悠々人生エッセイ



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       目 次
    
       
     東京から鎌倉へ
     崇敬者大祭参列
     流鏑馬の現場で
     流鏑馬の歴史は
     いよいよ流鏑馬


 鶴岡八幡宮の流鏑馬( 写 真 )は、こちらから。


1.東京から鎌倉へ

 鶴岡八幡宮の崇敬者会である「槐(えんじゅ)の会」のご縁で、流鏑馬(やぶさめ)を拝観する機会に恵まれた。

 東京の自宅を午前7時30分に出発し、鎌倉駅には8時45分着。そこから歩いて9時ちょうどに鶴岡八幡宮へ到着した。「9時45分までに受付をしないとお弁当が貰えない」と聞いていたが、余裕を持って間に合うことができた。


 これほど早く着けばまだ空いているだろうと思ったが、案に相違して境内はすでにかなりの人出である。その場で受付を済ませると、黄色のリボン、お弁当、お茶、そして会員特典の御札をいただいた。


 その後すぐに「崇敬者大祭」に参列するため舞殿(まいでん)へと向かった。舞殿の両脇には白いテントが設営され、パイプ椅子がずらりと並んでいる。社殿側のテントは最後列を除いてすでに満席だった。

 やむなく最後列に腰を下ろしたが、背中に直射日光が照りつけて実に暑い。ふと向かい側のテントを見ると、日陰になっていて空席も目立つ。迷わずそちらへ移動することにした。


2.崇敬者大祭参列

 午前10時、崇敬者大祭が始まった。「斎服(さいふく)」という真っ白な装束に身を包んだ神職が7〜8名と、巫女が2名。一列に並んで舞殿に上がり、着座する。残念ながらこちらのテントからは、神職の方々の背中しか見えない。

 参列者である我々は、基本的には座ったまま式を見守る形だ。式の進行に合わせ、司会者のアナウンスに従って起立・着席を繰り返す。

 代表の神職が祝詞(のりと)を奏上し、一通り儀式が終わると巫女の舞が始まった。両手に持った神楽鈴が「シャンシャン」と清らかに鳴り響く。その音色は、いかにも邪気を祓い神様をお呼びしているという趣がある。



 ところが、ここで一つ誤算に気づいた。私の座っている位置からは巫女さんの舞う姿が死角になってしまい、写真に収めることができないのだ。これにはがっかりした。次回はもっと早く来場し、社殿側の前列を確保しようと思った。


3.流鏑馬の現場で

 大祭が終わり、10時30分に流鏑馬の行われる馬場(ばば)へと移動した。眼前にのびる細長い馬場には、1メートル半ほどの幅に5センチほどの厚みで砂が敷き詰められ、延々と続いている。ここを馬が疾走するのだ。

 馬場沿いにはパイプ椅子が並んでいるが、空席に見えてもすでに荷物が置かれている場所が多い。かなり奥まで進み、ようやく第1の的の近くに席を確保できた。最前列ではあるが、的のわずかに手前という位置取りだ。矢が当たる瞬間を捉えるには少し難しい角度だが、背に腹は代えられない。

鶴岡八幡宮の境内図


 この「第1の的」は、左手から駆け出した射手が最初に狙う標的である。続いて「第2の的」があり、右手のずっと先に「第3の的」が設置されている。場所はちょうど、段葛(だんかずら)から舞殿へ続く参道と直角に交差するあたりだ。




 ここから午後1時の開始まで、長い待ち時間を過ごす。開始といっても最初の30分は諸儀式が行われるため、実際に馬が走り出すのは1時30分。終了予定は3時である。





4.流鏑馬の歴史は

 ここで、場内のアナウンスを元に流鏑馬の歴史について記しておきたい。

 この神事は、源頼朝が天下泰平を祈願して始めたとされ、800年余の歴史を誇る。現在は、春(4月)の鎌倉まつりと、秋の例大祭の年2回執り行われている。頼朝の御前で鎌倉武士が日頃の鍛錬の成果を示し、天下泰平を祈る神事であるため、その作法は極めて厳格だ。

(1)三つの的: 全長245メートルの「馬場」を駆け抜けながら、3つの的を次々に射抜く。

(2) 掛け声: 射手が弓を放つ瞬間に発する「イン・ヨー(陰陽)」という鋭い声が、静まり返った境内に響き渡る。

(3)射手装束: 鎌倉時代の狩装束(かりしょうぞく)に身を包んだ姿は、さながら絵巻物から抜け出してきたような美しさである。


5.いよいよ流鏑馬

 午後1時30分、式典が終わり、いよいよ本番が始まった。的の前には狩衣(かりぎぬ)姿の大人1人と、子供たちが4人控えている。白い房の付いた棒を持つ子は、命中を知らせる合図役のようだ。他の子たちは木製の四角い的を持っている。





 出発地点で扇が振られ、疾走が始まる。最初の一騎が駆け出した。響き渡る掛け声は「イン・ヨー」のはずだが、気合が入りすぎて「イエェーィ!」と聞こえるのはご愛嬌だろう。

 ドドドドッという力強い蹄の音が響いたかと思うと、あっという間に目の前を通り過ぎ、シュッと矢を放って去っていく。凄まじい迫力だ。カメラを構え、シャッター速度は1/650秒、フォーカスはコンティニュアス(AF-C)に設定して待ち構える。

 最初から二人目までは、あまりの速さに圧倒され、矢を放つところまでしか追えなかった。肝心の「的に当たる瞬間」が写っていない。文字通り、呆気にとられてしまったのだ。

 矢が当たった的はバリバリと音を立てて砕け散り、破片が見物席まで飛んでくることもある。その威力には驚かされるばかりだ。








 射手の姿勢や角度によっては、私の位置から的が見えないこともある。試行錯誤を繰り返し、

 @ 疾走する姿
 A 矢を構える姿
 B 矢を放つ瞬間
 C 的を射抜く瞬間
 D 放った直後に右手をダラリと下げる残身(ざんしん)の姿

……これらすべてを写真に収めることができたのは、しばらく経ってからのことだった。









 撮影に慣れてくると、色々と欲が出てくる。鉄道写真の技法である「流し撮り」に挑戦してみた。被写体の動きに合わせてカメラを振り、背景を流して躍動感を出すテクニックだ。

 的中した瞬間の躍動感を狙ってみたのだが、これが難しい。射手は鮮明に写るものの、肝心の的まで背景と一緒に流れてボケてしまい、写真としては失敗だった。そんなわけで写真はあまり自慢できない出来映えだが、代わりに回したビデオの方は、当時の興奮をしっかりと記録してくれていた。










 そうこうするうちに、十数回の疾走を見届けた。我々の前の「第1の的」を過ぎ、続く「第2の的」で木が割れる快音が響くと、アナウンスが「命中!」と興奮気味に告げる。さらに遠くの「第3の的」も射抜かれ、「三本とも的中!」と叫びが上がると、境内は地響きのような歓声に包まれた。

 多くの射手が三つの的すべてを仕留めていたが、中には一本も当たらない射手もいた。その無念さを思うと、こちらまで胸が痛む。






 以前、令和元年の秋に逗子の海岸で流鏑馬を観たことがある。そちらも本格的で楽しめたが、どちらかといえば街のイベントという趣が強かった。それに比べ、今回の鶴岡八幡宮の流鏑馬は、800年の伝統が息づく「神事」としての重みが肌に伝わり、非常に見応えのある一日となった。




(注)「槐」という漢字は、日本古来の「えんじゅ」という木を指す。この字には、歴史的・文化的に興味深い意味がいくつか込められている。

(1) 植物としての「槐(エンジュ)」

 中国原産のマメ科の落葉高木で、夏に白い小さな花を咲かせる。その特徴は、 非常に生命力が強いことで、古くから尊ばれてきた。 別名として「出世の木」又は「幸せの木」と呼ばれる。

(2)「高貴な位」の象徴(三公の位)

 中国の周の時代、宮廷の庭に3本の槐を植え、その下で三公(太師・太傅・太保という最高位の三職)が政務を執ったという故事がある。 ここから、「大臣」や「高貴な地位」を指す言葉として使われるようになった。 日本の内閣官房長官の公邸などが「槐(えんじゅ)の間」と呼ばれることがあるのも、この歴史的背景(最高位の者の居所)に由来している。

(3) 難を逃れる・魔除け

 「木」辺に「鬼」と書くことから、日本では「魔除けの木」としての信仰もある。安産のお守りとして槐の枝を枕元に置いたり、家の鬼門に植えたりする習慣が一部の地域で残っている。

(出典)Google Gemini





(令和8年4月19日著)
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