悠々人生エッセイ



封筒の宛先




 新型コロナウイルス緊急事態宣言が出ている中、私の法律事務所はほとんど出社禁止の状態が続く。そのような時、私の秘書さんがたまたま出勤の番に当たり、出社したそうだ。すると、私宛ての弁護士会や何やらからの書類に混ざって、オーストリアの個人からのグリーティング・カードがあったという。秘書さんは気を利かせてそれをPDF化し、私にメールで送ってくれた。彼女は、こういうように臨機応変に気を利かせてくれるので、とても助かっている。秘書の鑑だ。

 ところで、そのカードは、オーストリアのクイーンズランドから送られてきた次のようなものだった。

通信文


 これを読んで、「36年前にマレーシアでお会いした」とある。しかし、誠に申し訳ないが、差出人の名前は全く記憶にない。誰なのだろうという疑問が頭に浮かぶ。ただその冒頭に「Mrs」とあるので、女性のようだ。それにこの名前は、典型的なマレー人の名前だ。私のオフィスにいた秘書は二人とも男性だから、彼らではない。

 そうすると、私がよく通った日系政府機関や日系会社現地法人のところの誰かかなという気がして来た。まず機関の方から順に幾つか思い出して、そこにいた現地の人々の顔と名前を頭に思い浮かべてみたところ、しばらくして一人のマレー人女性の顔が出てきた。名前は、すっかり忘れてしまっていたが、あるいはこの人かなという気がする。

 私はフェイスブックはしていないので、Googleの検索窓に彼女の名前とオーストラリアをそのまま打ち込んでみた。そうすると、ブリスベン・ゴルフ倶楽部に、その名前の女性がショットを打っている写真が出てきた。ところが、ナイス・ショットを打ち終わって身体が反対側を向いている写真なので、残念ながら顔は分からない。しかし、惚れ惚れするような良いフォームだ。よほど熱中しているように見える。そのまま、同倶楽部のホームページ中の写真をパラパラと何枚かめくっていたら、そのうちに「ああっ、確かにこの人だ」と見つけたのである。

 それは朝の8時半だったから、現地時間は午前9時半となる。この時間なら良いだろうと思って、SMSで、次のショートメッセージを打ち込んでみた。

「This is Mr Yamamoto. Thank you for your greeting card. Long time! May I call you? What time is convenient for you? I’m happy you are all right.」

 すると、すぐに返事が返ってきた。

彼女「Great to hear from you! Very just finished golf now and can I call you in 20 minutes after my coffee ?」

 何とまあ、ちょうどゴルフを終えたところらしい。こんなに早く上がるとは、9ホールのプレーに違いない。「コーヒーを飲んで20分後に電話してくる」とは、なかなか優雅な生活を送っていらっしゃるようだ。

 すると、20分キッカリ経って電話を掛けてきた。そうそう、この華やかで賑やかな声が特徴だった。だんだんと昔の記憶が書物のページをめくるかのごとくよみがえってくる。日本語だと「あらまあ、お久しぶりです。お元気ですか」とでも言うべきところ、流暢な英語で立て板に水のごとく話をされるので、参ってしまう。そう言えば、昔、私が少し話すと、その何倍かの英語が返ってくることがよくあったなぁと記憶が頭をかすめて、いやいや懐かしい限りだ。

 それで、「どうして私の法律事務所が分かったの?」と聞くと、彼女のお友達が法律事務所に勤めており、その方がたまたま私の法律事務所のホームページを見ていて、私のプロフィール中にマレーシア勤務という項目があるのを目ざとく見つけ、「あなた、この方をご存じ?」と聞いてきたからだという。まさか私のプロフィールがオーストラリアまで流れて行っているとは思いもしなかった。考えてみると、怖いような便利なような世界になったものだ。

 彼女が「法律事務所の私の写真を見ましたが、全くお変わりなく、お若いですね」と言ってくれる。これは、エールを交換しなければならない。私は、「ブリスベン・ゴルフ倶楽部のホームページにゴルフ仲間の皆さんと、あなたが並んで写真に写っていましたね。相も変わらずお綺麗ですね」と言ってしまった。日本語なら気恥ずかしくて全然言えないが、不思議と英語ならスラスラ言えてしまう。外国生活の賜物だ。

 それから彼女は、この35年間のことを語り始めた。90年代に歳上のエンジニアと結婚し、オーストラリアへ移り住んだ。そこで二人の子供に恵まれて、上の娘はセラピスト、下の息子は有名銀行のアナリストとして活躍中だという。子育てが終わってからは、ゴルフに夢中(fascinated)だそうだ。私も最近はテニスに夢中だから、同じようなものだ。

 私も家族の様子を話したら「あら、あの小さな子達が、もう40歳を越したの!」と驚き、「職業は何?」と聞くので、「上の娘は外科医、下の息子は弁護士」と答えたら、「どちらも専門職でいいわね」と言ってくれた。

 私が「最近は新型コロナウイルスのせいで外出が出来ないから、気が晴れないでしょう」と聞くと、「ゴルフは大丈夫、できるし、自宅の庭でガーデニングをしているから、結構忙しいのよ」とおっしゃる。私に「オーストラリアを旅行したことがある?」と尋ねるので、「5年前にシドニーに行ったことがあるけど、あれはサンフランシスコのような素晴らしい港町ですね。でも、残念ながら、クイーンズランド州にはまだです」と答えた。すると、「御家族揃って一度来てくださいな」と言ってくれる。本当にそうしたいものだ。

 それにしても、よく思い出して連絡してくれたものだ。また経済的にとても余裕のある健康で良い生活をしておられるようで、素晴らしいことだと思う。実に良かった。私の方は、35年前のあの賑やかなお嬢さんが、こんなにご立派になるとは、全く想像もできなかったし、彼女の方もマレーシアで通商や貿易問題を扱って現地政府や日系企業を走り回っていた私が裁判官をしていたとは考えもしなかったと語る。その点については私自身も驚いているくらいだから、世の中は分からないものだ。いずれにせよ、「メールでも電話でも、いつでも連絡を取り合いましょう(get in touch time to time)」ということになり、この感動的な電話が終わった。本当に嬉しい出来事だった。

 まるで私が過ごした若い頃の世界がそのまま空き瓶の中に閉じ込められて大海原を渡り、35年後に私の目の前に忽然と現れたようなものだ。その間、空き瓶の中で彼女は独自に人生の航路を歩み、今や頂点を極めて人生を楽しんでいる。私は私でこの間、緊張した職業生活を送ってこのほどようやく退官したばかりだ。これからは、この方を含め、長らくご無沙汰していた古くからの友人と旧交を温めて、充実した生活を送っていきたいと思っている。





(令和3年2月8日著)
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