悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



肥後細川庭園




 肥後細川庭園・松聲閣( 写 真 )は、こちらから。


 文京区は、その名の通り、文化的な方面に力を入れている。肥後細川庭園(平成29年春より前は、新江戸川公園)もその一つで、江戸時代は細川家の下屋敷であった庭園の跡地を、そのまま公園にした池泉回遊式庭園である。この辺りは、目白台台地が神田川に落ち込む斜面だそうで、地形の起伏を活かしていることから、まるで深山幽谷にいるかのように感じる。裏手から園内に入ると、細い道の先に池が広がっており、その湖面に空の青、紅葉の赤が映えて、実に美しい。歩いて行くと、石蕗(つわぶき)の花があり、黄色く色づいた銀杏の木がありと、変化に富んでいる。また、園内の松に、雪吊りが施されており、リズミカルな円錐を形作っているその姿も、湖面に映って、とても綺麗だ。あれあれ、石蕗の花に蝶がとまって一心に蜜を吸っている。驚かさないように、写真を撮ってと・・・うまく写っていた。

肥後細川庭園の蝶


肥後細川庭園の松聲閣入口


肥後細川庭園の松聲閣


 正門脇には、もと細川家の学問所だった建物を修復した「松聲閣(しょうせいかく)」がある。玄関には肥後六花(今月は、黄色い花火のような肥後菊)、1階には集会室(菊、朝顔、花菖蒲、芍薬)と喫茶(椿)、2階には回遊式庭園を一望することができる展望室(山茶花)がある。私たちが行ったときには、集会室でお茶会が行われていた。2階の展望室山茶花に上がってみると、確かに、庭園が見渡せて、特に雪吊りで円錐形になっている松が、とても可愛く感じる。室内に目を転ずると、「山鹿金灯籠」が置いてあった。一見、金属製のようにも見えるが、実はこれ、全部、紙でできている。つまり、精巧を極めた紙細工なのである。毎年8月には、よへほ節の調べの下、頭の上にこの灯籠を載せた女性たちが優雅に舞う「千人灯籠踊り」が有名で、私もぜひ行ってみたいと思っている。

山鹿金灯籠


肥後細川庭園


肥後細川庭園


 私たちは喫茶室の椿に降りて行き、そこで抹茶をいただいた。お茶菓子は、加勢以多(かせいた)というマルメロをジャムにした固めた細川家の献上菓子を復元したもの。説明によると、これはポルトガル語の「Caixa de Marmelada」(マルメロ・ジャムの箱)がその由来とのこと。要は、かつて細川家が幕府に献上したお菓子を再現したもののようだ。食べてみると、柑橘類のほのかな甘酸っぱさを感じる(問合せ先:古今伝授の間、096-381-8008)。その他、この部屋には、伝統工芸品のおもちゃ(おばけの金太、きじ、肥後まり)が置いてあった。

加勢以多


伝統工芸品のおもちゃ


伝統工芸品のおもちゃ


 松聲閣を出て、庭園の崖を登って、隣の永青文庫に向かう。ここは、細川家の屋敷跡に建てられた美術館で、HPの説明によると、「その名称は藤孝の養家の始祖細川頼有以後8代の菩提寺である京都建仁寺塔頭永源庵の『永』と藤孝の居城青龍寺城の『青』の二字をとって護立公が名付けたものです。」とある。入館して、その展示品を鑑賞した。説明には、「ここには欧州貴族にも優る七百年余の細川家の伝統が静かに息づいています。 」とある。なかなか、興味を惹かれる展示であった。

永青文庫


関口芭蕉庵


 そこを出て、胸突坂を神田川の方へ下っていく途中、左手には関口芭蕉庵がある。松尾芭蕉が、一時この辺りに住んで、水道工事の監督をしていたそうだ。更にその向かいには、水神社(すいじんじゃ)がある。文京区のHPによると、「日本最古の神田上水は徳川家康の命により大久保藤五郎によって開かれた。井の頭池を水源とし、神社の前を流し、すぐ下流の大滝橋あたりに堰を築き、水位を上げて上水を水戸屋敷に入れ、樋で地下を神田や日本橋方面に流した。」という。





(平成28年11月23日著)
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