有斐閣といえば、法曹界で知らない人がいない法律書籍と雑誌の権威である。その社のジュリスト編集部からメールがあり、雑誌ジュリスト(2024年9月号)に、「世間と人間」(復刻版)という本の書評を書くことを頼まれた。これは名誉なことだと思って了承すると、その本が送られてきた。その内容は、実に面白い。そこで、次のような書き出しで、1ページに収まるように書評を書いた。
「復刻版と書かれているこの本をパラパラとめくってみた。軽妙洒脱な語り口で、食べ物の評、身の回りの出来事、友人との交流、芸道の精進などが生き生きと描かれ、いずれも深い学識と漢籍の素養に裏付けられている。驚いたことにこれが書かれた時期は、主に昭和22年から25年にかけての終戦直後の大混乱期である。あんな誰もが生活の苦しい時期に、これほどの心の余裕があったとは、ただただ感心するばかりだ。 これはかなりの手練れのエッセイストの手になるものに違いないと思って著者の経歴を見ると、何とまあ、初代の最高裁判所長官ではないか。これには驚いてしまった。確かにこの本の後半には、謹厳実直な裁判官としての心得が何度となく記されている。」 そして、この本(三淵忠彦著、若林高子=本橋由紀編)の中で、とりわけ(1)長官就任の会見での裁判官たる者の心構え、(2)義太夫節の三味線奏者である鶴澤道八が師匠の團平から小言をもらった話、(3)藤沢正啓典獄(刑務所長)の老後は奉仕をすべしという話、(4)板倉重矩が奈良奉行だった頃の「鹿を犬にした話」、(5)江戸の火附盗賊改方配下の与力依田佐介の盗賊捕縛の話などを、是非とも若い法律実務家や研究者に熟読玩味してもらいたいと推奨した。 著者三淵忠彦は、旧会津藩家老萱野権兵衛の弟の三淵隆衡の子である。明治38年京都大学を卒業後、東京地方裁判所や大審院の判事を経て、東京控訴院上席部長を経て大正14年に退官した。判事の頃から慶應義塾大学で30年間教鞭をとっており、退官後は三井信託の法律顧問を15年間勤めた。退官して22年後、日本国憲法の下で初代の最高裁判所長官に抜擢された。 なお、今年2024年の前半に放送されたNHKのいわゆる朝ドラ「虎に翼」(主人公寅子)で、星朋彦最高裁判所長官のモデルとなったのがこの三淵忠彦で、その子星航一のモデルで寅子の再婚相手となったのが忠彦の子乾太郎である。 (令和6年9月1日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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