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目 次 |
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| 1 | 白川郷の萩町地区 | ||
| 2 | 最大規模の和田家 | ||
| 3 | 神田家及び長瀬家 | ||
| 4 | 飛騨の里&民族村 | ||
| 5 | 代官屋敷高山陣屋 | ||
| 6 | 三町伝統的建造物 | ||
| 7 | 雪見ローカル列車 | ||
| 8 | 加子母明治座とは | ||
| 9 | 大学以来の馬籠宿 | ||
![]() 1.白川郷の萩町地区 お正月の三が日を過ぎた今、岐阜県の白川郷に来ている。名古屋駅や富山県新高岡駅からだと2時間半程度で着く。そのついでに高山と馬籠宿にも立ち寄りたいが、そのための公共交通機関の乗り継ぎや宿の予約を考えたりすると面倒なので、冬景色を売り物にするツアーで行くことにした。 しかしいざ現地に着いてみたら、白い雪の帽子を被った合掌造りの白川郷をイメージして行ったのに、雪はほとんどなく、それどころか春日和のようにポカポカして暖かい。わざわざ二重になったダウンコートを着て行ったのに、まあその暑いことといったらない。結局、コートを手に持ち、カメラを首に掛け、シャツ1枚で歩き回った。
実は、私は平成14年7月29日に、富山県側から両親とともに訪れている。それからもう、15年近くも経った。父は既に亡くなったが、当時一緒に、この集落を汗をかきながら見て回ったし、近くの五箇山の「ゆー楽」という眺めの良い温泉に入って寛いだのは、今でも懐かしい思い出である。
でも仕方がない。地図をもらったので、それを元に行程を考えた。すると、合掌造り民家園という野外博物館がある。15棟の建物があり、うち9棟が岐阜県重要文化財指定建造物である。これらを全て回ると、30分はかかるというので、それだと時間がない。民家園内の見学は、一つ、二つにとどめよう。それが終わったら直ぐに出て、国の重要文化財である和田家を見、明禅寺を見学し、その間にある長瀬家と神田家には、時間があったら立ち寄ろうと思った。
2.最大規模の和田家 合掌造り民家園は、都合の良いことに、バスが停まった駐車場のすぐ右手にあるから、そこへ入った。ところが庄屋さんだった中野義盛家を見て、「これは生活感がないなぁ」と感じ、「それならやはりまだ生活しておられる家を見学させてもらった方がいい。」と思い、早々に退出して和田家に向かった。庄川にかかる吊り橋もどきの「であい橋」を渡り、対岸に着いて本通りを左に曲がる。両脇には土産物屋その他のお店があるが、目をくれずにともかく先を急ぎ、やがて和田家に着いた。 白川郷観光協会によれば、和田家は、「荻町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りです。江戸期に名主や番所役人を務めるとともに、白川郷の重要な現金収入源であった焔硝の取引によって栄えました。現在も住居として活用しつつ、1階と2階部分を公開しています」という。私は耳を疑った。焔硝つまり火薬がこんな辺鄙な場所で製造されていたのか・・・なるほど、それは栄えるわけだ。Google Geminiによると、「主に合掌造りの家屋の床下を掘り、蚕の糞、人尿、草木、土などを混ぜて数年間発酵させるという方法」がとられたそうだ。もっとも、明治になって外国産の安い硝石が輸入されるようになり、それから廃れたそうだ。
3.神田家及び長瀬家 時間がないので、のんびりとしておられない。和田家を出て、その前のスイレン池を見て、神田家と長瀬家を外から見学した。その辺りの道端の溝に大きな鯉がいて、また、水を吹き掛けてコチコチに凍らせた木があった。ツララが垂れ下がっている。雪の塊も置いてあって、中国語を話す一行がそれに触って喜んでいる。 通り過ぎて、明禅寺に至った。庫裏が合掌造りで、本堂と鐘楼門も同じような茅葺きだ。それらを撮っていたら、タイムアップとなり、駐車場に戻らざるを得なかった。なお、時間があれば、集落全体を眺められる小高い展望台に行きたかったが、冬季は閉鎖されているとのこと。桜の季節には、良さそうだ。
4.飛騨の里&民族村 さて、次に連れて行かれたのは、「飛騨の里&民族村」である。そのHPによれば、「飛騨高山の集落博物館『飛騨の里』には合掌造りをはじめとした飛騨の古い貴重な民家が移築復元され、なつかしい農山村の暮らしや昔から飛騨に伝わる季節の行事を再現し、未来へ伝えています」とのことである。 もう、こんなに暗くなってきているのにと思っていたところに、急にライトアップがされた。すると、風景が一変した。池の手前に観光客がいて、甘酒などをいただいている。その手前には、篝火が焚かれ、対岸の合掌造りの家屋にグリーンのライトが当たって、実に綺麗だ。その光景が手前の池にまた映り、しかもそれに林の木々が視界の中へと入って、誠に素晴らしく、幻想的だ。なるほど、これだけを目当てに観光客が来るわけだと、よくわかった。
その晩は、近くの「ホテルアソシア高山リゾート」というところに泊まった。建物や浴室は古いが、清潔だし、何よりも、日本のホテルにしては客室が少し広いのがいい。大浴場は、それなりに普通で、可もなし不可もなし。ただし、部屋に使い捨てスリッパがないのは、気に入らない。温泉に浸かって温まり、気持ち良く寝たと思ったら、明け方、寒くて目が覚めた。 なんと、暖房が止まっている。寝るときには、点いているかどうかちゃんと確認して寝たのに、これはどうしたことかと思いつつ、再び点けて、朝寝をした。後刻、バスのお客さん仲間に聞いてみたら、自分の部屋の暖房は大丈夫だったというので、ホテル側が意図的に消したのではなく、どうやら機械の不具合らしい。 5.代官屋敷高山陣屋
吟味所・お白州には、罪人を入れる籠が置かれていて、生々しい。台所では、竃に大きな釜が3つ、デンと置かれていて、なかなか迫力があったし、蔵には、年貢米の俵が、山と積まれていた。総じて、私には全く違和感なく、すぐにでもここに住み、執務ができそうである。200〜300年の時の違いはあれ、役所でやっていることは、昔も今も、案外同じなのかもしれない。 6.三町伝統的建造物群保存地区
高山祭りの山車会館に行きたかったが、かなわなかった。テレビによると、高山祭りの山車では、人形をたくさんの糸で操る妙技が見られるので、次回の楽しみとしよう。それにしても、昨日の白川郷と違って高山は寒い。毛糸の帽子を被っていても、頭の芯まで寒くてたまらない。手には手袋をしないと、かじかんでくるから困る。気温は、0度だから、当然か。暖かいバスに戻って、ホッとした。
7.雪見ローカル列車 次に高山駅から「雪見ローカル列車」に乗るという。高山本線(と言っても、単線だが)、北は富山、南は岐阜駅経由で名古屋に繋がっている。路線図を眺めていると、下呂温泉があるから「下呂駅」というのはわかるが、「上呂駅」というのがあるとは知らなかった。今回は、そちらに向かう岐阜方面に2駅走った久々野駅(くぐの)まで乗るだけだ。電車は出発した。ところが悲しいかな、「雪見」とはほど遠く、雪が全くない。何とも間の抜けた企画だった。 久々野駅から、舞台峠というところでお昼の休憩となった。「炊きたての日本一の米 銀の朏(みかずき)」を食べる」ということだったが、このお米は本当に美味しかった。ついお土産に、新米・特別栽培米(つまり、農薬使用量が半分)の「銀の朏」を1キロ、1,050円を買ってしまった。私は普段から、お米を買うようなことはまずないので、これが高いのかどうなのかは、正直よくわからない。 8.加子母明治座とは そこを出て、これから「明治座」に行くという。歌舞伎の明治座なら、東京の日本橋にある。それが、こんな鄙びたところにあるなんて、あり得ない。よくよく聞いてみると、「加子母(かしも)明治座」というらしい。
それは、岐阜県中津川市にあった。ここ美濃や飛騨では、江戸時代から明治時代にかけ、地元の人々による地芝居が盛んに行われていたそうな。そのために、数多くの芝居小屋が建てられ、この加子母(かしも)明治座もその一つだという。岐阜県の観光HPによると、「今から100年以上も前に加子母の人々によって作られ、今も脈々と守られている劇場です。間口約20m、奥行き約25m。建設当時のままの姿を保つこの劇場は、今もなお現役。毎年9月、加子母歌舞伎保存会による公演会をはじめ、クラシックコンサート、落語会など、様々な催しを行っています。明治27年に建てられた芝居小屋は、常時開館、回り舞台や奈落の見学も自由。案内人が常駐して、館内の説明もしてもらえます」とのこと。
おじさんの説明が終わってから、舞台裏を見学させていただいた。役者の楽屋、そこに描かれた役者の「落し書き」、小道具部屋(素朴な手作りの小道具)、舞台真下の廻り舞台の仕掛けなど、こんなところまで見せてくれるのというところまで見て、花道に開いた穴(スッポン)から出て来た。いやあ、実に面白かった。村の皆さんが、大切にしている理由がわかったような気がした。なお、中村勘三郎さんが、こちらを贔屓にしてくれるようだ。四国の金比羅さんの金丸座を思い出した。 考えてみると、この芝居小屋ができた明治時代には、もちろん今のようにテレビがあるわけではなかった。その一方で自然環境は実に厳しい。唯一の娯楽といえば、年に一度のお祭りと、地元の人たちによる地芝居や巡業によって回ってくる買芝居だった。村の人々は、それをさぞかし楽しみにしていたのだろう。だからこそ、皆で力を合わせて、この芝居小屋を作ったに違いない。 天井にはこの地、加子母の特産である大きな檜木が使われている。そのおかげで、柱がないから客席には死角がなく、末席からでも舞台を隅から隅まで見られる。舞台の娘引き幕(緞帳)に目をやると、なんと近在の主婦の手縫いだという。よくよく見れば、模様は、各家の屋号の模様と主婦の名前ではないか。小道具部屋にあった素人作成の生首といい、手作り感が満載の芝居小屋である。そういうことがわかると、心から感激した。この先も末永く、地域の皆さんの手で、この芝居小屋を守って行っていただきたいものである。
9.大学以来の馬籠宿 次は、馬籠宿だという。私は、大学4年生のときに日本縦断旅行をしたが、そのとき以来だから、ほぼ半世紀ぶりの再訪となる。登り坂の登り口には水車があり、その近くの旅館に泊まった。そのときの写真も残っている。果たして同じ旅館は、まだそこにあるのだろうかと期待が高まる。 バスは、その坂の上に止まった。そこから下りていくらしい。間の悪いことに、雨が降ってきた。加えて風も、かなり強く吹いてくる。折り畳み傘を開いて、風に抗おうとしたが、なんと、風に負けて、キノコ状になってしまった。「骨組みが結構しっかりしたものなのに、これはどうしたことか、こんな筈はない」と思って無理に開いたところ、開くには開いたものの、元々壊れかけていた部分が、完全に駄目になった。しかし、閉まらないだけで、とりあえずはそれで雨を凌げるから、そのままバスの一行とともに馬籠宿の坂を下りて行った。次は馬籠観光協会の散策マップの一部であるが、(1)がバスを降りたところで、石畳の下り坂は、ここから始まる。
後からガイドさんに、「何処にいたの」と聞くと、皆で(3)のうさぎやに入ったらしい。私は坂をどんどん下って行ったので、のんびり見ている暇はなかったが、学生時代に宿泊した宿屋は、まだ覚えている。それが、(4)地点の「坂の家」である(ただ、今は食事の提供だけで、民宿は営んでいないようだ)。隣の水車小屋とともに、実に懐かしい。それにしても、強い雨風の中、下り坂ですべって転ばなくてよかった。
ともあれ、中央道をひたすら走った。途中、諏訪湖インターで、夕食のお弁当を積み込んだ。来るときは雪が全くなかった諏訪湖の周囲が真っ白だ。雪が全くなかったのが、つい昨日のこととは思えない。その辺りから、笹子トンネルを抜けるまで、最高速度が50キロに制限され、しかもかなりの渋滞だ。途中で2件の事故を見た。いずれも軽乗用車で、雪の塊に突っ込んで、身動きが取れない。なるほど、車体が軽くて小さいとこうなるのか。その一方、渋滞の中で時間は刻々と経っていく。大月を過ぎた辺りから、やっと走り出した。 ようやく、新宿に到着した時刻は、午後10時を回っていた。最後の渋滞騒ぎで、いささか疲れたが、あちこち面白いところを見て回ることができたので、今回のツアーはとても有意義だった。 (平成29年1月8日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |

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