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目 次 |
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| 1 | 皇室ゆかりの伝統を | ||
| 2 | 青空と露地花壇と池 | ||
| 3 | 一文字菊管物菊花壇 | ||
| 4 | 大作り花壇は正に華 | ||
| 5 | 伊勢菊丁子菊嵯峨菊 | ||
| 6 | 江戸菊花壇も魅力的 | ||
| 7 | 肥後菊花壇は古典美 | ||
| 8 | 大菊花壇は手綱植え | ||
| 9 | 前垂れ懸崖作り花壇 | ||
![]() 1.皇室ゆかりの伝統を (1)江戸菊・大作り・丁子菊 最近は晩秋になると、毎年のように、新宿御苑で行われる菊花壇展を観に行くことにしている。例年は菊の勢いが強い内にと思って、なるべく早目に行くが、今年は色々と用事があったり天気が悪くて、最終日の11月15日になってしまった。いただいたパンフレットを引用しながら、鑑賞していこう。 その前に、なぜこの菊花壇が「皇室ゆかりの伝統を受け継ぐ」というのかというと、まず、明治元年に菊が皇室の紋章に定められたそうだ。それから、宮内省が菊の鑑賞の機会を設けた。「昭和4年から観菊会が御苑で行われるようになりました。大正から昭和にかけては、観菊会の展示の規模、技術、デザインがもっとも充実した時期で、これらによって、新宿御苑はパレスガーデンとして、広く海外に知られるようになりました」という。つまり、今風にいえば、文化的な「ソフトパワー」で海外に発信したというわけである。 菊花壇展は、日本庭園の周囲に幾つか置かれた、上屋(うわや)という展示用の半屋根の四阿屋で行われる。本来は、中央休憩所近くの中央入り口から入り「第一露地花壇」→「懸崖作り花壇」→「伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇」→「大作り花壇」→「江戸菊花壇」→「第二露地花壇」→「一文字菊・管物菊花壇」→「肥後菊花壇」→「大菊花壇」という順序で回るらしい。過去3年ほどは、そうしていた。 ところが今年は、新宿門から近い楽羽亭(茶室)の側から入って行った。今から思うと、指示された通路とは逆回りだ。だから、「一文字菊・管物菊花壇」→「第二露地花壇」→「伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇」→「大作り花壇」→「江戸菊花壇」→「肥後菊花壇」→また「一文字菊・管物菊花壇」→「第一露地花壇」→「大菊花壇」→「懸崖作り花壇」と、さまよってしまった。「一文字菊・管物菊花壇」は重なったし、「懸崖作り花壇」は、人に聞いて探す始末。やはり、地図を取り出して説明の通りの順序で見れば良かった。 2.青空と露地花壇と池 しかし、そうやってウロウロしている間に、空を一面に覆っていた雲が晴れて、真っ青な秋空が出てきた。手前には露地花壇、真ん中には日本庭園の池、正面には代々木のドコモタワー、それが池の水に映っており、空の半分は白い雲だ。これは素晴らしい景色だと思ってカメラを向けた。 ところが、測光を空に合わせると、青い秋空が美しく写るが、日本庭園の池や第二露地花壇は真っ暗となる。逆にそちらに合わせると、空が情けないほどの薄っぺらい青色になる。HDRだと、上手くいくかもしれないと思ったが、やはり全体がくすんだ感じとなる。
3.一文字菊・管物菊花壇
このうち一文字菊は、白い紙に支えられて、平べったく咲く美しい菊だ。確かに、紋章に最適な形をしている。「管物菊」や「糸菊」というのも、あまり味わいのない呼び方だが、よくその形を現している。 庭師さん主導の名付けだろうが、もう少し皇室らしい雅びな名前を付けても良かったのではないかと思う。 4.大作り花壇は正に華
5.伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊
それとは正反対に、伊勢菊と嵯峨菊はどちも紐のような細い花びらを持っている。ところがその咲く方向が反対だから、不思議な気がする。伊勢地方(三重県松坂)で育てられた伊勢菊は、細長くて縮れた花びらが、だらりと垂れ下がって咲く。逆に京都の嵯峨野で発達した嵯峨菊は、細長い花びらが真っすぐ上を向いて立ち上がって咲く。その3つを同時に並んで 見られるのが、この花壇というわけである。その作り始めは、昭和30年とのこと。 6.江戸菊花壇も魅力的
なお、国立歴史民族学博物館で、「くらしの植物苑特別企画『伝統の古典菊』」というものを開催中で、その説明がとても参考になった。それによると「菊は、日本を代表する園芸植物のひとつです。菊は日本在来の植物ではありませんが、平安時代の宮廷ですでに菊花の宴が流行していることにより、律令期に他の文物とともに中国からもたらされたと考えられています。 平安・鎌倉時代からは日本独自の美意識により、支配者層の間で独特の花が作り出されました。筆先のような花弁をもつ『嵯峨菊』は京都の大覚寺で門外不出とされ、花弁の垂れ下がった『伊勢菊』は伊勢の国司や伊勢神宮との関わりで栽培されました。そして、菊は支配者層の中で宴に、美術工芸品に、不老不死のシンボルとして特権的な地位を築いていきました。 それが、近世中頃以降になると大衆化し、変化に富む園芸種の菊花壇や、菊細工の見世物が流行したと言われています。それらの流行を支えたのが、花弁のまばらな『肥後菊』と花弁が咲き始めてから変化していく『江戸菊』です。これらに花の中心が盛り上がって咲く丁子菊を加えた伝統的な中輪種は『古典菊』と呼ばれています。」 7.肥後菊花壇は古典美
ここでいう「精神修養」という意味が今ひとつわからなかったので、インターネットで調べてみると、熊本シニアネットの城 正史(肥後六花)さんの記事が目にとまった。肥後菊栽培の基礎は、文政2年(1819年) に、秀島七衛門(『養菊指南車』)によって築かれたそうだ。明治10年の西南戦争時には菊の苗を市外に分散させて、辛うじて絶滅を免れたと伝えられている。 続きをそのまま引用させていただくと「明治20年には、同志により『愛寿会』が結成され、肥後菊栽培が本格化した。このようにして、熊本で発達改良を見た肥後菊は、観賞用秋ギクの正常種で中輪ギクに属し、そのわびしさの中に備わる気品と清楚を特性とする。いわゆる日本古典ギクの一種としてみのがすことのできないものである。また、肥後菊は花壇栽培が建前で、一本一本の花にも趣はあるが、全体の総合美に重きをおいているところが、ほかのキクと違っている。肥後菊花壇の前に立つと、あたかも古典美術を鑑賞しているように心がときめき、襟を正さずにはおれない不思議な感懐が湧く。そこには、花壇を精神修養の場と見立て、ここに儒教の教えを表現した、肥後モッコス精神の発露がある」ということである。侘びの中の気品と清楚、全体の総合美に重きをおく点など、なるほど深く納得した。 8.大菊花壇は手綱植え
なお、大菊とは「菊の代表的な品種で、花びらが花の中央を包み込むように丸く咲くのが特徴です。それを神馬の手綱模様に見立てた『手綱植え』と呼ばれる新宿御苑独自の技法で39品種311株の菊を、黄・白・紅の順に植え付け、全体の花がそろって咲く美しさを鑑賞する花壇です。」との由。作り始めは、明治17年という。 9.前垂れ懸崖作り花壇
懸崖作り花壇は、菊を長い三角の形に大きく垂れ下がる株に仕立てている独特の花壇で、野性味にあふれている。というのも「野菊が断崖の岩間から垂れ下がっている姿を模して、1本の小菊を大きな株に仕立てる技法『懸崖作り』とよびます。古木の台の上に、花鉢を配色良く並べています。」とのこと。大正5年から作り始めているそうだ。 ちなみに、この新宿御苑の懸崖作りは、「前垂れ型懸崖」といって、古くから伝わる形であるが、このほか「静岡型懸崖」という、犬が横向きに立ち上がったような形のものがある。湯島天神の菊まつりで見たことがある。
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