悠々人生エッセイ



(阿波踊り)女性による男踊り



          目 次
    
       
     まずは懐かしの神戸へ
     (1)異人館と布引ハーブ園 写 真
     (2)神戸の百万ドルの夜景 写 真
     (3)神戸須磨シーワールド 写 真
     (4)神戸どうぶつ王国にて 写 真
     (5)ステーキハウス神戸館
     徳島で阿波踊りを見物
     (1)バスは快適だったのに
     (2)渦潮の観潮船に乗船す 写 真 ビデオ
     (3)阿波踊り(南内町演舞場) 写 真 ビデオ
     (4)高松朝うどんと栗林公園 写 真
     (5)阿波踊り(藍場浜演舞場) 写 真 ビデオ
     倉敷歴史地区を散策し 写 真
     (1)倉敷歴史地区と亀遊亭で
     (2)大原美術館のエルグレコ
     (3)倉敷アイビースクウェア
     阿波踊りの歴史を渉猟
     旅の余談をあれこれと


 阿波踊り神戸倉敷への旅( 写 真 )は、こちらから。
         阿波踊り神戸倉敷への旅(ビデオ)は、こちらから。



1.まずは懐かしの神戸へ

(1)異人館と布引ハーブ園

 徳島の阿波踊りを観に行くことにしたが、それ自体は2〜3日のことなので、せっかく関西に行く機会だからと、前後に神戸と倉敷を訪れることにした。

 神戸は、かつて住んでいたから、懐かしの旅としてもう何回も行っているが、それでも訪れて飽きることがない。本当に懐かしい良い街だ。(親子三代再び母と

 いつも通り、今回も新神戸駅前のホテルに泊まる。ここは、布引ハーブ園ロープウェイの出発点であり、北野異人館街にもほど近い。

 到着してまず、北野異人館を目指して歩いて行った。緩やかな登り坂を上がって行くと、ベンの家(旧ベン・アリソン邸)、洋館長屋(仏蘭西館)、英国館(旧フランク・ハーライ邸)、風見鶏の館(旧トーマス邸)、萌黄の館(旧シャープ邸)など異人館が立ち並んでいる。

 これらは、ウロコグループの傘下らしく、ウロコの館を筆頭に何館も見て回るチケットがあるが、そもそもウロコの館へは登り坂を7分ほど上がらないと行けないので、今回は行かないことにして、三館だけの共通券を買う。

(北野異人館街)ベンの家外側


(北野異人館街)ベンの家内部


 ベンの家は、相変わらずで、白熊、キリン、バイソン、ハクトウワシ、鹿など、ありとあらゆる大型動物剥製がある。保存状態は良好だ。それにしても、よくこれだけ殺生を重ねたものだと思う。現代のグリーンピースに対し、皆さんの先祖はこんなことをしていたと言ってやりたい。

(北野異人館街)英国館のバー


(北野異人館街)英国館の甲冑


 英国館は、前回とはやや様相が異なっていて、来館者にシャーロック・ホームズの格好をさせて、入館させている。我々はこの暑い中でそんな格好をしたらますます暑くなると思って止めたが、正解だった。中の装飾は昔ながらで、室内のミニバー、西洋甲冑など、変わっていないが、それ以外は些か過剰な演出となっていて、ややケバケバしくなった。

(北野異人館街)洋館長屋


(北野異人館街)風見鶏の館


(北野異人館街)萌黄の館


 洋館長屋(仏蘭西館)には、常時2〜3家族が暮らしたようで、昔ながらの生活を垣間見ることができる。風見鶏の館は残念ながら休館日だったが、萌黄の館は見学することができた。

神戸布引ハーブ園ロープウェイ山麓駅


神戸布引ハーブ園ロープウェイのゴンドラ


神戸布引ハーブ園ロープウェイの山頂駅


 それが終わると、布引ハーブ園のロープウェイに乗って一気に山頂へと向かった。ところが、一点かき曇ってきて、東から接近中の台風15号の行方が気になる。予定では、山頂で神戸の百万ドルの夜景を撮るはずだったのに・・・雨が降ると台無しではないか。

布引ハーブ園


神戸港の眺め


 山頂駅に着き、まずは優雅に腹ごしらえをしようと思っていたら、何とまあ、2階のレストランは、昼しか営業していない。これにはガッカリした。

布引ハーブ園プロジェクションマッピング


神戸の夜景


 仕方がないので、山頂広場のファーストフードで我慢し、あちこちを散策して写真を撮り、夕暮れを待っていた。ところが、ようやく暮なずんできてプロジェクションマッピングが始まったかと思ったら、雨がパラついてきた。これはかなわないと、慌てて神戸市内を眺める夜の写真を撮った後、急いでロープウェイを下っていった。


(2)神戸の百万ドルの夜景

 幸運なことに、山麓駅に降りてしばらくして雨が止んだ。そこで、気を取り直して、いつもながら、神戸港の美しい夜景を撮りに行った。

神戸港の大観覧車とアンパンマンミュージアム


神戸ポートタワーと神戸海洋博物館


メリケンパーク・オリエンタルホテル


 最初はモザイク側からの撮影で、ポートタワー、海洋博物館、オリエンタルホテルの三点セットを撮ろうとした。ところが、この一眼レフカメラの超望遠レンズの広角側では、両端が切れてしまう。28mmあるというのに、残念だ。広角レンズを持って来てなかったので、仕方がない。代わりにiPhoneで撮る。

一眼レフでは、夜景の左右が欠ける


 しかし、以前のiPhoneと比べて、カメラの性能が上がったから、上手く光が滲んでくれずに一点一点の光がハッキリ写ってしまう。だから、皮肉なことに、高度なカメラを使ったにもかかわらず、あまり情緒のない写真となってしまった。それはともかく、レストラン・クルーズ船のコンツェルトは、相変わらず美しかった。

レストラン・クルーズ船のコンツェルト


レストラン・クルーズ船のコンツェルト越しに見るポートタワーと海洋博物館


海洋博物館を縦から見ると、三つに別れている


 今度は、メリケンパーク・オリエンタルホテルの側から撮る。正面のポートタワーは赤いロウソクがすくっと立っているようで、実に美しい。海洋博物館は横から見て一つのテント型に見えるが、実は縦から見ると、三つに別れているではないか。これは知らなかった。


(3)神戸須磨シーワールド

 神戸須磨シーワールドへは、JR神戸線の電車に乗って須磨海岸駅で降りる。快速は止まらないので、普通電車で行くしかない。

 そこから、歩いて5分で着く。会場に入ってみると、正面にはモニュメントがあり、その向こうには白砂青松の須磨海岸が見える。小さい頃に、よく泳いだものだ。

神戸須磨シーワールドに入ったイルカのモニュメント


ドルフィン・スタジアム


 右手に目をやれば、野球場のスタジアムらしきものが見え、「ドルフィンショー」と書いてある。左手には「オルカショー」とある。こんなローカルな水族館で、二つの大きなスタジアムを使うショーがあるのかと驚く。水族館(アクアライブ)の建物は見えない。ともあれ、ショーが始まるというので、右手のドルフィンの方へと行く。

ドルフィンショー


ドルフィンショー


ドルフィンショー


 ドルフィン(イルカ)ショーは広々としたスタジアムで、元気なイルカとトレーナーが一体となって繰り広げる水中ショーである。素晴らしかった。

ドルフィンショーでトレーナーがイルカに押されて空中を飛ぶ


ドルフィンショーでトレーナーがイルカに押されて空中を飛ぶ


ドルフィンショーでトレーナーがイルカに押されて空中を飛ぶ


 中でも、トレーナーがイルカに跨ったり立ち上がってグイグイと前に進んだり、空中にトレーナーが飛んだり、水中でイルカと一体となってグルグルと回りつつ進んだりした時には、会場が大いに盛り上がった。

 そして、イルカが水中から空中に高く飛んで、釣り下がっている黄色い的に触った時は、一斉に「おおっ!」という観衆の感嘆の声が上がった。ただし、あまりに急激な展開だったことから、カメラが付いていけずに画角を外れてしまって、写真が撮れなかった。残念無念といったところだ。

 それが終わってすぐに隣で始まったのは、オルカ(シャチ )のショーである。こちらのスタジアムは、ドルフィンよりもっと大きく広大だ。

オルカショーで、シャチが飛んでその尻尾で空中のボールをたたく


オルカショーで、シャチが飛んでその尻尾で空中のボールをたたく


オルカショーで、シャチが飛んでその尻尾で空中のボールをたたく


 ショーが始まった。あの大きな身体のシャチなのに、その運動能力はずば抜けている。水中からズバーンと空中高く飛んだかと思うと、落ちる際に尾びれで、高い所にあるボールをキックしたから驚いた。

 いやいや、この二つのショーが須磨シーワールドの売り物であることが、よくわかった。それにしても、伝統的な水族館も見てみたいと思ったら、ドルフィンショーの建物の裏にあり、3階で繋がっていた。こちらは、まあ普通の水族館で、サンゴ礁の海、瀬戸内海の海、六甲山からの水の流れなどに分かれている。


(4)神戸どうぶつ王国にて

 神戸どうぶつ王国は、兵庫県神戸市のポートアイランドにある「花と動物と人とのふれあい」をテーマにした全天候型テーマパークで、三ノ宮からポートライナーで計算科学センター駅を降りてすぐの所にある。

(神戸どうぶつ王国)ハシビロコウ


(神戸どうぶつ王国)虎


(神戸どうぶつ王国)プレーリードッグ


 大きな温室に、動物が放し飼い状態で飼われている。ハシビロコウ、虎、ペリカン、プレーリードッグ、カピバラ、ワオキツネザルなどが手の届く距離にいる。マムール猫の赤ちゃんが産まれたというので、多くの人が一目見ようと列をなしていた。

(神戸どうぶつ王国)フリーフライト・バード・パフォーマンス


(神戸どうぶつ王国)フリーフライト・バード・パフォーマンス


(神戸どうぶつ王国)フリーフライト・バード・パフォーマンス


 外の広大な草地では、フリーフライト・バード・パフォーマンスが行われていて、猛禽類の鷹や梟の仲間が、係員同士の間を飛んだり、あるいは赤や青、緑色のインコがペアで空中高く舞い上がるというパフォーマンスを演じてくれた。なかでも、インコは、あのままどこかへ飛んで行ってしまうのではないかと心配するほど天高く消えてしまったが、しばらくして戻ってきたので安心した。


(5)ステーキハウス神戸館

 帰りがけに、せっかく神戸に来たのだから、この機会に神戸牛を食べてみたいと思って、インターネットで適当なレストランを探した。すると、三ノ宮に「ステーキハウス神戸館」という所があったので、そこに立ち寄った。

 シックな内装のレストランで、目の前で焼いて切り分けてくれるスタイルである。肉の厚さも2cmほどと、ちょうど良かった。前菜もスープも美味しくて、大いに満足した。


2.徳島で阿波踊りを見物

(1)バスは快適だったのに


 三ノ宮から淡路方面に行く高速バスは、座席が横三列になっていて、窓に近い座席にはカーテンがある。下半身に掛ける毛布まで貸してくれ、なかなか快適である。

 明石大橋に入って一気に淡路島を突っ切る。大鳴門橋の直前の室津パーキングエリアで10分間の休憩をとったあと、大鳴門橋の鳴門公園口でバスを降りるはずだった。

 ところが、鳴門西というバス停に来たので、運転手に聞いてみると、鳴門公園口ではなくてもう過ぎたという。

 それどころか、このバスは高松行きで、徳島行きではないとのこと。予約ミスだ。高速バス停にも停留所一覧はなかったし、インターネットでもっと確認すべきだった。

 まあ、嘆いても仕方がないので、取り敢えずバスを降りて、タクシーを呼んで観潮船乗り場まで運んでもらった。

 ちなみに、高速バス停留所の鳴門西口を下った所は、第一次大戦時に捕虜のドイツ兵を収容した坂東俘虜収容所の跡地だった。今でも寂しい場所だった。


(2)渦潮の観潮船に乗船す

 渦潮は潮流最速時の前後1時間半が見頃で、この日はそれが12時20分となっていたから、10時50分から13時50分までが見頃だ。観潮船乗り場へ到着した時間は10時52分、船の出発は11時とギリギリに間に合った。

(鳴門の渦潮)観潮船ワンダーランド


(鳴門の渦潮)観潮船ワンダーランド


(鳴門の渦潮)観潮船ワンダーランドから見た大鳴門橋


 船に乗り込む時、バタバタしていたので、ちゃんと確認する暇がなく、そのまま乗った。そうすると、買ったのは1階部分の席だったが、2階の1等にすると、もう少し渦潮の全体が良く見えたのにと、残念だった。

(鳴門の渦潮)観潮船ワンダーランドから見た渦潮


(鳴門の渦潮)観潮船ワンダーランドから見た渦潮


(鳴門の渦潮)観潮船アクア・エディ


 だから、渦潮を上から見下ろすのではなく横から見たものだから、肝心の渦潮は、写真では平坦に写ってしまった。

 驚いたことに、観潮船は、渦潮に突っ込んでいき、また回転して戻って再び突っ込むを繰り返す。船体が大きいからこそ出来ることだ。

 話は変わるが、遠くに観潮船アクア・エディが見えた。これは、船の底部にガラス張りの水中展望室があり、渦潮を水中から見られるという触れ込みである。前回、これに乗って水中で白く泡立つ渦潮を観たものの、まるで洗濯機の中にいるようで気持ちが悪くなったことがある。料金は高かったのに、、、今となっては、もはや笑い話である。


(3)阿波踊り(南内町演舞場)

 いよいよ徳島で阿波踊り見物だ。その第1日は、あわぎん南内町演舞場である。徳島駅から新町川に向けて6分ほど歩き、川に行き当たったらそこを左に折れて更に6分ほど歩いて着いた。この後半の川沿いの歩きでは、道の両脇に露店が並んでいて、いかにもお祭りらしい雰囲気である。

阿波踊り(今年のポスター)


 蒸し暑い中、ようやく会場に到着した。予約した切符を見せて中に入る。SS席なのだけど最後列のしかも端の席だ。踊り手からは遠いので、超望遠レンズを望遠端まで引っ張って撮るしかない。

 これでは、前の人たちが興奮して手を上げたり拍手したりすると、写真に写り込んでしまうと思った。ところが、幸い最後列の最端の席だから、立ち上がっても誰にも迷惑をかけることはないので、そうすることにした。

 開始時間の午後6時となった。川を背にした私から見て左手から、賑やかで弾むようなリズムや威勢の良い囃子の音が聞こえてくる。地元でいう「ぞめき」である。さあ、始まったようだ。

 先頭に「のんき蓮」と、書かれた提灯を持った人がいて、その次に大勢の踊り子さんたちが続く。

 いただいたパンフレットによると、この会場では、蜂須賀蓮、天水連、酔狂連、葉月連、新ばし連と続くらしい。もっとも、実際には、この順では全然なかったし、それどころか出場する連そのものが違っていた。

阿波踊り(南内町演舞場)のんき蓮


阿波踊り(南内町演舞場)のんき蓮


阿波踊り(南内町演舞場)のんき蓮


 本日は写真を撮るために来ているのだが、このお祭りは、「ぞめき」もあるので、ビデオでなければその感動を伝えられない。ところが、一方を撮ると、他方が撮れないという二律背反の関係にある。ではどうするかと悩んだ末に、この連は写真、次の連はビデオと、交互に撮ることにした。

 この最初に経験した南内町演舞場は、阿波踊りをまだ見慣れていない時のものなので、正直に言えば、どれがどの連についての感想だったか、あまり覚えていない。だから、順不同になるが、思いつくまま、考えたことを記していきたい。

 連には、数十年の歴史のあるものと、銀行などの職場のグループから構成されるものがあるらしい。見ていて、「ああ、これはプロ級だな」と思わず唸るような連は、前者である。

阿波踊り(南内町演舞場)まんじ連


阿波踊り(南内町演舞場)まんじ連


阿波踊り(南内町演舞場)まんじ連


 後者は、皆で楽しく踊っている観があって非常に和やかで良いが、踊りが上手いかと聞かれれば、お世辞にもそうは言えない。そういう連は、前者の歴史ある連の合間に入れてもらっている。

 そうした歴史ある連では、他のように単純にみなが揃ってゾロゾロ行進し、女踊り、男踊りを披露するというよりは、何か独特の仕掛けがある。例えば、赤の奴(ヤッコ)、緑の奴が出てきて右や左やと走り回り、それを操る人がいたりして面白い。

阿波踊り(南内町演舞場)浮助連


阿波踊り(南内町演舞場)浮助連


阿波踊り(南内町演舞場)浮助連


阿波踊り(南内町演舞場)浮助連


 あるいは、縦に4列の女踊りが続いていたかと思うと、それが左右2列ずつに別れる、すると、そこに男衆が走り込んで来て大暴れする立ち回りがあったりするので、思わず目を奪われる。

 そうかと思えば、女踊りの集団が次第に中に集まってきて、回る大きな丸い集団となる。良く見ると、それがあたかも鳴門の渦潮のように中で細かくさざ波が立っているという芸の細かさで、思わず「これはすごい」と心から感心してしまった。

 女踊りは、鳥追笠を被り、下駄を履き、両手を上げて爪先立ちで高い姿勢を保つ。それで膝を片方ずつ少しだけ前後に出して揺らすから、非常に上品で優雅だ。

阿波踊り(南内町演舞場)扇 連


阿波踊り(南内町演舞場)扇 連


阿波踊り(南内町演舞場)扇 連


 もっとも、ある連は、後ろ足を蹴り上げる感じで進むので、おしとやかというよりは、お祭りらしい元気の良さを感じる。ただ、踊っている間は、ずーっと爪先立ちのようなので、下駄履きとはいえ、これは疲れるだろう。

 男踊りは、法被か浴衣に白足袋という出立ちで、腰をしっかり落として低く沈み込む姿勢が基本のようだが、それを守っている限り、定型には捉われず、自由奔放な踊りであって、むしろそちらの方が面白い。女性でも、この男踊りに参加する人がいて、これは上手い人ばかりだ。暗い中を白い脹脛を出しているから、空の上の久米仙人もビックリだろう。

 特に女踊りの方に「ヤットサー、ヤットヤット」とか、「ヤッター、ヤッター」と聞こえる掛け声が多く、なかなか威勢が良い。もちろん男踊りにも掛け声があるが、女性による揃った掛け声の方が、よく通って聞こえる。

 その他、現場ではよく聞き分けられなかったが、後から調べたところによると、

一両二両の 提灯(ちょうちん)下げて、天長地久(てんちょうちきゅう)の 踊りだ

笹の葉は 笹の葉は、笹の葉散っても 踊りはやめぬ

一長一短 だから踊りはやめられない!
などと叫んでいたらしい。

 なお踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!という阿波踊りを代表する掛け声は、一つの連だけしかやっていなかった。

 連によっては子供が全面に出て、男踊りを披露するところがあり、これがまた可愛らしい。とっても良かった。

 我々見物人の中で、サングラスを掛けた70歳くらいのおじいさんが、ノリにのって、自席で男踊りの仕草をしたり、大声で叫んだり、そちらの方も面白かった。


(4)高松朝うどんと栗林公園

 阿波踊り第1日が終わった後、ゾロゾロと徳島駅まで歩いて行った。私たちは、徳島では宿がないので、高松駅前に泊まることになっていて、徳島との間を特急列車で往復した。

 その名も「阿波踊り○号」というので、思わず笑えてきた。ところがその電車は電化されてなくてディーゼル機関車だったので、驚いた。しかも、たった3両の連結だ。

 それで約1時間走って高松駅前で泊まったホテルには、部屋に洗濯機まで付いていた。これは便利に使えて、汗みどろになった衣類を洗ったら、気分まで良くなった。

 翌日の午前中は、ホテルのフロントに教えられて「朝うどん」なるものを食べに行った。歩いて5分の高松駅前で、うどん屋「めりけん屋」を紹介されて行ってみた。東京の丸亀製麺と同じく、うどんと天ぷらの組み合わせで、なかなか美味しかった。

 それから、栗林公園を訪れた。私が現役時代の社会に出たばかりの頃に、四国を受け持つことが多かったので、その時に何回も訪れた。当時の私はまだ若かったので、それほど感激した記憶はない。しかし、今となってみると、大名庭園としては、その規模といい、内容といい、東京の六義園や後楽園を凌ぐ素晴らしさがある。

(栗林公園)入り口


(栗林公園)商工奨励館前の大木


(栗林公園)商工奨励館


 いただいたパンフレットによると、「国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さを持つ栗林公園は、緑深い紫雲山を背景に六つの池と13の築山を巧みに配し、400年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園として、すぐれた地割り、石組みを有し、木石の雅趣に富んでいます。

 春夏秋冬と四季折々の風物にも恵まれ、ここに咲く花々は1000本もの見事な手入れ松とともに、一歩一景といわれる変化に富んだ美しさを醸し出します。長い年月をかけ、多くの人たちによって受け継がれてきた栗林公園は、かけがえのない文化遺産です。

 栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、西南地区に築庭されたことに始まるといわれ、1625年頃に当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園さら、現在の原型が形づくられました。

 その後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代高松藩主松平頼重公(水戸光圀公の兄)に引き継がれ、1745年5代頼恭公の時に園内六十景の命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用されました。

 1875年(明治8年)に県立公園として一般に公開されるようになり、1953年(昭和28年)には、文化財保護法による『特別名勝』に指定され、今日に至っています」
とある。

(栗林公園)商工奨励館で食べたかき氷


(栗林公園)蓮の花


 園内図を見ていると、全て回りたい気持ちは山々なのだが、あいにく、この日は気温が32度と、非常に高かった。この旅の本来の目的は阿波踊り見物だと思い出し、その前に疲れてはいけないので庭園内を歩くのは自重して、商工奨励館の建物の中で抹茶のかき氷を食べて文字通り「涼んで」いた。全く、何をしに来たのかわからない。午後に、徳島行きの特急列車に乗り込んだ。


(5)阿波踊り(藍場浜演舞場)

 第2日は、Sansan藍場浜演舞場である。昨日とは打って変わって、最前列だったので、見上げるように撮ることができる。それは良いのだが、あまりにも前で位置が低すぎて、向こうで何をやっているか、全体像がさっぱりわからない。

 しかも、隣に座った人の団扇が時々邪魔をする。良し悪しだ。この日は、写真を諦めて、主にビデオを撮ることにした。

 さて、始まった。最初はまんじ連で、蜂須賀家の家紋をシンボルとして使って、昭和43年に誕生したそうな。

 次は阿波扇(テレコメディア)で、女性の男踊りの数が多く、中のお一人が今年の阿波踊りポスターのモデルになったという。女踊りが、赤い扇子を持って派手に回していて目立った。

阿波踊り(藍場浜演舞場)まんじ連


阿波踊り(藍場浜演舞場)まんじ連


阿波踊り(藍場浜演舞場)まんじ連


 娯茶平(川島病院連)も、結構な人数で、これが皆さん、医者と看護婦と技師さんなのだろうか?

阿波踊り(藍場浜演舞場)阿波扇連


阿波踊り(藍場浜演舞場)阿波扇連


阿波踊り(藍場浜演舞場)阿波扇連


 あわ銀連は、昨日の会場のスポンサーで、まあこちらも大変な人数だ。

 天水連(徳島大医学部)は、赤と緑の奴(やっこ)が出てきて昨日も披露していた。実に、面白い。

阿波踊り(藍場浜演舞場)阿波扇連


阿波踊り(藍場浜演舞場)阿波扇連


阿波踊り(藍場浜演舞場)阿波扇連


 ささ連(富士通)、のんき連と続き、次の阿呆連は、集まったりばらけたりする熟練の技を見せる。

 平和連、芸茶連(京都外国語大学)にも、奴があったが、上手く撮れなかった。

阿波踊り(藍場浜演舞場)天水連


阿波踊り(藍場浜演舞場)天水連


阿波踊り(藍場浜演舞場)天水連


 高円寺阿波踊り連合会の皆さんがやってきた。衣装がバラバラなのは、高円寺でたくさんの連があるからだろう。本場の皆さんに負けず劣らず、とても上手だった。

 最後を飾ったのは、新ばし連で、鮮やかなサーモンピンクの衣装が記憶に残った。

 ちなみに、眉山ロープウェイの山麓駅に、阿波おどり会館という施設がある。そこで、何と、通年ほぼ毎日、専属連や有名連による阿波踊りの実演があるそうだ。


3.倉敷歴史地区を散策し

(1)倉敷歴史地区と亀遊亭で


 高松をマリンライナーというJRの電車で出て、昼前に倉敷に着いた。お昼は、歴史地区の一角にある亀遊亭に行った。これは、明治期の風情ある建物を利用した洋食レストランで、大原美術館の正門を出てすぐの場所にある。

(倉敷歴史地区)備前焼のお店


(倉敷歴史地区)倉敷川の両岸の柳の木


(倉敷歴史地区)倉敷川の白鳥


 いただいたのは、限定20食という「亀遊亭巻」である。チョコチョコ、ちまちまという料理が入っている「小会席」である。それぞれの味が細やかで、美味しかった。

(倉敷歴史地区)レストラン亀遊亭


(倉敷歴史地区)亀遊亭巻


 それから、夕刻と朝方に倉敷が誇る歴史地区を散策した。倉敷川沿いに立ち並ぶ白壁の土蔵や柳並木、近代西洋建築が見事に調和しており、古い町家を改装したレトロなカフェが随所にある。江戸時代の天領の雰囲気を感じつつ散策や建物の鑑賞をゆったり楽しむことができた。

(倉敷歴史地区)倉敷川沿いの夜景


(倉敷歴史地区)倉敷川の夜景


 日暮れとともに歴史的建造物や倉敷川沿いが優しくライトアップされ、昼間とは一味違う幻想的で落ち着いた雰囲気がある。特に日没の直後のわずか15分ほどは、空全体が深い青色に染まり、美しかった。


(2)大原美術館のエルグレコ

 大原美術館
を見学した。やはり、何といってもここの白眉は、エル・グレコ(受胎告知)である。最近、修復されたようで、目鼻立ちがくっきりと描かれている。

(倉敷歴史地区)大原美術館のエル・グレコの受胎告知


 その他、モネ(睡蓮)、シニャック(オーべルシーの運河)、シャバンヌ(幻想)、ロートレック(マルト夫人)、ルオー(道化師)、ホドラー(木を切る人)、ゴーギャン(かぐわしき大地)、岸田劉生(童女舞姿)、安井富太郎(外房風景)、棟方志功などを鑑賞した。多くは、中学校の美術の教科書に載っていた。

(倉敷歴史地区)大原美術館のホドラーの木を切る人


 もっとも、スイスの象徴主義画家フェルディナント・ホドラーの「木を切る人」の絵は、これまで見たことがなかった。ものすごい迫力ある絵だ。スイスフランの紙幣の図柄にもなったそうだ。

大原美術館の前景


大原美術館前のカレーの市民


 ちなみに、Google Gemini の解説を載せておく。「大原美術館は、岡山県倉敷市の歴史美観地区に位置する、1930年に設立された日本初の西洋美術を中心とする私立美術館です。

 倉敷の実業家・大原孫三郎が、親友であり画家の児島虎次郎の業績を称え、彼がヨーロッパで収集した作品を公開するために作られました。ギリシャ神殿風の本館構えをはじめ、歴史的な街並みに溶け込む雰囲気が魅力です。

 エル・グレコの『受胎告知』やクロード・モネの『睡蓮』をはじめ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、モディリアーニ、ルオーなど、近代西洋美術の名作が勢ぞろいしています。

 西洋絵画・彫刻を扱う「本館」のほか、日本の近現代美術や民藝運動ゆかりの作品を展示する「工芸館・東洋館」などがあり、幅広いアートに触れることができます。

 白壁と倉敷川の柳並木が美しい倉敷歴史地区のランドマークであり、観光散策と合わせて鑑賞を楽しむことができます。」



(3)倉敷アイビースクウェア

 歴史地区に隣接している倉敷アイビースクウェアは、明治時代に建てられた旧倉敷紡績(現クラボウ)の創業工場をイノベーションしたホテルである。

(倉敷アイビースクウェア)


(倉敷アイビースクウェア)


(倉敷アイビースクウェア)


 もともと倉敷は幕府の天領で、「倉敷代官所」が設置されていた。また、綿花栽培と畳のイ草が特産品で、北前船の寄港地として大いに栄えた。

 明治維新後、大原孝四郎ら地元の実業家により倉敷紡績所が設立され、代官所跡地に本社工場が建設された。それは、赤レンガ造りの近代的工場であり、外壁には、工場内部の温度上昇を抑える目的で、蔦(ivy)が植えられた。

 ところが、時代の変化には抗えず、倉敷の都市化や操業規模の見直しに伴い、ここは本社工場としての役目を終えた。その時、工場の建物を解体せず、旧工場の赤レンガや鋸屋根の造形を残し、歴史的建築として再生・保存する方針が決定され、建築家・浦辺鎮太郎の設計により、改修が進められた。

 そして、1974年に、ホテル、レストラン、倉紡記念館、陶芸工房などを備えた複合観光施設の倉敷アイビースクウェアとしてオープンした。当時、産業遺産の再生事例(リノベーション)として全国的な注目を集めた。

(倉敷アイビースクウェア)


(倉敷アイビースクウェア)


 2007年には経済産業省の「近代化産業遺産」となり、さらに2017年には、倉敷市の構成文化財の一つとして「日本遺産」にも、認定された。近代日本の産業史と観光まちづくりが融合した代表的な施設である。

 その後、耐震補強とともに客室やパブリックスペースの大規模改修を実施し、創業当時の面影を残しながら、快適性を向上させた現在の姿に生まれ変わった。

 ということで、その名も「レストラン蔦」において、貴婦会席なるコースをいただいた。館内を歩くと、赤煉瓦の赤色と蔦の緑色との対比が美しい。また、池に緋鯉がいると思ったら、これは水島の工場の排水浄化プラントで浄化後の水質を見るために飼育されていたものだそうだ。

 帰りは、倉敷駅から山陽本線で岡山に出て、そこから新幹線に乗ってわずか3時間と少しで一気に東京駅まで帰ってきた。こんなに近いとは思わなかった。


4.阿波踊りの歴史を渉猟

 Google Geminiによると、次の通り。

(1)阿波踊りは、徳島県を発祥とする430年の歴史を持つ伝統芸能で、「日本三大盆踊り」の一つに数えられます(他の二つは、西馬音内盆踊りと郡上踊り)。

(2)その起源は、安土桃山時代とされています。

 江戸時代になると、阿波の特産品であった「藍(あい)」の取引で豊かな財を得た藍商人が経済的支援を行ったことで、衣装や囃子が豪華に発展しました。

 あまりの熱狂ぶりに、徳島藩は過度な乱痴気騒ぎや治安維持を懸念し、度々「踊り禁止令」を発令した記録が残っています。

(3)昭和初期に「阿波踊り」の命名と全国化

 それまで「精霊踊り」や「盆踊り」と呼ばれていましたが、1930年代前半(昭和初期)に観光誘致と地域ブランディングを目的に「阿波踊り」と正式に命名されました。ラジオ放送などを通じて一気に全国的な認知度が高まりました。

(4)現代では世界的イベントに

 戦後復興の象徴として復活し、踊り子のグループである「連(れん)」の組織化や、鳥追笠をかぶる「女踊り」の洗練が進みました。徳島市内の夏の風物詩として毎年100万人以上を集めるほか、東京の高円寺阿波おどりをはじめ日本全国、さらには海外へも普及しています。

(5)男踊りと女踊り

 阿波踊りの「男踊り」と「女踊り」は、衣装やシルエットだけでなく、踊りの重心や身体の使い方にも明確な違いがあります。

 男踊り(法被踊り・浴衣踊り)は、腰を深く落とした低姿勢から、うちわを使ったり踊り子ごとに個性を出したりと、自由で躍動感のある動きが魅力です。女性が法被を着て男踊りを舞うことも多く、そのクールで力強い立ち振る舞いも人気があります。

 女踊りは、編み笠(鳥追笠)を深めにかぶり、下駄の歯の前側だけで立つ「爪先立ち」の姿勢を維持します。差し出した手や足先、指先まで連全体で揃える美しさが最大の特徴です。



5.旅の余談をあれこれと

(1)阿波踊りの行き方


 最も簡単なのは、旅行会社のツアーに参加することで、クラブツーリズムや阪急交通社で、高知よさこい祭りとセットで売りだしている。

 私も、最初はそうしようかと思ったが、英語が通じない外国ならともかく、ここは日本なのだから、自力でやってみようと考えた。

 まずは、有料観覧席の確保である。もちろん、これが正解かどうかはその祭りの性質にもよる。青森ねぶた祭りの例はその典型だが、有料観覧席などに座ると、自由に写真を撮り回ることができない。その点、阿波踊りは、有料観覧席にいると、ほとんどの有名連が居ながらにして見られるということだから、その方が有利であることは明らかだ。

 有料観覧席のインターネットによる取り方には「ぴあ」と「公式サイト」の二通りがあるが、どういうわけか、今年はぴあの方の発売日が数日早かった。6月初旬にその受付開始日を確認したところ、何とその週末から発売開始だというタイミングの良さだ。

 そこで、その日の発売直後に申し込んだら、首尾よく確保できた。もっとも、AIによると席の指定もできたはずなのだけど、その方法が分からなかった。雨が降って中止となる場合もあり得るので、2日連続で取った。

 取った席は、第1日目の南内町のSS席と第2日目の藍葉浜のS席(SS席の設定なし)である。結果的にこの二つの席の組合せは非常に良かった。前者は最後列(8列目)で全体を見渡せるが、演者からは遠い。逆に後者は最前列(1列目)で演者には近いが、全体の動きがどうなっているのかわからない。だから、二つのタイプの異なる写真やビデオを撮ることができるというわけだ。

 次の課題は、宿の確保だ。予約サイトで色々とやってみたが、会場の徒歩圏内にある徳島市内のホテルは、全部満室で取れない。そこで、やむを得ず、高松駅近くのホテルを取った。ただし、徳島との間を特急で往復する必要がある。1時間強かかるが、仕方がない。

 更に次の課題は、東京→神戸→徳島→高松→徳島→高松→倉敷→岡山→東京の切符の確保である。この時期は、お盆なので帰省ラッシュで大混雑が予想される。

 だから、「びゅう(えきねっと)」で1ヶ月前のJR切符の発売日の1週間前から予約(事前受付)を利用しようとした。それをやってみたところ、JR西日本や四国の管轄は扱っていないという。それは、JR西日本の「5489」というサービスで扱っているとのこと。国鉄民営化の悪い面だ。

 仕方がないので、5489のサイトを見ると、四国の電車も予約できるというので、6件を一気に予約してしまった。そして、1ヶ月前の発売日を待ったところ、午前10時から次々とメールが入って、全て取れた。一つでも欠けると、全体のスケジュールがダメになるので、ともあれ良かった。

 一つだけ残っていたのは、神戸から鳴門渦潮を経由して徳島に行くルートの切符の確保で、前者を高速バス、後者をJRか路線バスにするつもりで、前者の高速バスの切符を取ろうとした。ところが、インターネットの「ハイウェイバス・ドットコム」の使い方がよく分からず、本文2.(1)に述べたようなことになってしまった。ともかく、結果的には時間通りに鳴門渦潮の観潮船に乗れたので、満足している。

(2)外国人ワーカー

 今回の旅で、あちこちのホテルで外国人ワーカーが増えていることが、よく分かった。神戸のIHG系のホテルでは、ベルキャプテンと受付がそうだった。私は外国暮らしのせいか、相手の容貌により考えずに英語で話しかける癖があるので、相手が日本語、こちらが英語という不思議な会話となる。笑い話だ。

 倉敷のホテルでは、受付とレストランのウェイトレスがそうだった。ただ、ウェイトレスはあまりトレーニングが行き届いていないようで、例えば、スターターの皿が空となってまだお盆の上にあるのに、その脇に強引に次の大きなお碗を置こうとする。そういう時は、新しいお碗をいったん脇に置いて、それから空の皿を下げ、然るのちにお碗を置くべきなのに、そういう訓練は受けていないのだろうか。

(3)阿波踊りは良かった

 阿波踊りには、一度是非行ってみたかった。というのは、私の父が銀行員時代に、得意先のお客さんを引き連れて阿波踊りに行ったことがあった。そして、何とまあ、未経験者を集めた急ごしらえの連を作って、それで市内を踊り回ったそうな。その結果、地元の人から「よく頑張りました」とばかりに、腰に特製うちわを差してもらって帰宅したからである。

 この阿波踊りの期間中は、私が見た演舞場のほかに市内のあちこちで踊りを披露する場が設けられ、「ぞめき」が聞こえてきて、街中が興奮の坩堝と化す。これぞ、日本の祭りだと思った。





(令和8年8月16日著)
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悠々人生エッセイ





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