悠々人生エッセイ



お茶屋の間仕切り




1.記念パーティ

 我々の大学入学50周年を記念して、京都で同窓会を開こうということになり、教養部時代の私のクラスを中心として学園祭の運営を行ったメンバー30人ほどが集まった。このうち多くが私のように東京在住で、他は関西特に大阪に住んでいて、京都に家がある人は、ほんの僅かである。折しも紅葉の季節で、赤や黄色の紅葉が美しかった。

大原三千院


 我々が入学した頃は、大学紛争で何もかもが滅茶苦茶な時代であり、明日の授業があるかどうかも分からない状態にあった。だから50年後の自分の姿を想像することなど全く考えつきもしなかった。それがまあ、どうだろう。皆、髪の毛は薄くなり、体重も平均で20kg以上増えたとはいえ、笑えば昔の記憶通りの笑顔が帰ってくるし、人柄や発想は全く昔のままで、ほとんど変わらない。自分も含めて、これで本当に歳をとり、それなりに経験を積んだ姿なのだろうかと、ついつい思いたくなるほどだ。


2.記念文集

 加えて今回の新企画は、各人に400字程度の感想文を書いてもらって、記念文集とすることだ。それに昔の写真を重ね合わせて電子データの文集を作り、これを配ることにした。皆さんの感想文は、いずれもなかなかの力作だったし、それを新聞記者だったプロが編集するのだから、読ませるものができた。その一端を紹介すると、こういうものだ。

「(この)メンバーといる時は、いつも時計台下の20歳前後の『紅顔の美少年』。いつまでも変わらず皆さんと共にいられますように。」(KA)

「徹マン、酒、ダンパ、ソフトボール大会、あの『祭り』、その後の連日連夜の饗宴、それらの一コマ一コマが目に浮かびます。」(MI)

「物心ついた頃からの目標である、東大→官僚→政治家という人生目標が大きく変わりました。京大の在野精神の方がはるかに私の性に合っている」(YO)

「(高校の修学旅行で)バスを降り下り松を見て、詩仙堂に入った。曼殊院のことは覚えていない。このときに大学は京都にしようと決めた。」(YK)

「人生で一番感動したのは、入社4年目でフランス語研修生として生まれて初めて国際線に乗って、いよいよパリに降り立つというあの一瞬」(YS)

「東京を中心としたオールジャパンでの厳しい競争ということは経験せずに、大阪でのんびりした人生を過ごせたことは、結果オーライ」(TT)

「卒業して半世紀弱、職業人生と家庭人生が人生の大半、過ぎ去ると南柯の夢ではあるが、全体的に右肩上がりで楽しい思い出が残る。」(KT)

「法律事務所の後輩が独立する時に『先生の正義感が頼もしく、大好きでした』とメッセージをもらった。正直嬉しかった。」(KN)

「第8聖都はあの世かも知れない。妻とは森林葬について話し合っている・・・(このグループの)歌声も千の風=記憶となって、墓の周りを回り続けることを夢想する。70歳代=人生の秋+冬を楽しみたい。」(SN)

「出会いから50年。完全燃焼感のないもう一つの人生とも言えるが、振り返ると意外と悪くもない。絶えず笑顔でいられたし、いつも誰かに支えられている実感は確かに残っている。」(TH)

「勉強はしなかったものの、京都大学の精神とか考え方は自然と影響を受けていると思うし、それがその後の『媚びない。上からの権威に怯まない。自分の意見を持つ。』という、自分なりの生き方を作った。」(MM)

「高校の時から少し異端者でした。強制されたら絶対に従わず、二択ならひとの反対を取る。自分の意見は中々譲らず、理不尽な仕打ちは決して忘れない。そのくせ自分が所属した集団には概して忠実」(TM)

「時計台大ホールの使用交渉から始まり、舞台設営・運営、会場運営、チケット販売、タレント交渉、広告・広報、果ては ヘルメット部隊来襲の備えまで、ちょっとした社会体験の場になった。なにより多士済済の仲間と協働できたことは一生の宝物だ。」(TK)


 いかがだろうか。皆さんの書かれたエッセイのほんの僅かな部分の引用だが、それでも見事に各人の人生観や感動した話、歩んできた道などが生き生きと描かれてる。誠に素晴らしい。これだからこそ、この同級生の皆さんは、私の宝物である。ちなみに、私の書いた「これからは黄金の70歳代」と題する文章は、次のようなものだ。

「今から50年前、大学受験の準備万端を整えて、さあ本番という時に東大入試中止が報じられた。まさかと思い名古屋から急遽上京して御茶ノ水駅に降りた途端、派出所は焼け落ち、道路一杯に転がる石ころには血糊らしきもの、火炎瓶の跡まである。これはもう駄目だと諦めて京大入試を受けた。

 京都は良い街で、充実した学生時代を送った。しかし東京で活躍したいという憧憬は止み難く、それには有力官庁に入るしかないと思い定めて、自分の感性に最も合う通産省へ入省した。以来、『誠心誠意』と『為せば成る』をモットーに仕事を続けて20年が経ち、途中、特許法と国際交渉に携わったせいか内閣法制局に呼ばれて、更に20年が経過した。

 内閣法制局では『原案を削ぎ落とす審査をする』のではなく「最も良い案にするために独創的な知恵を出す』という姿勢で、第四部長から始まって全ての部長を経験した。そして次長、長官を勤め上げてもう身を引くという時に、思いがけず最高裁判所判事の職に就くこととなった。以来6年間、『後世に残しても恥ずかしくない立派な判決を書こう』と努めてきた。そして今年の9月ようやく退官の日を迎えた。

 我が公務員人生を振り返ってみると、誰にもへつらわず忖度など全くせずに正論と筋を貫き通してきたが、よくそれで46年余を過ごすことができたものだと今となって思う。この間、家内や子供達をはじ め、ディオニソスの皆様、先輩、同僚、後輩その他ご交誼のあった皆様方には本当にお世話になった。改めて深く感謝申し上げる次第である。

 退官後、第一東京弁護士会に弁護士登録をした。社会貢献を兼ねてしばらく弁護士の仕事をするつもりである。それとともに、徐々に趣味の分野へと活動の重点を移していきたい。とりわけ、機会を見つけてカメラを肩に内外の景勝地へと旅行し、できれば芸術の薫りがする写真を撮り、人の心に沁み入るエッセイを書くことができれば、これに勝る幸せはない。そして、それらを自分のホームページ『悠々人生』に載せるなどして、文字通りの『黄金の70歳代』を過ごしたいと思っている。」



3.亡くなった仲間とご遺族

 我々の仲間の一人が、今年の2月に病気で亡くなった。この同窓会に皆勤といっても良いくらいに出ていた有力メンバーだったが、あの巨体がもはや見られないかと思うと、いささか寂しい。ところが、嬉しいことに、ご遺族の奥様とご長女とご長男がこの会合に参加された。私など、とりわけご長男のご挨拶を聞きながら、「もし私が亡くなったたとして、果たして私の息子は、こんな風に立派な挨拶ができるのだろうか」などど思ったくらいである。

 また、5年後くらいを目処に、我々の青春の地である京都で、こうして皆さんとともに、お互い元気で集まりたいものである。


4.先斗町のお茶屋さん

 その会合の夜は、私は有志と先斗町のお茶屋さんに上がり、芸妓さん、舞妓さんに囲まれて楽しい一夕を過ごした。私は特に「祇園小唄」の舞が大好きなので、じっくりと鑑賞させてもらい、「ああ、京都に来た。」という気がしたものである。

先斗町のお茶屋さんにて、芸妓さん


先斗町のお茶屋さんにて、芸妓さん


先斗町のお茶屋さんにて、芸妓さん


 御座敷の余興では、「金毘羅フネフネ」の音頭に合わせて舞妓さんと丸い朱肉台を挟んで対決する遊びが面白かった。それをスマホのカメラで撮って家内に送ったら、「そのルールはどうなっているのだろうと目を凝らして見たのだけれども、分からなかった。」と言っていたから、笑ってしまった。それもそのはずで、朱肉台を取るタイミングが好き勝手な時なので、それに目を奪われるからだろう。

 ルールは簡単で、舞妓さんと交互に朱肉台の上に開いた手を置く。餅つきのペタンペタンという要領だ。そしてどちらか一方は、朱肉台を持ち去ることができる。すると相手は、その無くなった位置にげんこつの「グー」を置く。朱肉台を持ち去った方は、次の番でそれを元の位置に戻す。それを延々とやって、失敗したらハイお仕舞いとなる。単純だが、面白かった。これは、酔えば酔うほど、早くお仕舞いになる。

先斗町のお茶屋さんにて、舞妓さん


先斗町のお茶屋さんにて、舞妓さん


先斗町のお茶屋さんにて、舞妓さん


 そのうち女将さんが出て来て、脱脂粉乳や鯨の給食とやらで、同年代とわかった。大学紛争の時の話では、学生との団交にほとほと疲れた京大の執行部たちが、この祇園で束の間の休息をとっていたなどという秘話が明かされたりして、大いに盛り上がった。数々の戦乱をかいくぐったいかにも京都らしいエピソードである。


5.京都は紅葉の季節

 ちょうど京都は紅葉の季節の真っ盛りを迎えていて、私は、その日の日中に、黒谷の金戒光明寺、京大近くの真如堂を回った。翌日は、それこそ半世紀ぶりに、洛北の山里に行ったみた。大原三千院、貴船神社、鞍馬寺である。岩倉実相院にも行こうとしたが、貴船神社から鞍馬寺の山中を歩いて消耗したので、それは諦めていったん四条河原町のホテルに戻った。そして夕刻になって、東寺のライトアップの見物に行ってきた。

 更に次の日は、京都から近江八幡に行き、そこで荷物を預けて、市内を観光した。八幡堀遊覧船に乗るつもりだったが、気温が10度まで下がって冷え冷えとしてきたので、それは止めた。お昼に近江牛のすき焼きを食べて元気が出たので、隣の安土に行き、そこから紅葉の名所として近年有名になった「教林坊」に行ってみた。これはこれは、誠に見事な紅葉のお寺だった。

鞍馬駅の天狗


東寺のライトアップ


教林坊の紅葉


 以上の旅の次第は、別のエッセイで詳しく述べることにしたい。紅葉の写真については、整理したところ特に大原三千院と教林坊のものが素晴らしかった。それにしても、1回の旅行で、懐かしい同級生との交歓、祇園の舞妓さん、紅葉狩りを兼ねた神社仏閣巡りなど、これほど内容が豊富な旅はなかなかないのではなかろうか。70歳の節目に、いつまでも心に残る記念碑となった。それにしても、前回までのように家内と一緒なら、もっと楽しかったと思うが、急に脚の付け根が痛くなったのでは仕方がない。年をとれば、そういう体の不調はやむを得ないものだ。無理せずに、その日の体調と相談しながら、うまく付き合っていかければならない。これも含めて、人生そのものである。







(令和元年11月26日著)
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