悠々人生エッセイ



毛呂山の花蓮



              目 次
    
       
     不忍池の大賀蓮が大好き
     毛呂山町で育てている蓮
     悠久のしらべ花蓮の光明
     (1)悠 − 古代より命を繋ぐ蓮
     (2)清 − 泥に染まらず凛とし
     (3)慈 − 蓮は永遠の愛と安らぎ
     (4)祈 − 夏の夕べ幻想的な世界
     (5)憩 − どこまでも青く澄んだ空
     花托に蜻蛉が留まって
     睡蓮の花もなかなかのもの


 毛呂山の花蓮と睡蓮( 写 真 )は、こちらから。



1.不忍池の大賀蓮が大好き

 私の家の近くには不忍池があり、毎年7月には、それはそれは見事な「蓮(はす)」の花が咲く。説明によると数種あるらしいが、一番多いし目立つのがいわゆる「古代蓮」である。この蓮は、東京大学農学部の大賀一郎博士によって、弥生の遺跡から「実」が発掘されて2000年ぶりに花を咲かせたということで、非常に有名になった。

 それは、鮮やかなピンク色をした、いかにも蓮らしい蓮である。清楚で清潔でありながら艶やかで、じーっと見つめていると、まるでその中に吸い込まれるような魅力的な色をしている。しかも、咲き始めて僅か4日で儚く散ってしまう運命にある。私はこの大賀蓮が大好きで、毎年のように朝早く起きて不忍池に撮りに行っている。

毛呂山の花蓮


2.毛呂山町で育てている蓮

 ところが、人間というのは贅沢なもので、たまには大賀蓮以外の蓮の花を撮ってみたくなった。白い蓮の花も良いし、できれば花弁の先がほんのりピンク色をしている蓮の花も撮りたい・・・先日、静岡のとあるお寺さんで見かけた蓮の花だ。

 そういう場所はないかと思って探してみたら、埼玉県毛呂山町で育てているという。それが意外なことに、少子化で使われなくなった町営の「流れるプール」で栽培されているそうだ。行田市から古代蓮など20種類以上の蓮の花をいただいて、苦心惨憺の末にようやく定着させることができた由。

 これは行かなくてはと思って、朝早く5時過ぎに起きて出掛けることにした。蓮の花は、夜明け頃に咲いて、お昼頃になると、もうそのほとんどが花を閉じてしまうからだ。文京区の私の家を発ったのが朝の6時半前、池袋から東武東上線で川越駅からJRに乗換え高麗川駅(こまがわ)に降り立った。

 そこからバスで直行できるはずだったが、どういうわけか終点の埼玉医大に来てしまった。仕方がないので、そこからタクシーで毛呂山総合公園に行った。着いたのは8時半だから、家を出て2時間もかかってしまったことになる。

毛呂山の花蓮


毛呂山の花蓮


3.悠久のしらべ花蓮の光明

 現地でいただいたパンフレットは、なかなか詩心(うたごころ)のある方が作ったとみえて、随所にその片鱗がうかがえる。まず、その題名が良い。「悠久のしらべ 花蓮の光明」とある。そして、次のように続く。

毛呂山の花蓮


毛呂山の花蓮


(1)悠 −−古代より命を繋ぐ蓮

 古代より命を繋ぐ蓮、美しさと生命力の強さをあわせ持つ
 根からも種からも繁殖する強さで、泥のなかで根を張り巡らせる
 葉の上の露は宝石のようにキラキラと輝き
 天に向かって伸びた花は、命の輝きを水面に映す


 確かに、 仏教では蓮は昔から西方浄土に咲く花として珍重されてきたし、泥の中でもこんなに美しく咲くことができるのだから、人間も見習うべきだなどというお坊さんの説教の題材にもなっていた。


毛呂山の花蓮


(2)清 −−泥に染まらず凛とし

 泥に染まらず凛として、それでいて儚く、切ない・・・
 わずか3日の儚い命 4日目に散りゆくその姿は悟ったように潔い
 大きく膨らんだその蕾は、ためらうように恥じらうように花開き
 艶やかで気品ある姿で魅了する


 いやまあ、確かにそういう感じなのだが、「ためらうように恥じらうように」とか、「艶やかで気品ある」とかというのは、若い女性をイメージしてのことのようで、私にはとてもとても思い付かない表現である。

毛呂山の花蓮


(3)慈 −−蓮は永遠の愛と安らぎ

 蓮は永遠の愛とやすらぎのシンボル、すべてに行き渡る広大無辺の愛
 誰にも優しく、心安らげる場所 −− そんな公園でありたいと願う
 蓮が花開く以上のやりがいがここにある


 この公園を作って世話していただいている皆さんの合言葉のようなものであろう。ここに至るまでには、相当なご苦労があったようである。「毛呂山町の花蓮育成は、行田市より古代蓮の根を株分けしていただいたところから始まりました。はじめは、プール跡地での育成に四苦八苦しましたが、福田夫妻のたゆみないご尽力と多大なるご協力の下、大輪の花を拝むことができました」という。

毛呂山の花蓮


(4)祈 −−夏の夕べ幻想的な世界

 夏の夕べ、竹灯籠が幻想的な世界を作り出す
 蓮の花は泥から出てきたとは思えない清らかな花を咲かせます。
 たとえ汚濁と混沌に満ちた世の中であっても、清らかに生きる
 ことの大切さを私たちに教えてくれているかのようです
 また、蓮はその美しい花ばかり注目されますが、美しい花が咲く
 のも、根がしっかりと育っているからこそです。泥中の根は見え
 ないところで広く深く成長しますが、肥料を与え過ぎると根腐れを
 起こします。
 根本の手入れを怠ることなく、基礎をしっかりと築くことで
 ようやく美しい花を咲かせることができるのです。何ももの
 をいわない蓮ですが、香ばしい花を咲かせるたび、人の生き方
 あり方について示唆しているかのようです


 今年の7月7日七夕の夕刻に、「花蓮 光明まつり」がここで行われるそうだ。蓮や睡蓮の中に、竹灯籠に火が灯され、その暖かい光が水に反射して、さぞかし美しいことだろうと思う。

毛呂山の花蓮


(5)憩 −−どこまでも青く澄んだ空

 どこまでも青く澄んだ空、緑深い山々、癒しの空間で自然を奏でる

 確かに、この毛呂山総合公園のかつての流れるプールは、かなり山深いところにあるから、そういう風に表現できるのは間違いないが、「癒しの空間で自然を奏でる」どころか、たまたま行ったのは32度を越す猛暑日だったので、日射病になりそうだった。

毛呂山の花蓮


4.花托に蜻蛉が留まって

 蓮の花の中心にある、まるでシャワーヘッドのようなものは「花托」である。花が咲き終わって花びらが全て落ちると、これだけが残り、やがて成熟してたくさんの実を付ける。そこに、蜻蛉が留まっていた。小さい頃は、近くの神社の池で、よく追いかけたものだ。とても懐かしい。しばし、写真を撮ってその場に留まったが、かなり長い間、蜻蛉は微動だにしなかった。今や、蜻蛉を獲ろうという子供がいなくなったということか。

毛呂山の睡蓮


毛呂山の睡蓮


5.睡蓮の花もなかなかのもの

 ところで、蓮の花ばかりが注目されているが、同時に植えられている睡蓮(すいれん)の花も、なかなかのものだった。睡蓮の花は、新宿御苑夢の島熱帯植物館神代植物公園のそれぞれの温室や明治神宮で見たことがある。

 しかし、こうして屋外で咲いているのを見たのは、ほとんどない。先日、明治神宮の花菖蒲を見に行った時に、たまたま黄色い睡蓮を目にしたくらいである。ここ毛呂山に植えられている睡蓮は、種類が多くて、花の色だけでも、赤色、ワインレッド、黄色、紫色など、様々なものがあった。赤色と黄色が半々のキメラのような睡蓮があったのには、驚いた。


毛呂山の睡蓮


毛呂山の睡蓮


 こうして、蓮も睡蓮も見終わって満足して帰ろうとしたところ、たまたま凌霄花(のうぜんかずら)のオレンジ色の花が目に入った。初夏にふさわしい元気な花で、見ていると力が湧いてくるようだ。

毛呂山の凌霄花







(平成30年7月 1日著)
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