邯鄲の夢エッセイ



バロン劇




 バリ島は心の充電の地( 写 真 )は、こちらから。


1.断崖絶壁に建つウルアツ寺院

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 年末の休みを利用して、インドネシアのバリ島へ行ってきた。かねてから行ってみたかった観光地なのだが、これまであまり機会に恵まれなかった。ところがやっと、行けることになり、この際だからと知人に紹介してもらった歴史のあるホテルに泊まり、お勧めの現地人ガイド(英語)を雇って、できるだけあちこちの観光名所を見て歩くことにした。デンパサール空港に到着してまず連れて行かれたのが、ウルアツ岬にあるウルアツ寺院(Puraluhur Uluwatu)である。寺域に入る前に、神に敬意を払うということで、紫色の布きれを手渡され、それを腰に巻き付けた。入ってみると、なんというか、海に向かって両手を広げるように断崖絶壁になっている地形の、その片方の左手の先に当たるところに寺院が建っている。それが不思議な味のあるシルエットで、玉ねぎ型の屋根が縦に3つ連なっている形をしている。16世紀にはもうあったそうだ。そこに至るまでの断崖の上の道から海を見下ろすと、逆巻いて次々に打ち寄せる波が誠に荒々しい。インド洋の荒海に面しているからいつもこのような風景だそうだ。だからこの辺の海は、サーフィンのメッカだという。ところで一ヶ所、道の柵が途切れている場所があって、そこから断崖絶壁の上に出てみたが、背筋がゾクゾクしてすぐに柵の中に戻った。ところが、勇気があるというか無鉄砲な若者は、男も女もそこに出て平気で写真を撮っていた。

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 それを横目で見ながら観光客の流れに乗って進んでいくとやっと寺域に至り、その辺を一周してまた戻った。その近辺には野猿が何匹かいて、あっという間に観光客のものを失敬するから、あまり近づくなとガイドにくぎを刺された。野猿は神聖な存在として扱われているから、それを良いことに好き放題にいたずらをするそうだ。ガイドに、この寺院の由来や宗教的背景を聞きたかったが、異教徒が自分たちの宗教について何か物を申していると受け取られても困るので、まだ初日でもあり、ガイドの性格が分かるまでは宗教的話題は避けることにした。

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 ウルアツ付近の海岸で、夕日の見えるガネーシャ・カフェというレストランに入った。なるほど、入り口にはヒンズーの象の神様が鎮座している。レストランは綺麗な白砂の海岸に面しており、そこから沖の方を見ると、真正面に夕日が沈みつつあって、確かに美しい。それを眺める場所として、レストランの建物の外の砂浜に、そのレストランが椅子とビーチパラソルを用意してあり、そこに腰を下ろすと飲み物や料理を注文することができる。普通の観光客にとって夕日はいわば添え物で、専ら飲んだり食べたり、おしゃべりをしているが、さすがに夕日が沈みつつある15分間程度は、その荘厳な雰囲気に気圧されるように静まりかえり、しばしの沈黙が訪れた。私の選んだ料理は、ガルーパという獰猛な顔をしたお魚のトマトベースの甘辛煮である。以前に東南アジアに駐在していた頃によく食べたものだが、なかなかの味だった。

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2.棚田の事情は日本と同じ

 翌日は内陸の方に向かったが、棚田 (Terrace Field)があって非常に美しい。日本の棚田並みに整備されているものもある。写真を撮りたかったがなかなか良い位置がない。ところが探しているうちに俄か雨が降ってきて、結局、撮れなかった。ガイドから棚田について聞くと、事情は日本と全く同じで、もう農業を営む時代ではなく、後継者不足に悩んでいるそうだし、農地には未練がないのか、近くに道路ができると土地の価格が上がって、すぐ売りに出してしまうそうだ。途中、油絵の村や銀細工の村を通った。油絵の方に立ち寄ったところ、具合の良いことに、そこには棚田の風景が描かれているものがあって、それを撮らせてもらった。何か適当な油絵はないかと見て回ったものの、どうも感性が違って好みの絵はなかった。緋鯉の写真は、悪くないなと思ってそれを眺めていたら、店員がやってきて600USドルでどうだという。私が「ティダ・ボレ〜、マハール」(ありえない。高すぎる)と叫ぶと、「それでは、400、だめなら、よし300、ええいっ200でどうか」と食い下がってきたので、正直言うと心が動いた。でも、水の色がグリーンなのにはちょっと抵抗があって、結局、買わないで去ろうとしたら、最後の瞬間、160USドルと叫んでいた。それにしても、4分の1にまで値下げしてくるとは思わなかった。銀細工の村の方は、いかにもお金持ちといった雰囲気の家々が立ち並んでいた。ガイドに聞くと、銀はすべて輸入で、ここで加工して輸出しているそうだ。それにしても、バリ島のこんな片田舎で、よくそういう輸出できるほどの品質の良い銀細工ができるものだと感心する。もちろん加工技術はそのファミリー以外には門外不出だそうだ。


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3.クタの町は交通渋滞で混乱の極み

 私の泊まっているホテルのあるクタの町は、今ではバリ島で押しも押されぬ観光都市になっているが、昔は何の変哲もない単なる漁村だったのに、突然、こうして観光地になってしまった。でも、昔ながらの土地の所有者の力が強くて、道路を拡張できない。だから町の構造は昔のままで、いつも道路が大渋滞しているのだそうだ。混雑といっても、第1日の経験では大したことはないと思っていたが、次の日の夜に車で10分のところに行くつもりで出発したが、車はホテルを出たとたん渋滞で動かなくなり、3時間経っても行き着けなかったのには参った。仕方がなく車から降りて歩いてホテルに戻ろうとしたが、途中で非常に怖い思いをした。クタ市内を特に夜間に歩くのは、お勧めしない。私が10分ほど歩いたのはもちろん寂しい通りではなくて繁華街なのであるが、まず歩道が狭い。そのただでさえ狭い歩道上に、交通が渋滞していると、バイクがどんどん上がって来てバリバリと音を立てて疾走する。後ろからそんなバイクが来ないか振り返りながら歩かないといけないし、どうかすると、反対方向からも歩道上をバイクが走って来る。前も後ろも油断がならない。特に夜間は、その頻度が高いと思う。警官がいても、何の役にも立っていない。だから、車道も歩道も混乱の坩堝である。


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4.歌舞伎と似ているバロン劇

 せっかく来たのだから、ケチャかバロン劇を鑑賞しようと思っていた。ケチャ劇場はウルアツ寺院近くにあったようだが、どうも都合がつかなかったことから、バロン劇にした。当日、道路が酷く混んでいたことから着いたのが劇の始まる直前で、舞台からかなり離れた高い位置に座る羽目になった。ストーリーは、善の神バロンが悪の神ラゼダを滅ぼそうとするが、それは叶わず、バロンに追随する者たちはそれを羞じて自殺を図る。しかし、トランス状態になって復活し、また同じ経緯を辿るということを繰り返す。その合間には、女性二人の踊り子が出でてきて、その両手や腰のしなやかな動きに見とれてしまった。結局、ストーリー自体はまるで日本の歌舞伎と同じようなもので、何が何だか解らなかったが、この女性二人の踊りだけは強く印象に残った。


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 その日のお昼は、テバサリ・レストランというところで、稲の生る田圃とその手前の池の鯉たちを見ながら、その池の中に建てられた四阿で食事をするという趣向のお店だった。ダックの手羽先を食べたが、これが実に美味なこと。ただし、うかうかするとハエがやって来るから、それを追い払うのが忙しいのには参った。しかし、田圃の風景といい、緋鯉といい、まるで日本のような情緒が感じられた。ただし、緋鯉たちは数が多くて競争が激しいせいか、食べ物を投げ与えると、四方八方からサササーッと寄ってきて、数少ない餌を巡って熾烈な争いを繰り広げる。生存競争が激しいのだなぁと思ってしまう。ここで、緋鯉たちの泳ぐ池は、あの油絵にあったように、緑色だということに気が付いた。

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5.バリ島人の家

 自宅を観光客の見物用に開放してくれている家があり、そこに入るとバリ島人つまり「バリニスト」の家の構造がよく分かる。家の門には、政府によって掲げるように指示されたという住居表示があった。その文字が消えかかっているプレートには、住所、世帯主の名前、そして男が3人、女が2人の合計5人とある。何だこれでは個人情報の保護どころではないではないかと思ったけれど、いやいや、昭和30年代の日本はもっとすごかったことを思い出した。あの頃は、クリーム色の四角い板に縦書きで、郵便番号、住所、世帯主のフルネーム、住んでいる人全員の名前まで書いて、ご丁寧にもそれを玄関の上の見やすいところに掲げていたからである。今でも、京都の町家を見物すれば見かけることがある。これは、地方自治体というよりも、確か郵便局が推奨したものだったと記憶している。時代が変わり、個人情報についての意識が大きく変わったので、今そんなことを政府や郵便局が言い出そうものなら大変なことになる。


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 話の筋を元に戻し、そのバリ島人の家のことだが、門を入って右手には、台所の小屋があって竃と鍋釜の類いがある。これは、分かりやすい。次に、門のすぐ正面には、ひときわ高くなっている場所がある。そこには、ベッドのようなものに二つの枕のようなクッションが設えてある。もちろん天井はあるものの、四隅に柱があるだけで吹きさらしだ。まるで寝室が外に出ているようなものだ。「気候があまりに暑いから、ここで寝るのか」とガイドに聞いたら、「いやいやとんでもない。これは祭壇で、いろいろな儀式をする所だ」という。失礼なことを聞いてしまったが、あんな場所でどういう儀式をするのか、まるで想像もつかない。それから、家の敷地内に、祖先を祀る区画があり、上部が家の形をした立派な卒塔婆のようなものが三基、並んでいた。これがお墓なのかと思うとそうではないという。ちなみにヒンズー教徒は、亡くなったら霊が空に帰るということで、火葬にして灰は全て海に撒くそうだ。

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 ところで私を案内してくれたガイドは、本人曰くバリバリのバリニストだという。何でも聞いてくれと胸を張っているから、そのガイドに、バリ島での相続のことを聞いてみた。彼によると「相続は、特定の人に集中させるのではなく、兄弟平等に分ける。ひとりの欲張りも出ないように」という説明だが、私は「それは実に現代的で平等で良いことだ。しかし、その通りにすると、農家の場合は世代を経るごとに土地がバラバラに細分化されていくではないか。お米を作る土地しか生きる術がない社会では、戦前の日本のように長子や、誰か特定の人に相続させて、その代わりに家や一族の土地を細分化させずに守るとともに、一家を養う責任をも負わせる方が合理的ではないか。もっとも、第二次産業や第三次産業が発達した現代では、農業用の土地などというものは転用すれば別として、生活の糧ではなくなって来ている。そういうこともあって、今では兄弟が平等に分けることが合理的になっているけれども、バリ島ではその点、従来はどうだったのだろうか」と聞くと、特に長子相続の点は「一人で独り占めはよくない」と言うだけで、どうも質問の意図があまり理解されなかったようだ。

 ガイドによれば、バリ・ヒンズー教の安息日「ニュピ」は、人々が瞑想をするために午前5時から24時間行われる。その間は外出も控える、飛行機も飛ばないという社会的に大変な影響力を与える宗教行事だそうだ。ところが考えてみると、イスラム教のように日が出ている間の断食を1ヶ月も続けるというのではなく、それをたった1日で済ませるようなものだと思えばよいのかもしれない。この間は、観光客も外出できないから、観光もできないというので、覚えておきたい。

6.爆弾テロ事件の背景

 クタ市内を歩いていると、オーストラリアが近いせいか、白人観光客が多い。それも、肌を思い切り露出して街を歩く白人女性、遅くまで営業しているディスコ、浴びるほど酒を飲む白人男性などが目立つ。そういう姿を見ていると、2002年10月12日と2005年10月1日の2回にわたってイスラム過激派によるバリ島での爆弾事件が起こった背景が透けて見える。ここはヒンズー教徒が多く住むバリ島であるとはいえ、イスラム教を国教とするインドネシアの一部には違いない。そこに、イスラムの教えに反するこうした外国人が闊歩するのを許してはいけないというファナティックつまり狂信的感情が生まれたのだろう。われわれ外国人としては、もとより現地の人の感情に注意するほかないが、まさかこれが大爆弾の爆発でそれぞれ約200人もの死者が出る大惨事に繋がるとは、予測もできなかったということだろう。テロとはそういうものとはいえ、この事件の死者を弔う慰霊碑を見て、あまりの悲惨さに声も出なかった。

 ホテルでたまたま話した中国人の実業家によると、10月は前述の2回にわたり爆弾が爆発した月であり、これと12月は、インドネシアの危ない月だという。インド洋の大津波は2004年12月26日に起こった。そして今回、我々は大丈夫だったけれど、2014年12月28日にエア・アジア航空機QZ8501便がスラバヤ空港からシンガポールに向かう途中、ジャワ海の上空で忽然と消えてしまった事件が起きた。乗客乗員162名が乗っていたが、翌々日の捜索でジャワ海上に浮かぶ機体の破片と死体が見つかったそうで、全員が絶望とのことだ。

7.古いが居心地の良いホテル



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 ラーマーヤナ・リゾート&スパというホテルに泊まったのであるが、最初は、「なんと古くさいホテルなのだろう。だいたい、浴室が狭いし、ヘア・コンディショナーの用意もない、バス・ローブもミネラルウォーターも頼まないと持ってこないなんてサービスが悪い」などと思ったのであるが、しばらく滞在していると、なかなか味のあるホテルではないかと思うようになってきた。部屋についてはいろいろと不満があるものの、ホテルの敷地内は実に快適な空間なのである。ちょっとした池があり、そこに緋鯉がのんびりと所在なげに浮かんでいる。セカセカしていないのがよろしい。その池の中にはポットがあって、良い植物が植わっている。中庭には趣きのある木が幾つかあって、嬉しいことに美しい蘭の花が何輪か咲いている。もちろん、蘭はそれらの木に寄生しているのである。また、庭のあちこちに石でできた丸い造形があり、そこには水に浮かべられた花びらで、美しい模様が描かれている。朝食を食べにレストランに行くと、外には瓢箪を更にひしゃげた形にしたプールがあり、青い水が美しい。その先に目をやると、木製の三角屋根の建物が二つ重なっている。レストランの座席を直射日光から遮るために簾がかかっている。これらの風景がいかにもアジアン・テイストなのである。だから、心が本来のあるべき場所に戻ってきたようで、気持ちが非常に落ち着く。

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 中庭の一画には、スパ(SPA)の建物がある。私は本来、マッサージというものが好きではない。若い頃、タイのバンコクで国際会議があり、その折に皆でタイ式マッサージなるものに行ったことがある。2時間ほどアクロバティックなマッサージを受けた結果、確かに身体は軽くなったような気がしたものの、左腕の関節に青い内出血が出来て、それが数週間ほど消えなかったことがある。だから、もともとマッサージには向いていないと思っていた。それに、私は肩や腰が凝ったりする体質ではないので、さほど必要に迫らなかったこともある。ところがホテルでの滞在に慣れた頃、中庭にあるそのスパ(SPA)の建物が気になってきた。そこで朝の中庭散歩の途中で、一体どんなものかと思い、入ってフロントの女性に聞いてみた。丸顔のなかなか愛想の良い人で、あれこれ教えてくれたが、要するにこれは、私の苦手なタイ式マッサージではなくて、アロマを使ったオイル・マッサージで、とてもリラックスできるという。ああ、それならやってみるかという気になり、その晩の予約をした。その日の日中は、ひどい交通渋滞で、車の中にいた私は、あちこちが痛くなった。結果的に、思わずマッサージを受けるにふさわしいコンディションになってしまったというわけである。

 その晩、予約の時間に行くと、小綺麗な部屋に案内されて、まずは一安心。貴重品は、それを入れる鍵付きのボックスに、衣服はここに掛けてと言われ、同時に使い捨てのパンツを渡されてそれ一丁になれという。黙々と着替えてベッドに座る。そうすると白い服を着た女性のマッサージ師が入って来て、まずベッドにうつ伏せになれという。顔の部分には穴が空いていて、床にある花びらの造形が見える仕組みである。気が付いてみると、ポンポコという眠たくなるような音楽がかかっていて、その中をオイルが脚の裏全体に塗られていく。ココナッツ・オイルらしいが、確かにアロマの香りがする。かくして、鼻、耳、目の全てが心地良く、リラックスせざるを得なくなる。マッサージだが、足の裏から臀部にかけて一気に押される。次に背中にもオイルが撒かれて筋肉が硬くなっている部分を中心に、筋が確実にほぐされていく。今日の外出時の渋滞で、車中で体を斜めにして腰が痛くなるのを避けようとしたが、その時の体の姿勢が悪かったせいか、腰と片方の肩甲骨あたりが張っている気がする。そうするとマッサージ師にはそれがわかるようで、その固くなった筋をゴリゴリゴリっと圧迫する。ちょっと痛いがあまりに気持ちがよいので、思わず「バグース」(現地語で、「気持ちがいい」)と口走ってしまい、カラカラと笑われて、ますます何回もマッサージをされた。そんな調子であまりの夢見心地の良さで、いつの間にか不覚にも寝入ってしまったらしい。その間に約束の60分間はあっという間に終わったようで、肩のあたりをツンツンとつつかれて気が付いた。それからよろよろとベッドから起き上がり、ぬるいシャワーでマッサージ・オイルを落としてから部屋に戻った。これがリラックスというものかと感心してしまった。なるほど、人々が好むわけである。

8.タナロット寺院



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 翌日、タナロット寺院(Pura Luhur Tanah Lot)に出掛けた。バリ六大寺院のひとつで、こちらもウルアツ寺院と同じく16世紀に建てられたそうだ。陸から水滴が海に向かってしたたり落ちたと形容したいほどの小さな島で、干潮時には陸続きとなって徒歩で渡ることができるそうだ。それを眺める土地で、白い服に黄色い鉢巻のようなものをした老若男女が集って、今から神への祈りをささげるところだそうだ。女性たちが、頭にバスケットを乗せて、腰を振りながらバランスをとって歩いている。バスケットには、何が入っているのかと気になって覗き込むと、花びらなどだった。

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9.心の充電の地

 最後の日の朝は、歩いて数分のクタ海岸に行こうとホテルを出たら、海岸に着いた瞬間に強い雨が降ってきて、あわててホテルに戻った。それからは外出せずにのんびりと、緑に囲まれた中庭や青い水が湛えられたプールを眺めて過ごした。庭にある花びらの飾りが美しく、熱帯植物の大きな緑色の葉の群れが目に染みるようだ。プールの脇のレストランにいると、真っ赤なワンピースに髪をブロンドに染めた貫禄のあるアジア人女性が私のテーブルの脇を通って、プール近くのテーブルに座った。どこかで見たことのある人だなぁと思いつつ、誰か思い出せなかったが、支払のためにふと立ち上がったときに思い出した。あの有名な女流デザイナーではないか・・・なるほど、こういうところで心の充電を行っているのかと納得した。美しいもの、心安らぐものを見ないと、あれだけの創作意欲が湧いてこないのだろう。その点、私もそうなのかと思って、やや安心した。さて、日本に帰ってバリバリ仕事をしよう。





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【番外編】 日本を発ってインドネシアへ向かう途中、飛行機の右手の席に乗っていたところ、富士山が実に美しい姿を見せていた。まるで雲のウェディング・ドレスを着ているようだ。まさに、日本の至宝である。



(平成26年12月31日著)
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