悠々人生・邯鄲の夢エッセイ








 不忍池の蓮( 写 真 )は、こちらから。


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 毎年7月中旬から8月中旬にかけて、近くの不忍池の蓮池では、蓮が満開の季節を迎える。広い池の一面に、人の背丈より高い蓮の葉が林立し、緑一色となる。この時季には、その緑ばかりのあちらこちらに、美しいピンク色の蓮の花が咲き、実に素晴らしい景色となる。とりわけ今日は、蓮の花の数が多くて、まるで極楽浄土の天にも昇る心地という気持ちも言い過ぎではないように思う。

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 蓮池の前の「不忍池の大賀蓮」という看板には、このように書いてある。 「大賀蓮は、大賀一郎博士(1883ー1965)が、昭和26年(1951)、千葉県検見川の東京大学総合運動場(当時は東京大学厚生農場)の地下の青炭層から発掘したハスの実を発芽・開花させて得られた系統です。発掘されたハスの実は二千年以上地中にあったと推定されています。そのため、古代蓮などと称され、各地の池や公園で栽培されています。不忍池の大賀蓮は、発掘後、東京大学で大切に育てられてきた大賀蓮の根(蓮根)を分けていただいたものです。鮮桃色の大輪の花を咲かせ、優雅な美しさと悠久の時を超えた生命力が尊ばれています。」

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 昔、大賀蓮のことを聞き、2,000年以上も地中にあった蓮の実がまだ生きていて、それが現代で美しい花を咲かせるなんて、奇跡のようなものだと思ったことがある。つまり、蓮の実の生命力の強さに感心するとともに、2,000年前の弥生人も、私と同じようにこの美しい風景を見ていたのかと思うと、実に感慨深いのである。小さい頃、「蓮はあのような泥の中から生えるのに、少しも泥に染まらないであれほど美しい花を咲かせる。あのようになりなさい。」と諭されたことがある。しかし、生意気盛りだったものだから、そう言われると反発し、「とすると、自分の周りは泥ばかりなのか?」と思ったことがある。いま思えば、正解は、「泥もあれば澄んだ水もある。それが世の中だ。」ということなのだろう。

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 昨年、ベトナムを旅行してきた友人から、ベトナムの蓮池の写真とともに、「Lotus Tea」(蓮茶)なるもののティーパックをお土産にいただいたことがある。色や味という中身は普通の薄めの烏龍茶のようなものだけれど、蓮の花の香りがして、十分に楽しむことができた。これは、お勧めしたい。







(平成28年7月30日著)
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