邯鄲の夢エッセイ



五所川原の立倭武多




 東北三大祭りの旅( 写 真 )は、こちらから。


【第1日 秋田の竿燈】 東京駅発(秋田新幹線) → 角館着 → 角館武家屋敷通り → 秋田市内(夕食)→ 秋田竿燈祭り見物 → 男鹿温泉郷泊

【第2日 青森ねぶた】 男鹿温泉郷発 → 白神山地・青池 → 十二湖(昼食) → 青森県観光物産館アスパム → 青森市内(夕食) → 青森ねぶた祭り見物 → 鯵ヶ沢温泉郷泊

【第3日 立倭武多祭】 鯵ヶ沢温泉郷発 → 八甲田ロープウェイ → 奥入瀬渓流 → 森のホテル(昼食) → 津軽伝承工芸館(夕食) → 五所川原の立倭武多祭り見物 → 津軽南田温泉郷泊

【第4日 仙台七夕祭】 津軽南田温泉郷発 → 中尊寺参拝 → 平泉(昼食) → 仙台七夕祭り見物 → 仙台駅発(東北新幹線) → 東京駅着


 先週の北海道縦断の撮影旅行に引き続き、今週は家内と5歳半の初孫を連れて、東北三大祭り(秋田竿燈、青森ねぶた、仙台七夕)と五所川原の立倭武多を見物するツアーに参加した。私は毎年1月に東京ドームで行われる「ふるさと祭り」で、竿燈やねぶたを見物していたので、いつか本物を見て写真を撮ってみたいと思っていたからである。


東北新幹線「はやぶさ」に連結されている秋田新幹線「秋田こまち」


【第1日 秋田の竿燈】 東京駅発(秋田新幹線) → 角館着 → 角館武家屋敷通り → 秋田市内(夕食)→ 秋田竿燈祭り見物 → 男鹿温泉郷泊

 東京駅では、思わず目が奪われるほど真っ赤な色の、秋田新幹線「秋田こまち」に乗車した。この「秋田こまち」は、在来線を利用したいわゆるミニ新幹線で、通常の新幹線の車体を少し小型化した可愛い車体をしており、しかもそれが、これまた鮮やかな緑色の東北新幹線「はやぶさ」に連結されている。盛岡駅で東北新幹線から切り離されて秋田へと向かう。そのとたんに在来線の単線区間となり、すれ違い待ちをしたりするからスピードがガクンと下がって、ただのローカル列車となる。だから、あのような近未来的な洒落た車体にもかかわらず、ときどき鹿や自動車にぶつかるというのは、よくわかる。この最新の車体と旧態然とした線路とのアンバランスさが、最近の公共事業の混迷具合を象徴しているようだ。ともあれそういうわけで、がたがた揺れながら3時間ほど走って角館に到着した。

樺細工伝承館前の人力車


 この角館には、今年4月末に花見で来たばかりだ。そのときと同じ駐車場にバスが停まり、そこからの地図も頭に入っているから行きやすい。交差点を渡ったところにある「くら吉」でちょっと甘い物をつまんだ。ここの品物はお茶菓子に最適で、その品の良い大きさ、色と形、口に入ったときの柔らかな溶け方などは、どこに出しても恥ずかしくない。大事な人への贈り物によい。しばしそのお茶菓子を楽しんだ後そこを出て、前回来たときに回り切れなかった武家屋敷通りの河原田家や小野田家がある方に行こうと思った。少し進んだところで、折悪しく俄か雨が降って来た。そこで、樺細工伝承館に入って様子を見ることにした。最初はポツポツという程度の降りだったが、次第に雨脚が強まり、ザザーッという音を立てるほどの強い本降りになった。ところが、まだ雨脚が強くない頃に表の様子を見に行った家内と孫がなかなか帰って来ない。ずぶ濡れにならなければ良いがと心配していたところ、30分ほどして家内と孫が顔を上気させて帰って来た。別に濡れている様子もない。家内が言うには、突然大雨が降ってきたので、孫と二人で門前の人力車に駆け込み、そのまま20分乗せてもらって雨の中を散歩したそうだ。その人力車のお兄さんはずぶ濡れになって少し気の毒だったようだが、なるほど、それは雨宿りと市内観光を兼ねた一石二鳥の良いアイデアだと笑ってしまった。

青いナマハゲ


 次いでバスはしばらく走ってホテルの夕食の会場に着いた。そこは2階の宴会場だったが、そこに行く途中、赤いナマハゲと青いナマハゲがいて、子供が通ると、「ウォー」と叫び声を上げていた。それを見た孫がビックリして怖がり、逃げるように走って行った。こういうところは、本当に子供らしい。食事を食べながら「ねぇ、帰りもあのナマハゲって、いるの?」と聞いてきた。「あれは、悪い子いないかぁーと言って探しているのだよ。だから、良い子にしていれば大丈夫」と言っても、まだ心配そうな顔をしていたので、笑えてきた。

秋田の竿燈


秋田の竿燈を支える竹の筒を持つ人


 秋田に向かう。こちらでの竿燈祭りを見物するため、あみだくじの結果に従って指定を受けた座席に座った。時間になり、倒して地面と平行になった竿燈つまりたくさんの提灯がずらずらと並んでいる竿が何本も通りに入ってくる。定位置に着き、それらが立てられていく。提灯部分の1メートルくらいの竹の筒(継ぎ竹)を次々につないで、あの高い竿燈になる。黒い夜空を背景に、明るい火が灯った竿燈がゆらゆらと揺れ、その真下にこれらの提灯を支える竹の筒を持つ人がいる。それも、片手で、肩で、腰で、あるいは額でと支え、技のオンパレードである。それを見ている見物人も一緒になって「ドッコイショー、ドッコイショー」の掛け声を掛け、思わず拍手をしてしまうほどの見事さだ。風が吹くと、まるで生きているくらげのごとくあっちへゆらゆら、こっちへゆらゆらと定まらない。ところが名人らしき人の手にかかると、それがピタッと決まるから不思議である。それでも風の影響からか、竿燈は暗闇の中をまるで生きているかようにゆっくりと動き回り、隣の竿燈とぶつかりそうになるは、倒れそうになるはで、見ていて結構はらはらする。それで「ドッコイショー、ドッコイショー」の掛け声が「ドッコイショッショ、ドッコイショー、オエタサーショー、ドッコイショ、オエタサー、根ッコツイタ、オエタサ」と繰り返している。最初は聞き取れなかったが、「オエタサ」はうまく据わった竿燈がまるで根付いた稲のように動かない様子をいうらしい。いただいた秋田竿燈まつり実行委員会のパンフレットによれば「稲穂に見立てた竿燈が夏の夜空に揺らめき、五穀豊穣を祈願する秋田竿燈祭りは東北三大祭りのひとつで、260年以上の歴史を持つ国重要無形文化財です。大きな竿燈を自在に操る差し手の技は、日々の訓練とバランス感覚が必要とされます。代々受け継がれた伝統の技はまさに職人芸・・・竿燈の起源は江戸中期とされ、『ねぶり流し』『眠り流し』と呼ばれる睡魔払いのお盆行事だったという説が有力とされています。昔は『夏になると暑さが厳しく、労働もきつく、つい眠くなる。その隙に睡魔が忍び入り、眠り病に冒される』と考えられ、その睡魔を退治するために、眠り流し『竿燈』を行ったと伝えられています」とのこと。さてその竿燈であるが。大若という最大のものは長さ12メートルもあり、重さも50キロと非常に重たい。先端に神社によくありそうな「御幣」を付け、そこに9段にわたって計46個もの提灯を吊るしている。それを支えるのが「差し手」で、頭に豆絞り(てぬぐい)を巻き付けて半纏を身に付け、竿燈を、力四分、技六分という絶妙なバランスで手の平、額、肩、腰などに移し替える妙技を披露してくれる。いや、これは素晴らしい。気が付いてみると、孫までいつの間にか「ドッコイショー、ドッコイショー」と叫んでいた。ところで肝心の写真だが、黒い夜空にゆらゆら揺れる竿燈は、それなりに撮れた。しかし、それを支える差し手は、常時細かく動いているから、周りの人はしっかり写るのだが、差し手本人はブレてブレて写真にならない。こうなったら逆転の発想だと思って差し手を追いかけて適当にシャッターを切って何十枚か撮ったところ、ほんの数枚だけ、差し手がはっきりと写った写真がとれた。何しろ観覧席にいて、しかもストロボを使うと迷惑なので、これが素人カメラマンの限界である。それにしても、期待通りの素晴らしいお祭りであった。

秋田の竿燈


秋田の竿燈を支える竹の筒を持つ人


 男鹿温泉郷に泊まった。孫は、これまで、せっかく温泉に連れて行っても、湯船のお湯が熱くて嫌だと入らなかったが、今回初めて、自主的に温泉に浸かったから、大いに褒めてあげた。孫曰く「ナマハゲさえいなければ、良いところ」らしい。

青森ねぶた


【第2日 青森ねぶた】 男鹿温泉郷発 → 白神山地・青池 → 十二湖(昼食) → 青森県観光物産館アスパム → 青森市内(夕食) → 青森ねぶた祭り見物 → 鯵ヶ沢温泉郷泊

 沖縄あたりに来ている台風の影響か、朝早く6時頃にザザザーという音とともに大雨が降り、これで旅行を続けられるのかと思ったくらいだが、幸いにも出発時刻の8時半には雨が止み、無事に出発できた。バスガイドさんによると男鹿半島は秋田からの日帰り圏で、今ではパラグライダーやナマハゲが有名だが、道路の沿線には田圃が結構あって、静岡県と同じくらいの稲の収量があり、藩政時代には佐竹藩の隠れ倉といわれたという。ナマハゲは本来は独身の男性が扮するのだが、最近はあまりいないのでPTAのお父さんがやっているそうだ。また、近頃はナマハゲをハローワークで募集していたり、あるいは女湯に出没したりしたそうな。Wikipediaによると、ナマハゲは「山の神々の使いとして里に来訪する。ナマハゲは大晦日の夜になると『悪い子はいねがー』『泣ぐコはいねがー』と発しながら家々をまわり、悪を諌めるとともに吉をもたらすとされる、日本の民俗行事の一つである。『なまはげ』は怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる使者(鬼・妖怪の類い)である。年の終わりに、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持ち、鬼の面、ケラミノ、ハバキをまとって、なまはげに扮した村人が家々を訪れ、・・・奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が今年1年の家族のしでかした日常の悪事を釈明するなどした後に酒などをふるまって、送り返すとされている。」という。


白神山地・青池


 バスは雨の中、白神山地の十二湖のうちの青池を目指して進む。現地に着き、青池を見に行ったら、まあ、小さな池だが、確かに青い色をしている。ガイドは、あまりプランクトンがいないからではないかと言っていた。私が写真を撮っているうちに、孫が階段で滑って両膝が泥だらけになったが、幸い傘の上に倒れ込んだものだから、傘は壊れたけど、孫自体は無傷で済んだので良かった。それで疲れたのか、バスの中で、孫が寝てしまった。そうこうしているうちに、バスの中で2時間ほど、孫は良く寝た。青森に着いたらぱっと起き出して、青森港を見下ろす展望台アスパムから眺める景色を楽しんでいた。せっかくの青森ねぶたであったが、残念ながら雨模様である。そこでまだ明るいうちにと、出陣前のねぶたの前で、その写真を撮って回った。これらは和紙でできているから、雨に弱い。だから雨模様のときは、ビニールを掛けて運行するらしい。もう既にひとつのねぶたに大きなビニールが掛けられていると思ったら、宅配便のくろねこヤマトのねぶただった。さすがに、荷物を包むのを手慣れているだけのことはあると感心した。海上には、跳ね人(ハネト)のお兄さんたちがたくさんいたので、この人たちにお願いして、囲まれて写真を撮ろうとしたら、孫が逃げてどこかへ行ってしまった。気が付いてみると、遠いところで、うちわ配りのお姉さんと話しをしている。

青森ねぶた


青森ねぶた


青森ねぶた


 青森ねぶたは午後7時10分から始まるが、雨が降って困った。ビニールの合羽を着て座敷席に案内されたが、そこも濡れている。ただ、少し時間が経って7時30分頃になると、雨が上がって、取り敢えずそれから30分ほどは見物できた。「ラッセー、ラッセー」の掛け声とともに派手な衣装に身を包んだ大勢の跳ね人が、思い思いの方向に跳ね回り、お祭り気分は最高潮に達する。次から次へとねぶたが曳かれていき、ときどきはその場で1回転をして全体を見せてくれる。ただ、雨なのでビニールが掛けられているから、あまり良い写真が撮れないのが残念である。我々の座敷席でも慣れた人たちは団扇を振り回し、大勢の跳ね人がときおり放り投げる鈴をもらおうとしている。どこからか聞き覚えのある声で「ラッセー、ラッセー」の黄色い掛け声があがったと思ったら、なんとウチの孫だった。そういうわけで、これで要領は分かったので、本格的な見物は、また次回の楽しみとしよう。

青森ねぶた


青森ねぶたのハネト


 配られたパンフレットによると「青森ねぶた祭は七夕祭りの燈籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代に中国から伝来した七夕祭と古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事とが一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯篭となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています・・・初期のねぶたの形態は『七夕祭』であったのでしょう。そこに登場する練り物の中心が『ねぶた』と呼ばれる『灯籠』であり、七夕祭は7月7日の夜に穢れを川や海に流す禊の行事として灯籠を流して無病息災を祈りました。これが『ねぶた流し』と呼ばれ、現在の海上運行に現れています。ねぶた(ねぷた、ねふた)という名称は。東北地方を始め信越地方のネンブリ流し、竿燈地方のネブチ流し・ネボケ流し等の民俗語彙分布と方言学から『ねむりながし』の眠りが『ねぶた』に転訛したものだと考えられています。」とされている。

、私がトイレに入って着替えているとき、誰かが入って来て「あっ、誰もいない。どんないたずらをしようかな。ふふっ」などと呟いているから、けしからん奴だと思っていたら、その声にどうも聞き覚えがある。ドアを開けてみたら、やっぱりウチの孫だった。私が「これっ、何を言っている」といいながらドアを開けて出て行ったら、びっくりした顔をしたが、すぐに「冗談だよー。」と言っていた。大丈夫か、この子?、なまはげを見て逃げて行ったのと同一人物とは思えない。

 その夜は鯵ヶ沢温泉郷のホテルに泊まったが、まあ、孫がたくさん食べること食べること。うらやましいほど旺盛な食欲だ。とりわけリンゴの冷製スープとグレープのムースが気に入ったらしい。こういう味は、家ではなかなか出せない。また、サラダ菜やプチ・トマトを臆せずにぱくぱく食べているのを見て、約1年半で、ようやく野菜を自由に食べられるようになったのかと、感慨無量だった。以前は野菜の形を見ただけでも敬遠していたのに、これは大きな進歩である。子供の頃に食べた味は大人になっても舌で覚えていて、好き嫌いなく色々な食材を楽しむことができるから、今のうちに何でも食べさせておくことは大切だと思う。


八甲田ロープウェイからの眺め


【第3日 立倭武多祭】 鯵ヶ沢温泉郷発 → 八甲田ロープウェイ → 奥入瀬渓流 → 森のホテル(昼食) → 津軽伝承工芸館(夕食) → 五所川原の立倭武多祭り見物 → 津軽南田温泉郷泊

 朝から大雨で、早朝に鯵ヶ沢役場から緊急避難を呼びかけるメールが入る始末。昨日、白神山地を行くときに通った海岸沿いの国道も通行止めになったという。運転士さんが、早く内陸の方に行かなければとあせっている。我々ツアー客はどこか他人事で、急変する事態を楽しんでいる雰囲気すらうかがえる。ともかく、慌ただしく出発して八甲田ロープウェイに向かう。101人乗りのゴンドラで1300メートル地点にある山頂公園駅に向けて上がって行った。その途中で、遠くの山がわずかに見えたものの、山頂に着いたら本来なら周囲の山々が見えるはずなのに、一面のガスで何も見えない。地上より気温が10度は低いということだったが、半袖でも良いくらいの暖かさだ。孫は、山頂の売店でカウベルを見つけてきて、それを欲しいとねだるので買ってあげたが、すぐに地面に落として真ん中にぶら下がっていた部品が外れて音が鳴らなくなった。自分でしげしげと覗いてみて「リングが外れている!」と叫ぶ。「どれどれ、見せなさい」と言って手に取ると、なるほどリングから部品が外れて落ちたようだ。そこで、その部品をリングの隙間に無理やりねじ込んでリングを指に挟んで締めたら、簡単に直ってしまった。孫が感心すること、感心すること。また地上に降りてきてバスに乗り、雪中行軍遭難碑や酸ヶ湯温泉を通り、奥入瀬に向かう。


奥入瀬渓流の銚子大滝


 お昼は、奥入瀬森のホテルでパスタを食べた。雰囲気のあるダイニングルームでいただく前菜のサラダは美しいし、パスタは濃厚な味で、デザートのシャーベットやケーキの配置と配色は一流で、しかもなかなか美味しかった。極めて都会的で洗練されているので感心した。それが終わって、小雨の中を奥入瀬渓流を見に行った。上流の方では川があふれんばかりの泥水で覆われていた。あれだけの大雨で、各地で水害を起こしたのだから、それも当然である。ところが、それなのに、奥入瀬の渓流に入ると、水は濁っておらずいつも通り美しい。途中には、急流になっている阿修羅の流れがあり、昔ここで写真を撮ったことを思い出した。全体に車窓から見るだけだったが、銚子大滝で少しだけ降りた。これは、春の新緑の季節と秋の紅葉の季節に長逗留をして、写真を撮りに来るべきだろう。ガイドさんの話によると、奥入瀬は葉の密度が高いので、紅葉は最初はさほどでもないが、半分ほど落ちたところで日光が射すようになると、ますます紅葉が強くなってそれは見事だという。その時期は、10月の終わりの日曜日だという。覚えておこう。

五所川原市「立倭武多の館」


「立倭武多の館」から出てくる立倭武多


 それからどんどんバスは走って、五所川原市までやってきた。やはり雨模様なので、どうなることやらと気をもむ。ガイドさんは、ここは特に席を確保していないから、適当に見物してという。そうはいっても、こちらは子連れなので、何とかしたいと思っていたら、ちょうどスーパーの前に座れる椅子があったので、所定のお代を支払ってそこに3席を確保して腰を落ち着けることにした。最前列なので、写真も撮りやすい。直ぐ近くが「立倭武多の館」である。そこには、巨大な立倭武多(たちねぶた)があり、高さ23メートル、重さ16トンの巨大像が並んでいて、4階までエレベーターで上がって、スロープを下りながら立倭武多を見物するという趣向である。お祭り本番の今日は、そこから少なくとも一基が出陣するという。しばらく待っていると、なるほどそこから巨大な立倭武多が出てきた。まだ明るいうちだ。見物人から「うわーっ。大きい」という声が口々に上がる。ともかく高さがあるので、誰からもその威容を眺めることができる。さて、暗くなっていよいよお祭りが始まった。青森は時計回りだったが、こちらは反時計回りに動いていく。その所定の場所につくべく、大小さまざまなねぷたが移動していく。青森に比べて跳ね人の数はとても少ないが、その代り大型の立倭武多がやって来たときは誠に圧巻で、見物席から惚れ惚れとして見とれていた。五所川原の立倭武多は、正面は勇壮な武者絵で、その裏は憂い顔の美人である。なぜかというと、これは出陣のときを表現しているから、武者はあくまでも凛々しく悲壮感を漂わせ、それを見送る奥方や親しい女性が心配そうな顔をして送り出している図だそうだ。これに対して青森ねぶたは、戦勝して凱旋する様子を表しているから自由奔放な姿なのだという。いやいや、ともあれこの五所川原のねぶたを観て、本当に来て良かったと思った次第である。いただいた祭りのパンフレットによると、明治の頃「五所川原市は北に金木、中里の木材資源、西に鰺ヶ沢、深浦の水産資源などの中継地点の商人の町として栄えてきた。巨大ねぷたは、それら豪商、大地主の力の象徴として高さを誇るようになり、ゆうに18〜21メートルに及ぶようになった。」という。ところがどうも、それから長い間、途絶えたようだ。そして平成8年に80年ぶりに復活し、行政も電線の地中化などで協力するようになって、全国各地や韓国でもその雄姿を披露するようになったとのこと。毎年1基を新作しているとのこと。

五所川原のねぷた


五所川原の立倭武多


五所川原の立倭武多


五所川原の立倭武多


 宿泊ホテルは、その名も青森らしくてホテルアップルランド。何でも、リンゴ畑から温泉がわきだしたので、こうなったという。古びたホテルだが、その名のとおり、部屋の冷蔵庫にはリンゴが入っているし、何より驚いたのは、露天風呂に生のリンゴが入っていて、水面の3分の1ほどが隠れるほどだったことだ。孫は大喜びでリンゴを触り始めた。夜の寝る前の儀式として、孫が仰向いて歯ブラシのチェックを受けている。そうしたときに家人の間で交わされた「あした東京に帰ったらね」という話を耳にしたとたん「ええっ、もう帰るの?」という。そこで家内曰く「旅というのは、必ず終わりがあるのよ。家に帰ってまた、普通の生活に戻るのよ。それが『旅』というもの」と。なるほど、これはなかなかの名言である。

仙台七夕祭


【第4日 仙台七夕祭】 津軽南田温泉郷発 → 中尊寺参拝 → 平泉(昼食) → 仙台七夕祭り見物 → 仙台駅発(東北新幹線) → 東京駅着

中尊寺金色堂


中尊寺


 バスは平泉の中尊寺に向かう。金色堂などの参拝を終わり、外に出る。すると、ここで「五月雨の 降り残してや 光堂」の句を詠んだ松尾芭蕉の像があり、その前で孫の記念写真を撮った。ちなみにこの句の意味は「すべてのものを朽ちさせる梅雨の雨も、この平泉の光堂だけは降り残してきたらしい。それが証拠に、今も昔の輝きを華やかに見せているではないか」というものである。中尊寺にはあちこちにお賽銭箱があるが、孫はそのすべてに気前よくお賽銭をばら撒きしかも、iPhoneで写真をいっばい撮ってご機嫌さんだった。ただ、お昼の食事は当然のことながら精進料理だったので、子供が食べられるものはあまりなかった。

中尊寺松尾芭蕉の像


中尊寺の鬼百合


 そこを出て、仙台七夕祭りを見に行くために仙台駅を降りたが、涼しかった北東北地方と違って、仙台は暑くて眠くてかなわなかった。人込みも多くて、取り敢えず私だけ七夕を見に行った。帰京の新幹線まで2時間ある。駅から歩いて10分くらいで仙台七夕祭りを開催中の商店街に着いたが、すごい人出だし、どれもこれも同じような飾りに見えてきたので、適当に切り上げることにした。

仙台七夕祭


仙台七夕祭


 今回の旅の収穫は、秋田の竿燈と五所川原の立倭武多。それに孫が初めて温泉に浸かったこと。家へ帰り着いてから孫に、「何が良かったの」と聞いたところ、「どっこいしょー、どっこいしょー」つまり秋田の竿燈、そして「ラッセラー、ラッセラー」つまり青森ねぶただった。





(平成26年8月4日〜7日著)
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