悠々人生エッセイ



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 北斎と廣重展( 写 真 )は、こちらから。


 葛飾北斎の「富嶽三十六景」と歌川廣重の「東海道五十三次」の浮世絵をデジタル化した展示会が、東京・初台のオペラシティ4階のNTT関連施設であるICC(注)で開催されていたので、観に行ってきた。

 実は、初台には家内が現在入院中のリハビリ病院があるので、私はほぼ1日おきに洗濯物の交換のために頻繁に行っているという事情がある。その途中でオペラシティが京王線初台駅に繋がっているものだから、必ずこの高層ビルには立ち寄っている。でも、こんな施設があるとは思わなかった。

 ところで、オペラシティの地下1階には、古代の円形劇場のようなちょっとした空間(サンクンガーデン)があって、そこには人体を模した不思議な巨大造形物がある。奇妙なことは、その人体模型の顎がガクガクと動いていることで、とても妙なのだが、何十回か通るたびにそれを見ているうち、前ほど奇妙には思わなくなった。でも、やっぱりおかしいと思う気持ちには変わりはない。どういうコンセプトなのかがとても気になる。調べてみると、この作品名は「シンギング・マン(Singing Man)」というらしい。「Thinking」ならぬ「Singing」つまり歌っている人という意味だから、ああなるほど、顎をガクガクさせているのは、あれは歌っているのだ・・・ということが分かったが、やっぱり気持ちが悪い。それなら、通るたびに見なければよいようなものだが、そこは怖いもの見たさで、目が自然とそちらに行ってしまう。人をひきつけるものがあるようだ。これが芸術というものか。

Singing Man


Singing Man


Singing Man


Singing Man


 その高層ビルの4階にICC(注)がある。新型コロナウイルス緊急事態再宣言中だから、ほとんど見物人を見かけない。入って直ぐにビデオを観るように勧められたが、30席余りの中で、私のほかは一組のご夫婦がいただけ。それもしばらくして出ていったから、私一人が小さなシアターをひとり占めだ。なんという無駄で贅沢な空間だろう。

 でも、そのビデオはなかなか良く出来ていて、本日のテーマを端的に要領よく取りまとめていた。曰く、葛飾北斎(1760-1849)は、江戸は本所の生まれ。生涯3万点の作品を創作。その代表作が富嶽三十六景(1834年)。「凱風快晴」「穏田の水車」、「金谷ノ不二」、「甲州石斑澤」、「諸人登山」。最後の諸人登山は、よく見ると皆がお揃いの衣装を着ている。当時の江戸では庶民の旅行は厳しく制限されていたが、例外があり、湯治と参拝だけは許されていた。

「凱風快晴」


「穏田の水車」


「東海道金谷ノ不二」


「甲州石斑澤」


「諸人登山」


 そこで参拝を名目に庶民の旅が始まったのだが、当時の旅行にはとてつもなく費用がかかる。そこで、仲間で「講」を作ってお金を積み立て、クジに当たった人が行くようになった。伊勢講、富士講、金比羅講などとあったが、中でも江戸の庶民に人気があったのは富士講で、富士山そのものが信仰の対象である。江戸の人口が100万人だった時にうち10万人が信者だった由。その富士山の眺望を天才的な構図によって描いたのが、北斎の富嶽三十六景で、たちまち人気作家となった。その影響は、万国博覧会が開かれていたパリにも及び、印象派に多大な影響を与えたという。

 浮世絵の制作工程は、版元が、絵師、彫師、摺師を束ねる形で行われる。絵師が版下絵、彫師が版刻と校合摺、また絵師が色さし、再び彫師が色板制作、最後に摺師が摺刷して、販売するという三者の共同作業である。問題は、浮世絵が天然の色素を使っているために、紫外線と二酸化炭素に弱くて、すぐに色褪せてしまうことである。

 そのため、本物の浮世絵を保管する美術館は、日光や照明に当てないのは勿論のこと、観覧者を近づけないようにして、その保護を図ってきた。そういうことだから近づいてゆっくり鑑賞出来ないので、浮世絵の細部はこれまであまり明らかになってこなかった。ところが今回、デジタルリマスター版を作ったことにより、ICCのHPにある次の「超絶技巧」なるものが明らかになった。

「20億画素の超高精細デジタル記録と3次元質感画像処理技術により和紙の繊維の一本一本から微細な刷りの凹凸まで現物を再現させた葛飾北斎『冨嶽三十六景』(山梨県立博物館所蔵)全47作品、歌川廣重『東海道五拾三次』(大阪浮世絵美術館所蔵)全53作品を所蔵元認定の展示用マスターレプリカで一堂に展示します。

文化芸術と最新テクノロジーを組み合わせることで、新たに発見された江戸天才絵師の超絶技巧や最新のデジタルアートの数々により、これまでにない絵画の中に入り込んだような臨場感溢れる体験をお楽しみいただけます。」


「武州玉川」


「東海道金谷ノ不二」の川を渡る人足の背中や川の水にポツポツと凹凸を付けて立体感を出す


「身延川裏不二」


「身延川裏不二」の馬の背の莚


 例えば、「武州玉川」では、川の水を表わすのに、上美濃紙に型を押し付けて凹凸を作ってこれを表現している。あるいは「きめ出し」といって「東海道金谷ノ不二」では川を渡る人足の背中や川の水にポツポツと凹凸を付けて立体感を出している。「身延川裏不二」では、馬の背の莚にもこの技法が使われている。また「雲母摺」というのは、「御厩川岸より両国橋夕日見」の中の傘にキラキラ光る雲母の粉末を刷り込んでいる。「拭きぼかし」は、「山下白雨」の富士山の山裾のグラデーションに使われている。これらに加えて、浮世絵には、職人によって、紙繊維の質感と版木の木目がうまく使われている。

「御厩川岸より両国橋夕日見」


「御厩川岸より両国橋夕日見」の中の傘にキラキラ光る雲母の粉末を刷り込んでいる


「山下白雨」の富士山の山裾のグラデーション


 その富嶽三十六景から3年後、歌川廣重(1786-1858)の「東海道五十三次」の浮世絵が出版された。廣重は、寛政9年、火消し同心である安藤源右衛門の子として生まれた。13歳で家督を継いだが、絵心を忘れがたく、15歳で歌川一門に入門し、そして天保2年(1831)に東海道五十三次を出版した。当時37歳のことだった。葛飾北斎が富嶽三十六景を発表したのが72歳の時だったことを考えると、それより大幅に若い。この頃、浮世絵の1枚は16文で、かけ蕎麦1杯の値段だった。庶民はそれを見て、浮世の慰めにしていたようだ。

 当時は空前の旅ブームで、そのきっかけを作ったのが十返舎一九の「東海道中膝栗毛」で、弥次喜多が東海道を歩いてお伊勢さんを目指すという話で、その各地の名勝を浮世絵として一度に見せたのが、廣重の「東海道五十三次」である。中でも、「川崎六郷渡し舟」、「箱根湖水図」、「蒲原夜之雪」、「庄野白雨」などはその題材といい、構図といい、他に追随を許さない。

「川崎六郷渡し舟」


「箱根湖水図」の中の傘にキラキラ光る雲母の粉末を刷り込んでいる


「蒲原夜之雪」の富士山の山裾のグラデーション


「庄野白雨」の富士山の山裾のグラデーション


 ということで、この展示会は、浮世絵の細部までを見せてくれて、しかも自由に写真を撮らせてくれたから、非常に気持ちが良かった。それにしても、この展示は「20億画素の超高精細デジタル記録と3次元質感画像処理技術」と、それに協力してくれた美術館があってはじめて実現したものだ。しかし考えてみると、これからは所蔵品をこうしてデジタル形式にして公開する美術館が増えてきて、年々それが主流になっていくかもしれない。そうすると、「美術品は美術館で本物を観ないと観たうちには入らない」などと言うのが馬鹿らしくなる時代が、そのうち必ずやってくるに違いないと思う。それにしても今回は、これまで余り関心がなかった浮世絵をじっくり見させてもらって、感謝している。





(注) ICCとは、そのHPによれば、次の通りである。

 NTTインターコミュニケーション・センター(略称:ICC)は、日本の電話事業100周年(1990年)の記念事業として設立された,NTT東日本が運営する文化施設です。「コミュニケーション」というテーマを軸に科学技術と芸術文化の対話を促進し、アーティストやサイエンティストを世界的に結び付けるネットワークや、情報交流の拠点(センター)となることも目指しています。長期展示「オープン・スペース」、ICCキッズ・プログラム、企画展という展覧会の開催に加え,さまざまなイヴェントやオンライン活動を行っています。





(令和3年 3月24日著)
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