悠々人生エッセイ



01.jpg




1.このたび、池之端に新しくマンションを買ってそちらに引っ越したのだが、それまで住んでいた旧マンションは、そのままにしておいた。普通なら旧マンションを売りに出してその買い替えという形になるのだろうが、私にはたまたま買える余裕があったことと、(1)購入と引越し、それに(2)売却という二正面作戦は、体力的にも辛かろうと思ったからだ。

 その際、ついでに旧マンションの「査定」というものを、二社にしてもらった。すると、どちらも大差なかったが、売却に当たって(A)3ヶ月ほどかけてじっくり売却するケースと、(B)買い替えのためにその不動産屋会社に買い取ってもらうケースとでは、いずれの社でも500万円もの差があることがわかり、驚いた。本体価格の1割を上回る。それなら、自分で売却の仲介を依頼する(A)の方が、はるかによい。


2.そういうことで、査定してくれた会社のうちの一社に、旧マンションの売却を依頼した。というのは、同社には、このマンションの他の部屋についての売却の実績があるからだ。上野営業所に申し入れ、専任媒介契約を交わし、それで担当者が新マンションにやってきた。

 ところが、この担当者について、私の第一印象が悪かった、、、いや悪すぎた。態度がふわふわして、仕事に身を入れて取り組んでいないのである。嫌な予感がした。私は、長年、組織の中で色々な人を見てきたから、不誠実、無能、見てくれだけの人は、少し話しただけで直ぐにわかる。

 私が「大手町で弁護士をしている」と自己紹介をすると、「私の父も同じです。ご存じですか」と、あさってのことを言う。「そんなこと、この不動産取引に全く関係ないだろう。ではなぜ父を手伝わないで、不動産屋をされているのか」と聞きたいところを堪えて、「どんな販促活動をしてくれるのですか」と聞くと、「色んなメディアを通じて頑張ります」などと体育会系の返事が返ってくるばかり。


3.これは全然ダメだなと内心思ったのだが、まさかこの段階で担当替えを上司に申し入れるのも可哀想なので、そのままにしておいた。すると、この温情が、迷走の出発点となった。案の定、何の連絡もないから、果たして進展しているのかどうなのか、全然わからない。ひと月ほど経ち、たまたま旧マンションに行くと、郵便ポストにその担当者からの封筒が来ている。先日、この担当者本人が新マンションに訪ねて来てくれたので、それを覚えているのなら、私がこの旧マンションには住んでいないのは当然承知のはずだ。にもかかわらずこちらに送りつけるとは、かなりズレている。いや、頭の中が繋がっていないのだろう、、、そう思いながら封筒を開けると、売却活動の報告である。要は、3つばかりのサイトに載せたという程度のもので、とても真面目にやっているとは思えない代物である。それがもう1回あったので、嫌になってしまった。これでは、いけない、、、何らかの手を打つ必要がある。

 私はその直後、海外旅行に出かけた。すると、旅行中にとんでもないメールが届いた。要は、「転勤になったので、よろしく。後任はNさんです」、、、そうか、これで身が入らなかったわけがわかった。すると、程なくそのNさんからメールが入り、自分が引き継いでやるという。そこで私は「前任者は転勤で気もそぞろだったせいか、何の販促活動もしてくれなかった。ただネットに出しただけだ。あなたには、そういうことがないよう期待しています」と返信しておいた。


4.すると、Nさんが頑張ってくれて、1週間も経たないうちに土日に3組の客を案内したという。前任者とは、大違いだ。すると、そのうちの1組が、関心を示してくれた由。大手町で勤務している人だそうだ。確かに大手町駅までなら、家の玄関から8分もかからない。

 その数日後、Nさんからまたメールがあり、「この部屋をリノベーションするために、買主様に当社の専門改修会社を紹介させていただきました。見積もりは、890万円です」という。私はびっくりしてしまった。そんなに掛かるなら、誰も買わないのではないか。また、私の方にも悪影響を及ぼすに違いない。そこで、この段階では「私が言う立場にはないが、それにしても高い見積もりですね」と、ちょっとした嫌味を送った。すると、「お客様が他社に当ったところ、『そんなぐらいだ』と納得されてました」とのこと、、、この人も鈍感を通り越して阿呆だ。売主の心境が何にも分かっていない。


5.それから数日後、Nさんからとんでもないメールが来た。「お客様から、リノベーションに費用がかかるので、『本体価格を下げられないか』という相談がありました。〇〇〇〇万円になりませんか」というのである。しかし、それは、元の売出価格から470万円もの値下げとなる。そんな馬鹿なことがあるか。それというのも、単に仲介だけをしていればよいものを、二兎を追って余計なリノベーションまで提案するからだ。だから、売主の私にしわ寄せがきて、こんなことになる。その時私は海外にいたが、もう怒り心頭に発し、「値下げ断固拒否、専任媒介契約の不更新」をメールで通告した。

 帰国してから、Nさんとその上司に面会して状況は変わらないことを確認し、鍵を返してもらった。その時、その上司から「途中で不動産屋を変えるのは、良くないのですがねぇ。これから頼む当てはあるんですか」などと嫌味を言われた。だから私も、「頼む当ては、もちろんある。それにしても前の担当者は酷すぎた。たぶん転勤が決まっていたので、仕事に身が入らず、何にもしてくれなかった。その点、この人(今の担当者)は有能で良くやってくれたが、有能過ぎて売主の立場を何も考えずに余計なリノベーションを提案して売主に大幅な値引きを迫るという本末転倒なことをやってくれた。要は、一粒で二度美味しいのを狙ったのだろうが、そうはさせない」とまで言っておいた。


6.実はこんなこともあろうかと、前の担当者を見てこの会社は見込みがないと見切りをつけて、旅行に行く前、あらかじめ別の会社に当たりをつけておいた。そして、「この調子ではこの会社による仲介が上手くいきそうにないので、3ヶ月が期限の専任媒介契約を延長しない可能性が高いから、そうなった際にはよろしく」とお願いしておいた。そして、契約が切れ、鍵を取り返したその日のうちに、その別の会社と専任媒介契約を取り交わした。

 すると、その別の会社の担当者は非常に有能かつ積極的で、「今度とその次の土日に、オープンルームを開催してもよろしいでしょうか? 時間は13時から17時での開催を考えております。エントランス前に看板を設置、周辺にコーンを置いてお客様を呼びこもうと考えております」などと言ってくる。まさにこれこれ、、、不動産屋は、こうでなければいけないという見本のようなものだ。仕事や幸運は、一生懸命にやっている人に近づいてくる。ともかく、お礼を言い、かつ褒めておいた。

 そうしたところ、それから1週間もしないうちに、買主が現れたというのである。販促活動をするまでもなかった。買主は東証プライム市場に上場している優良企業のサラリーマン外国人で、隣接県に住んでいる。子供さんが私立の学校に通っているので、なるべく通いやすいところが良いそうだ。そして早速、翌日に売買契約を取り交わすことにした。


7.その売買契約の日、指定の時間に行くと、重要事項説明書を読み上げるのを買主が聞いていて、正に終わろうとしていた。私が名刺を出して買主に挨拶をすると、弁護士かと一瞬安心した様子で、親指を突き出す仕草をするから、やはり外国人だ。でも、日本語は達者で、ちゃんと意思疎通はできる。よくよく聞いてみると、PhDを取って著名な日本企業に勤めてかなり経っていて、永住資格もあるから、銀行融資を受けられるそうだ。

 契約書の段階に移り、順調に進んでいったが、途中で買主は、万が一履行不能になった時の危険負担の条項が理解できないようだったので、私が英語で説明してあげたら、喜んでそれから買主とは英語での会話となった。それは良いのだが、契約書の最後の特約のところで引用している文書の「第16条」というのが私には分からなかった。読み上げている不動産屋も説明できない。しばらく眺めていて、私が「前後の関係を見ると『第18条』ではないか」と指摘すると、やはりそうだった。こういうときに、昔取った杵柄が役に立つとは、思わなかった、、、もはや笑い話だ。


8.いよいよ売買実行の日を迎えた。その前に、どこで会おうかという話があり、普通なら銀行の支店で部屋を借りて行うし、新マンションの購入の時もそうしたのだが、私も買主もスマートフォンで口座の出入りを確認することができる。だから、どこでも良い。それなら、また同じ不動産会社の会議室で良いのではということになった。

 指定の日時にそこに行った。すると、もう買主が来ていて、司法書士と担当者から説明を受けながら、いくつかの書類に住所氏名を書いている。私も同じように住所氏名を何回も書き、最後にまとめて実印を押した。買主は「日本って、どうしてこんなに印鑑が多いのか」と辟易したように言ったので、皆が笑って場が和んだ。

 次に、私の口座に振り込む段となった。買主が作業を始め、「送りました」と言ったら直ぐに私のiPhoneに銀行からメールが入り、送金を受けたという。それで銀行のアプリを開くと、全額が振り込まれていた。ほんの数秒のことだった。さすがにインターネット時代だ。

 それで、私が買主に「Thank you and Good luck」と言いながら、領収書と家の鍵、宅配ボックスのカードを渡した。それで二人で揃って、地下鉄の駅まで向かった。途中、私がマンション近くの美味しいレストランを紹介したりした。別れる時、LINEの連絡先を交換し、私は帰途に付いた。


9.考えてみると、今回、売却したこのマンションの価格は、27年前に購入したときの価格と、実はほぼ同じである。つまり、この間、日本経済が低迷して物価はほとんど上がっていないので、金利を捨象すれば、実質的に買った代金とほぼ同じお金を手にしたことになる。見方を変えれば、27年間、タダで住まわせてもらったということだ。

 これが仮に田舎の一軒家だと、経年劣化してほぼ無価値の上屋と、東京一極集中のせいで価格が下がりっぱなしの土地とが残されていることだろうから、例え首都圏でも、まあ、売れても半分以下だろう。だから、それに比べれば、私は何と幸運なことかと思う。私は27年前に東京で家を買おうとした時、田舎の広い一軒家か、都会の真ん中の狭いマンションかの究極の選択を前にして、たまたま後者を選んだからだ。その時は、こんなことになるとは、全く考えもしなかった。それにしても、あの狭いマンションで頑張って生活してくれた、息子や家内に、深く感謝したい。









(令和5年7月13日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)





悠々人生エッセイ





悠々人生エッセイ

(c) Yama san 2023, All rights reserved