悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



カンボジアの王宮




 カンボジアへの旅( 写 真 )は、こちらから。


 仕事で東南アジアの2ヶ国に行くことになり、まず、カンボジアのプノンペンを訪れた。私は、カンボジアを訪れるのは、これが初めてである。ほんの数日間の滞在で、しかも仕事のスケジュールで手一杯という訪問だから、これをもってカンボジアを云々するのはいささか面はゆい。それでも、在留邦人のお話、いただいたパンフレット、仕事の移動の合間に何とか時間をひねり出して見学した王宮、少しは行けた市内のスポットを中心に、思い出すままにカンボジアの印象を書き記しておきたい。

 カンボジアの人口は1,480万人と、隣国のベトナム9,073万人、タイの6,884万人に比べれば非常に少ない。これというのも、1975年から79年にかけて、カンボジアを支配下に置いたクメール・ルージュ(ポルポト政権)時代に、500〜600万人といわれた当時の人口のうち、なんと100〜200万人もの人々が、虐殺や飢餓で亡くなったからだ。月刊「The Truth」(カンボジア資料センター)という雑誌には、その当時を生き延びた名もなき庶民の手記が掲載されていて、いやもう涙なくして読み進めることはできないほどだ。

 1979年にやっとポルポト時代が終わったと思ったら、それ以降、ベトナムと旧ソ連が支援する派、中国が支援する派、西側諸国が支援する派が三つ巴になって、10年余りも相争った。ようやく1991年になって和平協定が締結され、92年のUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)による暫定統治を経て、93年に総選挙が行われ、シアヌーク国王が再即位した。それ以来、与党の人民党(フン・セン首相)が長期政権を維持している。ただ、貧富の格差の拡大、賄賂その他の腐敗の横行などで、野党の勢力が拡大しているといわれる。

 現下のカンボジアの最も大きな問題は、社会の中核を担う知識人が圧倒的に不足していることである。それというのも、ポルポト政権時代にこれらの人材が大量に虐殺されてしまったからだ。このため、公務員、法曹、軍人、警察官、教員、医師、エンジニア、ジャーナリストなどがいない。これが、統治機構の不全や民主主義社会の成熟を妨げているといわれる。とりわけ、地方での教員の不足は著しく、やっと文字が読めるようになったくらいの人材が教員を勤めなければならない。しかも教員の給料はひどく安く、このためアルバイトに追われて学校にも出てこられないほどだと聞いた。

 法律や政省令、規則が整備されていないものだから、各省が我田引水のような規則を勝手に作って、それでお金を稼ぐ。例えば、外国人は厚生省指定の診療所で健康診断を受けるべしという規則を作り、その診療所として厚生省内の診療所しか指定しない。つまり、外国人がここに来ざるを得ないようにわざと仕向けて診察料を稼ぐ。時には、その診察料を上回るお金を納めれば、どういうわけか、健康診断の受診義務が免除されるという具合らしい。

 ちなみに、世界各国の汚職腐敗度(Corruption Index)のランキングというものがあり、それによると2015年に世界167ヶ国のうち、カンボジアは150位になっている。最もクリーンな1位はデンマーク、少し飛ばしてドイツ・イギリスは10位、アメリカ・香港は16位、日本は18位、次に訪れたマレーシアは54位、イタリアが61位、167の最下位はソマリアと北朝鮮である。さもありなんというところか。


泊まったホテルのように、ライオンを写実的に引き写した像


 カンボジアのホテル、官公庁の建物の玄関の両脇には、一対の獅子の人形が鎮座している。日本の神社の狛犬に似ていなくもないが、むしろ沖縄のシーサーにそっくりだ。ただし、中には私の泊まったホテルのように、ライオンを写実的に引き写した像もある。しかも、そのライオンの鼻の両脇には細かい穴があり、ナイロン製のヒゲまで再現されていたから笑ってしまった。

ジャングル探検のようなとんがり帽子


 私の泊まったホテルは、どうやら中国系でなかなか居心地が良いし、朝食の種類があって美味しい。玄関には、ジャングル探検のようなとんがり帽子を被ったボーイさんがいる。しかし、後で王宮を見学した際に、どうやらこの格好は、宮廷に仕えた人のスタイルであることがわかった。もう一つ、このホテルで面白かったのは、エレベーター・ホールに掛かっている書(左側)を見ていたら、孔子の言葉をもじって書いてあることに気がついた。孔子曰く「有朋自遠方来 不亦楽 (とも有り、遠方より来たる。また楽しからずや)論語学而編」だが、これには「有客自遠方来 不亦楽」とあった。こうした、ちょっとした遊び心を探すのも、旅の楽しみだ。

有客自遠方来 不亦楽


居心地が良いホテルのロビー


 首都プノンペンの王宮や官公庁街や主要ホテルは、南北に流れるトンレサップ川の西側に広がる。この川はプノンペンの北のトンレサップ湖から流れ下っている。この川の東側には並行して中国に端を発するメコン側が流れており、両方の川は次第に距離を縮めてプノンペンの南部で合流する。そのため、トンレサップ川の流れる方向が、雨期と乾期とでは、まるっきり逆になるらしい。どういうことかというと、雨期以外は北から南へと流れるが、雨期になるとメコン川の水かさが7メートル近くも増える。そうすると、全体が盆地なので、二つの川の合流点から水が音を立てて南から北のトンレサップ湖に向かって逆流するらしい。だからこの湖は、いわば自然の調節池のような役割を果たしているようだ。ちなみに、この合流点からすぐ南で、川は再びメコン川とバサック川に分かれる。要するにプノンペンは、これらの川が集まる交通の要所だったのである。

20数階建ての、立派なホテル兼会議場


二つの川の合流点


 二つの川の合流点の手前の中洲に、20数階建ての、立派なホテル兼会議場のような建物が建っている。その玄関ホールなどは、かなりの中国趣味であるが、思わず目を疑うほど素晴らしく雄大なものだ。その建物の最上階から、トンレサップ川が眺められる。季節によるのかもしれないが、この川の水は泥水である。他方、遠くに見えるメコン川の水は、やや青く見えたから、もう少し澄んでいるのだろう。

3階建ての腰高の客船


水上生活者らしき舟


 トンレサップ川には、フェリー船が行き交うほか、3階建ての客船も航行している。しかし、この客船は素人目にも腰高で、バランスを崩せばたちまちひっくり返りそうだから、危うい感じがした。川には、メザシのような舟が何艘かいて、一説には水上生活者で、ベトナム人だそうだ。メコン川の下流はもうベトナムだから、そこから漕ぎ上ってくるらしい。

車より数の多いバイクの洪水


 プノンペン市内を車で移動中、車より数の多いバイクの洪水を眼にするのは、ベトナムと同じである。それはともかく、運転の仕方がともかく荒い。割り込み、直前の横切り、果ては逆走まで、とりわけバイクが好き勝手に走り回る。それに、交通ルールがあってなき如きである。一度、政府が道路交通法を改正して、「バイクに乗るには、免許証が必要で、所有者しか乗ってはいけない。」とした。ところが、現在バイクに乗っている若者の大半は免許証など持っていない。国民の大きな反発を受けて、政府はこの改正を撤廃し、「250cc以下のバイクなら、免許証なしでよろしい」としたらしい。でもそれだと、ほとんどのバイクが無免許で乗れるのではないかと思うが、この手の朝令暮改はしょっちゅうあると、現地に長い邦人はおっしゃる。それがこの国のダイナミックなところだとまで言うから、心底この国に惚れ込んでいるらしい。そうでなくては、長く住むことなど無理というものだ。

電線の張り方


 車窓から流れる街並みを見ていて、何か違和感があると思ってよくよく見ると、それは電線の張り方とその数の多さである。何しろ、電線が数十本も纏まって、カーテンの上飾り(バランス)のように垂れ下がっている。なぜこれほどまでに電線が多いのか、よくわからない。日本なら電柱に必ずといってよいほどある変圧器がないということに、関係があるのかもしれない。しかし、電柱に余った電線が束ねて括り付けられているのを見ると、単に無駄な配線をしているに過ぎないという気もする。ベトナムから買電をしているというが、これだけはベトナムの悪いところを真似たといえる。

王宮


王宮の菩提樹の花


王宮の水連の花


 市内で官庁から官庁を移動中、時間があったから途中で、王宮とその隣の銀寺(シルバー・パゴダ)を訪れた。王宮では、菩提樹の花や水連の花に迎えられ、即位殿、舞踊殿、宝庫、ラーマーヤナ壁画、仏塔、博物館を見学した。面白かったのは、曜日によって、侍女の衣装の色が異なっていたことである。銀寺(シルバー・パゴダ)の方は、要するに王室の菩提寺で、本堂はイタリア産大理石、ステンドグラスはフランス製、床には5,000枚を超える銀の板を敷き詰めている。

王宮


王宮


 カンボジアの通貨はリエルだが、これは主に少額の支払いに使われており、少し値の張るものは、米ドル建ての表記があり、現に米ドルで支払われる。要は、米ドルがそのまま堂々と流通しているという不思議な国である。1992年のUNTACによる暫定統治以来、そうなっているらしい。しかも、もっと奇異なことに、街中の銀行の表記によれば、1年間の米ドル定期預金金利が6%という広告をよく見る。目をこすって確認しても、0.6%ではなく、6%なのである。この低金利時代に、一体どうなっているのかと思う。また、マルハンジャパン銀行というのがあるから、日本のどこかの銀行の系列かと思ったら、なんと日本のマルハンというパチンコ屋さんが経営している銀行らしい。

カンボジアの紙幣の500リエル札(約15円)の表面


カンボジアの紙幣の500リエル札(約15円)の裏面


 カンボジアの紙幣の500リエル札(約15円)の表面には、現国王の肖像画があり、裏面には、日本が援助した「つばさ橋」が描かれている。これは、国道1号線に架かる橋で、ベトナム、カンボジア、タイを繋ぐ大動脈の最後の難関だった箇所で、2015年4月に完成したばかりとのことである。

 在留邦人にとって、カンボジアの生活環境は、相当厳しいものではないかと想像していた。ところが、1年ほど前にイオンモールができてからは、日本のものはほとんど何でも手に入るようになり、生活環境が大きく改善したそうだ。私もそのイオンモールに行ってみたが、非常に立派で、なるほど何でも揃っていた。ただ、プノンペンでお会いした皆さんが口々におっしゃるには、問題は、信頼できる病院がないことだそうだ。特に、交通事故で負傷したような場合は、救急の手当てをする医療技術も危ういほどなので、日本に帰国して治療を受けるしかないという。なるほど、それは心配だろうと思う。

 カンボジアの民法は、日本の援助で2011年に施行された。その起草に当たっては、いろいろと苦労があったようだ。専門家の話によると、例えば「担保物権」という概念そのものがクメール語になかったので、サンスクリットの経典から取った言葉を使ったものの、なかなか理解してもらえなかったということである。そういえば日本も、明治期に、例えば「Physics」を「究理」と訳して理解が得られなかったたので、結局のところ「物理」に落ち着いたそうだが、カンボジアも、これと同じことをしているように思えた。

 アンコール・ワットといえば、カンボジアを代表する観光地であり、カンボジア人、中でもその9割を占めるクメール人の心の拠り所である。入国カードにも、その写真がある。会う人ごとに、「アンコール・ワットに行きましたか?」と問われて参った。ところで、「アンコール」とは「都」、「ワット」とは「寺」の意味であり、文字通り「寺の都」というわけで、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祀り、王の墳墓も兼ねている。12世紀前半にアンコール王朝の首都を象徴する建物として、スーリヤヴァルマン二世によって建てられたが、タイのアユタヤ王朝 によって15世紀半ばに滅ぼされ、以来、放棄されて長年、密林の中に埋もれていた。


出入国書類に描かれているアンコール・ワット


 ただ、このアンコール・ワットのあるシュリムアップは、プノンペンの北西250kmのところにあり、飛行機で約1時間というから、行くなら一泊は必要だそうだ。そこで、行ったつもりで、いただいたパンフレットを引き写すと、「寺院はすべて石造りで左右対称、周囲を1.5kmほどの濠で囲まれ、中は三重の回廊と中心部の五基の塔、参道脇の経蔵からなる。中央伽藍は須弥山、周囲の尖塔はヒマラヤ連峰、参道は現生と天上を結ぶ虹とされている。回廊や祠堂の壁には、ヒンドゥー教の神々の逸話、古代インドの叙事詩や逸話、スーリヤヴァルマン二世の功績を讃える物語、微笑をたたえたデバター(女神)」のレリーフが数多く彫られている。」。このほか、バイヨン寺院のあるアンコール・トム、長年ジャングル中にあったためにガジュマルのような木(スポアン)が絡みついてしまったタ・プローム(梵天の古老)寺院など、見たいものが目白押しである。また次回の楽しみとしよう。

かつてのクメール王朝の版図


 ところで、現代のカンボジア人にとって、クメール王朝は、未だに心の拠り所のようだ。王宮を見学した際、銀寺(シルバー・パゴダ)からの帰りがけに、インドシナ半島全域の地図があった。私がそれを眺めていると、案内人は、「クメールは、タイ、ラオス、ベトナムを含むインドシナ半島の大半を占める大国だった。」と誇らしげに言うものだから、「ええっ。いつのこと?」と、思わず聞いてしまった。すると、きまり悪げに小さな声で「13世紀です。」と言うから、笑いたいのを我慢して、笑顔にとどめておいた。でも、ホテルの従業員の女の子まで「タイは元々、クメールの版図に入っていたから。」と言うのには、驚いた。2014年現在では、タイの一人当たりGDPが5,896米ドル(187ヶ国・地域中94位)であるのに対しカンボジアは1,080米ドル(同160位)と約6分の1、人口もタイの約5分の1と、いずれも大きな差がついてしまった。政治体制一つで、これほどの格差が生まれるとは、驚くばかりである。

「ヘリコニア」という熱帯植物


「Hornbill(彩鳥)」


 プノンペンを後にして、次の用務地であるマレーシアのクアラルンプールに向かった。マレーシアには、私はかなり以前に住んでいたから、余り新鮮な感動というものがない。それに、今回は仕事ばかりのビジネス・トリップだったので、敢えて記録しておくほどのものはないのが残念である。強いていえば、泊まったホテルで見つけた「ヘリコニア」という熱帯植物、お昼に仕事先から戻ってきた時に入ったレストランにいた「Hornbill(彩鳥)」というまるで天狗の鼻を付けているような派手な鳥が面白かった。

「Masjid Putra」


 また、仕事先のプトラジャヤ(行政首都)では、是非あのピンクのモスクを見学して下さいね。」という現地の人のお勧めに従って、その「Masjid Putra」を訪れた。116mの高さで、いやもう本当に凄いとしかいいようがない。まあ、その写真を見ていただければわかる。日本語のパンフレットがあって、礼拝の仕方、イスラムの経典コーランのさわりが書かれてあった。イスラム教についてはある程度の知識があるつもりだったが、改めて読んでみて、こんなものかと勉強になった。





 アイス・カチャン(徒然の記)




(平成28年2月1日著)
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