悠々人生・邯鄲の夢エッセイ










 先日、実家に帰ったとき、2階にある十数冊のアルバムに気が付いた。6年前に亡くなった父が、昔の写真を整理して残しておいてくれたものだ。何しろ昔のアルバムなものだから、とても重い。そのずっしりとする重さを手に感じながら開いてみた。すると、父と母が産まれたばかりの赤ん坊だった私を抱いている写真から始まって、戦前と戦中の2人の学生時代の写真、まるで肖像画のような祖父母の写真、父の仲の良かったその兄弟つまり私の叔父や叔母の写真などが続く。写真館で撮ってもらったものは大判だが、それ以外は、ほんの5センチ四方くらいで、とても小さな写真ばかりだ。印画紙が高かったのだろう。

 それにしても、長兄に当たる叔父さんのハンサムなこと。たとえば20歳のときのトレンチコートを着てハットを被った叔父さんは、まるで、ハンフリー・ボガードその人のようだ。しかも、達筆な英語のサインまでしてある。戦時色が強まる中で、大丈夫だったのだろうか。父から、その学生時代に柔道をやっていたのは聞いていたが、実際に組み合っている写真もあった。実に格好が良いなぁと思う。またこの写真、父の一番下の妹に当たる叔母さんの、祝言の日の幸せそうな顔といったらない。それから60年以上が経ち、この叔母さんと私の母以外は、皆さんが亡くなってしまった。

 私が小さかった神戸時代の写真もある。幼稚園に通じる道のようだ。幼稚園まで急な階段が続き、私が嫌がったと母は言うが、確かにこの階段ときたら、幼児には無理だと思えるほど切り立っている。 気のせいか、私は不満そうな顔すら見せているが、さもありなんというところだ。おお、私よりほぼ10歳も歳下の年子の2人の妹が、手をつないでいる写真も出てきた。可愛かったなぁ、この2人はと、胸が熱くなる。父は、こうしてまめに写真を整理してくれているが、その過程では今の私と同じ心境だったのかもしれないと思うと、親子の絆を感じる。

 私が中学1年生のときのクラスの集合写真があった。私は2年生の初めに名古屋に転校したから、この中学校には1年間しか通わなかった。だから、この中学については全く忘れていたのだが、何とまあ、就職してから東京の霞ヶ関で、このときの同級生の1人とばったり出会ったので驚いた。縁とは誠に異なものだ。その同級生と私が、ちゃんとこの集合写真に写っている。

 これらを眺めていると、人生というのは、ほんの一瞬のことのように思える。その中で、笑ったり泣いたり、喜んだり悲しんだりと、まあ忙しいことだ。でも、時は淡々と流れて、私も妹も、今や相当、歳をとってしまった。お互い、人生をつくづく振り返ってみる年代だ。ところが、このアルバムがこのままこんなところに大量に退蔵されていると、簡単には見られないし、整理もできない。しかも、アルバムに各ページの周辺の部分が、日焼けか虫喰いか酸化かはわからないが、黄ばんできているし、写真そのものにもカビらしきものが広がりつつある。あと20年もすれば、傷んで全く見られなくなるかもしれない。では、長男の役割として、これをデジタル化し、CDかブルーレイに入れて整理し、妹たちや子供たちに差し上げようと考えた。

 そういうわけで、最新型のキヤノンのスキャナを買い込み、毎晩、コツコツとデジタル化している。とりあえず、実家から持ってきた古いアルバムを2冊、合計100ページから写真を剥がし、それをスキャナの面に並べてボタンを押すと、スキャンが始まる。それで、これが優れたところなのだが、ソフトが自動的に書類か写真かを判別し、書類ならPDF形式で、写真ならJPG形式で個々にファイルを作ってくれるのである。これは便利で、一度に大量にデジタル化ができる。その反面、アルバムから写真を剥がすのがとても面倒だ。それに、いったん剥がしてしまったら、元に戻すのが難しい。そこで、父の書き込みがある部分はその書き込みを別途デジタル化し、写真を剥がしたアルバムは嵩張るので捨て、写真だけを保管しておくことにした。そうすると、アルバムは1枚か2枚のブルーレイに収まり、写真を含めても保管スペースは随分と少なくなる。

 その代わり、デジタル化した写真はできるだけ解像度を上げ、それを印画紙に印刷すれば原版と遜色のないコピーができるようにした。ついでに、黄ばんだり、青色が抜けて退色したり、カビが生えたりした原板のデジタル版を何とかしたいと思っていた。こういうときの定番のソフトであるPhotoShopを持っているのだが、これはいちいち手作業でしなければならないのが問題だ。高級な芸術写真ならこれを使う価値もあろうが、今回のものはそれほどのものではない。もっと簡単にできるソフトはないかと探したところ、GIMPというものがあった。これはフリーソフトながら、非常に簡単に使えて、出来上がりもなかなかのものだ。使い方は、GIMPのフィールドに写真をドラッグしてドロップし、「メニューの『色』→『自動補正』→『ホワイトバランス(W)』」の順に選択していくだけである。すると、次の写真が、その下の写真のように自動的に退色補正がされて、元の色を取り戻している。


GIMPによる修正前


GIMPによる修正後


 このGIMPは、非常に実用的な良いソフトであるが、フリーソフトであるだけに、やや使いづらい面がある。その第1は、こうして作った退色補正後の写真を保存しようとすると、GIMP独特の「XCF」という拡張子のファイルになってしまい、汎用性に欠ける。そこで「エクスポート」を選択して、拡張子「JPG」ファイルにしなければならない。そのとき、JPGの特性として画像の質を選べるが、後から印画紙に出力することも考えて最高品質の100%で保存することにした。第2は、GIMPによるこの退色補正は、年月の経過でいわゆる「青色が抜けた」カラー写真については効果がある。ところが、カラー以前の白黒の時代に撮られた写真は、赤茶けたり黄ばんだりしている。そういうものにGIMPの自動補正を使うと、特に赤茶色はますます色が濃くなって、逆効果となる。これはどうしたものかと色々と試行錯誤した結果、「彩度」をゼロにして本物の白黒写真にしてしまうことにした。ところがそうすると、赤茶けた写真のときには目立たなかった黒点が浮かんでくることがある。そういう場合は、いつも使っている「Webart」で修正することにした。

 そういうことで、毎晩、せっせと作業を続けたところ、1日当たり平均10ページの速度で、10日かかって全2冊のアルバムを終了した。ほっとひと息ついていると、妹からメールが来て、残り12冊を送ったから、明日中には着くそうな・・・何と、手回しのよいことだ・・・まるで終わるのを見透かされていたようだ。それにしても、これを全部終えるには、毎日取り組んで60日もかかる計算になる。そう思うと、いささか気が遠くなった。でも、別に急ぐ作業でもなく、千里の道も一歩からと思って、まあ、のんびりやってみようかという気になっている。とりわけ、半世紀以上も前の父母、親戚や、私自身に会うのが楽しみになってきたからである。





(平成29年6月13日著)
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