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1.まずは懐かしの神戸へ (1)異人館と布引ハーブ園 徳島の阿波踊りを観に行くことにしたが、それ自体は2〜3日のことなので、せっかく関西に行く機会だからと、前後に神戸と倉敷を訪れることにした。 神戸は、かつて住んでいたから、懐かしの旅としてもう何回も行っているが、それでも訪れて飽きることがない。本当に懐かしい良い街だ。(親子三代、再び、母と) いつも通り、今回も新神戸駅前のホテルに泊まる。ここは、布引ハーブ園ロープウェイの出発点であり、北野異人館街にもほど近い。 到着してまず、北野異人館を目指して歩いて行った。緩やかな登り坂を上がって行くと、ベンの家(旧ベン・アリソン邸)、洋館長屋(仏蘭西館)、英国館(旧フランク・ハーライ邸)、風見鶏の館(旧トーマス邸)、萌黄の館(旧シャープ邸)など異人館が立ち並んでいる。 これらは、ウロコグループの傘下らしく、ウロコの館を筆頭に何館も見て回るチケットがあるが、そもそもウロコの館へは登り坂を7分ほど上がらないと行けないので、今回は行かないことにして、三館だけの共通券を買う。
(2)神戸の百万ドルの夜景 幸運なことに、山麓駅に降りてしばらくして雨が止んだ。そこで、気を取り直して、いつもながら、神戸港の美しい夜景を撮りに行った。
(3)神戸須磨シーワールド 神戸須磨シーワールドへは、JR神戸線の電車に乗って須磨海岸駅で降りる。快速は止まらないので、普通電車で行くしかない。 そこから、歩いて5分で着く。会場に入ってみると、正面にはモニュメントがあり、その向こうには白砂青松の須磨海岸が見える。小さい頃に、よく泳いだものだ。
そして、イルカが水中から空中に高く飛んで、釣り下がっている黄色い的に触った時は、一斉に「おおっ!」という観衆の感嘆の声が上がった。ただし、あまりに急激な展開だったことから、カメラが付いていけずに画角を外れてしまって、写真が撮れなかった。残念無念といったところだ。 それが終わってすぐに隣で始まったのは、オルカ(シャチ )のショーである。こちらのスタジアムは、ドルフィンよりもっと大きく広大だ。
いやいや、この二つのショーが須磨シーワールドの売り物であることが、よくわかった。それにしても、伝統的な水族館も見てみたいと思ったら、ドルフィンショーの建物の裏にあり、3階で繋がっていた。こちらは、まあ普通の水族館で、サンゴ礁の海、瀬戸内海の海、六甲山からの水の流れなどに分かれている。 (4)神戸どうぶつ王国にて 神戸どうぶつ王国は、兵庫県神戸市のポートアイランドにある「花と動物と人とのふれあい」をテーマにした全天候型テーマパークで、三ノ宮からポートライナーで計算科学センター駅を降りてすぐの所にある。
(5)ステーキハウス神戸館 帰りがけに、せっかく神戸に来たのだから、この機会に神戸牛を食べてみたいと思って、インターネットで適当なレストランを探した。すると、三ノ宮に「ステーキハウス神戸館」という所があったので、そこに立ち寄った。 シックな内装のレストランで、目の前で焼いて切り分けてくれるスタイルである。肉の厚さも2cmほどと、ちょうど良かった。前菜もスープも美味しくて、大いに満足した。 2.徳島で阿波踊りを見物 (1)バスは快適だったのに 三ノ宮から淡路方面に行く高速バスは、座席が横三列になっていて、窓に近い座席にはカーテンがある。下半身に掛ける毛布まで貸してくれ、なかなか快適である。 明石大橋に入って一気に淡路島を突っ切る。大鳴門橋の直前の室津パーキングエリアで10分間の休憩をとったあと、大鳴門橋の鳴門公園口でバスを降りるはずだった。 ところが、鳴門西というバス停に来たので、運転手に聞いてみると、鳴門公園口ではなくてもう過ぎたという。 それどころか、このバスは高松行きで、徳島行きではないとのこと。予約ミスだ。高速バス停にも停留所一覧はなかったし、インターネットでもっと確認すべきだった。 まあ、嘆いても仕方がないので、取り敢えずバスを降りて、タクシーを呼んで観潮船乗り場まで運んでもらった。 ちなみに、高速バス停留所の鳴門西口を下った所は、第一次大戦時に捕虜のドイツ兵を収容した坂東俘虜収容所の跡地だった。今でも寂しい場所だった。 (2)渦潮の観潮船に乗船す 渦潮は潮流最速時の前後1時間半が見頃で、この日はそれが12時20分となっていたから、10時50分から13時50分までが見頃だ。観潮船乗り場へ到着した時間は10時52分、船の出発は11時とギリギリに間に合った。
驚いたことに、観潮船は、渦潮に突っ込んでいき、また回転して戻って再び突っ込むを繰り返す。船体が大きいからこそ出来ることだ。 話は変わるが、遠くに観潮船アクア・エディが見えた。これは、船の底部にガラス張りの水中展望室があり、渦潮を水中から見られるという触れ込みである。前回、これに乗って水中で白く泡立つ渦潮を観たものの、まるで洗濯機の中にいるようで気持ちが悪くなったことがある。料金は高かったのに、、、今となっては、もはや笑い話である。 (3)阿波踊り(南内町演舞場) いよいよ徳島で阿波踊り見物だ。その第1日は、あわぎん南内町演舞場である。徳島駅から新町川に向けて6分ほど歩き、川に行き当たったらそこを左に折れて更に6分ほど歩いて着いた。この後半の川沿いの歩きでは、道の両脇に露店が並んでいて、いかにもお祭りらしい雰囲気である。
これでは、前の人たちが興奮して手を上げたり拍手したりすると、写真に写り込んでしまうと思った。ところが、幸い最後列の最端の席だから、立ち上がっても誰にも迷惑をかけることはないので、そうすることにした。 開始時間の午後6時となった。川を背にした私から見て左手から、賑やかで弾むようなリズムや威勢の良い囃子の音が聞こえてくる。地元でいう「ぞめき」である。さあ、始まったようだ。 先頭に「のんき蓮」と、書かれた提灯を持った人がいて、その次に大勢の踊り子さんたちが続く。 いただいたパンフレットによると、この会場では、蜂須賀蓮、天水連、酔狂連、葉月連、新ばし連と続くらしい。もっとも、実際には、この順では全然なかったし、それどころか出場する連そのものが違っていた。
この最初に経験した南内町演舞場は、阿波踊りをまだ見慣れていない時のものなので、正直に言えば、どれがどの連についての感想だったか、あまり覚えていない。だから、順不同になるが、思いつくまま、考えたことを記していきたい。 連には、数十年の歴史のあるものと、銀行などの職場のグループから構成されるものがあるらしい。見ていて、「ああ、これはプロ級だな」と思わず唸るような連は、前者である。
そうした歴史ある連では、他のように単純にみなが揃ってゾロゾロ行進し、女踊り、男踊りを披露するというよりは、何か独特の仕掛けがある。例えば、赤の奴(ヤッコ)、緑の奴が出てきて右や左やと走り回り、それを操る人がいたりして面白い。
そうかと思えば、女踊りの集団が次第に中に集まってきて、回る大きな丸い集団となる。良く見ると、それがあたかも鳴門の渦潮のように中で細かくさざ波が立っているという芸の細かさで、思わず「これはすごい」と心から感心してしまった。 女踊りは、鳥追笠を被り、下駄を履き、両手を上げて爪先立ちで高い姿勢を保つ。それで膝を片方ずつ少しだけ前後に出して揺らすから、非常に上品で優雅だ。
男踊りは、法被か浴衣に白足袋という出立ちで、腰をしっかり落として低く沈み込む姿勢が基本のようだが、それを守っている限り、定型には捉われず、自由奔放な踊りであって、むしろそちらの方が面白い。女性でも、この男踊りに参加する人がいて、これは上手い人ばかりだ。暗い中を白い脹脛を出しているから、空の上の久米仙人もビックリだろう。 特に女踊りの方に「ヤットサー、ヤットヤット」とか、「ヤッター、ヤッター」と聞こえる掛け声が多く、なかなか威勢が良い。もちろん男踊りにも掛け声があるが、女性による揃った掛け声の方が、よく通って聞こえる。 その他、現場ではよく聞き分けられなかったが、後から調べたところによると、 「一両二両の 提灯(ちょうちん)下げて、天長地久(てんちょうちきゅう)の 踊りだ」 「笹の葉は 笹の葉は、笹の葉散っても 踊りはやめぬ」 「一長一短 だから踊りはやめられない!」などと叫んでいたらしい。 なお「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!」という阿波踊りを代表する掛け声は、一つの連だけしかやっていなかった。 連によっては子供が全面に出て、男踊りを披露するところがあり、これがまた可愛らしい。とっても良かった。 我々見物人の中で、サングラスを掛けた70歳くらいのおじいさんが、ノリにのって、自席で男踊りの仕草をしたり、大声で叫んだり、そちらの方も面白かった。 (4)高松朝うどんと栗林公園 阿波踊り第1日が終わった後、ゾロゾロと徳島駅まで歩いて行った。私たちは、徳島では宿がないので、高松駅前に泊まることになっていて、徳島との間を特急列車で往復した。 その名も「阿波踊り○号」というので、思わず笑えてきた。ところがその電車は電化されてなくてディーゼル機関車だったので、驚いた。しかも、たった3両の連結だ。 それで約1時間走って高松駅前で泊まったホテルには、部屋に洗濯機まで付いていた。これは便利に使えて、汗みどろになった衣類を洗ったら、気分まで良くなった。 翌日の午前中は、ホテルのフロントに教えられて「朝うどん」なるものを食べに行った。歩いて5分の高松駅前で、うどん屋「めりけん屋」を紹介されて行ってみた。東京の丸亀製麺と同じく、うどんと天ぷらの組み合わせで、なかなか美味しかった。 それから、栗林公園を訪れた。私が現役時代の社会に出たばかりの頃に、四国を受け持つことが多かったので、その時に何回も訪れた。当時の私はまだ若かったので、それほど感激した記憶はない。しかし、今となってみると、大名庭園としては、その規模といい、内容といい、東京の六義園や後楽園を凌ぐ素晴らしさがある。
春夏秋冬と四季折々の風物にも恵まれ、ここに咲く花々は1000本もの見事な手入れ松とともに、一歩一景といわれる変化に富んだ美しさを醸し出します。長い年月をかけ、多くの人たちによって受け継がれてきた栗林公園は、かけがえのない文化遺産です。 栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、西南地区に築庭されたことに始まるといわれ、1625年頃に当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園さら、現在の原型が形づくられました。 その後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代高松藩主松平頼重公(水戸光圀公の兄)に引き継がれ、1745年5代頼恭公の時に園内六十景の命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用されました。 1875年(明治8年)に県立公園として一般に公開されるようになり、1953年(昭和28年)には、文化財保護法による『特別名勝』に指定され、今日に至っています」とある。
(5)阿波踊り(藍場浜演舞場) 第2日は、Sansan藍場浜演舞場である。昨日とは打って変わって、最前列だったので、見上げるように撮ることができる。それは良いのだが、あまりにも前で位置が低すぎて、向こうで何をやっているか、全体像がさっぱりわからない。 しかも、隣に座った人の団扇が時々邪魔をする。良し悪しだ。この日は、写真を諦めて、主にビデオを撮ることにした。 さて、始まった。最初はまんじ連で、蜂須賀家の家紋をシンボルとして使って、昭和43年に誕生したそうな。 次は阿波扇(テレコメディア)で、女性の男踊りの数が多く、中のお一人が今年の阿波踊りポスターのモデルになったという。女踊りが、赤い扇子を持って派手に回していて目立った。
天水連(徳島大医学部)は、赤と緑の奴(やっこ)が出てきて昨日も披露していた。実に、面白い。
平和連、芸茶連(京都外国語大学)にも、奴があったが、上手く撮れなかった。
最後を飾ったのは、新ばし連で、鮮やかなサーモンピンクの衣装が記憶に残った。 ちなみに、眉山ロープウェイの山麓駅に、阿波おどり会館という施設がある。そこで、何と、通年ほぼ毎日、専属連や有名連による阿波踊りの実演があるそうだ。 3.倉敷歴史地区を散策し (1)倉敷歴史地区と亀遊亭で 高松をマリンライナーというJRの電車で出て、昼前に倉敷に着いた。お昼は、歴史地区の一角にある亀遊亭に行った。これは、明治期の風情ある建物を利用した洋食レストランで、大原美術館の正門を出てすぐの場所にある。
(2)大原美術館のエルグレコ 大原美術館を見学した。やはり、何といってもここの白眉は、エル・グレコ(受胎告知)である。最近、修復されたようで、目鼻立ちがくっきりと描かれている。
倉敷の実業家・大原孫三郎が、親友であり画家の児島虎次郎の業績を称え、彼がヨーロッパで収集した作品を公開するために作られました。ギリシャ神殿風の本館構えをはじめ、歴史的な街並みに溶け込む雰囲気が魅力です。 エル・グレコの『受胎告知』やクロード・モネの『睡蓮』をはじめ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、モディリアーニ、ルオーなど、近代西洋美術の名作が勢ぞろいしています。 西洋絵画・彫刻を扱う「本館」のほか、日本の近現代美術や民藝運動ゆかりの作品を展示する「工芸館・東洋館」などがあり、幅広いアートに触れることができます。 白壁と倉敷川の柳並木が美しい倉敷歴史地区のランドマークであり、観光散策と合わせて鑑賞を楽しむことができます。」 (3)倉敷アイビースクウェア 歴史地区に隣接している倉敷アイビースクウェアは、明治時代に建てられた旧倉敷紡績(現クラボウ)の創業工場をイノベーションしたホテルである。
明治維新後、大原孝四郎ら地元の実業家により倉敷紡績所が設立され、代官所跡地に本社工場が建設された。それは、赤レンガ造りの近代的工場であり、外壁には、工場内部の温度上昇を抑える目的で、蔦(ivy)が植えられた。 ところが、時代の変化には抗えず、倉敷の都市化や操業規模の見直しに伴い、ここは本社工場としての役目を終えた。その時、工場の建物を解体せず、旧工場の赤レンガや鋸屋根の造形を残し、歴史的建築として再生・保存する方針が決定され、建築家・浦辺鎮太郎の設計により、改修が進められた。 そして、1974年に、ホテル、レストラン、倉紡記念館、陶芸工房などを備えた複合観光施設の倉敷アイビースクウェアとしてオープンした。当時、産業遺産の再生事例(リノベーション)として全国的な注目を集めた。
その後、耐震補強とともに客室やパブリックスペースの大規模改修を実施し、創業当時の面影を残しながら、快適性を向上させた現在の姿に生まれ変わった。 ということで、その名も「レストラン蔦」において、貴婦会席なるコースをいただいた。館内を歩くと、赤煉瓦の赤色と蔦の緑色との対比が美しい。また、池に緋鯉がいると思ったら、これは水島の工場の排水浄化プラントで浄化後の水質を見るために飼育されていたものだそうだ。 帰りは、倉敷駅から山陽本線で岡山に出て、そこから新幹線に乗ってわずか3時間と少しで一気に東京駅まで帰ってきた。こんなに近いとは思わなかった。 4.阿波踊りの歴史を渉猟 Google Geminiによると、次の通り。 (1)阿波踊りは、徳島県を発祥とする430年の歴史を持つ伝統芸能で、「日本三大盆踊り」の一つに数えられます(他の二つは、西馬音内盆踊りと郡上踊り)。 (2)その起源は、安土桃山時代とされています。 江戸時代になると、阿波の特産品であった「藍(あい)」の取引で豊かな財を得た藍商人が経済的支援を行ったことで、衣装や囃子が豪華に発展しました。 あまりの熱狂ぶりに、徳島藩は過度な乱痴気騒ぎや治安維持を懸念し、度々「踊り禁止令」を発令した記録が残っています。 (3)昭和初期に「阿波踊り」の命名と全国化 それまで「精霊踊り」や「盆踊り」と呼ばれていましたが、1930年代前半(昭和初期)に観光誘致と地域ブランディングを目的に「阿波踊り」と正式に命名されました。ラジオ放送などを通じて一気に全国的な認知度が高まりました。 (4)現代では世界的イベントに 戦後復興の象徴として復活し、踊り子のグループである「連(れん)」の組織化や、鳥追笠をかぶる「女踊り」の洗練が進みました。徳島市内の夏の風物詩として毎年100万人以上を集めるほか、東京の高円寺阿波おどりをはじめ日本全国、さらには海外へも普及しています。 (5)男踊りと女踊り 阿波踊りの「男踊り」と「女踊り」は、衣装やシルエットだけでなく、踊りの重心や身体の使い方にも明確な違いがあります。 男踊り(法被踊り・浴衣踊り)は、腰を深く落とした低姿勢から、うちわを使ったり踊り子ごとに個性を出したりと、自由で躍動感のある動きが魅力です。女性が法被を着て男踊りを舞うことも多く、そのクールで力強い立ち振る舞いも人気があります。 女踊りは、編み笠(鳥追笠)を深めにかぶり、下駄の歯の前側だけで立つ「爪先立ち」の姿勢を維持します。差し出した手や足先、指先まで連全体で揃える美しさが最大の特徴です。 5.旅の余談をあれこれと (1)阿波踊りの行き方 最も簡単なのは、旅行会社のツアーに参加することで、クラブツーリズムや阪急交通社で、高知よさこい祭りとセットで売りだしている。 私も、最初はそうしようかと思ったが、英語が通じない外国ならともかく、ここは日本なのだから、自力でやってみようと考えた。 まずは、有料観覧席の確保である。もちろん、これが正解かどうかはその祭りの性質にもよる。青森ねぶた祭りの例はその典型だが、有料観覧席などに座ると、自由に写真を撮り回ることができない。その点、阿波踊りは、有料観覧席にいると、ほとんどの有名連が居ながらにして見られるということだから、その方が有利であることは明らかだ。 有料観覧席のインターネットによる取り方には「ぴあ」と「公式サイト」の二通りがあるが、どういうわけか、今年はぴあの方の発売日が数日早かった。6月初旬にその受付開始日を確認したところ、何とその週末から発売開始だというタイミングの良さだ。 そこで、その日の発売直後に申し込んだら、首尾よく確保できた。もっとも、AIによると席の指定もできたはずなのだけど、その方法が分からなかった。雨が降って中止となる場合もあり得るので、2日連続で取った。 取った席は、第1日目の南内町のSS席と第2日目の藍葉浜のS席(SS席の設定なし)である。結果的にこの二つの席の組合せは非常に良かった。前者は最後列(8列目)で全体を見渡せるが、演者からは遠い。逆に後者は最前列(1列目)で演者には近いが、全体の動きがどうなっているのかわからない。だから、二つのタイプの異なる写真やビデオを撮ることができるというわけだ。 次の課題は、宿の確保だ。予約サイトで色々とやってみたが、会場の徒歩圏内にある徳島市内のホテルは、全部満室で取れない。そこで、やむを得ず、高松駅近くのホテルを取った。ただし、徳島との間を特急で往復する必要がある。1時間強かかるが、仕方がない。 更に次の課題は、東京→神戸→徳島→高松→徳島→高松→倉敷→岡山→東京の切符の確保である。この時期は、お盆なので帰省ラッシュで大混雑が予想される。 だから、「びゅう(えきねっと)」で1ヶ月前のJR切符の発売日の1週間前から予約(事前受付)を利用しようとした。それをやってみたところ、JR西日本や四国の管轄は扱っていないという。それは、JR西日本の「5489」というサービスで扱っているとのこと。国鉄民営化の悪い面だ。 仕方がないので、5489のサイトを見ると、四国の電車も予約できるというので、6件を一気に予約してしまった。そして、1ヶ月前の発売日を待ったところ、午前10時から次々とメールが入って、全て取れた。一つでも欠けると、全体のスケジュールがダメになるので、ともあれ良かった。 一つだけ残っていたのは、神戸から鳴門渦潮を経由して徳島に行くルートの切符の確保で、前者を高速バス、後者をJRか路線バスにするつもりで、前者の高速バスの切符を取ろうとした。ところが、インターネットの「ハイウェイバス・ドットコム」の使い方がよく分からず、本文2.(1)に述べたようなことになってしまった。ともかく、結果的には時間通りに鳴門渦潮の観潮船に乗れたので、満足している。 (2)外国人ワーカー 今回の旅で、あちこちのホテルで外国人ワーカーが増えていることが、よく分かった。神戸のIHG系のホテルでは、ベルキャプテンと受付がそうだった。私は外国暮らしのせいか、相手の容貌により考えずに英語で話しかける癖があるので、相手が日本語、こちらが英語という不思議な会話となる。笑い話だ。 倉敷のホテルでは、受付とレストランのウェイトレスがそうだった。ただ、ウェイトレスはあまりトレーニングが行き届いていないようで、例えば、スターターの皿が空となってまだお盆の上にあるのに、その脇に強引に次の大きなお碗を置こうとする。そういう時は、新しいお碗をいったん脇に置いて、それから空の皿を下げ、然るのちにお碗を置くべきなのに、そういう訓練は受けていないのだろうか。 (3)阿波踊りは良かった 阿波踊りには、一度是非行ってみたかった。というのは、私の父が銀行員時代に、得意先のお客さんを引き連れて阿波踊りに行ったことがあった。そして、何とまあ、未経験者を集めた急ごしらえの連を作って、それで市内を踊り回ったそうな。その結果、地元の人から「よく頑張りました」とばかりに、腰に特製うちわを差してもらって帰宅したからである。 この阿波踊りの期間中は、私が見た演舞場のほかに市内のあちこちで踊りを披露する場が設けられ、「ぞめき」が聞こえてきて、街中が興奮の坩堝と化す。これぞ、日本の祭りだと思った。 (令和8年8月16日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |

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