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目 次 |
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| 1 | マカオと香港とを比べると | ||
| 2 | マカオ歴史地区 | ||
| (1)セナド広場 | |||
| (2)民政総署 | |||
| (3)聖ドミニコ教会 | |||
| (4)聖ポール天主堂跡 | |||
| (5)モンテの砦 | |||
| (6)媽 閣 廟 | |||
| (7)鄭家屋敷 | |||
| (8)リラウ広場 | |||
| (9)港務局庁舎 | |||
| (10)ペンニャ教会 | |||
| (11)ドン・ペドロ5世劇場 | |||
| 3 | マカオタワー | ||
| 4 | カ ジ ノ | ||
![]() 1.マカオと香港とを比べると マカオの通貨は「パタカ」というが、香港ドルがそのまま使えるし、パタカ本体より流通量が多いのではないかと思う。タクシーやバスの運転手は、広東語しか話さない。英語が全くといって通じないし、日本語のガイドブックにあるカタカナ名を言ってもダメだった。例えば、「セナド広場」と言っても通じない。そこで、手持ちのスマホに保存してある写真を見せて、やっと理解してもらった。また、おつりをくれないので、これは酷いと思ったが、そういうものらしい。 試しにバスに乗ってみたら、非常に便利で、地下鉄と違って外の景色が見えるのがよい。こんな狭い坂道をと思う所まで、ずんずんと遠慮なく走っていく。ただし、道は曲がりくねって方向が分かりにくい上に、見慣れない漢字で書かれているから、事前に憶えておかないとなかなか判読できない。事前にダウンロードしたグーグルの地図と、iPhoneのコンパスの組合せがとても役に立った。街中のレストランなどでは、WiFiを無料で提供していた。これは、香港と同じである。
時間があれば、その老舗である「マーガレット カフェ・エ・ナタ」に行くつもりだったが、ついに行きそびれた。ついでに申し上げておくと、今どきマカオで流行るものとして、「ハウス・オブ・ダンシング・ウオーター」というショー」がある。私も見てみたいと思ってチケットを購入しようとしたが、年末で混み合っていて、確保できなかった。次に行く機会があれば、再度チャレンジしてみたい。
なるほど、一般大衆から賄賂という形で巻き上げたお金を不動産や貴金属に変えるという点では、香港と全く同じ状況だ。しかし大きく違うのは、ここマカオでは、その収賄中国人からカジノがまた巻き上げている点である。そう思うと、いささか笑えてくる構図である。 2.マカオ歴史地区 マカオ歴史地区(Historic Centre of Macau )は、世界遺産に登録された建物、広場などが目白押しということで、真っ先に行ってみた。なお、各世界遺産の説明は、マカオ観光局のものが要を得て簡潔なので、以下では、【 】中に青い字でそれを引用させていただいた。ただし、「ですます調」を「である調」に直してある。 (1)セナド広場
【セナド広場は何世紀にもわたってマカオの街の中心であり、現在も公共のイベントや祝典が開催される最も人気のある広場。民政総署や三街会館(関帝廟)のすぐそばという立地は、地元の中国人社会が積極的に行政に関与していたことを物語っており、マカオ文化の多様性を知ることができる。広場はパステルカラーの新古典様式の建物に囲まれており、波形模様の石畳が調和のとれた雰囲気を醸し出している。】 (2)民政総署
(3)聖ドミニコ教会
【1587年、メキシコのアカプルコから来た3人のドミニコ会スペイン人修道士によって建てられた教会で、ロザリオの聖母が祀られている。1822年9月12日、ここで中国初のポルトガル語の新聞「A Abelha da China (「The China Bee」)」が発刊された。かつて建物の裏手にあった鐘楼は、小さな宗教芸術の博物館として改築され、現在は約300点の宗教的装飾品などを展示している。】 (4)聖ポール天主堂跡
脇道にそれてしまったが、この大聖堂は19世紀に火事で焼けてしまい、正面のファサードだけが焼け残って、それ以来この姿だという。この頃には、イエズス会の宗教的熱狂が薄れてしまったか、あるいはポルトガルとマカオの力が衰えてしまったかで、もはや再建ができなかったのだろう。それも含めて、世界遺産なのかもしれない。 【聖ポール天主堂跡は、1602年から1640年にかけて建設され、1835年に火事で崩壊した聖母教会と教会の隣に建てられた聖ポール大学跡の総称。当時の聖母教会、聖ポール大学およびモンテの砦は全てイエズス会による建築物であり、マカオの「アクロポリス」のような存在だったと考えられている。近くには聖ポール大学の考古学的な遺跡が残っており、細密な教育プログラムを整備した東洋初の西洋式大学であった歴史を物語っている。今日では、聖ポール天主堂跡のファサード(正面壁)はマカオのシンボルとして街の祭壇のような存在となっている。】 (5)モンテの砦 聖ポール天主堂跡の階段を登って右手の丘に、モンテの砦がある。昔、ここから大砲を放って、侵入してきたオランダ兵を退散させたという。今でも、当時の大砲が残る。 【1617年から1626年にかけてイエズス会の協力のもとに築かれたマカオ最強の防御施設。砦には大砲、軍部宿舎、井戸のほか、2年間の攻撃に耐えうるよう兵器工場や貯蔵庫もあった。砦は台形で、10,000uに及びます。要塞の四隅は防御能力を高めるために突き出すように設計された。】 (6)媽 閣 廟
ちなみに、ポルトガル人が初めて来た時に、この島は何というのかと地元民に尋ねたところ、その地元民がこの寺院の名を訪ねられたと思って媽閣廟(マーゴー)と答えたことから、この地をマカオと呼ぶようになったという説があると聞いた。 【媽閣廟は、マカオの街が形成される以前から存在していた。正門、中国式鳥居と4つのお堂で構成されている。媽閣廟のように単一の建築集合体の中に異なる神を祀る様々なお堂が存在するのは、儒教、道教、仏教および複数の民間信仰の影響を受けた中国文化の典型的な例だと言える。】 (7)鄭家屋敷
【1869年以前に建てられた屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の伝統的な中国式住居だった。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が混在している。】 (8)リラウ広場
【その昔、リラウの地下水がマカオの天然水の供給源だった。ポルトガルの言い伝えに「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない」とあり、これはリラウ広場に対する地元民のノスタルジックな想いを表したものである。このエリアはポルトガル人が最初に住み始めた地域の一つである。】 (9)港務局庁舎
ところがその後、密輸入や海賊の取締りのために海事警察が設立されて、1872年から取締りが行われるようになると、このムーア人宿舎は小高い所にあって、海峡の監視に都合がよいことから、1905年以降は、海事局と海事警察が使うようになったということである。 【1874年、マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊の宿泊施設として建築された。現在は海事水務局として使用されている。建物はムガール帝国の建築要素を反映した新古典様式の建築。】 (10)ペンニャ教会
(11)ドン・ペドロ5世劇場
【1860年、中国で最初の西洋式劇場として300席を設けて建築された。地元マカオのコミュニティーにおける非常に重要な文化的名所として残っており、現在も重要な公共の催事や祝賀会の会場として使用されている。】 3.マカオタワー
近くにいた若い中国人観光客に聞くと、「お金があればやりたい。自分を試せる」と語っていた。やはり若いということは、これも含めて何にでもチャレンジできるということなのだろう。展望台の中に、ジャンプする人の姿を映したスクリーンがある。それとは別に、私は、その落ちて行く姿を毎秒7コマ撮れるカメラで追いかけてみたが、そのうち3枚に写っていただけだった。最高時速は200kmらしい。この眺望とバンジージャンプは、一見の価値がある。 【2001年12月19日にオープンしたマカオ・タワーは高さ338m、展望デッキおよび高さ223mの展望レストランから、晴れた日にはマカオ全土と珠江デルタのパノラマが見渡せます。「スカイ・ウォークX」では、タワーの外側を歩いて楽しむことができます。タワーには4階建て地下2階のコンベンション&エンターテイメント・センターがあり、レストランやカフェ、映画館、ショップ、アウトドアプラザがあります。】 4.カ ジ ノ
つまり、カジノそのものよりも、今ではそれを取り巻く噴水やらイルミネーションやら、果てはヴェネツィアやパリを真似た人工の世界を作り出して、まるでディズニーランドのような世界となっているのである。こうやって夢か現かわからないような非日常の世界を作り出して、ギャンブラーたちにどんどん賭けさせようということらしい。 今は昔の話になるが、40年ほど前にラスヴェガスに行ったときは、何しろカジノなるものは初めてなものだから、物は試しと、先ずはやってみた。もちろん、素人にとってはやりやすいジャックポットである。コインを入れてガチャンとレバーを引き、目の前で 数字の7とか、林檎とかの同じ模様が横一線に並べば当たりで、 ガチャガチャと音を立ててコインがたくさん落ちて来るという機械である。普通の機械は、横一線に並んだらコインがもらえるという仕組みであるのに、そのときは入れるコインが3個なら、横一線に加えて左右の斜めも並べば、それも当たりという機械だった。私は、これの方が良いと思い、両替したコインを一杯に持って3個入れてはレバーをガチャン、また3個入れてはガチャンを繰り返していたのであるが、全く当たりそうにもない。 ついに、残るコインがあと3個となってしまった。ここでまた3個使うと、それでお終いということだ。そこで私は突然、弱気になり、1個ずつ投入することにした。そして1個入れたとたん、なんとまぁ、斜めの線で3個並んだ。つまり、そこで弱気にならずに、もうこれでお終いでも構わないと引き続き強気を保って3個入れておけば、大当たりだったのである。要するにギャンブラーというものは、「最後の最後のコインに至るまで、すっからかんになるつもりで徹底的に賭けをしないと勝てないものだ」と悟った。そこで、「最後の一瞬で手堅く考える自分自身の性格は、ギャンブルには全く向いていないな」と思ったのである。 次の経験は、30年ほど前のゲンティン・ハイランドでのことである。ここは、住んでいたクアラルンプールから、山の上に向けて1時間半ほど走ったところにあるカジノだ。ゴルフ場や子供の遊園地もあったので、何やかやと年に4回ほど通った。そこで、カジノにも立ち寄り、ごく少しだけ賭けをして、ルーレットやブラック・ジャックなどをやっていた。あるとき、ルーレットを楽しんでいたら、通常はあまり出ない「00」が2回続けて出た。3回目が続くことはさすがにないだろうと思って「00」を避けた。すると、また「00」が来た。これだけでも珍しいのに、驚いたことに次がまた「00」だった。 4回も続くなんて、こんなことはまずあり得ないと思うのだが、それが現実に起こったのだ。一般にルーレットは、ディーラーがある程度操作できるということは良く言われていたが、それにしても偶然かどうかは知らないがこれは酷いと、そのときは憤ったものである。しかし、冷静になって考えてみると「こんなことで憤るのでは、ギャンブルはできない。一獲千金を常に追い求める世界なのだから、素人の常識は通じるはずがない。それならそれで、その世界に没入しなければ」と思った。ところが、私は、どこかで自らを客観的に観る傾向があってそういうことができないので、これまた、自分にはギャンブルの才能がないと思い知らされた出来事だった。 この話には続きがある。あるとき、日本から客人がやってきて、仕事を終えた後の日曜日、カジノを見てみたいという。「ああ、いいですよ」と言って引き受け、飛行機が夕方なので、朝早くゲンティンへと車を運転して連れて行った。着いたのが午前9時前だった。カジノに入ったとたん、そこに同僚がいるのに気がついた。ブラック・ジャックのテーブルで、煙草をくゆらせ、目を血走らせてカードを繰っている。もちろん、周りに誰がいてどうなっているかなどには気が回るはずもない。ひたすらカードを眼をやっているばかりだ。ああ、前日の土曜日から徹夜でやっていたに違いない。 普段は大人しい温厚な人なのに、まるで人が変わったみたいだ、「ははぁ、ギャンブルというのは、人柄まで変えてしまうのか。」と思った次第である。それやこれやで、私はカジノとはそもそも性格が合わず、従ってあまり興味を持たずに今まで来ている。いわば、ギャンブルに免疫が出来ているようなものである。
ところで、日本にもカジノを作ろうというので、先頃それを認める議員立法が成立した。従来、日本ではカジノが認められて来なかったが、それに類する独自の文化としてパチンコがある。今でもこれに入れあげている人が多いことを思うと、新しくカジノが出来て、それに溺れる人が大勢出ないか心配である。そうならないように慎重な制度設計がされることを、切に願うものである。 (平成30年1月1日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |

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