邯鄲の夢エッセイ








1.6歳になろうとする初孫くんは、なかなか面白くなってきた。昨年の秋も深くなってきた頃、その通っている幼稚園で、お金の数え方を習ってきた。硬貨の1円、5円、10円、50円、100円それに500円の種類別に分け、それらを足していくらになるかを計算するのである。最初は、1円、5円、10円をいくつか集めてチョボチョボと数えるということで、それこそ何円から何十円程度の計算しか出来なかった。ところが年が明けてから、それが一挙に100円単位となり、2月に入って「ああ、783円かぁー、あと217円あれば千円になるのになぁ」などとやっている。何と1000円までの引き算が出来るようになった。そういえば、公文教室の先生が「お金を数えるのが好きな子は、計算が出来るのが早いですよ。」と言っていたが、全くその通りだった。

 実はここに至るまで、いくつかステップがあった。まず第1は、硬貨の1円を多く、5円を偶数、10円を少しだけ持たせて、1円が5個で5円、5円が2個で10円、10円玉3個で30円、それが幾つなら10円単位で数えればよい。それが終わったら、1円単位で数えるなどと教えたところ、自分でそこにあるのが何十何円かを数えられるようになった。そして買い物に行くたびに、お釣りに貰うコインの端数のうち、1円玉、5円玉、10円玉をアトランダムに渡し、それが数日分貯まると、自分で数えるようになった。それが正しく数えられるようになると、お金が貯まるのをますます楽しみになった。そこで、玄関先に自分でポリ袋を用意して、私たちが帰ってくると
「ここにお釣りをちょっと入れて頂戴」と言うようになった。「ああ、いいよ」と言って、わざと1円、5円、10円を少しだけ、入れるようにした。すると、それでもいそいそと数え始め、何と自分でいくら貯まったかを紙に記録するようになった。「11がつ13にち、26円、ごうけい486円」という具合である。まるで貯金通帳だ。たまに100円玉でも入れてやると、天にも昇る心地で嬉しがる。そうして、とうとうその貯金が、1000円を突破する日が来た。ほとんどが1円玉か10円玉なので、小山のように積み上がる。それを前にして「あーぁ、千円札にならないかなぁ」とつぶやいている。

 そのコインと引き換えに千円札をあげるのは簡単なのだけど、それではせっかく苦労して貯金を作り上げた意味がない。やはりそう思った家内が、
「それを持って、ちょっと来なさい。」と言って外へ連れ出した。今日は土曜日なのに、どこへ行くのだろうと怪訝に思っていたら、30分ほどして初孫くんが満面の笑みで戻ってきた。そして意気揚々と言う。「おじいさん、ほら、千円札だよ。」確かに、右手にお札をひらひらさせている。家内に聞くと、隣の郵便局のATMに千円分の硬貨を入れて、お札で同額を抜いて来たという。なるほど、そういう手があったのかと感心した。でも、100円玉10個ならともかく、あんな数の硬貨が入るのかと聞くと、そこが問題で、ATMには一度に100個しか入らないし、すぐに硬貨を入れる穴が閉まってしまうから、後ろに人が来ないかを確かめながら二人で何回かに分けて放り込んだのだそうだ。おやおや、それは大変ご苦労さまなことだ。でも、お金の大切さを少しは感じてもらったのではないかと思っている。

 それが昨年の末のことで、今年に入ってお年玉でどんと500円玉をあげたから、1月なかばには、さらに千円分、貯まってしまった。そこで、同様にして郵便局でお札にした。そして、2月も終わりの今になって、「897円、103たせば1000円になる」などと紙に書いていた。まるで売上目標ではないか・・・別に引き算を教えたわけでもないのに、硬貨を並べていって、自然に計算できたものと思うしかない。そして、街に出ると、物の値段をやたらと聞きたがる。
「あのおもちゃは幾ら?」と聞くから「ああ、5000円だよ。」と答えると、「それじゃあ、買えない。」と悲しそうな顔になる。そうかと思うと、「あのお菓子は幾ら?」というので「ああ、500円らしいよ。」というと、「僕それ、4つ買えるよ」と嬉しそうな顔をする。6歳になったばかりだというのに、こんなにお金に興味を持ってどうするのだという気もするが、そのおかげで計算が出来るようになったし、お金の大切さや価値が分かるなら、まあ良いかという気もする。この子は今年の4月から小学校に入学することになるが、昔だったら「入学までに、ひらがなで自分の名前が書けるようになっていて下さい。」という程度で良しとされていたところであるが、それが何としたことか・・・しかし、いささか早すぎる気がする。昔から「10で神童、15で才子、20歳(はたち)過ぎればただの人」という言葉もあるように、年若いときには、年齢に比べてあまりに出来過ぎても、よろしくないと思うのである。

 その反面、教えられたものではなく、いわば遊びの延長で興味の趣くまま好き放題にやっていたら、いつの間にか他人より秀でていたという知識なら、身につくし、忘れないとも思う。だから、この金勘定が出来るようになったことは、いつかは生活の必要上、身につけるべきものだから、まあ良いかという気がしてきた。ただし、お金を浪費してほしくないし、逆にお金に汚くなってほしくもないので、それらをどう教えるか、これからの課題である。

2.先日、6歳となった初孫くんは、同じく2歳となろうとする従妹、つまり我々の息子の子で、我々からすると孫娘ちゃんと中華料理のテーブルを囲み、三家族で仲良く食事をした。大人達に囲まれて、さすがの初孫くんも最初は大人しくしていたが、お腹が一杯になるにつれてだんだんと口が滑らかに、身体も動かすようになった。そして、その前日にiPadで見た、隕石が地球にぶつかる話をしはじめた。
「(重々しい調子で)6,500万年前、地球に落ちて来た直径10キロの隕石は、こんな風に(と、両手で大きな丸を作り、それをテーブルまで動かして)、ドドドーンとぶつかって、こんなに大きなクレーターが出来たんだよ。」というと、直ぐ隣にいた2歳の孫娘ちゃんが突然立ち上がって、同じく小さな両手を伸ばして大きな丸を作り、可愛い声で「ドーァン」などと真似をしている。何だ、孫娘ちゃんは単に食べていたわけではなくて話を聞いていたのかと思ったら、それを契機にどんどん初孫お兄ちゃんの真似を始めた。例えば初孫お兄ちゃんが「もっと小さな隕石なら、こうなるんだよ」と言って両手を丸めて球のような形を作り、それがぶつかる「バッバァーン」という声を出す。そうすると、孫娘ちゃんも同様に小さな手を丸めて「バーァン」という声を出すという具合である。その様子がまた、どうにも可愛くて、皆でニコニコしながら見守る。初孫お兄ちゃんが座っているのに飽きて皆の椅子の後ろを回って隠れんぼすると、孫娘ちゃんは「にい、にい」と言って目で探し、遂には床に降りて追い掛けるという調子である。こうして仲睦まじく遊んでいるから、我々もそれぞれの親たちも安心である。これなら、良い関係が次世代に繋がりそうだ。

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3.ある日、座椅子の一つが消えたと思ったら、隣の部屋の中にあった。初孫くんは座椅子に座ってその前に段ボール箱を置き、その上に先日プレゼントしたiPadを乗せ、真剣な顔でゲームをやったり、ユーチューブの子供番組を見てケタケタ笑ったりしている。次の日にはその上にお気に入りの新幹線のオモチャや甘い物を入れる可愛い入れ物を置いて、飴を舐めながら楽しくやっている。家内はこれを「コックピット」と呼んでいる。確かに、狭い座席で手の届く範囲に全ての必要な品があるから、それも言い得て妙なのだが、初孫くん本人はこれを「ボクのオフィス」と呼んで、そこに入ることを真面目な顔で「仕事に行って来ます」と直立不動の姿勢で表現するから、そのたびに抱腹絶倒する毎日だ。昨日などは、その机代わりの段ボール箱の中から、お小遣いのお金まで取り出していた。そのほかに何が入っているのかと中を覗いてみると、初孫くんの宝物が満載だったから、なるほど、これならオフィスかもしれないという気になってきた。

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 昨年末、家内が初孫くんとデパートに行ったとき、せがまれて子供用のゴルフ・セットを買わされた。もちろん、おもちゃだからプラスチック製で、ドライバーとパター、それに白と赤のボールが入っているだけのものだ。最初はそれほど興味があるようには見えなかった。しかし、「ボクのオフィス」でゴルフ・ゲームにはまってしまってからというもの、遊び方が一変して、バーチャルな世界と現実の世界とが連続してしまったのである。つまり、まずそのゲームで世界各地のゴルフ場で予行演習をしてから、家の中にその日のコースを作り、そこでラウンドするのが日課となってしまった。廊下のあちこちにティッシュペーパーの箱やら何やらで作ったハザードを置き、時には積み木で木立を作るなど、かなり本格的なもので、それが日々に改善されて良くなるから面白い。グリーン上のホールはプラスチック製の丸いタッパーのケースだが、ゴルフボールがOKになるほどまで近づいたら、その脇に置いたプリット糊のスティックに載せてその上から球を落とすようにしているので、ホールインするたびに「コトッ」と、まるで本物そっくりの音がするから笑ってしまう。近頃は、私も巻き込まれて、家に帰るたびに「一緒にラウンドしよう。」と誘われ、毎日お相手をさせられている。

 昨年の夏のことだが、初孫くんを連れて上野松坂屋に行った。おもちゃ売場の隣にミキハウスの売場があり、そこでランドセルの見本が置いてあって、もう注文を受け付けていた。この子も来春から小学校に入学する年頃なので、それまでに買ってあげなくてはと思っていたから、ちょうどよかった。しかし、そういう季節ものは、てっきり年が明けた頃に買うものだと考えていたから、なぜこんな真夏に売っているのかと驚いた。店員さんの話だと、
「年が明けると、需要が殺到して希望の色目がなかったりするから、今のうちにお買い求めいただいております。その分、お値引きさせてもらいます。」とのこと。手に持ってみると非常に軽いから買う気になって、初孫くんに好きな色を選んでもらい、注文した。52,920円だった。その時は、安いのか高いのか、よく分からなかったが、後からアマゾンで調べると、ブランド物ほどではないにせよ、かなり高い部類だった。気長に待つこと7ヶ月間、この2月中旬に届けられた。普通のランドセルだが、それなりに工夫もされている。成長につれて肩幅が広くなるのに対応して、担ぐための肩ベルトの交差部分が、ある程度フレキシブルに動くようになっているのである。早速、初孫くんが担いでみたところ、なかなか良く似合っていて、「4月から使うんだ。」と大喜びだった。

4.日曜日は、私が初孫くんをどこかに連れて行くことにしている。春や秋の季節の良いときには、昭和記念公園、葛西臨海公園、代々木公園、新宿御苑、時には高尾山や船橋のアンデルセン公園まで遠出する。今年は、体格が良くなっただけでなく運動能力も抜群に上がってきたから少し遠征して、埼玉県の武蔵丘陵森林公園や千葉県の野田清水公園まで行こうと思っている。青空の下、そういう広々とした場所で思い切り走り回り、大きな遊具で疲れるまで遊ばせるというのが、子供の体力を付け精神的にも安定させる一番の方法だと思うからだ。しかし最近では、走る競争にしても何にしても、私の方が先に疲れて参ってしまうから情けない。まあ、歳のせいだから、こればかりはどうにもしようがない。

 夏の暑いときや冬の寒いとき、それに天気の悪い日は、屋外の公園で過ごすというわけにもいかないので、室内の子供の遊び場で運動させるようにしている。例えば都内にはボーネルンドが運営しているキドキド、東京ドームのアソボーノ、お台場にアネビーのトリムパークとレゴランド、足立区にギャラクシー(公営)とオンパミード、江東区にグロースリンクなどがあり、特にキドキドの係のお兄さん・お姉さん方とは顔なじみで、大変お世話になっている。最初は私も一緒にトランポリンやボールプール内での玉投げ、鬼ごっこなどをやっていたが、子供がますます活発になる一方、私の方は寄る年波には勝てず次第に億劫になってきた。もちろん、挑戦されれば受けて立つ気はあるが、近頃では可能な限り、係の人たちにお任せするようにしている。しかしそのうちに初孫くんの方で、一緒に遊んでくれるお友達を毎回見つけてくるようになり、その子たちと鬼ごっこ、ゴルフ、ボールプールでの基地ごっこなどを全身汗びっしょりになりながらやってくれるているので、助かっている。

 そのほか、ディズニーシーやディズニーランドにも親と行っているようであるが、それよりも私はキッザニア(KidZania)が面白いと思う。これは、就学前から小学生までを対象とする児童専用の参加型テーマパークである。東京では江東区の「ららぽーと豊洲」にあり、何らかの「お仕事」を模擬体験し、それで報酬をもらって、銀行に預けたり、いろいろな買い物をすることによって、大人の職業生活や社会生活を疑似体験させるというものだ。初孫くんは、およそ3年ほど前から時々通い始め、それも仕事ばかりをするから、専用通貨のキッゾが貯まるばかりである。先月に行ったときには、歯医者、証券会社員、警備員、ニュースリポーター、ケーキ屋さんなどを慌ただしく経験した。職業の中身とその成果はともかくとして、スーツ姿や制服姿が似合っていて、なかなか可愛い。しかし、リピーターとして慣れてくると、人気の職業は常に混み合っているし、会場は全体に狭いし、ゆっくり座るところもない。しかも子供だけしか参加できないので保護者は見ているだけだし、何よりもちゃんとした食事をする場所のないことが不満に思えてくる。

 ところが最近の新聞広告によると、子供も大人と一緒に仕事体験ができる新たなテーマパーク「カンドゥー」なるものがこの春休みに幕張にできるという。その特徴は、高齢化社会を反映してか、55歳以上の高齢者を料金で優遇してくれるだけでなく、もう笑ってしまうほど、キッザニアの欠点を突いているのである。例えば、入場するとちゃんとしたレストランの指定席に案内されて、そこでしっかりした食事ができるほか、退場するまで同じ場所が確保できるから、荷物を置いたり途中で休む所としても使えるとのこと。また、キッザニアのように子供のアクティビティの場所から家族は出て行かされるのではなく、例えば新聞記者の仕事なら家族も一緒に取材活動に参加してよいそうだ。これらがその通りなら、東京から多少遠いが、行ってみる価値はありそうだと思っている。

 初孫くんの近頃の流行りは補助輪付きの自転車を乗り回すことで、結構速く乗り回せるようになった。今年の目標は、その補助輪を取って乗ることである。そうすると、昭和記念公園や代々木公園では自由に乗り回すことができるし、通常のサイクリング・コースにも出られる。しかも私も一緒に自転車に乗ることができるので、それほど疲れない。今から楽しみにしている。


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5.昨年12月の幼稚園が最後の日のことである。帰宅した初孫くんが珍しく大人しい。と思ったら、食事の後、力なく寝てしまった。あれあれと思って熱を測ると、37.3度と出た。これはいけないと、ママを呼ぶ。すると、手早く診察をして、「この程度の熱なら座薬を入れることもないから様子をみて、明日、更に悪くなるようだったら薬を貰いに病院に行くことにしよう」とのこと。家族の中で、私は病気には比較的、強いからというので、初孫くんは私と同じ部屋に寝ることにした。実は、近頃は私と一緒に布団を敷いて寝ることが多いのである。それに時折、「おじいちゃん、大好き」などと言って抱き付いて来られるから、こういうときには、お世話をしたくなる。そこで、熱があるから寒かろうと、パジャマの上に分厚いズボンを履かせて、ついでに靴下まで履かせようとしたら、ママがそれは違うという。何でも、胴体は風邪と戦っているのだから暖かくしてあげて、手足はむしろ何も着せないで、そこから放熱させるというのが正しいのだそうだ。本当かなと思うが、取り敢えず医者の言うことだから、反論するほどの材料もなく、その通りにした。

 本格的に寝てもらうために、部屋の暖房を28度に設定して暖かくし、加湿器にも頑張ってもらって部屋に湿り気を与えて、灯りを落とす。暗い中、初孫くんのすーっ、すーっという寝息が聞こえてくる。ときどき寝苦しそうに寝返りを打つが、まあそれほど大事にはなりそうもないと思った。安心したママが去って1時間ほどして、初孫くんの様子を見たところ、頭の周りにびっしょりと汗をかいている。家内が慌てて柔らかいタオルを持ってきて汗を拭き取る。襟元に手を当てると、こちらも汗でぐっしょりと濡れている。これはいけないと、家内が着替えのシャツを持って来た。今度は私が抱き上げて膝に乗せ、まず濡れた服を脱がせる。そのとき初孫くんは、薄眼を開けて両手をXの字のように交差させて
「ああ、寒い!」とつぶやく。傍で家内が「いま、着替えるからね」と話し掛けている最中に、急いで着替えさせようとするのだけど、こういう時に限って腕が途中で引っかかったりして遅くなるから上手くいかないものである。でも、ランニングシャツ、長袖シャツ、腹巻き、子供用のちゃんちゃんこの順に、何とか着せ終わった。この子は、布団の代わりにそれだけ着せないといけないのである。というのは、寝相があまりよろしくないから、布団だけだと直ぐに跳ね除けてしまって役に立たないのに対し、特にちゃんちゃんこを着ていると、まるで布団を巻き付けて寝ているようなものなので、部屋中どこにでも転がって行っても大丈夫というわけである。

 午前2時頃にもう一度、着替えさせた。午前5時頃、どういうわけか暖房がちっとも効かなくなって、私も寒く感ずるようになった。初孫くんの足を触ってみると、かなり冷えている。これは放熱のし過ぎだと感じて、ズボンと長い靴下を履かせた。ドクター・ママの方針とは違うことになってしまうが、やむを得ない。それが終わってまた眠りにつき、午前6時前のことだと思うが、私の左脚が重たくなった。これはひょっとしてと思って暗い中を見ると、案の定、初孫くんの頭が私の左脚の膝あたりに乗っている。もう私は眠たくて眠たくて、声も出せないし身体も起き上がることができない。頭の中でこれは困ったと思っているうちに、初孫くんの頭は私の脚の上を下に向かってどんどん移動し続けて、ついに私の足首にまで達した後にやっと外れて何処かに行ってしまった。体温が高くなって身体が熱いから、少しでも冷たいところを求めて、ごろごろ転がっているようだ。可哀想だが、熱が下がらないと駄目なので、如何ともしてあげられそうもない。

 翌朝、初孫くんはいつものように午前7時過ぎに起きてきて、普段通り朝食を取り始めた。額に手をやると、熱はない。しかし、心なしか動きがスローだ。ああ、これなら大丈夫だと思い、いつものようにテレビをつけて、お猿のジョージ、機関車トーマス、トム&ジェリーなどの子供用のテレビ番組を見せた。それからどうするのかなと見ていると、ブリオのレールを延々と組み立てて部屋の中いっぱいに敷いた。それを30分くらいやって、その直後にティッシュペーパーの箱をどんどん積み立てて先頭に積み木を乗せて、
「はい、国会議事堂だよ」などとやっている。ちなみに我が家では、初孫くんがあまりに積み木が好きで、しかも大建造物を作るから、ブロック代わりにティッシュペーパーの箱を何十個も買い込んであって、それを積み上げたら壁一面を覆うくらいになっている。初孫くんが2ヶ月前のクリスマスイブにサンタクロースのおじさんあてに書いた手紙には「さんたのおじさん ていしゆぺーぱーを11こください」とあったほどである(ちなみになぜ11個なのかは聞きそびれた)。親からすると、ティッシュペーパーの箱はその体積が大きい割には、たとえ崩れても全く危なくないし、加えて安いときている。子供も大きなものを作ることができて満足するし、安全だ。良いことずくめであるが、その代わりこのブームが去った時には、2〜3年使ってもまだ余るほどの在庫の山を築くことになると思うが、値段の安さを考えれば、そんなことはご愛嬌のようなものであるから、この年代の幼児の積み木代わりとして、ティッシュペーパーの箱を与えることを是非お勧めしたい。

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 話は横道にそれたが、お昼になり、初孫くんに「何か食べに行く?」と聞くとうなづくので、バスに乗って上野のいつものレストランに行き、いつも通りに家内は日替わりランチ、私は野菜カレー、初孫くんにはパンダのホットケーキを頼んだ。料理が来たので、私と家内の分から野菜や肉を取り分け、ホットケーキを頬張る初孫くんに食べてもらおうとした。その取り分けた食べ物とコーンスープは何とか口に入れたが、あらら、ホットケーキは半分ほど残してしまった。そして、いつものように「東京ドームのアソボーノに行きたい」などと言わずに黙って家に戻って来て、今度は珍しく塗り絵を書いている。しばらくして、体を動かしたいというので、家内が近くの小学校の校庭に連れて行き、30分ほどサッカーの相手をして帰って来たようだ。その時、私は、昨夜の看病のことがあったので、眠くて眠くて、横になっていたから、そのあたりの詳しい経緯はよく知らない。お昼過ぎに炬燵に入ってうつらうつらと眠っていたと思ったら、初孫くんが私の耳元で「おじいさん、ご飯が出来たよ。」と囁いた。それでようやく起きたという次第で、その間の記憶が飛んでしまっている。家内がひとり頑張ってお世話をしていたというわけだ。

 いずれにせよ、私の意識は昼食時からいきなり夕食時へと飛んだ。一日中食べてばかりだから、我ながらいささか気恥ずかしいが、気がついてみると、また目の前にお皿が並んでいる。隣にいる初孫くんはどうかと思いそちらに目をやると、口数は少ないが、普通に食事をしている。うん、これなら大丈夫かなと思って、食事の後にいつものように二人でお風呂に入った。湯上りに冷えるといけないと思って、頭も身体も手早く洗い、湯船にたっぷりと体を浸けてもらい、そのまま遊ばせないでお風呂から出てもらった。寝る前に体温を測ると、37.5度と、昨晩と変わりない。何だ、少しも良くなっていないではないかとがっかりし、昨晩と同じように寝かせた。

 次の日は月曜日なので、私は眠いけれども仕事に出かけなければならないから、初孫くんのお世話は家内が引き受けてくれて、近くの大学病院に連れて行ってもらった。朝早く行ったのに、なかなか見てもらえず、やっと診察室に入った頃にはお昼を回っていたそうだ。病院での診察結果は、「インフルエンザではない。喉の奥からサンプルを採って調べたが、溶連菌はいなかった。だから単なる風邪です。」とのこと。まあ良かった。気管支がゼロゼロという音を出しているので、そのための薬と抗生剤が処方された。10日分だそうだ。薬は@キプレス細粒4mg(夕食後、1回/日、10日分) Aジスロマック細粒10%(夕食後、1回/日、3日分)なお、前回と同じ薬は、Cアストミン散10%DムコダイDS50%Eペリアクチン1%の混合剤。年末年始は、12月28日から1月4日までの8日間は外来休診だが、B棟救急プライマリケアセンター(24時間体制)で救急診療を行ってくれるという。子供のことだから、容態が急変するとも限らないので、いつ何時、救急扱いで駆け込むかもしれないし、また、インフルエンザ以外なら病児も預かってくれる。この病院は、こういうところが安心だから選んだのである。

 それから数日して、私が家で仕事をしていて、お昼になった。家内がたまたま用事があるというので外出して、私と初孫くんが家に取り残された。初孫くんの熱を計ると、38.8度にもなっている。それだけの熱があるというのに、なぜか元気で、お昼は外に食べに行きたいという。そこでタクシーで近くのデニーズに行った。初孫くんはここでサービスとして出てくる双六のゲームが大好きで、この日も待っているときにその双六をしたら、何と私が負けてしまった。そうこうしているうちに食事が来たので、果たして食べられるかと思って心配しながら見ていたところ、パクパクと口に入れたので、一安心した。しばらくして携帯を貸してくれというので貸したところ、何とママあてに、こんな文章を打ち込んで送っていたので、びっくりした。

「ままいまねでにーずにいっていますよ」

「それにかりぴすおのんだよ。」


 「カルピスを」が「かりぴすお」になっているのはご愛嬌だが、それはともかく、こんな文章がもう書けるのかという驚きもさることながら、その前にやすやすとスマートフォンが使える能力があるという事実には衝撃を受けた。それにしても、あれだけ熱があっても元気で普段と変わりがないのをみると、本当に病気なのか、体温計がおかしいのかなどと疑いたくなるほどである。念のため、帰りに薬局に立ち寄って、経口補水液 OSー1を2本買ってきた。

 さらに数日が経ち 、朝の初孫くんの体温を計ると36.6度で、やっと平熱にもどった。しかし、前の晩はしょっちゅう咳をして、可哀想だった。ただし、幸いにも、あまり深い咳ではない。前日はいったん午後3時過ぎに寝て、5時間後の午後8時に起きたから、その時点で食事を摂らせ、感冒薬と喘息の薬を飲ませた。そして午後10時にまた寝かせると10時半には寝付いていた。今朝は、午前3時過ぎにいったん起きた後に直ぐに寝たと思ったらもう午前7時半に起きてきて、私の耳元で
「おじいちゃん、朝だよ」と、いつものように囁いて起こされた。だから、睡眠時間は足りている。しかし、新たな症状として、この2〜3日は寝ている間の咳がひどいので、今日は休みだけれど、冷たい外気には当てないようにしている。

 それから更に2日経ち、初孫くんの風邪は、やっと治った。かれこれ9日間ほどかかったことになる。普段ほとんど病気をしたことのないこの子にしては、珍しく本格的な風邪だった。でもその間、水は飲めたし、食事もほぼ普段どおりの量を食べられたから、あまり心配はしなかった。しかし、この子が生きているこの現代と違って、私自身の子供時代は、よく病気をしたものである。今のように公衆衛生の観念が普及しているわけでもなく、予防接種などもごく一部の病気しか行われていなかったから、仕方のないこととはいえ、そのたびに両親とりわけ母に心配をかけたのだろうと、今頃になって思うのである。






(平成27年3月3日著)
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