。ちなみに、この夜に泊まった湯の川温泉の宿は、最上階の12階に大浴場と露天風呂があり、そこから温泉に浸かって眺める夜景も、とても良かった。温泉は色々な湯質があって、一番気に入ったのは、透明なお湯である。これは透明ながら、お湯を手で押すようにすると、普通の水と違ってやや重たい感じがするし、風呂上りには肌がつるりとなったような気がしたからである。

函館山からの夜景


函館の明治館


【5日目 函館】湯の川温泉発 → 大沼国定公園 → 函館朝市と昼食 → 函館ベイエリア → 五稜郭公園 → トラピスチヌ修道院 → 函館元町公園散策 → 函館空港発 → 羽田空港着

五稜郭公園


五稜郭公園


 その湯の川温泉で、早朝にもう一度温泉に入り、出発した。最初の大沼国定公園ではあまり時間がなくて、山頂に一部が尖ったような駒ケ岳をバックに、湖面をいくモーターボートに写真を撮ったくらいである。次に行った函館朝市にて昼食を食べた。海産物で、私は特に生うにをいれてもらったら、たいへん美味しくいただくことができた。それから明治館などの函館ベイエリアを散策する時間があり、倉庫群を改造したしゃれたお店をいくつかぶらぶらと見て回った。それから五稜郭公園では、展望タワー(今年で50周年だという)に登って、五稜郭全体を見渡すことができた。私は、47年前にここに登ったことを思い出し、もうそんなに経ったのかと感慨を新たにすることができた。また、展望台の中には、函館五稜郭戦争の歴史が展示されていて、戦いの詳細を知ることができた。トラピスチヌ修道院は、かつて・・・といっても半世紀前に訪れたときと比べればはるかに洗練されていて、見違えるようになった。抜けるような青空の下、その聖母マリアの像ととろも全景を写真に収めようとしたが、どうしてもマリア像が写真の中心に来るように、自然と引き付けられた。不思議なものである。最後に函館元町公園を散策して、私たちの旅は終わった函館空港を夕方5時20分に出て、羽田空港に着いたのは午後8時を回っていた。さほど疲れなかったが、写真を撮るという意味では、時間がない慌ただしい旅であった。北海道は広いから、仕方のないことである。要はこれで、気に入った土地を見つけて、次回はそこでじっくり滞在せよということだろう。

トラピスチヌ修道院


トラピスチヌ修道院


トラピスチヌ修道院


 ところで今回、気が付いたのは東南アジアや中国からの観光客があちこちにいることである。彼らにとっては、時差がほとんどなしで、まるで欧米のような田園風景が見られるというのが魅力的らしい。たとえば香港では北海道の各地を案内する旅番組があるそうで、いたく旅情をかきたてるようだ。こういった観光客の国としては、中国、タイ、シンガポール、マレーシアなどだが、今回私はインドネシアの客を見かけた。函館のホテルで夕食を食べていると、かなりの年配の女性がいた。その頭はまるで筒を被ったようになっていて、しかも一面の紫、そして服は歌手のように派手である。その後ろには、二人ほど召使のような人がかしずいているし、3世代ほどの年齢が様々な人たちと旅行中である。「スダ・マカン」(もう食べちゃった)などとやっているから、インドネシア語である。しかし、風体はどうみても中国人である。ああ、これはインドネシアの富豪(中国人)が、一族郎党を連れて旅行中なのだろうと推察した。それにしても、各地の観光地がこれほど席巻されているとは思わなかった。世の中は変わりつつある。しかし、日本の旅行社は、まだまだこういう状況に対応していない。せめて片言の英語でよいから添乗員やガイドは話せばよいと思うのにと思う場面が多かった。

函館ハリストス正教会 .


元町公園からの港の眺め


ペリー提督像








(平成26年7月27〜30日著)
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悠々人生・邯鄲の夢





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