邯鄲の夢エッセイ



香港




 香港への旅( 写 真 )は、こちらから。


 このお正月は、孫を含めた家族で、香港のホテルで過ごした。私は香港には1997年7月に仕事で訪れて以来だから、実に18年ぶりとなる。しかもその前回の訪問の時は、香港がイギリス支配の手から離れて中国本土に復帰した、まさにその月だった。「一国二制度」により特別行政区として高度な自治権を有するようになったとはいえ、中華人民共和国政府に対する不信感から、将来に対する不安を口にする人が多かった。現に金持ちたちは、永住権を取ってイギリス、カナダ、オーストラリアなどへ続々と移民していったと聞いた。しかしながら、その後の経過をみると、どうやらそれは杞憂に終ったようで、香港は今なお、世界で屈指のビジネス拠点であり、富裕層の密度は世界一であり、ニューヨークやロンドンとならぶ世界の金融センターとしての機能を果たしている。とまあ、そう言われているし、私もそのように思っていたのだが、実際に行ってみたところ、陰に陽に大陸中国の影響が現実のものになりつつあり、香港の庶民の生活が脅かされつつあるように感じた。

 昨年9月から、香港の高校生と大学生を中心として、真の普通選挙を求めるデモが行われていた。それがあっという間に香港の繁華街や商業地区の占拠という形で広がりをみせ、中環、金鐘、銅鑼湾、旺角などというビジネスの中心街が、座り込みのデモ隊によって占拠された。警察側は、催涙ガスや胡椒スプレーを使ってこれを鎮圧しようとし、デモ隊は武器を持たず、傘やマスクなどで対抗した。香港政府と学生団体との間で話し合いが行われたが、特にこれという進展がないまま、約1ヶ月後に警察の機動隊が占拠を排除する形で自然消滅した。この間、銀行が休業したり、商業地区の売上や観光客の数が激減したりする影響が出た。ただ、これらの占拠が行われた地区は、九龍半島南端にある我々が泊まるホテルから、九龍湾を挟んで向かい側に位置する金融街のあるところだったので、我々が行ったときには何の影響も痕跡すらもなかった。


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 到着したその夜は、ナイト・ツアーに申し込んでおいた。二階建てのオープン・トップ・バスつまり屋根のないバスに乗って市内を見物するという趣向である。最近、東京の中心部でもよく見かけるあの二階建てバスだ。香港は寒いのではないかと心配していたが、夜は15度くらいで、昼間は20度程度だから、寒い日本の冬に慣れた身からすると、かえって気持ちよく過ごすことができた。待ち合わせ場所のTギャラリアDFSに早めに行って、そこで適当なレストランがないか探したところ、どうもこれはと思うところがない。子供がいるので、あまり変わったところもどうかと考え、結局、松坂牛のレストランに入った。香港まで来てわざわざ日本食レストランに入るというのも気の利かない話だが、子供のこともあるし集合時間に遅れてもいけないから、安全サイドに立つべきだろう。入ってみて注文すると、やや中華風だがそれなりに美味しかった。その後、集合時間に合わせて行ったところ、乗客が三々五々集まってきて、乗車した。バスは、繁華街のネーザン・ロードを南から北へと走り、途中で左手に曲がって行った。ネオンサインが道路にはみ出すように突き出している。こちらは、屋根のない二階建ての位置にいてその下を通るものだから、立ち上がったりするとその看板にぶつかりそうな気がする。これは迫力が満点だ。それが色とりどり、形も様々なネオン・サインが多いので、面白くて見とれてしまう。中には、工事中のネオンサインもあったが、その足場が竹なので恐れ入る。何十階の建物を建てるのでも同じように、竹の足場だというから、大丈夫かと思うが、竹は中が空洞な上にしなやかに曲がるから、案外、合理的なものかもしれない。

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 同じ繁華街でも南と北とではかなり様相が違っている。ネーザン・ロードの南は、西洋風のしゃれた広告が多いのに対し、北へ行くほど中国土着風になってきて、漢字が増える。とりわけ左手に曲がったところからは、「香港舞踏藝術學院」、まあこれは、ダンス教室に違いない。「傷心 酸辣粉」とあるのは、気が滅入ったときなどに元気をつけさせる薬か何かと思ったが、辛めのラーメンの類のレストランなのだそうだ。「明星夜總會」というのは、ナイトクラブかキャバレーだろう。動物病院もあったし、「總合醫務所」というのは、医療クリニックだ・・・というので、漢字は誠に便利である。

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 ピークトラムという登山電車のようなものに乗り、ビクトリア・ピーク展望台に上がった。少しと歩くと、素晴らしい夜景が広がっていた。日本も神戸や函館の夜景が有名であるが、こちらの夜景も、それらに負けず劣らずに美しい。シャッターを切り、記念の写真を何枚か残した。山上駅に「豆腐花(ダウフハァ)」の店があり、少し心が動いたが、時間がないので断念した。ちなみに豆腐花とは中華のデザートで、日本でいえば杏仁豆腐に当たるものだ。しかし、あれほど頼りない食感のものではなくて、もう少しフルフルした食感のデザートであり、甘いシロップをかけて食べる。そもそも豆腐なので、素朴な庶民の味である。

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 その夜は、九龍半島南端にある繁華街の尖沙咀(チムサーチョイ)のシャングリラ・ホテルの自室から、ビクトリア・ハーバーを隔てて向かいの香港島を眺めた。ところが、せっかく追加料金を支払ってハーバー・ビューの部屋を確保したのに、それが9階だったので、目の前のホテルが邪魔になってあまり景色を楽しめなかった。そこで、帰国してからこのホテルからアンケートがメールで送られてきたときに、日本語だったがそのことを書いた。そうしたところ、その翌日に支配人から英文のメールが来て、要は「それは失礼しました。次回来られたときには、特別の配慮をするようにと、指示しておきました」とのこと。こちらは一介の観光客にすぎないからもう行くことはないと思うが、なるほど、こんな懐柔策があるとは思いつかなかった。面白いホテルである。

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 翌朝は比較的早くて8時の出発なので、7時からホテルのバイキングで食べる。変わった食材はないが、種類も多くてなかなか美味しい。孫が黙々と食べているのは、その証拠である。それから観光バスに乗り、港に向かう。ポンポン船の渡し船スターフェリーで九龍地区から香港島に向けて出発し、香港最古の道教寺院「文武廟(マンモーミュウ)」に着く。濛々と焚かれる御線香の煙に閉口しながら孫も御線香を奉納し、渦巻きの線香を見ながらお参りした。蚊取り線香を大きくしたようなこの渦巻き型の薄茶色の線香は、たくさん天井に吊るしてあり、燃え尽きたものを係のおじさんが長い棒を使って下ろしている。こうして燃え尽きたら、奉納者の願い事が叶うのだそうだ。老若男女を問わずにやってきてお参りしている風景は、日本の神社を思いだす。

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 次いでセントジョンズ教会に立ち寄った。香港がイギリスの植民地となった1849年にイギリス国教会の分院として設立されたという。日曜ミサの途中だったので中の見学出来なかった。キンコンカーンという音がとても印象に残った。カトリック系ということなのだろうか、お手伝いさんらしきフィリピン人女性が非常に多かった。それからレパルスベイ(淺水灣)に向かう。ここにはその昔、私が見た風水の穴の空いた建物(ザ・レパルスベイ)があり、またとても美しい海水浴場がある。映画「慕情」の舞台になったそうだ。

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 近くに天后(媽祖)廟があり、これも昔見た通り。色々なご利益のある神様の像があるが、中でも黄色い魚の像が面白かった。その口にコインを投げるとお金が貯まるなどの良いことがあるらしい。孫が手持ちのコインを投げ、跳ね返ってくるからそれを拾ってまた投げ、時には人の投げたコインを拾ってさらに投げるということを繰り返し一生懸命やってもダメだった。しかし、気がついてみると、手の中にあるコインが幾つか増えていて、なるほどご利益があったと納得した。そこで写真を撮ってもらった。家族揃っての写真がないし、なかなか出来が良かったので、それを買うことにした。

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 バスの一行は、近くのスタンレーマーケット(赤柱市場)に行くが、我々は買い物に興味がないので、公民館で休んだ。すると公民館の職員の方がご親切にも孫を室内の遊び場で遊ばせたらどうかと進めてくれたので、そこで遊ばせた。室内の滑り台やらスポンジ製の大きなブロックがある程度の質素なものだったが、そこに来ているほかの4組の親子を観察した。うち1組は実の母子に違いなかったが、他の3組は明らかにフィリピン人のメイドさんと雇い主の幼児である。というのは、幼児たちが金髪だったり、色白だったからである。そのメイドさんの態度を見ていると、さも嫌そうに渋々やっている1組がいたかと思えば、メイドさんが金髪の赤ちゃんに笑顔で話し掛け、いかにも可愛くて仕方がないという1組もいた。なるほど、こんなところにメイドさん選びの運が出るのかと思った次第である。

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 海底トンネルを通って再び尖沙咀(チムサーチョイ)地区に戻り、九龍湾を見下ろすショッピングセンターの二階で飲茶(ヤムチャ)を食べた。大根餅やマンゴープリンなど一つ一つの飲茶は非常に美味しくて家内も私も満足したが、孫も美味しかったらしくて、お腹いっぱいに食べたようである。そこを出て、また道教寺院の黄大仙(ウォンタイシン)に向かう。濛々と御線香の煙が上がる中、御神籤箱があって、それを振っていると棒が一つ飛び出してくるので、その番号を持って占い師の所に行って占ってもらうのだそうだ。我々も番号だけは貰ったものの、占い師のところに行く時間がなかった。

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 九龍湾に面した通りの星光大道(Avenue of Stars)という香港映画スターの手形がある海に面した通りを散歩して、免税店に行った。我々は彼の地のスターといえばジャッキー・チェンくらいしか知らない上に、ブランド物などにはあまり関心がなかいので、単に散歩して休んだだけである。その休憩場所で、孫がなにやら熱心に描いている。すると、その出来上がった絵を私のところに持ってきて、「この写真を買いませんか?安いよ。今のうちだよー売り切れますよー」などと叫ぶ。売り方がなかなか堂に入っているからびっくりした。どうやら、先ほど天后廟に行ったときに写真屋から我々の写真を売りつけられたのを見ていて、そうだ、こんな手があるのかと思って、それを真似したようだ。せっかくなので、「ここは香港だから香港のお金で支払う」と言って、言い値をちょっと値切り、8枚を10ドルで買ってあげたら大喜びしていた。

 観光ガイドをしてくれたジミーさんの話は、とても面白かった。「66m2のマンションの価格、いくらだと思いますか。値段は1億円を超すんですよ。1億円。一軒家に至っては40億円だ。もう地元の人は誰も買えない。これというのも、大陸からの中国人が、一人で何軒も買うからだ。どういう人が買うのかというと、党や軍の幹部だ。例えば先日、人民解放軍のナンバー2が逮捕されたが(徐才厚・元中央政治局委員のことらしい)、その自宅を搜索してみると、地下室にドル、円、ユーロ、金や宝石が山と積まれていて、数え切れないので重さを測ると1トンもあったそうだ(一説には、何十兆円もあったという。日本の国家予算並みである。)。そういう輩がやってきて、資産のつもりで何軒も、それもキャッシュで購入する。貸すのは面倒なので、買ったまま放っておく。売らないから値段は下がらない。彼らはそれで一向に構わないし、その方がむしろよいのだ。これに対して庶民は、公団住宅だけが頼りだ。家賃は月3万7千円くらいで常識的。香港籍なら必ず入れるが、ただ順番待ちで、今だと5年はかかる。しかし、発展に次ぐ発展で、もう土地がない。将来、自分たちの子供の世代では、それも何十年待ちとなって、まず入れないのではないかと思う。だから、若者はこうした状況には耐えられない。1997年の香港の返還時の人口は300万人だった。ところが現在は700万人もいる。大陸中国人による不動産の買い漁りに加えてこれほど人口が増えては、土地が足りなくなって不動産価格が上がるわけだ。ところで香港の女性は、気が強くてどうしようもない。だから香港の男性は深センなどに行ってお嫁さんを探して、香港に連れて帰る。それが両親、兄弟、親類を呼び寄せてまたたく間に人口が増える。そうして増えた人口は70万人ともいわれる。ここは昔は英国の植民地だったが、いま香港に住んでいるイギリス人の数は700万人中わずか1万人に過ぎず、フランス人の方が多いくらいだ。外国人の中で一番多いのはフィリピン人で、28万人。住み込みで四六時中、働いているから、休みの日の日曜日は、外出して友達としゃべるのが楽しみ。そういうのが繁華街とカトリック教会に溢れている。香港では、保育園の質が良くない、お金がかかるという理由で、子供を持たないカップルが結構いて、出生率は0.9しかない。子供を持っても一人。だから、メイドが必要で、月4万円で雇える。フィリピン人の次に多いメイドはインドネシア人で、1万人くらいだ。」

 「香港の交通機関は、安いよ。バスは35円くらいだし、タクシーもワンメーター350円だ。空港からも電車は着いてからホテルまで面倒くさい。だから、空港から直接乗った方が良い。4,000円くらいだ。タクシー免許は入札制で、1億円くらいするので、とても買えない。よって、親方のところに行って1日借りて使うというスタイルだ。だから時々とんでもない運転手がいて、外国人とみると吹っかけるし、500香港ドル札をすり替える悪い奴も出る。」という。私が、「香港の一般人はもっと英語を話すのかと思った」と聞いたら、「いやいや、一般人は大陸から来た人が多いので、話せない」という。それどころか、今や繁華街を歩いている観光客の8割は、大陸からの中国人になってしまった。それがとんでもない現金を落とすので、ホテル周辺の土産物特にお菓子屋さんなどは、潰れてしまい、例えばシェラトンの近くは、宝石貴金属店、漢方薬店、ブランドショップばかりとなってしまった。この辺の一カ月の借り賃はいくらだと思う?1億円だよ。そんな借り賃を支払ってお菓子屋などはやっていけない。最近終わった金鐘地区を占拠した学生運動は、家も希望も持てないという若者の不満を代弁している。その間、大陸側で香港越境ビザの発行を止めたから、市内に大陸からの観光客がいなくなってスッキリした。中国共産党は、ああいう学生運動のようなものを国民に見せたくなかったのだろう。」とまあ、続くこと続くこと。おかげで香港の抱える問題点が分かってしまった。一国二制度とはいっても、今回の行政長官の選挙などからもわかるように、北京中央政府の意向がますます制度に組み入れられてきているのは確かである。このままでは、近く香港に激動の兆しがあるように思えたが、はてさて、どうであろうか。





(平成27年1月5日著)
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