悠々人生・邯鄲の夢エッセイ








 高知への旅( 写 真 )は、こちらから。


 47都道府県のうち、私が、唯一行ったことのない県があった。高知県であるが、これまで仕事や観光の機会が全くなかった。でも、このたびようやく行くことができた。これで、全ての都道府県を制覇したことになる。実は、四万十川の観光を夢見ていたのだけど、今回は仕事だったので、夕方や早朝のごくわずかな時間を使って、高知城、はりまや橋、それに桂浜を見てきただけだった。まあしかし、市内で宿泊したし、行ってきたことにはなるだろう。

 日本のお城として、名城100選などと数えられるが、実は国宝が5城、重要文化財は7城に過ぎない。国宝は、姫路城、彦根城、松本城、犬山城、松江城で、重要文化財は、弘前城、丸岡城、備中松山城、松山城、丸亀城、宇和島城、高知城である。その他、名古屋城、大阪城、福山城は立派な外見だが、コンクリートで復元したものである。


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 その点、高知城は重要文化財の城の一つだから、立派なものである。ところが、実際に訪れてみると、追手門の前には、「国寶 高知城」という石碑があるではないか。これはどういうことだろうかと調べて見たところ、戦前の国宝保存法で国宝に指定されていたのだが、昭和25年の文化財保護法施行で国宝から重要文化財にいわば「格下げ」されたようだ。ちなみに、松江城も同じように格下げされていたが、つい最近、江戸時代初めに完成したことを証明する祈祷札の発見が決め手になって、65年ぶりに改めて国宝に指定されたという。それは良かったが、この高知城ではまだそういう発見や進展がない。だからこの石碑は、強いて言えばかつて国宝だったという歴史的事実を示すものとして、黙認されているのだろう。

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 高知城を見学したときにいただいたパンフレットによると、「高知城は、日本で唯一本丸の建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭である。もともとこの場所には南北朝時代に築かれた大高坂城があり、戦国時代には長曾我部元親が岡豊城より移り築城に取り組んでいた。しかし、治水に難儀し、わずか3年で元親は浦戸城に本拠を移した。その後、関ヶ原の戦の功績で遠州掛川より入国した山内一豊がこの地を城地と定め、慶長6年(1601年)秋から築城をはじめた。

 一豊は築城家として知られた百々越前守安行を総奉行に任じ、近隣諸村から石材や木材を取り寄せ工事を進めたが、難工事の末、城のほぼ全容が完成したのは10年後、二代藩主忠義の治世に移った慶長16年のことであった。享保12年(1727年)には一部の建物を残し焼失。ただちに復旧にあたったものの、財政難もあって天守閣が復興するまでに20年以上の歳月を要している。その後、明治維新により廃城となり、本丸と追手門を除くすべての建物が取り壊され、公園となって今に至っている。別名を鷹城。」



 石垣は、野面積みだが、曲線が綺麗に出ている。近江専門家集団である穴太衆(あのうしゅう)によるもので、雨の多い土地柄を考慮したものという。黒鉄門から本丸地域に入ると、4層の天守閣が聳え 、その脇には本丸御殿が建つ。現存する12城のうち、本丸御殿を残しているのは高知城だけだとのこと。そういえば、名古屋城も本丸御殿の復元をしていたことを思い出した。

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 その本丸御殿に入ると、正殿には一段高い上段ノ間があり、武者隠しも備えられている。不思議な模様の欄間だと思ったら、土佐の荒波を表現したもののようだ。小さいながらも、ちゃんと庭まである。天守閣を上がっていくと、外観は4層だが、内部にやたら階段があると思ったら、実は6階だそうだ。それを登って、天守閣の望楼階に出て、四方を眺めて、その景色を愛でる。古えの殿様は、こういう眺望を目にしていたのかと、改めて思った。

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 さて、それから仕事の会食をした後、もうとっぷりと日が暮れてから、再び高知城に行った。夜景を撮るためである。聞いてびっくりしたのだが、高知城を東と西からライトアップしているのは、それぞれ「赤い靴」というピアノバーのお店と、「城西館」というホテルなのだそうだ。どちらも高知城から2km以内にあるという。カメラを抱えて午後8時半に行ってみると、明るい光の中に天守閣がくっきりと浮かび上がっている。これが、そうなのか、幸い、写真が撮れそうな明るさである。ただ、今回は三脚を持ってこられなかったので、なるべく手ブレを起こさないようにしないといけない。カメラをしっかり構えて撮ってみたところ、まあまあの写真が撮れた。その他、追手門の近くに、板垣退助像と、山内一豊の妻像があった。

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 翌日の早朝、「坊さんカンザシ買うを見た」で有名な「はりまや橋」に行ってみた。確かにあったが、「あれ、こんなに小さな橋なのか」と、いささかがっかりする。昔むかし、デンマークのコペンハーゲンに行って「人魚姫」(The statue of the Little Mermaid)の像を見たが、想像とは異なり、随分小さくて拍子抜けしたが、それと同じ気分だ。もっとも、高知城のパンフレットによれば「江戸時代初期の豪商の播磨屋宗徳と、櫃屋道清が、両家の往来をするために架橋」とあるから、もともと規模は小さかったのだろう。

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 南はりまや橋の停留所からバスに乗って、桂浜まで行ってみた。降りたところに、土佐犬パークがあるが、営業はしていないようだ。それから、桂浜に向かって歩いて行くと、坂本龍馬の像がある。懐に手を入れているお馴染みのポーズだ。更に歩いて海岸に出ると典型的な入浜で、左手の龍頭崎、正面に太平洋、右手に龍王崎がある。波打ち際に歩道があり、それより波に近づくと 「突然高波が来る場合が有るので海岸線には近寄らないで下さい」というテープの声が流れてくる。案外、危ないらしい。予定の1時間が過ぎたので、再び市内に戻った。

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 そういえば、高知は「よさこい踊り」の本場である。徳島の「阿波踊り」と同様に、いつかまた来て、本場の踊りをじっくりと見物してみたいと思っている。なお、今回初めて知ったのであるが、四万十川で有名な「四万十市」のほかに、「四万十町」があるそうだ。更に、「土佐市」と「土佐町」の組み合わせもあるというから、ややこしい。





(平成29年5月26日著)
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